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大水上山(おおみなかみやま) / 大利根岳

最終更新:Junjapa
基本情報
標高 1831m
場所 北緯37度03分30秒, 東経139度05分49秒
カシミール3D
長さ322kmの利根川の源流の山とされる。別名、大利根岳と呼ばれる。
人々の利根川源流への興味は昔から存在し、いまから140年ほど前の安政5年(1858年)下総・布川(現在の茨城県北相馬郡利根町)の医師・赤松宗旦は「利根川図誌」を著し、その中で利根川水源となる山や各支流の水源地などを記述しているものの、利根川源流部については資料不足から後日を期したいとして未完に終わっているという。
宗旦の時代、利根川の水源は「文殊山」にあるとされ、そこの奥にまつられた文殊菩薩の乳房からしたたる水が水源だと明治中期までは信じられてきたが、いまは「文殊山」がどこにあるかは特定ができていない。おそらくススケガ峰か大白沢山周辺ではないかと云われている。
最初の源流探査の試みは明治27年(1894年)に群馬県が39名の調査隊を組織して行われたが尾瀬ヶ原に抜けてしまい失敗に終わった。
最初に水源地に到達したのはかなり最近の話であり、大正15年(1926年)にやはり群馬県調査隊の一行46名が大利根岳(調査報告書ではこの名称を使用。いまの大水上山)に登ったときのことであった。
詳しい利根川水源調査としては昭和29年の利根川水源調査団30名の調査があげられる。この時は群馬岳連が中心となって実施され、土合山の家の管理人だった中島喜代志氏も参加した。(なおこの調査に彼は猟銃を持参し沢をボートも使って遡行し1週間かけて大水上山直下の雪渓に達したという)
このときに利根川の”最初の一滴”は大水上山の南東斜面にあることが発見されることとなった。(「利根川流域五十山」我孫子登山倶楽部 崙書房 より)
山頂

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