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Yamareco

記録ID: 1287692
全員に公開
ハイキング
甲信越

中山道「塩尻宿→洗馬宿→本山宿→贄川宿→奈良井宿」

2017年10月10日(火) [日帰り]
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GPS
05:36
距離
24.7km
登り
356m
下り
172m

コースタイム

日帰り
山行
5:36
休憩
0:35
合計
6:11
距離 24.7km 登り 401m 下り 180m
9:16
74
塩尻市大門
10:30
10:31
43
11:14
6
11:20
11:48
45
昼食休憩
13:30
13:32
61
14:33
14:37
50
15:27
奈良井駅
天候
過去天気図(気象庁) 2017年10月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
コース状況/
危険箇所等
問題なし
JR特急しなの1号で塩尻着 今までは各駅普通。出世したかな。
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JR特急しなの1号で塩尻着 今までは各駅普通。出世したかな。
塩尻市大門2番町 
JR中央線を潜り中山道歩き開始
塩尻市大門2番町 
JR中央線を潜り中山道歩き開始
塩尻市宗賀 両側は広い広い昭和電工工場敷地。背高のっぽのメタセコイヤ並木
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塩尻市宗賀 両側は広い広い昭和電工工場敷地。背高のっぽのメタセコイヤ並木
平出遺跡を彼方に見る。「桔梗ヶ原」塩尻の北〜西に展開する扇状地台地。西縁は奈良井川の侵食谷、東・北も浅い谷で限られた火山灰土壌台地。明治まで原野で平地林。戦国時代は多くの戦いも。
平出遺跡を彼方に見る。「桔梗ヶ原」塩尻の北〜西に展開する扇状地台地。西縁は奈良井川の侵食谷、東・北も浅い谷で限られた火山灰土壌台地。明治まで原野で平地林。戦国時代は多くの戦いも。
青空に映える「平出一里塚59里」の晴れ姿。一里塚はどこもこうだったのだ。江戸時代前期茶屋2軒。なお、対の一方は民家の後ろに健在。
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青空に映える「平出一里塚59里」の晴れ姿。一里塚はどこもこうだったのだ。江戸時代前期茶屋2軒。なお、対の一方は民家の後ろに健在。
平出遺跡 縄文〜平安時代の大集落遺跡群。江戸期の人々も土器・石器をここで拾う。1950年本格発掘開始。出土品多数。290軒超の竪穴住居址、土器、石器、鉄器類出土。写真は縄文中期住居(約4,500年前〜5,500年前)の再現。
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平出遺跡 縄文〜平安時代の大集落遺跡群。江戸期の人々も土器・石器をここで拾う。1950年本格発掘開始。出土品多数。290軒超の竪穴住居址、土器、石器、鉄器類出土。写真は縄文中期住居(約4,500年前〜5,500年前)の再現。
平出遺跡 後ろの山麓には「平出の泉」。五千年以上もの間、土壌に恵まれない地域に潤いと作物をもたらす。水温は年間通して摂氏10度前後。水利は伝統的に厳粛に行われてきた。
平出遺跡 後ろの山麓には「平出の泉」。五千年以上もの間、土壌に恵まれない地域に潤いと作物をもたらす。水温は年間通して摂氏10度前後。水利は伝統的に厳粛に行われてきた。
平出遺跡より北アルプス。こちらは穏やかで天気はいいが、尾根は風がきつそうだ。
