(はじめに)
この章では、5−8章で紹介しきれなかった、甲府盆地南部の御坂山地と天守山地の地質について説明します。
なお、富士山は当然、どこかで説明すべき日本を代表する山ですが、活火山であることから、第9部「関東、中部地方の火山、その形成史」にて説明しています。なので、この章では説明を割愛します。
なお、富士山は当然、どこかで説明すべき日本を代表する山ですが、活火山であることから、第9部「関東、中部地方の火山、その形成史」にて説明しています。なので、この章では説明を割愛します。
1)御坂山地とその周辺
甲府盆地と富士山の間には、その間を遮るかのように、東西に長く延びた御坂山地(みさかさんち)が連なっています。
東端はロッククライミングのゲレンデとしても知られている、三つ峠山(みつとうげやま:1785m)で、そこから西へ向かうと、太宰治の作品(富嶽百景;「富士には月見草が良く似合う」で有名)にも載った、御坂峠があります。
その先は、黒岳(1793m)、節刀ヶ岳(せっとうがたけ:1736m)、鬼が岳(1738m)、王岳(1623m)、三方分山(1409m)と峰々が並び、その西側は徐々に高度を下げつつ、冨士山の西側に南北に並ぶ天守山地へと接続しています。全長が約25km程度の東西に細長い山地です。
この山地は富士山をまじかに、また富士五湖を眼下に見る展望の山地として知られ、ハイキングレベルの登山道も多数あります。
この山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」にて確認すると、かなりの部分が、玄武岩質の火山岩性の地質(中新世後期)で形成されています。それ以外には、デイサイト・流紋岩質の火山岩性の地質(中新世後期)、泥岩層(中新世後期:山地の南西部)、また山地の北東部は深成岩である閃緑岩/トーナル岩体(中新世 13-10Maに貫入)注1)で形成されています。
御坂山地を作る上記の地質群のうち、深成岩体を除く部分は、まとめて「西八代(にしやつしろ)層群」と呼ばれています(文献1)、(文献2)。
深成岩体は、前に説明した「甲府深成岩体」の一部で、「芦川岩体」(あしがわがんたい)という名前がついています(文献3)。
なお三つ峠山の山頂付近だけは、中新世〜鮮新世に堆積した礫岩でできており、ロッククライミングゲレンデもこの礫岩層です。この礫岩性の地質は「河口湖層群」と呼ばれる地質ゾーンの一部で(文献2)、のちに説明する、天守山地の地質(富士川層群)の延長部です。
御坂山地を作っている地質、特に「西八代層群」の成因については、調べた範囲で、少なくとも3つの仮説があり、明確にはなっていません。
説明が細かくなりすぎるので、後の方に(補足説明1)として各仮説の詳細を記載します。
ご興味のある方はご覧ください。
※ ”Ma” は百万年前を意味する単位
東端はロッククライミングのゲレンデとしても知られている、三つ峠山(みつとうげやま:1785m)で、そこから西へ向かうと、太宰治の作品(富嶽百景;「富士には月見草が良く似合う」で有名)にも載った、御坂峠があります。
その先は、黒岳(1793m)、節刀ヶ岳(せっとうがたけ:1736m)、鬼が岳(1738m)、王岳(1623m)、三方分山(1409m)と峰々が並び、その西側は徐々に高度を下げつつ、冨士山の西側に南北に並ぶ天守山地へと接続しています。全長が約25km程度の東西に細長い山地です。
この山地は富士山をまじかに、また富士五湖を眼下に見る展望の山地として知られ、ハイキングレベルの登山道も多数あります。
この山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」にて確認すると、かなりの部分が、玄武岩質の火山岩性の地質(中新世後期)で形成されています。それ以外には、デイサイト・流紋岩質の火山岩性の地質(中新世後期)、泥岩層(中新世後期:山地の南西部)、また山地の北東部は深成岩である閃緑岩/トーナル岩体(中新世 13-10Maに貫入)注1)で形成されています。
