(はじめに)
東北地方の日本海側は、中央部の奥羽山脈のように山が連続しておらず、山地と平野が並んでいます。
その点在する山地のうち、「朝日山地」(「朝日連峰」とも称される)と、次の章で紹介予定の「飯豊(いいで)山地」は、かなり大きな山地で、主稜線部の標高も1700-2100m前後、かつ麓から稜線までの距離も遠い、奥深い山地を形成しています。
また、両山地とも豊かな自然が残されており、山腹のブナ林や、森林限界を越えた(「偽高山帯」と言います)稜線部からの眺めも素晴らしい山地です。
この章では朝日山地(朝日連峰)の地質と、地質学的な位置づけについて、説明します。
また、隣接する月山(古い火山)についても、あわせて解説します。
その点在する山地のうち、「朝日山地」(「朝日連峰」とも称される)と、次の章で紹介予定の「飯豊(いいで)山地」は、かなり大きな山地で、主稜線部の標高も1700-2100m前後、かつ麓から稜線までの距離も遠い、奥深い山地を形成しています。
また、両山地とも豊かな自然が残されており、山腹のブナ林や、森林限界を越えた(「偽高山帯」と言います)稜線部からの眺めも素晴らしい山地です。
この章では朝日山地(朝日連峰)の地質と、地質学的な位置づけについて、説明します。
また、隣接する月山(古い火山)についても、あわせて解説します。
1)朝日山地を構成する地質と、それぞれの地質の、地質学的な位置づけ
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、朝日山地を構成している地質は、大きく以下の3種類があります。それぞれの地質について、以下、解説します。
(1)花崗岩類(白亜紀)
(2)新第三紀 中新世の火山岩類
(3)ジュラ紀付加体(主に泥岩質の付加体型地質)
なお、朝日山地とその一帯は、日本列島の地帯(地体)構造区分上、どこに属するのか? またその地史はどうか?という点については、詳しく解っていないようで、(文献1)でも扱いはわずかです。この章では私見も含めた解説を行います。
(1)花崗岩類
花崗岩類(花崗岩、花崗閃緑岩)は、朝日山地の大部分を構成している地質で、基盤岩と言えます。標高の高い以東岳から大朝日岳までの主稜線もそうですし、その周辺の山腹、山麓部も広く、この花崗岩類で形成されています。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、この花崗岩類が形成されたのは、白亜紀後期です。前のいくつかの章で述べたように、東北地方の日本海側には、大平山地など点々と、花崗岩類で形成された島状の地質体が分布しています。また後の章で述べる予定の飯豊山地もかなりの部分が花崗岩類で構成されています。
約20-15Maに生じた「日本海拡大/日本列島移動イベント」の前の、「新生代・原日本」(上記イベントで日本が大陸から分離して日本列島となる前の、現在の日本列島に相当する部分を意味する、この連載だけで定義した用語)においては、大陸側(ロシア沿海州や北朝鮮東部)と、現在の東北地方が近接していたと推定されますが(文献1―a)、白亜紀後期(約90-80Ma)には、この一帯では火成活動が活発で、火山活動とともに、地下にできた多数のマグマ溜りが冷却、固化して、朝日山地の花崗岩類を形成したものと思われます(文献1−b)。
東北地方日本海側の、他の場所の白亜紀花崗岩体(例えば、太平山地の花崗岩類;文献1−c)も、近接した位置で形成されたと思われますが、その後の「日本海拡大/日本列島移動イベント」の際に、ブロック化した状態で移動したため、現在のような点在した分布になっているのではないかと思います(この段落は私見です)。
文献2)、文献3)によると、上記イベントの後、朝日山地は陸化したり、海面下に沈んだりと複雑な歴史を持っています。
まず、上記イベントの終わりころの17-16Ma頃には、朝日山地と飯豊山地は島状に陸化していたと推定されています(文献2ではそれぞれ「朝日島」、「飯豊島」と仮称されています)。
その後、この一帯は急激な沈降域となり、約15Maには朝日山地はごく一部を除いて海没しました。その後、(文献3)によると、約10Maから東北地方全体が東西圧縮場と変化し、徐々にあちこちが陸化してきたと推定しており、(文献3)ではこの変動を「第一次圧縮変動」と称しています。また(文献2)によると、鮮新世後期(約5Ma)頃には、朝日山地だけでなく奥羽山脈も含め、陸化していたと推定されています。(文献2)では朝日山地の部分が半島状なので「朝日半島」と仮称されています。
