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Yamareco

記録ID: 1050708
全員に公開
ハイキング
中国

岡山市中区 操山東部(笠井山・柾木山) 古墳密集地&梅開花!

2017年01月22日(日) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
2
日帰りが可能
GPS
04:29
距離
9.7km
登り
291m
下り
288m
歩くペース
ゆっくり
1.61.7
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
3:58
休憩
0:29
合計
4:27
距離 9.7km 登り 305m 下り 292m
8:13
0
スタート地点(吉備津岡辛木神社)
8:13
8:23
36
吉備津岡辛木神社
8:59
9:02
17
笠井山頂上
9:19
9:23
53
笠井山古墳群分岐<操山古墳群67号>
10:16
10:27
39
お瀧山花広場
11:06
40
鳥池
11:46
11:47
8
笄(こうがい)の井戸
11:55
45
柾木山頂上
12:40
ゴール地点(吉備津岡辛木神社)
操山(みさおやま)古墳密集地の笠井山エリアでコフンGO!
歩行距離9.5km、歩行時間4時間、歩行数15,100歩
天候 晴れのち曇りのち雨あられ
過去天気図(気象庁) 2017年01月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
 東西南北どこからでもアプローチが可能な山域ですが、最初に笠井山を訪れるために、笠井山の南東麓にある吉備津岡辛木(きびつおかからき)神社の駐車場<写真01>に自動車を停めました。
 西からアプローチする場合は、岡山駅から路面電車「東山」行きに乗車し、終点で降りて、近くの護国神社から登ることもできます。 
コース状況/
危険箇所等
 「操山里山センター」1Fの受付(8:30〜17:00)で「操山ウォーキングマップ(¥206)」を販売しています。縮尺が1万分の1の地図で、主要ポイントごとの距離まで明記されていますので、非常に見やすいです。ただし、掲載されている古墳はほんの一部です。
 
 操山全体が蜘蛛の巣状に道が広がっています。道標がついている大半の道はハイキングコースとして整備され、雨の日以外は運動靴でも歩けます。地形図上に道がなくても、大量のピンク色のテープがある踏み跡レベルの道がいくつもあります。そうした道もどこかで整備された道と合流しますので、大丈夫です。ただし、どの方向に進んでいるかは、コンパス等で時々確かめておかないと、気が付くと逆方向に進んでいるということにもなりかねません。
 
 古墳の周辺は基本、ヤブですが、比較的歩きやすいです。古墳その7(操山古墳群64号墳)<写真21>の側には発掘調査の銀色のプレートがあり、この周辺の古墳数基の側の木の枝には、「○号墳」と書かれたピンク色のテープがそれぞれありました。踏み跡もあり、この辺りだけは探すのが楽でした。
 お瀧山花広場<写真33>から東北東方向に進み、西北西方向に進路を変えて笠井山の南尾根の遊歩道に合流する道は、「操山ウォーキングマップ」にも、操山などの登山詳細図(2012年吉備人出版発行)にも載っていませんでした。ピンク色のテープが大量にあり、踏み跡もわかりやすく迷うことはありません。湿った黒土で一部落ち葉が積もっており、幅20cm程の沢沿いを歩くところがあるので、下りは足元に注意したほうがいいでしょう。
 柾木神社鳥居<写真45>から柾木山頂上三角点<写真48>までは岩盤上を歩くところがあります。濡れているときの下りは要注意です。
その他周辺情報  操山(みさおやま)の南西を下りた所(山崎)に天然温泉薬石浴「嵐の湯円山店」<9:00〜26:00>があります。天然温泉と15種類の薬石を利用した本格的岩盤風呂です。我々は東に下りて、「すたみな太郎」でビュッフェ(肉)浴?を楽しみましたが…。都心部に近いので、食事処は東西南北どの方向にもあります。
01吉備津岡辛木神社駐車場
操山丘陵東部の笠井山東側山腹に位置する神社です。吉備津岡(きびつおか)・辛木(からき)神社が正式な名称です。この神社の北側に駐車スペースがありました。