平出遺跡より北アルプス。こちらは穏やかで天気はいいが、尾根は風がきつそうだ。
平出 付近にある葡萄果樹園にて。葡萄栽培は雨量少なく、昼夜の気温差が大。水ハケが良く、やせた土地が適する。
平出 付近にある葡萄果樹園にて。葡萄栽培は雨量少なく、昼夜の気温差が大。水ハケが良く、やせた土地が適する。
19号と出合左折する中山道
葡萄栽培に適した土壌で葡萄の農園や販売店が多数。後ろは長興寺山953m
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19号と出合左折する中山道
葡萄栽培に適した土壌で葡萄の農園や販売店が多数。後ろは長興寺山953m
19号線を洗馬に向かう途中。やや下方の奈良井川沿いに善光寺道(北国西脇往還)。向かう洗馬より善光寺(長野)までの庶民信仰の道。大名行列は通らず、参拝の旅人や逆に中山道通しの伊勢参りの人々が通過。
19号線を洗馬に向かう途中。やや下方の奈良井川沿いに善光寺道(北国西脇往還)。向かう洗馬より善光寺(長野)までの庶民信仰の道。大名行列は通らず、参拝の旅人や逆に中山道通しの伊勢参りの人々が通過。
洗馬相生坂。肱懸松。将軍秀忠が上洛時に松に肱をかけ休息。赤松名木。「肱懸けてしばし憩える松陰にたもと涼しく通う河風」
洗馬相生坂。肱懸松。将軍秀忠が上洛時に松に肱をかけ休息。赤松名木。「肱懸けてしばし憩える松陰にたもと涼しく通う河風」
ストーンサークル状配置の石仏群。木曽信州中山道では所々に石仏群を沢山寄せ集めて祀ってある。配置形態は様々。多くの石仏が中山道沿いに点在した証拠。
ストーンサークル状配置の石仏群。木曽信州中山道では所々に石仏群を沢山寄せ集めて祀ってある。配置形態は様々。多くの石仏が中山道沿いに点在した証拠。
洗馬宿。分去常夜灯。1857年建立常夜灯。中山道と善光寺道の分岐点。
洗馬宿。分去常夜灯。1857年建立常夜灯。中山道と善光寺道の分岐点。
北を見て。左が善光寺道の始まり。右が中山道。右の緩い坂が相生坂。洗馬宿は1614年中山道が牛首峠越から塩尻峠越に変更になり、中山道と北国脇往還(善光寺街道)の分去宿場として新設。南北出入り口は鉤型、宿内町並は湾曲。
北を見て。左が善光寺道の始まり。右が中山道。右の緩い坂が相生坂。洗馬宿は1614年中山道が牛首峠越から塩尻峠越に変更になり、中山道と北国脇往還(善光寺街道)の分去宿場として新設。南北出入り口は鉤型、宿内町並は湾曲。
洗馬宿。分去道標。
洗馬宿。分去道標。
邂逅(あふた)の清水。冷水がこんこんと湧く。「あふた」は「おおた・太田」のこと。しかし、地元は「あふた」と表記発音。 これが洗馬の名に関係。なぜ「おおた」なのかは3枚後の脇本陣の所に記す。
邂逅(あふた)の清水。冷水がこんこんと湧く。「あふた」は「おおた・太田」のこと。しかし、地元は「あふた」と表記発音。 これが洗馬の名に関係。なぜ「おおた」なのかは3枚後の脇本陣の所に記す。
洗馬宿本陣跡。幕末期、洗馬宿宿内家数は163軒。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠29軒。宿内人口は661人、伝馬は50人50疋。
洗馬宿本陣跡。幕末期、洗馬宿宿内家数は163軒。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠29軒。宿内人口は661人、伝馬は50人50疋。
荷物貫目改め所 善通寺道との分岐点に位置する洗馬宿の重要性から街道通行の伝馬の荷物重量検査のための施設。
荷物貫目改め所 善通寺道との分岐点に位置する洗馬宿の重要性から街道通行の伝馬の荷物重量検査のための施設。