御坂山地を作る上記の地質群のうち、深成岩体を除く部分は、まとめて「西八代(にしやつしろ)層群」と呼ばれています(文献1)、(文献2)。
深成岩体は、前に説明した「甲府深成岩体」の一部で、「芦川岩体」(あしがわがんたい)という名前がついています(文献3)。
なお三つ峠山の山頂付近だけは、中新世〜鮮新世に堆積した礫岩でできており、ロッククライミングゲレンデもこの礫岩層です。この礫岩性の地質は「河口湖層群」と呼ばれる地質ゾーンの一部で(文献2)、のちに説明する、天守山地の地質(富士川層群)の延長部です。
御坂山地を作っている地質、特に「西八代層群」の成因については、調べた範囲で、少なくとも3つの仮説があり、明確にはなっていません。
説明が細かくなりすぎるので、後の方に(補足説明1)として各仮説の詳細を記載します。
ご興味のある方はご覧ください。
※ ”Ma” は百万年前を意味する単位
注釈1)
御坂山地の東部にある深成岩体は、「地質図」の説明では、「閃緑岩」および
「石英閃緑岩」と記載されています。一方、文献3)では「トーナル岩
(トーナライト)」と記載されています。
文献4)によると、いずれも花崗岩に近い深成岩類ですが、主要構成鉱物は
以下の通りで、石英の含有量、含有有無で区別されているものです。
・閃緑岩;斜長石(無色)、角閃石(有色)、
(石英は不含有、あるいは無色、無色鉱物のうち5%未満)
・石英閃緑岩;斜長石(無色)、角閃石(有色)、
石英(無色;無色鉱物のうち、<20%)
・トーナル岩;斜長石(無色)、角閃石(有色)
石英(無色;無色鉱物のうち、>20%)
※ ここでの「無色」は「無色鉱物」の略、「有色」は「有色鉱物」の略
「石英閃緑岩」と記載されています。一方、文献3)では「トーナル岩
(トーナライト)」と記載されています。
文献4)によると、いずれも花崗岩に近い深成岩類ですが、主要構成鉱物は
以下の通りで、石英の含有量、含有有無で区別されているものです。
・閃緑岩;斜長石(無色)、角閃石(有色)、
(石英は不含有、あるいは無色、無色鉱物のうち5%未満)
・石英閃緑岩;斜長石(無色)、角閃石(有色)、
石英(無色;無色鉱物のうち、<20%)
・トーナル岩;斜長石(無色)、角閃石(有色)
石英(無色;無色鉱物のうち、>20%)
※ ここでの「無色」は「無色鉱物」の略、「有色」は「有色鉱物」の略
2)天守山地と富士川の谷付近
天守山地(てんしゅさんち)は、冨士山の西側に、南北に細長く延びた山脈です。
この場所はすでに、関東西部の山々とはいいがたいのですが、御坂山地を説明したついでに、御坂山地と接続しているこの山地の地質にも触れておきます。
天守山地は、富士川の広い谷を挟んで南アルプスと対峙し、また東側には富士山がそびえており、御坂山地と並び、冨士山の護衛のような感じの山脈です。
主な山としては、北に最高峰の毛無山(1964m)があり、そのほかに、長者ヶ岳(1336m)、天子ヶ岳(1330m)と1000m級の山が並びつつ高度を下げ、白水山(812m)を南端として、稜線は富士川の谷に落ち込んでいます。
延びる方向はそれぞれ、東西、南北と違っていても、富士山の周辺で、細長く延びた山地、かつ活火山はない、ということで、一見すると、御坂山地も天守山地も同種の地質で形成され、同種の原因で山脈を形成したように思えますが、実はちょっと違います。
まず、産総研「シームレス地質図v2」にて、この山脈の地質を確認すると、案外と複雑な構成になっています。
天守山地の主要な地質は堆積岩類で、天子ヶ岳付近は、砂岩/泥岩互層(中新世に堆積)が分布し、その構造的上位には、礫岩層(「丸滝礫岩層」という名称;文献2)があります。この礫岩層は中新世に堆積したもので、あちこちに分布しています。
これらの堆積層は、富士川下流部の西側(静岡市側)にも広く分布しており、まとめて「富士川層群」という名前が付けられています。
このほかには、山地の北部の毛無山付近は、地質的には御坂山地の続きで、玄武岩質火山岩(前期―中期 中新世に噴出)で出来ています。