01吉備津岡辛木神社駐車場
操山丘陵東部の笠井山東側山腹に位置する神社です。吉備津岡(きびつおか)・辛木(からき)神社が正式な名称です。この神社の北側に駐車スペースがありました。
02吉備津岡辛木神社拝殿
        &さざれ石
社殿は江戸時代末期の建築です。拝殿前に「さざれ石」が設置されていました。たくさんの小さな石が自然のセメント作用によって県下でも有数の大きな石になっていました。ご存知「君が代」の象徴です。
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02吉備津岡辛木神社拝殿
        &さざれ石
社殿は江戸時代末期の建築です。拝殿前に「さざれ石」が設置されていました。たくさんの小さな石が自然のセメント作用によって県下でも有数の大きな石になっていました。ご存知「君が代」の象徴です。
03吉備津岡辛木神社鳥居
         &楼門
祭神の吉備若武彦命(きびわかたけひこのみこと)は、吉備津彦命の弟で当神社の周辺を平定したといわれています。古くは、吉備明現宮と言い、笠井山の山上にあったとされ、現在の社殿は幕末に建造されたようです。
03吉備津岡辛木神社鳥居
         &楼門
祭神の吉備若武彦命(きびわかたけひこのみこと)は、吉備津彦命の弟で当神社の周辺を平定したといわれています。古くは、吉備明現宮と言い、笠井山の山上にあったとされ、現在の社殿は幕末に建造されたようです。
04吉備津岡辛木神社内
        稲荷神社
吉備津岡辛木(きびつおかからき)神社内にはいくつかの神社が合祀されています。これは稲荷神社です。お狐様が鎮座していました。アスファルト道の脇の車止めのある広場から土の道に入ります。
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04吉備津岡辛木神社内
        稲荷神社
吉備津岡辛木(きびつおかからき)神社内にはいくつかの神社が合祀されています。これは稲荷神社です。お狐様が鎮座していました。アスファルト道の脇の車止めのある広場から土の道に入ります。
05古墳その1
笠井山の南東標高100mの地点の道の少し南側にどっしりとした古墳が出てきました。最初に目撃した古墳です。道沿いなのでわかりやすかったです。長さは数mもありますが、天井石がかなりなくなっています。動画も撮りました。
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05古墳その1
笠井山の南東標高100mの地点の道の少し南側にどっしりとした古墳が出てきました。最初に目撃した古墳です。道沿いなのでわかりやすかったです。長さは数mもありますが、天井石がかなりなくなっています。動画も撮りました。
06古墳その1石室内
<写真05>の古墳の石室内です。天地がせまい開口部でしたが、中は天地左右の幅がほぼ同じでした。きれいに石を積んであります。
06古墳その1石室内
<写真05>の古墳の石室内です。天地がせまい開口部でしたが、中は天地左右の幅がほぼ同じでした。きれいに石を積んであります。
07古墳その2
古墳その1<写真05>の南東近くにありました。天井岩が重厚でした。
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07古墳その2
古墳その1<写真05>の南東近くにありました。天井岩が重厚でした。
08古墳その2石室内
<写真07>の古墳の石室内です。床にある人工物が気になります。石室の規模は古墳その1<写真05>と似たようなものでした。帰りは白いひもで囲まれた脇にある踏み跡をまっすぐ北上したので楽でした。
08古墳その2石室内
<写真07>の古墳の石室内です。床にある人工物が気になります。石室の規模は古墳その1<写真05>と似たようなものでした。帰りは白いひもで囲まれた脇にある踏み跡をまっすぐ北上したので楽でした。
09バンブーハウス
笠井山の東登山口?でもある就実学園の「森の学校」のグランド西側にバンブーハウスがありました。この山林のおよそ6割は、竹林におおわれています。竹をいろいろなものに利用しているようです。
