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山を始めた20代の頃は、山の情報に飢えまくっていた。山関連の雑誌は必ず目を通し、二大月刊誌は隅々まで読んだ。また大先達の本を古本屋で探しては買ってきてむさぼり読んだ。串田孫一、大島亮吉、田部重治、、、今とは違う深山幽谷だったころの山の話は刺激的で、大先達の考え方には大きな影響を受けた。
古本屋巡りの中で、二大月刊誌の古いバックナンバーも買い始めた。写真の少ない、ものすごい活字量に編集部のすさまじい山への情熱を感じ、思い切り引っ張られた。活字から想像する山の景色や情報には無限のおもしろさを感じた。今も行く山の情報は見ないようにしているのはそのころの名残だ。
古雑誌探しの中で出会った雑誌があった。北海道で発行されていた季刊誌で、北海道の山を紹介している「北の山脈(やまなみ)」という雑誌だ。あのころは、体力は売るほどあったが、金と時間とヒマがなかった。いつかは北海道の山にも行きたいと雑誌で気を紛らわせていた。その中に「山小屋と雑記帳」という連載があって、山小屋の紹介とその小屋に置いてある雑記帳から転載した内容の連載だった。北大が定山渓に所有するヘルベチア・ヒュッテを扱った号に自分のマーキングがあった。読んで笑ってしまった。今の自分の気持ちをまさに表しているような雑記帳の書き込みを、はるか昔の、若造時代の自分がマーキングしていたことがおもしろかった。
雑記帳に書きこまれた筆名は「萬歳」さんで、日付は1970年2月22日。今から55年も前のことだ。「萬歳」さんがまだご存命なことを願い、尊敬の想いをこめて転載する。
私はもう見栄はすてたのだから、やりたくない山行はやらない。その結果技術的にどんなに見劣りしてもかまわない。私は楽しい山行しかしない。これはかたい決意である。絶対につれていかれる山行はしない。もうアルピニズムがどうのこうのという話はしない。私のこれからやることが、アルピニズムであろうが、なかろうが、そんなことは私の知ったことではない。私は自分のやりたいことしかやらないのだ。
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