また天守山地全体には、部分的に深成岩である閃緑岩体(中新世後期に貫入)が分布しています。閃緑岩体の分布形状は南北に引き伸ばされた(=東西方向に圧縮された)ような形状を示します。
(文献1)、(文献2)によると、天守山地の主要構成地質である「富士川層群」(泥岩、砂岩、礫岩)のうち、礫岩は、少し離れた関東山地からやってきたと推定されています。また砂岩、泥岩は、天守山地とその西側の富士川の谷状地形部分が、以前は数千mの深海底であった時代に堆積した地質だと考えられています。
(文献2)によると、丸滝礫岩層は、富士川から御坂山地、富士山の北側(御坂山地東端の三つ峠山山頂部)まで東西方向に分布していることから、中新世中期には、関東山地の南側から御坂山地の南側、天守山地、富士川流域までの一帯は、東西に延びた海底谷を形成していたと考えられています。古流路は東から西への流れと推定されています。
その後、第四紀(約2Ma)になってこの一帯には東西方向の圧縮力が卓越し、天守山地は隆起帯となって南北方向に延びる山脈を、西側の富士川谷の部分は沈降帯となって、そこに分厚い堆積層ができた、と考えられています。
地形図で見ると、約20-30kmの細長い山脈という点で類似している御坂山地と天守山地ですが、山地としての隆起時期も異なります。
御坂山地のほうが早い段階(後期中新世;約8-5Ma)に隆起を開始し、天守山地は、より遅い段階(第四紀;約2Ma〜)で隆起を開始したと考えられています(文献2)。
それは、御坂山地はやや険しい山容ですが、天守山地は頂上稜線部が比較的なだらかである、という地形的な特徴からも推定されています。(文献2)
※ ”Ma” は百万年前を意味する単位
この場所はすでに、関東西部の山々とはいいがたいのですが、御坂山地を説明したついでに、御坂山地と接続しているこの山地の地質にも触れておきます。
天守山地は、富士川の広い谷を挟んで南アルプスと対峙し、また東側には富士山がそびえており、御坂山地と並び、冨士山の護衛のような感じの山脈です。
主な山としては、北に最高峰の毛無山(1964m)があり、そのほかに、長者ヶ岳(1336m)、天子ヶ岳(1330m)と1000m級の山が並びつつ高度を下げ、白水山(812m)を南端として、稜線は富士川の谷に落ち込んでいます。
延びる方向はそれぞれ、東西、南北と違っていても、富士山の周辺で、細長く延びた山地、かつ活火山はない、ということで、一見すると、御坂山地も天守山地も同種の地質で形成され、同種の原因で山脈を形成したように思えますが、実はちょっと違います。
まず、産総研「シームレス地質図v2」にて、この山脈の地質を確認すると、案外と複雑な構成になっています。
天守山地の主要な地質は堆積岩類で、天子ヶ岳付近は、砂岩/泥岩互層(中新世に堆積)が分布し、その構造的上位には、礫岩層(「丸滝礫岩層」という名称;文献2)があります。この礫岩層は中新世に堆積したもので、あちこちに分布しています。
これらの堆積層は、富士川下流部の西側(静岡市側)にも広く分布しており、まとめて「富士川層群」という名前が付けられています。
このほかには、山地の北部の毛無山付近は、地質的には御坂山地の続きで、玄武岩質火山岩(前期―中期 中新世に噴出)で出来ています。
また天守山地全体には、部分的に深成岩である閃緑岩体(中新世後期に貫入)が分布しています。閃緑岩体の分布形状は南北に引き伸ばされた(=東西方向に圧縮された)ような形状を示します。
(文献1)、(文献2)によると、天守山地の主要構成地質である「富士川層群」(泥岩、砂岩、礫岩)のうち、礫岩は、少し離れた関東山地からやってきたと推定されています。また砂岩、泥岩は、天守山地とその西側の富士川の谷状地形部分が、以前は数千mの深海底であった時代に堆積した地質だと考えられています。
(文献2)によると、丸滝礫岩層は、富士川から御坂山地、富士山の北側(御坂山地東端の三つ峠山山頂部)まで東西方向に分布していることから、中新世中期には、関東山地の南側から御坂山地の南側、天守山地、富士川流域までの一帯は、東西に延びた海底谷を形成していたと考えられています。古流路は東から西への流れと推定されています。