脇本陣跡。洗馬の名前由来。平出北西に信濃ワイン工場。そこが「大田」集落。木曽義仲がその地の泉で馬を洗ったので洗馬の名が出た。そちらを元洗馬。中山道の新たな計画宿は洗馬と命名。江戸期は「洗場」という名称も。「あふたの泉」は洗馬に命名の根拠。
脇本陣跡。洗馬の名前由来。平出北西に信濃ワイン工場。そこが「大田」集落。木曽義仲がその地の泉で馬を洗ったので洗馬の名が出た。そちらを元洗馬。中山道の新たな計画宿は洗馬と命名。江戸期は「洗場」という名称も。「あふたの泉」は洗馬に命名の根拠。
戸数は開宿時は約百軒、幕末に百五十軒ほど。大旅籠もあり賑わう。本陣、脇本陣庭園は「中山道に稀な」と紹介されるほどの名園。1909年鉄道開通により洗馬駅敷地となり喪失。1932年大火で宿場時代建物が殆ど焼失。
戸数は開宿時は約百軒、幕末に百五十軒ほど。大旅籠もあり賑わう。本陣、脇本陣庭園は「中山道に稀な」と紹介されるほどの名園。1909年鉄道開通により洗馬駅敷地となり喪失。1932年大火で宿場時代建物が殆ど焼失。
洗馬宿 古民家 窓の格子がデザイン性に富み、美しい。
洗馬宿 古民家 窓の格子がデザイン性に富み、美しい。
洗馬宿 芭蕉碑 「入梅はれの わたくし雨や 雲ちきれ」入梅はれ=「つゆはれ」と読む。わたくし雨=地域的で一時的な雨
洗馬宿 芭蕉碑 「入梅はれの わたくし雨や 雲ちきれ」入梅はれ=「つゆはれ」と読む。わたくし雨=地域的で一時的な雨
南の宿外れにある言成地蔵。「願い事をすれば必ず叶えて貰える」という有り難い地蔵。明治に廃寺の地蔵山新福寺跡に蔵所蔵遺物を納める堂を昭和3〜4年新築。当時は鉄道利用の祈願参拝客で賑う。
南の宿外れにある言成地蔵。「願い事をすれば必ず叶えて貰える」という有り難い地蔵。明治に廃寺の地蔵山新福寺跡に蔵所蔵遺物を納める堂を昭和3〜4年新築。当時は鉄道利用の祈願参拝客で賑う。
言成地蔵と下馬落とし伝説あり
言成地蔵と下馬落とし伝説あり
牧野一里塚60里(標柱)塩尻市宗賀牧野 洗馬宿を出て中央西線のガード下を通った先の左側にひっそりと。
牧野一里塚60里(標柱)塩尻市宗賀牧野 洗馬宿を出て中央西線のガード下を通った先の左側にひっそりと。
牧野 古い家畜小屋。建て方や窓の位置に工夫。
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牧野 古い家畜小屋。建て方や窓の位置に工夫。
牧野 山は尖剣山。1181m。
牧野 山は尖剣山。1181m。
牧野 後ろを振り返る。王ヶ鼻〜美ヶ原。
牧野 後ろを振り返る。王ヶ鼻〜美ヶ原。
本山宿入口辺り 下町石造群(南無阿弥陀仏・徳本上人・文政2年)
本山宿入口辺り 下町石造群(南無阿弥陀仏・徳本上人・文政2年)
本山宿 1614年中山道街道変更で塩尻宿・洗馬宿とともに設置。幕末期、宿内家数は117軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、問屋2、旅籠34軒。宿内人口は592人。少し早い昼食に「本山そばの里」の店へ。
本山宿 1614年中山道街道変更で塩尻宿・洗馬宿とともに設置。幕末期、宿内家数は117軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、問屋2、旅籠34軒。宿内人口は592人。少し早い昼食に「本山そばの里」の店へ。
そば切り発祥の地と言われるが、現在そばが食べられるのは「本山そばの里」だけ。地元のおばさんたちが営業。地元食材を利用。そば打ち体験可能。時間はかかるがゆっくり丁寧に料理して美味しい蕎麦と季節天麩羅に満足。
そば切り発祥の地と言われるが、現在そばが食べられるのは「本山そばの里」だけ。地元のおばさんたちが営業。地元食材を利用。そば打ち体験可能。時間はかかるがゆっくり丁寧に料理して美味しい蕎麦と季節天麩羅に満足。
川口屋 小林家住宅 二重出梁は贄川宿の深津住宅以外では唯一の形。二階全面千本格子。両端に裾卯建。2階に式台。