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09バンブーハウス
笠井山の東登山口?でもある就実学園の「森の学校」のグランド西側にバンブーハウスがありました。この山林のおよそ6割は、竹林におおわれています。竹をいろいろなものに利用しているようです。
10古墳その3
笠井山頂上の東の尾根上の道の少し南にある古墳です。道から見えました。長さは数mあるので、ぐるっと周って動画を撮ってみました。
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10古墳その3
笠井山頂上の東の尾根上の道の少し南にある古墳です。道から見えました。長さは数mあるので、ぐるっと周って動画を撮ってみました。
11古墳その3石室内
<写真10>の古墳の石室内です。枯草のせいかもしれませんが、せまい空間でした。
11古墳その3石室内
<写真10>の古墳の石室内です。枯草のせいかもしれませんが、せまい空間でした。
12古墳その4
古墳その3<写真10>から道を隔てて北西方向にありました。動画も撮りました。
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12古墳その4
古墳その3<写真10>から道を隔てて北西方向にありました。動画も撮りました。
13古墳その4石室内
<写真12>の古墳の石室内です。枯れ葉や小さな石がたくさんあり、空間が狭く見えます。
13古墳その4石室内
<写真12>の古墳の石室内です。枯れ葉や小さな石がたくさんあり、空間が狭く見えます。
14古墳その5
笠井山頂上近くの古墳です。道からよく見えます。なぜか、この古墳のみ、てっぺんに「立ち入り禁止」の札が掲げられていました。以前、近くにスズメバチの巣があったそうです。
14古墳その5
笠井山頂上近くの古墳です。道からよく見えます。なぜか、この古墳のみ、てっぺんに「立ち入り禁止」の札が掲げられていました。以前、近くにスズメバチの巣があったそうです。
15古墳その5石室内
<写真14>の古墳の石室内です。隙間からしか覗くことができませんでしたので、全体像がつかめませんでした。
15古墳その5石室内
<写真14>の古墳の石室内です。隙間からしか覗くことができませんでしたので、全体像がつかめませんでした。
16笠井山頂上周辺岩群
ここから岩の間を歩きながら動画を撮りました。笠井山頂上まで来ると、ストーンサークル状に岩が並んでおりおもしろかったです。
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16笠井山頂上周辺岩群
ここから岩の間を歩きながら動画を撮りました。笠井山頂上まで来ると、ストーンサークル状に岩が並んでおりおもしろかったです。
17笠井山頂上展望地
この展望図によって、ここの笠井山から岡山市北区の笠井山が見えることが判明しました。向こうの笠井山は桜の木々に囲まれた展望台があり、夜景スポットにもなっています。ここから遊歩道を南下しました。
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17笠井山頂上展望地
この展望図によって、ここの笠井山から岡山市北区の笠井山が見えることが判明しました。向こうの笠井山は桜の木々に囲まれた展望台があり、夜景スポットにもなっています。ここから遊歩道を南下しました。
18笠井山南尾根から芥子山
東側に小さな木がたくさん生えており、踏み跡があったので入ってみました。石がたくさん転がっていましたが、古墳かどうかはわかりませんでした。芥子(けしご)山はJR赤穂線「大多羅(おおだら)」駅北にあり、備前富士として人気の山です。頂上の南側の岩場は、隠れた初日の出&絶景スポットとして賑わいます。
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18笠井山南尾根から芥子山
東側に小さな木がたくさん生えており、踏み跡があったので入ってみました。石がたくさん転がっていましたが、古墳かどうかはわかりませんでした。芥子(けしご)山はJR赤穂線「大多羅(おおだら)」駅北にあり、備前富士として人気の山です。頂上の南側の岩場は、隠れた初日の出&絶景スポットとして賑わいます。