朝日山地が現在のように標高の高い大きな山地となったのは、(文献3)によると、第四紀も後半の、50万年頃(約66-25万年の間)からだろう、と推定しています。これを「第二次圧縮変動」と(文献2)では称しています。
この急激な隆起活動により、元々、地下深く(おそらく地下 約5-10km)で形成された花崗岩体が、現在は標高 約1800m(約2km)に存在しているのだと思われます。
一方で山地の地形の面では、谷は深いものの、主稜線部は等高性が認められることは、隆起活動が比較的最近に起きたことを示唆しており、上記(文献3)の考え方と整合性があります(この段落も私見です)。
(2)新第三紀 中新世の火山岩類
約20-15Maに起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」に伴い、東北地方では、日本海側と中軸部(奥羽山脈あたり)には火山岩類(溶岩、火砕岩、凝灰岩)が広く分布しています。
地質的には、安山岩質の溶岩、火砕岩と、より粘性の高い流紋岩/デイサイト質の溶岩、火砕岩の2種類がメインです(わずかに玄武岩質の火山岩も分布しています)。
これらの火山岩類が朝日山地の中および周辺に、モザイク状に分布しています。
特に朝日山地の北西部、鶴岡市の南側一帯から一部新潟県側にかけ、数列の帯状になって、基盤岩である花崗岩類の間を埋めるように分布しています。
おそらくこの帯状の分布は、「日本海拡大/日本列島移動イベント」の際に生じた地溝(グラーベン;graben)で火山活動が活発となり、その噴出物が当時の地溝を埋めた名残ではないかと思います(この段落は私見です)
(3)ジュラ紀付加体(足尾帯延長部)
朝日山地の中で、特に新潟県側にあたる、山地の南西部から西部にかけ(地理的には、村上市の東部から北東部にかけての丘陵部)、ジュラ紀の付加体性地質が、基盤岩である花崗岩類の上に乗っかっているような感じで、あちこちに分布しています。
このジュラ紀の付加体は、東北地方に限ってみると、次の章で説明予定の飯豊山地と、北上山地北部(「北部北上帯」)以外には分布していない地質体です。
「北部北上帯」のジュラ紀付加体とは距離的にも遠く、また途中の地質に連続性が無いので、関連性は不明です。
一方で、次の章で述べる飯豊山地、さらにその南側の南会津地域や越後山地には、同じジュラ紀付加体が断続的に分布しており、さらに関東平野北部の足尾山地のジュラ紀付加体へと続きます。
これらのジュラ紀付加体分布域の東の端には、阿武隈山地西部から朝日山地東部まで延びる(北部は推定)「棚倉(たなぐら)構造線」と呼ばれる構造線(地質境界をなす断層)があります。
「棚倉構造線」の地質学的な位置づけは、諸説あってはっきりとはしてませんが、いずれにしろ、ジュラ紀付加体である足尾帯の分布の東の縁を、逆に「棚倉構造線」とする考え方が主流です。
したがって一般的には、朝日山地に分布するジュラ紀付加体は、地帯(地体)構造区分上は、「足尾帯」の一部とみなされています。
ジュラ紀付加体のこの連続性から、「中生代・原日本」(ジュラ紀から白亜紀にかけての、現在の日本列島に相当する部分を意味する、この連載だけで用いている用語)においては、少なくとも関東北部から朝日山地までの一帯は、連続した地域だったと推定されます。 (この段落は、私見です)。(注1)
注1) 文献1−e)においては、朝日山地を含む部分は、上記の「棚倉構造線」と、朝日山地の南西部にあると推定されている、「日本国(にほんくに)―三面(みおもて)構造線」の2つの構造線を境界とした、一つの独立した地帯(地体)としての、「朝日帯」を設定しています。
「朝日帯」という独立した「地帯(地体)」を設定するのかどうかは、諸文献、諸専門書、諸学説によって様々です。
(1)花崗岩類(白亜紀)
(2)新第三紀 中新世の火山岩類
(3)ジュラ紀付加体(主に泥岩質の付加体型地質)
なお、朝日山地とその一帯は、日本列島の地帯(地体)構造区分上、どこに属するのか? またその地史はどうか?という点については、詳しく解っていないようで、(文献1)でも扱いはわずかです。この章では私見も含めた解説を行います。
(1)花崗岩類