川口屋 小林家住宅 二重出梁は贄川宿の深津住宅以外では唯一の形。二階全面千本格子。両端に裾卯建。2階に式台。
本山宿本陣跡 東山道期には本山氏の本山城あり。写真の本陣跡後ろの山辺り。関ヶ原開戦時、徳川秀忠軍は9月14日に本山城に着陣。
本山宿本陣跡 東山道期には本山氏の本山城あり。写真の本陣跡後ろの山辺り。関ヶ原開戦時、徳川秀忠軍は9月14日に本山城に着陣。
本山宿 国の有形登録文化財 川口屋・池田屋・若松屋説明。
本山宿 国の有形登録文化財 川口屋・池田屋・若松屋説明。
本山宿 国の有形登録文化財 川口屋・池田屋・若松屋パノラマ
本山宿 国の有形登録文化財 川口屋・池田屋・若松屋パノラマ
本山宿 脇本陣・上問屋跡 問屋は1ヶ月の上15日を小野家、下15日を小林家の半月交替。小野家(後半花村氏)が脇本陣と、小林家が本陣と兼務。
本山宿 脇本陣・上問屋跡 問屋は1ヶ月の上15日を小野家、下15日を小林家の半月交替。小野家(後半花村氏)が脇本陣と、小林家が本陣と兼務。
松本藩南境として口留番所を設置。米穀、塩、女性などを通行改め。宿場用水は南の2つの沢から山斜面に堰や懸樋で引き込み、宿場中央に用水を通して、五ヶ所に土橋を掛ける。
松本藩南境として口留番所を設置。米穀、塩、女性などを通行改め。宿場用水は南の2つの沢から山斜面に堰や懸樋で引き込み、宿場中央に用水を通して、五ヶ所に土橋を掛ける。
本山宿南高札場跡(秋葉常夜灯)
なお、蕎麦発祥の地だが、木曽郡大桑村須原にある定勝寺寄進記録で1574年初めの寄進物一覧に「振舞ソハキリ 金永」という記述があるらしい。どちらが発祥か。
本山宿南高札場跡(秋葉常夜灯)
なお、蕎麦発祥の地だが、木曽郡大桑村須原にある定勝寺寄進記録で1574年初めの寄進物一覧に「振舞ソハキリ 金永」という記述があるらしい。どちらが発祥か。
第2中仙道踏切で右折れ。日出塩の青木の話。かつて桧の銘木があった。「洗馬の肘松日出塩の青木お江戸屏風の絵にござる」
第2中仙道踏切で右折れ。日出塩の青木の話。かつて桧の銘木があった。「洗馬の肘松日出塩の青木お江戸屏風の絵にござる」
日出塩 中山道道路上にビニールシートを敷き、蕎麦を乾燥。
日出塩 中山道道路上にビニールシートを敷き、蕎麦を乾燥。
日出塩一里塚61里(標柱) 日出塩集落の中ほど、民家の前。両面をずっと一千mを越える山の連なりに囲まれた日出塩集落になんとなく寂しくぽつんと。
日出塩一里塚61里(標柱) 日出塩集落の中ほど、民家の前。両面をずっと一千mを越える山の連なりに囲まれた日出塩集落になんとなく寂しくぽつんと。
日出塩 長泉院 日出塩は本山宿と贄川宿の間の「立場茶屋」江戸期は山間集落で「獣」を売る店が多かった。
日出塩 長泉院 日出塩は本山宿と贄川宿の間の「立場茶屋」江戸期は山間集落で「獣」を売る店が多かった。
日出塩 公民館の脇を抜けると日出塩駅。1913年(大正2年)9月中央本線の洗馬〜贄川間に信号所として開設。1926年(大正15年)12月駅に格上げ。「男はつらいよ」第10作「寅次郎夢枕」で日出塩駅で寅が夢から覚める場面。昭和47年12月作品。また見たくなった。今は無人駅。商店もなし。
日出塩 公民館の脇を抜けると日出塩駅。1913年(大正2年)9月中央本線の洗馬〜贄川間に信号所として開設。1926年(大正15年)12月駅に格上げ。「男はつらいよ」第10作「寅次郎夢枕」で日出塩駅で寅が夢から覚める場面。昭和47年12月作品。また見たくなった。今は無人駅。商店もなし。
日出塩 石塔群 日出塩の地名だが、製塩業や塩の輸送・運搬に関する街道筋と推測しがち。だが、塩の山間地名には「シボむ地形や撓たわんだ土地」に由来するものが実際は多いらしい。
