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兄弟に付き添って・・・
友人に誘われて・・・
ヤマの写真に憧れて・・・
などなど、山行するようになったきっかけは人それぞれ

振り返って、ヤマと自分のつながりを思い返してみるとその原点はず〜っとず〜っと昔の幼稚園の頃に遡るのではないか?と
最近思うようになりました

僕が通っていた幼稚園は京都・北白川にある北白川幼稚園、
生後2ヶ月から親の仕事の関係で外に預けられていたのですが、なぜか通う保育園や幼稚園が潰れていくので
コロコロと幼稚園を変わっていたのですが、最後に辿りついたのがこの北白川幼稚園!
この幼稚園は、北白川の小高い山の上にある幼稚園で、もう場所は忘れてしまいましたが毎日白川通りのある場所に園児が集まり、
みんなで山を歩いて登って幼稚園に通うのです。
まさに登校ならぬ登園をするのです!

(しかし、どうして学校に行くことを登るという字を使って表現するのでしょうね?

晴れの日も、雨の日も、雪の日も子どもたちは自分の足で一生懸命登って行くのです。
さっき初めて北白川幼稚園のWebsiteを見たのですが、幼稚園は標高100mの山の上にあると書いてありました、
標高100m、幼稚園児にとっては結構大変なことですよね〜

僕もうっすら記憶の中に、友達と、そして、先生と、手を繋いで石が出たり木の枝が出たりする道を
登って行ったことを覚えています。辛くて泣いても励まされて自分の足で歩いて上がらなきゃいけないのです!
いまは写真のようなルートがあるようですが、昔はひとつしかなかったような?
でも、毎日楽しかったような記憶しかありません、毎日みんなで集まって、先生が話してくれる自然の移ろいや動植物の話、
ときには自然を謡った俳句や和歌の話をしてくれたことを覚えています

いまでも明瞭に覚えているのが、梅雨時に当時の園長・山下一郎先生が教えてくれた芭蕉の、古池や・・・で続く名句です。
園長先生は、古池や 蛙飛びこむ 水の音 と謡い、最後にバショ〜!と水にカエルが跳びこむ音と芭蕉を掛けて
誰が詠んだ句か覚えやすいようにしてくれました

あ〜、懐かしいな〜!
でも、あのときの楽しい山歩きの記憶がいまもって僕をヤマに駆り立てるきっかけになってるんだろうなと心から思います

今度実家に帰ったら行ってみようかな、お山の幼稚園

北白川幼稚園
http://www.kitashirakawa.jp/
なかなか、いい想い出ですね。
そっかー幼稚園のころかぁ
私の育ったところ
田んぼばっかで、
高いところって言えば
川の土手くらい。。
今思うと、うらやましいです
そうそう、
なんで幼稚園・学校って「登」なんでしょうね
気になる。。
slimeさん、
コメント、ありがとうございます!
田んぼばっかですか〜、でも、それも素敵じゃないですか〜
僕の実家の近くも昔は田んぼや畑が残っていてオタマジャクシやザリガニ取りをしたものです、
いまはすっかり宅地化されちゃいましたが。。。
こういう子供の頃の記憶って大切にしたいですよね!
登、ちょっとググってみたら、
都に上る、都を下る、というところから登るに転じたのでは?と書いてあるのを見つけました
京都ではいまだに北に行くことを、上(かみ)に上がる、下(しも)に下がる、と言います。
なんたって、先の戦、と言えば、応仁の乱だそうですから、京都は。。。
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