花崗岩類(花崗岩、花崗閃緑岩)は、朝日山地の大部分を構成している地質で、基盤岩と言えます。標高の高い以東岳から大朝日岳までの主稜線もそうですし、その周辺の山腹、山麓部も広く、この花崗岩類で形成されています。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、この花崗岩類が形成されたのは、白亜紀後期です。前のいくつかの章で述べたように、東北地方の日本海側には、大平山地など点々と、花崗岩類で形成された島状の地質体が分布しています。また後の章で述べる予定の飯豊山地もかなりの部分が花崗岩類で構成されています。
約20-15Maに生じた「日本海拡大/日本列島移動イベント」の前の、「新生代・原日本」(上記イベントで日本が大陸から分離して日本列島となる前の、現在の日本列島に相当する部分を意味する、この連載だけで定義した用語)においては、大陸側(ロシア沿海州や北朝鮮東部)と、現在の東北地方が近接していたと推定されますが(文献1―a)、白亜紀後期(約90-80Ma)には、この一帯では火成活動が活発で、火山活動とともに、地下にできた多数のマグマ溜りが冷却、固化して、朝日山地の花崗岩類を形成したものと思われます(文献1−b)。
東北地方日本海側の、他の場所の白亜紀花崗岩体(例えば、太平山地の花崗岩類;文献1−c)も、近接した位置で形成されたと思われますが、その後の「日本海拡大/日本列島移動イベント」の際に、ブロック化した状態で移動したため、現在のような点在した分布になっているのではないかと思います(この段落は私見です)。
文献2)、文献3)によると、上記イベントの後、朝日山地は陸化したり、海面下に沈んだりと複雑な歴史を持っています。
まず、上記イベントの終わりころの17-16Ma頃には、朝日山地と飯豊山地は島状に陸化していたと推定されています(文献2ではそれぞれ「朝日島」、「飯豊島」と仮称されています)。
その後、この一帯は急激な沈降域となり、約15Maには朝日山地はごく一部を除いて海没しました。その後、(文献3)によると、約10Maから東北地方全体が東西圧縮場と変化し、徐々にあちこちが陸化してきたと推定しており、(文献3)ではこの変動を「第一次圧縮変動」と称しています。また(文献2)によると、鮮新世後期(約5Ma)頃には、朝日山地だけでなく奥羽山脈も含め、陸化していたと推定されています。(文献2)では朝日山地の部分が半島状なので「朝日半島」と仮称されています。
朝日山地が現在のように標高の高い大きな山地となったのは、(文献3)によると、第四紀も後半の、50万年頃(約66-25万年の間)からだろう、と推定しています。これを「第二次圧縮変動」と(文献2)では称しています。
この急激な隆起活動により、元々、地下深く(おそらく地下 約5-10km)で形成された花崗岩体が、現在は標高 約1800m(約2km)に存在しているのだと思われます。
一方で山地の地形の面では、谷は深いものの、主稜線部は等高性が認められることは、隆起活動が比較的最近に起きたことを示唆しており、上記(文献3)の考え方と整合性があります(この段落も私見です)。
(2)新第三紀 中新世の火山岩類
約20-15Maに起きた「日本海拡大/日本列島移動イベント」に伴い、東北地方では、日本海側と中軸部(奥羽山脈あたり)には火山岩類(溶岩、火砕岩、凝灰岩)が広く分布しています。
地質的には、安山岩質の溶岩、火砕岩と、より粘性の高い流紋岩/デイサイト質の溶岩、火砕岩の2種類がメインです(わずかに玄武岩質の火山岩も分布しています)。
これらの火山岩類が朝日山地の中および周辺に、モザイク状に分布しています。
特に朝日山地の北西部、鶴岡市の南側一帯から一部新潟県側にかけ、数列の帯状になって、基盤岩である花崗岩類の間を埋めるように分布しています。
おそらくこの帯状の分布は、「日本海拡大/日本列島移動イベント」の際に生じた地溝(グラーベン;graben)で火山活動が活発となり、その噴出物が当時の地溝を埋めた名残ではないかと思います(この段落は私見です)
(3)ジュラ紀付加体(足尾帯延長部)
朝日山地の中で、特に新潟県側にあたる、山地の南西部から西部にかけ(地理的には、村上市の東部から北東部にかけての丘陵部)、ジュラ紀の付加体性地質が、基盤岩である花崗岩類の上に乗っかっているような感じで、あちこちに分布しています。