19古墳その6
操山古墳群67号墳です。この北から道沿いに古墳を探してヤブをのぞきながら歩きましたが、ことごとくスルーしてしまい、西方向の円山と福泊(ふくどまり)に下山する分岐の近くまで来て見つけました。やや崩れていましたが、石室の確認ができました。
19古墳その6
操山古墳群67号墳です。この北から道沿いに古墳を探してヤブをのぞきながら歩きましたが、ことごとくスルーしてしまい、西方向の円山と福泊(ふくどまり)に下山する分岐の近くまで来て見つけました。やや崩れていましたが、石室の確認ができました。
20古墳その6石室内
<写真19>の古墳の石室内です。暗くてよく見えませんでしたが、奥行きは4m程あるそうです。
20古墳その6石室内
<写真19>の古墳の石室内です。暗くてよく見えませんでしたが、奥行きは4m程あるそうです。
21古墳その7
操山古墳群64号墳です。天井石はかなりなくなっています。古墳その6(操山古墳群67号墳)<写真19>の南にありました。道沿いに発掘調査の銀色のプレートがあったので、その裏に周ってみるとすぐでした。また、古墳の側には「64号」と書かれたピンク色のテープがありました。この周辺の古墳の側にはこのようなピンク色のテープナビがあり、探しやすかったです。
21古墳その7
操山古墳群64号墳です。天井石はかなりなくなっています。古墳その6(操山古墳群67号墳)<写真19>の南にありました。道沿いに発掘調査の銀色のプレートがあったので、その裏に周ってみるとすぐでした。また、古墳の側には「64号」と書かれたピンク色のテープがありました。この周辺の古墳の側にはこのようなピンク色のテープナビがあり、探しやすかったです。
22古墳その8
操山古墳群65号墳です。古墳その7(操山古墳群64号墳)<写真21>の少し西にありました。やはり天井石はかなりなくなっており、細長い石室内に木が2、3本生えていました。
22古墳その8
操山古墳群65号墳です。古墳その7(操山古墳群64号墳)<写真21>の少し西にありました。やはり天井石はかなりなくなっており、細長い石室内に木が2、3本生えていました。
23古墳その8石室内
<写真22>の古墳の石室内です。規模は古墳その7(操山古墳群64号墳)<写真21>とほぼ同じでした。
23古墳その8石室内
<写真22>の古墳の石室内です。規模は古墳その7(操山古墳群64号墳)<写真21>とほぼ同じでした。
24古墳その9
操山古墳群59号墳です。古墳その7(操山古墳群64号墳)<写真21>の少し東にありました。幅は1m足らず、長さは数mと、かなり細長い石室でした。わずかに残っている天井石も落下しています。
24古墳その9
操山古墳群59号墳です。古墳その7(操山古墳群64号墳)<写真21>の少し東にありました。幅は1m足らず、長さは数mと、かなり細長い石室でした。わずかに残っている天井石も落下しています。
25古墳その10
操山古墳群66号墳です。古墳その9(操山古墳群59号墳)<写真24>の古墳から少し南下した所にありました。天井石は完全になくなっていました。
25古墳その10
操山古墳群66号墳です。古墳その9(操山古墳群59号墳)<写真24>の古墳から少し南下した所にありました。天井石は完全になくなっていました。
26古墳その11
操山古墳群62号墳です。古墳その10(操山古墳群66号墳)<写真25>の古墳の北東近くにありました。天井が最初から傾いていたのか、後から傾いたのかはわかりません。長さは数m、内部の高さは2m近くありました。
26古墳その11
操山古墳群62号墳です。古墳その10(操山古墳群66号墳)<写真25>の古墳の北東近くにありました。天井が最初から傾いていたのか、後から傾いたのかはわかりません。長さは数m、内部の高さは2m近くありました。
27古墳その11石室内
<写真26>の古墳の石室内です。けっこう広く、奥まで歩いて進むことができます。動画も撮りました。
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27古墳その11石室内
