最近の日記リスト
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2025年 06月 18日 17:15未分類
1. 水晶と人格の構造的類似
私は山に水晶を採集しに出かけることがある。そこに露出する石英脈や母岩の割れ目には、ごくまれに美しい六方晶系の結晶が育っている。だが、ほとんどの場合は無秩序な塊、濁った石英のかたまりに過ぎない。水晶は、ただ熱水が供給されれば育つものではない。温度、圧力、ガスの濃度、結晶
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2025年 06月 17日 19:40未分類レビュー(食料)
意地になって、茂みに生える蛇イチゴを探しては、口に放り込む彼の姿。
あの奇怪な行動が、今なお頭から離れない。
■ 「ラズベリーだよ」──その一言がもたらした違和感
初夏の登山道。赤く小さな実が道端に生えていた。
彼はそれを見つけると、嬉々としてこう言った。
「これ、ラズベリーだよ。
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2025年 06月 16日 16:25未分類レビュー(食料)
■ はじめに
登山道で疲れた身体に差し出される一口の甘味。
それは優しさか、はたまた善意の証か──。
多くの登山者は、「もらうのが当たり前」「ありがたい行為」と思っているだろう。
だが私は、これまでの経験を通して、山で差し出されるお菓子には別の意味があると感じている。
そしてそれは、と
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2025年 06月 16日 13:08未分類レビュー(その他道具・小物)
■ 熊鈴は本当に必要か?
熊鈴は、登山者がクマとの遭遇を避けるために鳴らす「安全装置」として定着している。しかし、それが本当に必要な場面は限られており、特に本州の都市近郊の低山では、その必要性はほとんど無い。
にもかかわらず、六甲山や高尾山といった観光地化された山域であっても、多くの登山者が
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2025年 06月 16日 12:35未分類レビュー(食料)
■ 死んだふりは自己防衛ではない、生贄の合理化だ
ヒグマと遭遇したとき「死んだふりをしろ」と語られるのは、冷静なサバイバル戦略ではなく、実際には誰かが喰われる前提の自己保存論理である。
「死んだふり」という提案は、あくまで個人に選択肢を与えたように見せかけ、犠牲を個人責任にすり替える
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2025年 06月 04日 23:31未分類
神秘体験という錯覚──山中で見た“鹿”と脳の意味づけの話
はじめに: これは、僕が登山中に体験したある「錯覚」をもとに、人間の心や神秘体験について考えた話です。見間違いなんて誰にでもありますが、それが極限状態の中で起きると、なぜか“神様に出会った”みたいな体験として語られることがある。僕はそれ
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