このジュラ紀の付加体は、東北地方に限ってみると、次の章で説明予定の飯豊山地と、北上山地北部(「北部北上帯」)以外には分布していない地質体です。
「北部北上帯」のジュラ紀付加体とは距離的にも遠く、また途中の地質に連続性が無いので、関連性は不明です。
一方で、次の章で述べる飯豊山地、さらにその南側の南会津地域や越後山地には、同じジュラ紀付加体が断続的に分布しており、さらに関東平野北部の足尾山地のジュラ紀付加体へと続きます。
これらのジュラ紀付加体分布域の東の端には、阿武隈山地西部から朝日山地東部まで延びる(北部は推定)「棚倉(たなぐら)構造線」と呼ばれる構造線(地質境界をなす断層)があります。
「棚倉構造線」の地質学的な位置づけは、諸説あってはっきりとはしてませんが、いずれにしろ、ジュラ紀付加体である足尾帯の分布の東の縁を、逆に「棚倉構造線」とする考え方が主流です。
したがって一般的には、朝日山地に分布するジュラ紀付加体は、地帯(地体)構造区分上は、「足尾帯」の一部とみなされています。
ジュラ紀付加体のこの連続性から、「中生代・原日本」(ジュラ紀から白亜紀にかけての、現在の日本列島に相当する部分を意味する、この連載だけで用いている用語)においては、少なくとも関東北部から朝日山地までの一帯は、連続した地域だったと推定されます。 (この段落は、私見です)。(注1)
注1) 文献1−e)においては、朝日山地を含む部分は、上記の「棚倉構造線」と、朝日山地の南西部にあると推定されている、「日本国(にほんくに)―三面(みおもて)構造線」の2つの構造線を境界とした、一つの独立した地帯(地体)としての、「朝日帯」を設定しています。
「朝日帯」という独立した「地帯(地体)」を設定するのかどうかは、諸文献、諸専門書、諸学説によって様々です。
2)月山
朝日山地の北側にある、月山(がっさん:1984m、日本百名山)は、朝日山地のとの間の細い谷状地形を隔てて、大きくそびえており、霊山(出羽三山)としても良く知られています。
月山は、朝日山地を形成している花崗岩類や、中新世火山岩類を土台として形成された第四紀火山です。岩質は、安山岩質の溶岩で形成されています。
月の山という名の通り、丸っこい穏やかな山容で、火口らしきものは山頂部には見当たりません。
(文献4)によると月山は、約80万年前から約30万年前まで活動していた、やや古い第四紀火山です。月山の北西部には山体崩壊によって生じた馬蹄形のカルデラ状地形があり、「月山カルデラ」と呼ばれています。
また頂上部付近は溶岩台地となっており、その溶岩が噴出した火口は、前述の月山カルデラあたりと推定されています。したがって当時の火口はすでに浸食により失われています。
月山はその緩やかな山容から、日本では珍しい楯状火山(アスピーテ型火山)と考えられていたこともありますが、現在の考え方では、元々は 成層火山として形成され、その火口を含む山頂部が山体崩壊によって失われたため、火口から流れ出た溶岩流で形成された溶岩台地が、現在の月山の山体になっている、と考えられています(文献4)。
月山は、朝日山地を形成している花崗岩類や、中新世火山岩類を土台として形成された第四紀火山です。岩質は、安山岩質の溶岩で形成されています。
月の山という名の通り、丸っこい穏やかな山容で、火口らしきものは山頂部には見当たりません。
(文献4)によると月山は、約80万年前から約30万年前まで活動していた、やや古い第四紀火山です。月山の北西部には山体崩壊によって生じた馬蹄形のカルデラ状地形があり、「月山カルデラ」と呼ばれています。
また頂上部付近は溶岩台地となっており、その溶岩が噴出した火口は、前述の月山カルデラあたりと推定されています。したがって当時の火口はすでに浸食により失われています。
月山はその緩やかな山容から、日本では珍しい楯状火山(アスピーテ型火山)と考えられていたこともありますが、現在の考え方では、元々は 成層火山として形成され、その火口を含む山頂部が山体崩壊によって失われたため、火口から流れ出た溶岩流で形成された溶岩台地が、現在の月山の山体になっている、と考えられています(文献4)。
(参考文献)
文献1)日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」朝倉書店 刊 (2017)
文献1−a)第3−1章「先新第三紀の構造発達史」のうち、
図3.1.10など、
