本書は、神奈川県にある宮ヶ瀬ダムをモチーフとし(本書では「瑞ノ瀬ダム」となっている)、ダム湖の底に沈む「故郷」と、その土地にかかわる三世代の母娘を描いた物語だ。
先日、神奈川県愛川町の服部牧場に行った折に、すぐそばの宮ヶ瀬湖にも足を伸ばしていた。大小にかかわらずダムは山の奥にあるものという自分のイメージを打ち崩すほどの広大な土地が、ダム湖と周辺の公園に整備されていた。その広大なエリアを俯瞰していて違和感を覚えた。まるで大昔の特撮に出てくる宇宙人の秘密基地のように無機質で、現実離れした、取って付けたようなウソっぽさを感じてしまったからだ。そうした非現実感の裏返しにどれほどの自然が破壊されたのかと考えると心が寒々しくもなった。
その直後に本書と出会った。
重く、激しく揺さぶられる、心に残る本だった。単に自然が破壊されるとか、故郷が無くなるとか、そういった短い言葉には集約できない、人間の人生が描かれている。本当に多くのものが詰まった物語だった。
西洋的価値観だと山や森は征服するもの、支配するものだが、日本では生活の場であり、信仰の場であり、ハレとケを含めて祭りの場でもあった。「あった」と過去形にしているのはそうした日本人が長い年月をかけて形作ってきたものがもはや形骸化してきていると感じているからだ。
自然を大切にと多くの人が口にするが、その「大切」のかたちは千差万別だ。しかし、失くしたもの、捨てたもの、奪われたもの、無くなったものは二度と戻らない。三条の湯の木下さんが話していたが、ここ20年で多くの種類の花や木が雲取山から消えてしまったという。無くなった花や木は二度と戻らないのだと。
二度と戻らない山もある。武甲山は今も削られ続けている。武甲山の山頂は50年前に削られて無くなってしまった。武甲山自体がいつかは無くなってしまうかもしれない。もう二度と戻らない。武甲山の裏側、浦山口には浦山渓谷と日本三大奇郷と言われた浦山郷があったが、すべて浦山ダムの底に沈んだ。
無くなったものは二度と戻らない。いつも身近にあると思っている自然も実はどんどん変わってしまっている。人の心はどうか?
新しく生まれるものもある。新しいものには新しいものの良さがある。しかし新しく生まれたものは前と同じものではない。このことをどう考えればいいのだろう。雲取山には自然があふれているが、20年前とは全く違っているらしい。このことをどう受け止めればいいのだろう。
この世のものはいずれ朽ちていく。自然も、人の体も心も朽ちる。抗う思いはあってもいずれは朽ちる。そんなやるせなくも答えのない問いかけがこの物語の中にはある。
ぜひ多くの人に読んでほしいと思う。
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