<写真26>の古墳の石室内です。けっこう広く、奥まで歩いて進むことができます。動画も撮りました。
28古墳その12
操山古墳群61号墳です。福泊(ふくどまり)方面に南下する道との分岐近くにある古墳です。元の形が崩れたのか隙間だらけでした。
28古墳その12
操山古墳群61号墳です。福泊(ふくどまり)方面に南下する道との分岐近くにある古墳です。元の形が崩れたのか隙間だらけでした。
29古墳その12石室内
<写真28>の石室内です。隙間から覗き込んだので、見えたのはこの部分だけです。本当はもっと広いです。動画も撮りました。
29古墳その12石室内
<写真28>の石室内です。隙間から覗き込んだので、見えたのはこの部分だけです。本当はもっと広いです。動画も撮りました。
30古墳その13
操山古墳群68号墳です。古墳その6(操山古墳群67号墳)<写真19>の古墳の北東近くにある古墳です。いったんスルーして見逃し、後で発見しました。幅は1m足らず、長さは数mと、これもかなり細長い石室でした。ここから遊歩道を南下し、道標に従って左折しコンクリート道に入りました。
30古墳その13
操山古墳群68号墳です。古墳その6(操山古墳群67号墳)<写真19>の古墳の北東近くにある古墳です。いったんスルーして見逃し、後で発見しました。幅は1m足らず、長さは数mと、これもかなり細長い石室でした。ここから遊歩道を南下し、道標に従って左折しコンクリート道に入りました。
31白梅
お瀧山花広場近くまで来ると、今年初めて梅の花が開花しているシーンが見られました。7分咲きくらいでした。
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31白梅
お瀧山花広場近くまで来ると、今年初めて梅の花が開花しているシーンが見られました。7分咲きくらいでした。
32お瀧山花広場の
    ニホンズイセン
石段を上ると、広場にたくさん咲いていました。4月上旬には桜見で賑わうようです。サザンカはかなり散っていました。
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32お瀧山花広場の
    ニホンズイセン
石段を上ると、広場にたくさん咲いていました。4月上旬には桜見で賑わうようです。サザンカはかなり散っていました。
33お瀧山の石仏群
巨岩に石仏が祀られており、この辺りから清水が湧き出していたので、御瀧といわれたという説があります。その上方にも大きな岩が露出しており、南側を見下ろすようになっています。福泊(ふくどまり)という地名でわかるように、かつて南側はすぐ海であり、港があったのでしょう。
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33お瀧山の石仏群
巨岩に石仏が祀られており、この辺りから清水が湧き出していたので、御瀧といわれたという説があります。その上方にも大きな岩が露出しており、南側を見下ろすようになっています。福泊(ふくどまり)という地名でわかるように、かつて南側はすぐ海であり、港があったのでしょう。
34お瀧山大岩から南西展望
眼下に福泊(ふくどまり)の街が見えます。右手前に富山(とみやま)小学校が見え、左奥には児島湾の山々が見えています。ベンチもあり、ゆっくり休憩できます。
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34お瀧山大岩から南西展望
眼下に福泊(ふくどまり)の街が見えます。右手前に富山(とみやま)小学校が見え、左奥には児島湾の山々が見えています。ベンチもあり、ゆっくり休憩できます。
35お瀧山大岩から南展望
福泊の街越しに金甲山(きんこうざん)や怒塚山(いかづかやま)が見えています。ここから北東方向に登っていく道に入りました。
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35お瀧山大岩から南展望
福泊の街越しに金甲山(きんこうざん)や怒塚山(いかづかやま)が見えています。ここから北東方向に登っていく道に入りました。
36お瀧山北東巨石群