文献1−b)第6−5章「棚倉構造線とその北方延長部の火成岩類」のうち、
6.5.1節 「朝日帯」の項
文献1−c)第6−4章「奥羽山脈に散在して露出する深成岩類」のうち、
6.4.2節 「太平山地」の項
文献1−d)第3−2章「(東北地方の)後期新生代」のうち
3.3.2節「後期新生代の(東北地方の)構造発達史と
火成活動」のうち、図3.2.15など、
文献1―e)第4―1章「(東北地方の)中・古生界、概説」のうち、
図4.1.1「東北日本の先第三紀系分布図」
および第4−7章「朝日帯」の章
文献2)ネット上情報
「東北地質調査業協会」 のサイトのうち
「最新 山形県の地質」(著者 山野井)
2021年5月 閲覧
https://tohoku-geo.ne.jp/information/daichi/img/50a/84.pdf7
文献3)山野井
「山形盆地と外縁山地の形成」
第四紀研究 第44巻 p247-261 (2005)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/44/4/44_4_247/_pdf
文献4)小池、田村、鎮西、宮城 編
「日本の地形 第3巻 東北」東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、6−4―(3)節 「月山」の項
「日本地方地質誌 第2巻 東北地方」朝倉書店 刊 (2017)
文献1−a)第3−1章「先新第三紀の構造発達史」のうち、
図3.1.10など、
文献1−b)第6−5章「棚倉構造線とその北方延長部の火成岩類」のうち、
6.5.1節 「朝日帯」の項
文献1−c)第6−4章「奥羽山脈に散在して露出する深成岩類」のうち、
6.4.2節 「太平山地」の項
文献1−d)第3−2章「(東北地方の)後期新生代」のうち
3.3.2節「後期新生代の(東北地方の)構造発達史と
火成活動」のうち、図3.2.15など、
文献1―e)第4―1章「(東北地方の)中・古生界、概説」のうち、
図4.1.1「東北日本の先第三紀系分布図」
および第4−7章「朝日帯」の章
文献2)ネット上情報
「東北地質調査業協会」 のサイトのうち
「最新 山形県の地質」(著者 山野井)
2021年5月 閲覧
https://tohoku-geo.ne.jp/information/daichi/img/50a/84.pdf7
文献3)山野井
「山形盆地と外縁山地の形成」
第四紀研究 第44巻 p247-261 (2005)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/44/4/44_4_247/_pdf
文献4)小池、田村、鎮西、宮城 編
「日本の地形 第3巻 東北」東京大学出版会 刊 (2005)
のうち、6−4―(3)節 「月山」の項
このリンク先の、7−1章の文末には、第7部「東北地方の山々の地質」の各章へのリンクを付けています。
第7部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
第7部の他の章をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
【書記事項】
初版リリース;2021年5月27日
△改訂1;文章確認、修正、リンク追加、書記事項追加(2021年12月30日)
△改訂2;第7部「東北地方の山々の地質」のうち、奥羽山脈の地質、火山に関して記載を充実させた。その結果、(新)7−8章、(新)7−9章を新たに作成したため、この章の章番号を、「7−9章」から「7−11章」に変更した。また内容を見直して、一部、加筆修正した。(2024年1月27日)
△最新改訂年月日;2024年1月27日
△改訂1;文章確認、修正、リンク追加、書記事項追加(2021年12月30日)
△改訂2;第7部「東北地方の山々の地質」のうち、奥羽山脈の地質、火山に関して記載を充実させた。その結果、(新)7−8章、(新)7−9章を新たに作成したため、この章の章番号を、「7−9章」から「7−11章」に変更した。また内容を見直して、一部、加筆修正した。(2024年1月27日)
△最新改訂年月日;2024年1月27日
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