その後、第四紀(約2Ma)になってこの一帯には東西方向の圧縮力が卓越し、天守山地は隆起帯となって南北方向に延びる山脈を、西側の富士川谷の部分は沈降帯となって、そこに分厚い堆積層ができた、と考えられています。
地形図で見ると、約20-30kmの細長い山脈という点で類似している御坂山地と天守山地ですが、山地としての隆起時期も異なります。
御坂山地のほうが早い段階(後期中新世;約8-5Ma)に隆起を開始し、天守山地は、より遅い段階(第四紀;約2Ma〜)で隆起を開始したと考えられています(文献2)。
それは、御坂山地はやや険しい山容ですが、天守山地は頂上稜線部が比較的なだらかである、という地形的な特徴からも推定されています。(文献2)
※ ”Ma” は百万年前を意味する単位
(補足説明1)御坂山地、特に西八代層群の成因について
御坂山地を作っている地質、特に「西八代層群」の成因については、私が調べた範囲で、少なくとも3つの仮説があるようです。
以下にこの3つの仮説と、私見を記載します。
仮説1)伊豆―小笠原弧由来の火山性地塊が衝突したという説(多重衝突説)
この第5部のうち5−2 〜 5−4章で、伊豆半島(地塊)、丹沢山地(地塊)は、それぞれがフィリピン海プレートの上に乗った伊豆―小笠原弧上の火山性地塊であり、フィリピン海プレートが約15Maから北向きへ動くのに伴い、丹沢地塊が約5Maに、伊豆地塊が約1Maに、日本列島本体に衝突した地塊であることを説明しました。
この御坂山地を作っている地質も、もともと、伊豆―小笠原弧上にあった火山性地塊で、丹沢地塊よりも前に日本列島本体に衝突した地塊である、という仮説があります。これを「多重衝突説」と言います。
多重衝突説を仮説として最初に提唱した天野先生による(文献5)によると、御坂山地を構成する地質のうち、玄武岩質の火山岩類(西八代層群)は、これらは海底火山噴出物と考えられています。(文献5)では泥岩層の由来には言及されていません。この西八代層群の噴出、堆積時期は(文献5)によると中新世の、約15Ma〜約9Maと考えられており、そうであれば衝突時期は約9〜8Maだとなります。
ただ、この説には問題点が少なくとも2つあります。
・ 一つは、丹沢地塊、伊豆地塊ともに、その北側(衝突前面)に、元々あった細長い海(プレート沈み込み帯に対応)を埋め立てた、礫岩主体の堆積層(トラフ充填物)があるのに、御坂山地にはそれに対応した堆積層が無い点です。これは文献5)自体でも、今後究明すべき点として挙げられています。
・もう一つは、位置的な問題で、御坂地塊が伊豆小笠原弧上の火山性地塊であり、フィリピン海プレートの北上により、丹沢山地より先に衝突したなら、丹沢山地の北側に位置しているのが自然なのに、なぜ丹沢山地の北西側に位置しているのか?という点です。
(一つ目の問題点は、専門家が公に問題点として挙げているもの、二つ目の問題点は、私見です)
仮説2)現在位置で、背弧海盆での海底火山活動が起きて形成された、という説
この仮説は、御坂山地の玄武岩質火山岩類は、今の御坂山地がある場所、あるいはその近くで海底火山が活動して、玄武岩質の火山岩類ができたという考え方です。
この説に基づく(文献2)、(文献6)によると、現在の御坂山地のある場所は当時、伊豆―小笠原弧の背弧側(海溝がある側の反対側;四国海盆)に当たり、なんらかの理由で約15Ma頃に背弧海盆が伸張場となってマグマが上昇して海底火山活動が起きた、という考え方です。
また御坂山地の南西部山麓に分布する泥岩層は、泥岩中に含まれる有孔虫化石などから見て、深海で堆積したと考えられ、この付近は当時、深さ4000mを超える(文献6)、あるいは1000〜2000m以上(文献2)の深い海であり、そこに堆積した泥岩である、と考えられています。