前には古いお墓がいくつかあり、「寛保二年」(1742年)と刻まれたものがありました。動画も撮りました。ここからしばらくは標高50m付近をトラバースしました。ピンク色のテープがたくさんあり、歩きやすい道でした。東にある遊歩道に合流する手前で、南の墓地から上がってくる沢沿いの道と合流しました。沢をまたいで北寄りに進路を変え、湿った黒土の道を上ると、お瀧山花広場<写真33>から北に延びる遊歩道に再び入りました。
36お瀧山北東巨石群
前には古いお墓がいくつかあり、「寛保二年」(1742年)と刻まれたものがありました。動画も撮りました。ここからしばらくは標高50m付近をトラバースしました。ピンク色のテープがたくさんあり、歩きやすい道でした。東にある遊歩道に合流する手前で、南の墓地から上がってくる沢沿いの道と合流しました。沢をまたいで北寄りに進路を変え、湿った黒土の道を上ると、お瀧山花広場<写真33>から北に延びる遊歩道に再び入りました。
37古墳その14
吉備津岡辛木(きびつおかからき)神社方面に向かう道の途上にあった古墳です。今までになく大きな巨石が使われていましたが、石室はわかりませんでした。長さは数mありました。この北にも古墳がありそうだったので、少し探してみました。
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37古墳その14
吉備津岡辛木(きびつおかからき)神社方面に向かう道の途上にあった古墳です。今までになく大きな巨石が使われていましたが、石室はわかりませんでした。長さは数mありました。この北にも古墳がありそうだったので、少し探してみました。
38鳥池
その名の通り、水鳥などの野鳥を期待していましたが、生き物の気配がない静かな池でした。吉備津岡辛木(きびつおかからき)神社までこの池から200mほどの距離です。神社の南の石段を下り、アスファルト道に出ました。
38鳥池
その名の通り、水鳥などの野鳥を期待していましたが、生き物の気配がない静かな池でした。吉備津岡辛木(きびつおかからき)神社までこの池から200mほどの距離です。神社の南の石段を下り、アスファルト道に出ました。
39本村橋の常夜灯&地神様
常夜灯は倉安川を航行する船の目印であったもので、かつては川土手にあったものが改修によりこの地に移されたようです。その奥横には地神様が祀られています。百間(ひゃっけん)川の土手から下に下りて旭川・百間川ランニングコースに入ります。
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39本村橋の常夜灯&地神様
常夜灯は倉安川を航行する船の目印であったもので、かつては川土手にあったものが改修によりこの地に移されたようです。その奥横には地神様が祀られています。百間(ひゃっけん)川の土手から下に下りて旭川・百間川ランニングコースに入ります。
40百間川&芥子山
備前富士と呼ばれる芥子(けしご)山はどこから見ても形が整った山ですが、個人的にはこの百間(ひゃっけん)川越しに見る芥子山がもっとも美しいと感じます。
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40百間川&芥子山
備前富士と呼ばれる芥子(けしご)山はどこから見ても形が整った山ですが、個人的にはこの百間(ひゃっけん)川越しに見る芥子山がもっとも美しいと感じます。
41百間川のキンクロハジロ♂
キンクロハジロは、目が金色、頭や背、胸、尾、翼の上面が黒、翼に現れる帯が白ということで羽白、これらを合せてキンクロハジロと命名されたようです。たまに白いお腹を上にして背泳ぎをして遊びます。横から見るとアニメチックでかわいい顔ですが、正面から見ると目つきが鋭く、ツッパリ兄ちゃんにしか見えません。動画も撮りました。
41百間川のキンクロハジロ♂
キンクロハジロは、目が金色、頭や背、胸、尾、翼の上面が黒、翼に現れる帯が白ということで羽白、これらを合せてキンクロハジロと命名されたようです。たまに白いお腹を上にして背泳ぎをして遊びます。横から見るとアニメチックでかわいい顔ですが、正面から見ると目つきが鋭く、ツッパリ兄ちゃんにしか見えません。動画も撮りました。
42百間川のシャリンバイ
