北陸

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基本情報
場所 | 北緯36度22分52秒, 東経136度52分14秒 |
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山の解説 - [出典:Wikipedia]
岩瀬家住宅(いわせけじゅうたく)は、富山県南砺市西赤尾町にある合掌造り家屋。重要文化財に指定されている。岩瀬家住宅は江戸時代後期に加賀藩の塩硝上煮役である藤井長右エ門により8年間の歳月をかけ建てられた。藤井長右エ門家は五箇山内で利賀谷の岩渕村伊右衛門家に次いで富裕な豪農であり、その潤沢な財産を背景に建築されたようである。
19世紀の五箇山では塩硝の上煮屋によってそれまでにない上質かつ大型の合掌造り住宅が建てられており、岩瀬家住宅はその代表にして現存する合掌造りとしては最大級の規模であった。往時には使用人も含め、35人もの人が住んでいたという。同時期に建てられた住宅としては、小瀬の羽馬家住宅・細嶋の生田家住宅(いずれも赤尾谷)などが知られている。
地元の伝承によると、藤井長右エ門は当初井波町の著名な大工である角兵衛に建築を依頼したが、角兵衛は代わりに氷見大窪村の又三郎大工を推薦したため、又三郎大工によって現在の岩瀬家住宅は建てられたという。又三郎は優れた技術で建築を進めたが、丁寧すぎる仕事のために進捗が遅く、建築は長期間にわたったとも伝えられている。
しかし、天保の大飢饉をきっかけとして天保8年(1837年)に高方仕法が施行されると、豪農たちは掛作高を没収され、藤井長右エ門家・岩渕村伊右衛門家などは急速に没落した。更に、明治維新を経て塩硝の価格が急落したことが決定打となり、藤井家は住宅を手放し、以来岩瀬家の所有するところとなった。
岩瀬家住宅は1958年(昭和33年)5月14日に重要文化財に指定された。現在も住居として使われているが、一部を除き内部を見学することが出来る。
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2025年06月07日(日帰り)