この説への疑問点(私見)としては、現在の御坂山地は明らかに日本列島の内部にあって、海洋性プレートではなく、大陸性プレートの上に乗っていることです。
この場所が15Maに海洋性プレート(深海)であったとするなら、なぜ現在は大陸性プレート上にあるのか? という疑問が湧きます。
そのことをうまく説明するとしたら、約20-15Maに起きた日本海拡大/日本列島移動イベントとの関連として説明することが考えられます。つまり日本海拡大に伴って南進してきた日本列島の南辺が、ちょうど約15Maに今の御坂山地がある場所に移動してきて、日本列島のほうが御坂山地(地塊)にぶつかってきた、と考えることも可能かも知れません
(※ この段落は全て私見であり、特に根拠はありません。)
仮説3)背弧海盆での海底火山性地塊が衝突した、という説
(文献7)では、仮説1)と仮説2)の折衷案的な仮説が提示されています。
この論文によると、御坂山地を構成する地質のうち、玄武岩質火山岩と一部デイサイト質火山岩を含む西八代層群は、約15-14Maに、伊豆小笠原弧の背弧側で背弧拡大が起こって、地下からマグマが上昇し、玄武岩質火山岩とデイサイト質火山岩の両方が噴出して(バイモーダル型火山活動;注1)、火山性地塊を形成(おそらく水面下の地塊として)したと考えられています。
その後、フィリピン海プレートの北上とともに、この御坂地塊は約11Maに、日本列島主部に衝突し、褶曲、隆起した、という説です。
(文献2)、(文献6)でも、御坂山地は東西方向に軸を持つ褶曲構造があり、それが山地の隆起、形成と関連していると考えています。
私見ですが、この仮説3)が一番無理のない仮説のように思えます。
以下にこの3つの仮説と、私見を記載します。
仮説1)伊豆―小笠原弧由来の火山性地塊が衝突したという説(多重衝突説)
この第5部のうち5−2 〜 5−4章で、伊豆半島(地塊)、丹沢山地(地塊)は、それぞれがフィリピン海プレートの上に乗った伊豆―小笠原弧上の火山性地塊であり、フィリピン海プレートが約15Maから北向きへ動くのに伴い、丹沢地塊が約5Maに、伊豆地塊が約1Maに、日本列島本体に衝突した地塊であることを説明しました。
この御坂山地を作っている地質も、もともと、伊豆―小笠原弧上にあった火山性地塊で、丹沢地塊よりも前に日本列島本体に衝突した地塊である、という仮説があります。これを「多重衝突説」と言います。
多重衝突説を仮説として最初に提唱した天野先生による(文献5)によると、御坂山地を構成する地質のうち、玄武岩質の火山岩類(西八代層群)は、これらは海底火山噴出物と考えられています。(文献5)では泥岩層の由来には言及されていません。この西八代層群の噴出、堆積時期は(文献5)によると中新世の、約15Ma〜約9Maと考えられており、そうであれば衝突時期は約9〜8Maだとなります。
ただ、この説には問題点が少なくとも2つあります。
・ 一つは、丹沢地塊、伊豆地塊ともに、その北側(衝突前面)に、元々あった細長い海(プレート沈み込み帯に対応)を埋め立てた、礫岩主体の堆積層(トラフ充填物)があるのに、御坂山地にはそれに対応した堆積層が無い点です。これは文献5)自体でも、今後究明すべき点として挙げられています。
・もう一つは、位置的な問題で、御坂地塊が伊豆小笠原弧上の火山性地塊であり、フィリピン海プレートの北上により、丹沢山地より先に衝突したなら、丹沢山地の北側に位置しているのが自然なのに、なぜ丹沢山地の北西側に位置しているのか?という点です。
(一つ目の問題点は、専門家が公に問題点として挙げているもの、二つ目の問題点は、私見です)
仮説2)現在位置で、背弧海盆での海底火山活動が起きて形成された、という説
この仮説は、御坂山地の玄武岩質火山岩類は、今の御坂山地がある場所、あるいはその近くで海底火山が活動して、玄武岩質の火山岩類ができたという考え方です。
この説に基づく(文献2)、(文献6)によると、現在の御坂山地のある場所は当時、伊豆―小笠原弧の背弧側(海溝がある側の反対側;四国海盆)に当たり、なんらかの理由で約15Ma頃に背弧海盆が伸張場となってマグマが上昇して海底火山活動が起きた、という考え方です。