5月に梅に似た白い花を咲かせるところからシャリンバイの名前があります。花後には直径1cmほどの球形の実を付け、10月頃には熟して黒紫色になります。百間川の土手に生け垣が続き、たくさんの実がなっていました。
42百間川のシャリンバイ
5月に梅に似た白い花を咲かせるところからシャリンバイの名前があります。花後には直径1cmほどの球形の実を付け、10月頃には熟して黒紫色になります。百間川の土手に生け垣が続き、たくさんの実がなっていました。
43百間川のカルガモ
雄と雌が同じ地味な色をしています。日本で唯一の留鳥カモのため、繁殖期に他の種類のカモが身近にいません。そのため、わざわざ派手な色の羽を持たなくても間違いは起きません。我が家の近所の田んぼにも住み付き、勝手に「カルガモ農法」をやっています。動画も撮りました。
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43百間川のカルガモ
雄と雌が同じ地味な色をしています。日本で唯一の留鳥カモのため、繁殖期に他の種類のカモが身近にいません。そのため、わざわざ派手な色の羽を持たなくても間違いは起きません。我が家の近所の田んぼにも住み付き、勝手に「カルガモ農法」をやっています。動画も撮りました。
44笄(こうがい)の井戸
この井戸の西側に柾木(まさき)城址があります。宇喜多直家に攻め込まれた時、内室玉尾は姫を抱きこの井戸に身を投げたといわれています。命日に最明寺の和尚が供養したところ水面に笄(女性の髪飾り)が浮かび上がったという伝説が残っています。土手を上り、アスファルト道に戻りました。
44笄(こうがい)の井戸
この井戸の西側に柾木(まさき)城址があります。宇喜多直家に攻め込まれた時、内室玉尾は姫を抱きこの井戸に身を投げたといわれています。命日に最明寺の和尚が供養したところ水面に笄(女性の髪飾り)が浮かび上がったという伝説が残っています。土手を上り、アスファルト道に戻りました。
45柾木神社鳥居
   (柾木山登山口)
柾木(まさき)神社は百間川右岸の柾木山(標高56.6m)東面の中腹に鎮座しているうようですが、なぜか、社殿への道がよくわかりませんでした。途中、コンクリート道に切った木の枝が積み上げられている所がありました。そこを乗り越えていけばよかったのかもしれません。
45柾木神社鳥居
   (柾木山登山口)
柾木(まさき)神社は百間川右岸の柾木山(標高56.6m)東面の中腹に鎮座しているうようですが、なぜか、社殿への道がよくわかりませんでした。途中、コンクリート道に切った木の枝が積み上げられている所がありました。そこを乗り越えていけばよかったのかもしれません。
46柾木山より百間川
城が築かれただけに、小さい山ながら巨石が多く、下の方は傾斜もきつく、敵が容易に侵入できない構造になっています。逆に山の上からは四方八方に展望が効き、まさに山城に適した所です。岩盤を上って柾木山(城址)頂上三角点<写真48>を目指します。
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46柾木山より百間川
城が築かれただけに、小さい山ながら巨石が多く、下の方は傾斜もきつく、敵が容易に侵入できない構造になっています。逆に山の上からは四方八方に展望が効き、まさに山城に適した所です。岩盤を上って柾木山(城址)頂上三角点<写真48>を目指します。
47柾木山より芥子山
柾木山から芥子(けしご)山までは徒歩で行ける距離です。芥子山の麓まではっきりと見えています。それなのに、この近くにあるはずの柾木神社の社殿が見えません。(*_*;
47柾木山より芥子山
柾木山から芥子(けしご)山までは徒歩で行ける距離です。芥子山の麓まではっきりと見えています。それなのに、この近くにあるはずの柾木神社の社殿が見えません。(*_*;
48柾木山(城址)頂上三角点
柾木山は標高56.6mで、かつては山城が築かれていました。天正17年(1589年)正木大善正康が入城しましたが、播磨姫路城主本多美濃守忠政の五千の軍勢に攻められ落城しました。一説には宇喜多直家の二千の軍勢に攻められ落城したとも伝えられています。
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48柾木山(城址)頂上三角点
