『山と渓谷2024年1月号』の巻頭写真ページは佐藤大史の「ALASKA」だった。そしてデナリが見開きになっていた。写真も素晴らしかったが添えられた文章が良かった。佐藤はアラスカネイティブの長老から「写真はお前のjobだろ? 暮らしの稼ぎの手段はわかった。Lifeの話をしてくれ」と言われたと書いていた。それを読み、なにか懐かしい思いで心が和んだ。佐藤は続けて、「属する、とはその土地が内包しているものを享受するだけではなく、その土地に自分も内包されることだ」とも書いていた。この一節を読み、懐かしい思いの理由が分かった。アラスカの写真を撮り続けた、大好きな写真家、星野道夫を思い出したからだった。
ミチオをいつ知ったのかは思い出せない。私が山に行き始める時期であることは確かなので、30年以上前だと思う。山のことを知りたいと飢えていた自分にとって、ミチオが撮る「アラスカ」はとても魅力的だった。山だけでなく、グリズリーやカリブーにも魅かれ、いつかはアラスカに行けるかもと想像たくましくしていた。写真だけでなく、ミチオの考えることや文章に強い影響を受けた。山のことをよくわからない「小僧」のような自分にとってミチオは偉大な先人であり、言葉すべてが格言のようだった。写真展があれば見に行った。いつかは会ってみたいと思っていたミチオは不慮の事故で突然亡くなり、そんな淡い夢も消えてしまった。亡くなったあと、懇意にされていた作家が追悼のトークショーを書店で開かれ、何度か足を運んだ。その人柄やエピソードを近しい人から聞き、ああ、自分が思っていた通りの人だったのだとうれしく思うと同時に、亡くなられたことが本当に残念でならなかった。
佐藤のデナリの写真や文章から無性にミチオに触れたくなり、ミチオの『アラスカ 光と風』を開いた。何十年かぶりに触れるミチオの言葉はとても新鮮だった。すっかり内容やミチオの言葉が自分から消えてしまっていたので、改めてそんなことがあったのか、それはすごいと、独りつぶやきながら読み進んだ。そして読みながらミチオが好きだった理由が改めて理解できた。
ミチオが憧れからアラスカを訪れ、そして定住者となっていったこの期間、アラスカは悠久の時間の流れから急速に私たちが暮らす現代社会に接近していく期間だった。ミチオは悠久の流れの最後の時間を生きた証言者であるとともに、大きく変わりつつあるアラスカの最初の時間の目撃者でもあったのだと思う。その中でミチオは悠々と悠久の時間の中に身を置くことを良しとし、そこから新しいアラスカを垣間見ていた。そうした視点やミチオの立ち位置が、次々と開発されていく山々に足を踏み入れようとしていた自分の思いと混じり合ったのだと思う。そのことがよく分かった。
『アラスカ 光と風』は、刊行から9年後に一章付け加えて別の出版社から再発売された。付け加えられた一章は「新しい旅」とタイトルされた章。アラスカでの17年の歳月を経て、やっと「新しい旅を始めていた」と書いている。新しい旅とは、自分の目で見える景色だけではなく、「神話の時代を自分の記憶として持っている古老たち」の「心の中に入ってゆくこと」だという。「決して到達しえない旅」「その中で新しい風景が見えてくるのだろうか」と眠る古老のそばで考えるミチオ。出版の翌年、ミチオは逝ってしまった。ミチオが続けたかった旅を佐藤のような次の世代の写真家が辿ってくれればいい。なにかミチオもそうした「命のリレー」を望んでいたようにも思う。佐藤が早くLifeを語れる人になってほしいと願うばかりだ。そしてその話を私はぜひ読んでみたいと楽しみにしている。 (敬称は略させていただきました)
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