また御坂山地の南西部山麓に分布する泥岩層は、泥岩中に含まれる有孔虫化石などから見て、深海で堆積したと考えられ、この付近は当時、深さ4000mを超える(文献6)、あるいは1000〜2000m以上(文献2)の深い海であり、そこに堆積した泥岩である、と考えられています。
この説への疑問点(私見)としては、現在の御坂山地は明らかに日本列島の内部にあって、海洋性プレートではなく、大陸性プレートの上に乗っていることです。
この場所が15Maに海洋性プレート(深海)であったとするなら、なぜ現在は大陸性プレート上にあるのか? という疑問が湧きます。
そのことをうまく説明するとしたら、約20-15Maに起きた日本海拡大/日本列島移動イベントとの関連として説明することが考えられます。つまり日本海拡大に伴って南進してきた日本列島の南辺が、ちょうど約15Maに今の御坂山地がある場所に移動してきて、日本列島のほうが御坂山地(地塊)にぶつかってきた、と考えることも可能かも知れません
(※ この段落は全て私見であり、特に根拠はありません。)
仮説3)背弧海盆での海底火山性地塊が衝突した、という説
(文献7)では、仮説1)と仮説2)の折衷案的な仮説が提示されています。
この論文によると、御坂山地を構成する地質のうち、玄武岩質火山岩と一部デイサイト質火山岩を含む西八代層群は、約15-14Maに、伊豆小笠原弧の背弧側で背弧拡大が起こって、地下からマグマが上昇し、玄武岩質火山岩とデイサイト質火山岩の両方が噴出して(バイモーダル型火山活動;注1)、火山性地塊を形成(おそらく水面下の地塊として)したと考えられています。
その後、フィリピン海プレートの北上とともに、この御坂地塊は約11Maに、日本列島主部に衝突し、褶曲、隆起した、という説です。
(文献2)、(文献6)でも、御坂山地は東西方向に軸を持つ褶曲構造があり、それが山地の隆起、形成と関連していると考えています。
私見ですが、この仮説3)が一番無理のない仮説のように思えます。
注2)
苦鉄質である玄武岩質火山岩と、珪長質である流紋岩〜デイサイト質火山岩の、両方が同時に、あるいは交互に噴出し、中間質である安山岩質火山岩がほとんどないタイプの火山活動を、バイモーダル型火山活動と言います。
(バイモーダル;“Bi modal” とは、2つのモード “Mode” という意味)
バイモーダル型火山活動は、伸張場で起きやすい火山活動だと考えられています。
(バイモーダル;“Bi modal” とは、2つのモード “Mode” という意味)
バイモーダル型火山活動は、伸張場で起きやすい火山活動だと考えられています。
(参考文献)
高木、青池、小山 著
御坂山地の地質の形成を、背弧海盆拡大事変と結び付けた論文
地学雑誌、第102巻 p252-263 (1993)
御坂山地の地質の形成を、背弧海盆拡大事変と結び付けた論文
地学雑誌、第102巻 p252-263 (1993)
文献1)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊(2006)
のうち、各論 第16部「南部フォッサマグナ」、
16−1章「南部フォッサマグナ 概説」の項、
16−2章「御坂山地の海底火山と深海堆積物」の項
文献2)町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 第5巻 中部」 東京大学出版会 刊 (2006)
のうち、2−2章「富士川谷、御坂山地、天守山地、甲府盆地」の項
文献3)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊(2006)
のうち、各論 第15部「甲府盆地の深成岩体と・・・」、
15−2章 「甲府深成岩体」の項
文献4)西本 著
「観察を楽しむ 特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