柾木山は標高56.6mで、かつては山城が築かれていました。天正17年(1589年)正木大善正康が入城しましたが、播磨姫路城主本多美濃守忠政の五千の軍勢に攻められ落城しました。一説には宇喜多直家の二千の軍勢に攻められ落城したとも伝えられています。
49柾木山より笠井山
岩の上からは、先ほど登ってきた笠井山が見えました。山全体が古墳のようにも見えます。
49柾木山より笠井山
岩の上からは、先ほど登ってきた笠井山が見えました。山全体が古墳のようにも見えます。
50柾木山より金甲山
柾木山より百間川沿いに南方向を望むと、右端から怒塚山(いかづかやま)、そしてその左横に金甲山(きんこうざん)をはじめ児島半島の山々が見えました。いったん戻ってもう一度柾木(まさき)神社を探し、諦めてアスファルト道に入りました。米田橋の南の辺りで雨やあられが降り始めたので、急いで吉備津岡辛木神社駐車場<写真01>に戻りました。
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50柾木山より金甲山
柾木山より百間川沿いに南方向を望むと、右端から怒塚山(いかづかやま)、そしてその左横に金甲山(きんこうざん)をはじめ児島半島の山々が見えました。いったん戻ってもう一度柾木(まさき)神社を探し、諦めてアスファルト道に入りました。米田橋の南の辺りで雨やあられが降り始めたので、急いで吉備津岡辛木神社駐車場<写真01>に戻りました。

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 手袋(防水加工) 雨具 スパッツ 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 アタックザック ザックカバー 地形図 コンパス ファスナー付クリアーファイル 筆記用具 携帯 時計(防水) タオル カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(山使用可能) eTrex30(GPSナビゲーター)

感想

 季節柄、岡山県南部でも稀に雪が降るようになりました。しかし、南部の多くの山はまだ積雪には至らず、雪山装備不要の山行ができます。ただし、衣類はヒートテックの下着や吸湿性&保温効果のある素材が使われた上着やズボン、そして、防寒具(ヤッケ)代わりにもなるカッパ、登山用手袋などは必要です。この日の天候は晴れ、曇り、雨、あられ、強風と不安定な状況でしたが、雪は降らずに済み、比較的安全に山行ができました。米田橋の南の辺りで急に雨が降り始め、強風で顔に当たるのが妙に痛いと思ったら、あられでした。めったにないので、これはこれで楽しかったです。

 操山(みさおやま)古墳群では西の操山から円山、東の笠井山に連なる丘陵地に約130基の古墳が確認されています。ほぼ中央部には当時(4世紀末から5世紀初頭)としては西日本最大の金蔵山(かなくらやま)古墳があります。今回訪問した笠井山には約30基の古墳があり、特に笠井山古墳支群と呼ばれています。今回はそのうち、14の古墳を確認することができました。内、6つ<写真05,07,10,12,14,37>は何号墳なのかが特定できませんでした。いずれも横穴式石室で大きさ形状はまちまちで、比較的高貴な身分の人が埋葬されていた中央から西方面の古墳とは異なり、いろいろな身分の人たちが埋葬されていたものと推察されます。人目につく所にない古墳が多いので、まるで宝探しをするように、笠井山東部から南部にかけて歩き回り、発見した古墳すべてGPS登録をし、地形図上に写真をリンクさせてアップしました。

 操山を下りてくると、野鳥が多い百間川(ひゃっけんがわ)の自然や柾木(まさき)城などの歴史に触れることができます。さらに、東に進むと、後楽園の借景の一つであり、備前富士と呼ばれる芥子(けしご)山や、その尾根上には国の史跡である大多羅寄宮跡があります。JR赤穂線「大多羅(おおだら)」駅からアプローチし、今回の操山東部を含め、これらの地域を周るのも変化に富んでおもしろそうです。さまざまなコースを考えるだけでも楽しいです。さて、来週はどこへ?



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