のうち、「閃緑岩」、「石英閃緑岩」、「トーナル岩」の各項
文献5)天野
「多重衝突帯としての南部フォッサマグナ」
月刊地球 誌 、第88巻 10号、特集「南部フォッサマグナ」
p581-585 (1986)
文献6)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊(2006)
のうち、各論 第16部「南部フォッサマグナ」、
16-1章「概説」の項、および
16-2章「御坂山地の海底火山と深海堆積物」の項
文献7)高木、青池、小山
「15〜10Ma前後の伊豆・小笠原弧北端部で何が起こったか」
地学雑誌、第102巻 p252-263 (1993)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/102/3/102_3_252/_pdf
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊(2006)
のうち、各論 第16部「南部フォッサマグナ」、
16−1章「南部フォッサマグナ 概説」の項、
16−2章「御坂山地の海底火山と深海堆積物」の項
文献2)町田、松田、海津、小泉 編
「日本の地形 第5巻 中部」 東京大学出版会 刊 (2006)
のうち、2−2章「富士川谷、御坂山地、天守山地、甲府盆地」の項
文献3)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊(2006)
のうち、各論 第15部「甲府盆地の深成岩体と・・・」、
15−2章 「甲府深成岩体」の項
文献4)西本 著
「観察を楽しむ 特徴がわかる 岩石図鑑」ナツメ社 刊 (2020)
のうち、「閃緑岩」、「石英閃緑岩」、「トーナル岩」の各項
文献5)天野
「多重衝突帯としての南部フォッサマグナ」
月刊地球 誌 、第88巻 10号、特集「南部フォッサマグナ」
p581-585 (1986)
文献6)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第4巻 中部地方」朝倉書店 刊(2006)
のうち、各論 第16部「南部フォッサマグナ」、
16-1章「概説」の項、および
16-2章「御坂山地の海底火山と深海堆積物」の項
文献7)高木、青池、小山
「15〜10Ma前後の伊豆・小笠原弧北端部で何が起こったか」
地学雑誌、第102巻 p252-263 (1993)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/102/3/102_3_252/_pdf
このリンク先の、5−1章の文末には、第5部「関東西部の山々の地質」の各章へのリンク、及び、序章(本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第5部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第5部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2020年12月7日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
△改訂1;文章見直し、一部修正。5−1章へのリンク追加。書記事項追加。
△最新改訂年月日;2022年1月4日
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- 日本の山々の地質;第7部 東北地方の山々の地質、7−8章 奥羽山脈(2) 奥羽山脈南半分の火山群 11 更新日:2024年01月15日
- 日本の山々の地質 第1部 四国地方の山々の地質、 1−10章 香川県の山々;讃岐山地、香川県の山々の地質と地形 18 更新日:2023年03月18日
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