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日出塩 石塔群 日出塩の地名だが、製塩業や塩の輸送・運搬に関する街道筋と推測しがち。だが、塩の山間地名には「シボむ地形や撓たわんだ土地」に由来するものが実際は多いらしい。
奈良井川沿いに直線道路の19号線を延々と黙々と歩く。
奈良井川沿いに直線道路の19号線を延々と黙々と歩く。
桜沢 19号線 初期中山道説明板と出合う。前にはラブホテルのような建物があり、坂道が山を登っている。ここが桜沢から諏訪の東堀までの初期中山道の出発点。
桜沢 19号線 初期中山道説明板と出合う。前にはラブホテルのような建物があり、坂道が山を登っている。ここが桜沢から諏訪の東堀までの初期中山道の出発点。
中山道は当初は下諏訪〜東堀〜小井川〜岡谷〜三沢〜小野峠〜小野〜牛首峠〜桜沢。急峻で危険な悪路だったが、江戸の町建設で多量の用材需要があり、勘定奉行大久保長安が木曽森林資源に着目。運搬道路として初期中山道開発。途中の小野宿で伊那街道と連絡。
中山道は当初は下諏訪〜東堀〜小井川〜岡谷〜三沢〜小野峠〜小野〜牛首峠〜桜沢。急峻で危険な悪路だったが、江戸の町建設で多量の用材需要があり、勘定奉行大久保長安が木曽森林資源に着目。運搬道路として初期中山道開発。途中の小野宿で伊那街道と連絡。
桜沢19号 桜沢の沢が初期中山道方面から下りてくる辺りで新しいトンネル工事が現在進行中。
桜沢19号 桜沢の沢が初期中山道方面から下りてくる辺りで新しいトンネル工事が現在進行中。
19号線上に「是より木曽路」の標識がある。木曽川上流地域・贄川宿〜馬籠宿間の11宿場町を結ぶ区間を木曽路と呼ぶ。お境橋。橋の中央が境。橋のかけ替えや修復費用は、松本・尾張両藩で公平に負担。
19号線上に「是より木曽路」の標識がある。木曽川上流地域・贄川宿〜馬籠宿間の11宿場町を結ぶ区間を木曽路と呼ぶ。お境橋。橋の中央が境。橋のかけ替えや修復費用は、松本・尾張両藩で公平に負担。
国道19号桜沢橋南詰西側(下り線側) 昭和15年建立《是より南木曽路》の石碑。江戸時代にはここから南が尾張藩領、北が松本藩領。1940年(昭和15年)中山道本山宿・贄川宿の間宿の桜沢で「茶屋本陣」を営んでいた百瀬栄が建立。
国道19号桜沢橋南詰西側(下り線側) 昭和15年建立《是より南木曽路》の石碑。江戸時代にはここから南が尾張藩領、北が松本藩領。1940年(昭和15年)中山道本山宿・贄川宿の間宿の桜沢で「茶屋本陣」を営んでいた百瀬栄が建立。
色づく山の中を上がり抜ける中山道。
色づく山の中を上がり抜ける中山道。
百瀬氏の茶屋本陣。連子格子を備えた屋敷。
百瀬氏の茶屋本陣。連子格子を備えた屋敷。
百瀬氏の茶屋本陣。連子格子を備えた屋敷。桜沢は峠越えの間の宿。桜沢は奈良井川と急峻な一千m級の山間の猫の額ほどの細長い岸辺。本陣らしい立派な門。この写真を撮ろうとするが、トラック等連続して往来。危なく苦労した。
百瀬氏の茶屋本陣。連子格子を備えた屋敷。桜沢は峠越えの間の宿。桜沢は奈良井川と急峻な一千m級の山間の猫の額ほどの細長い岸辺。本陣らしい立派な門。この写真を撮ろうとするが、トラック等連続して往来。危なく苦労した。
桜沢より奈良井川に掛けられた小さなダムを見る。
桜沢より奈良井川に掛けられた小さなダムを見る。
片平橋を渡り、小さい片平集落を抜け、19号はさらに上がり坂になる。
片平橋を渡り、小さい片平集落を抜け、19号はさらに上がり坂になる。
若神子一里塚62里 贄川若神子 国道19号右側の擁壁上。擁壁上の高い位置にあるため、気づかないで通りすぎる可能性も。
若神子一里塚62里 贄川若神子 国道19号右側の擁壁上。擁壁上の高い位置にあるため、気づかないで通りすぎる可能性も。
若神子(わかみこ)集落の土蔵。
若神子(わかみこ)集落の土蔵。
若神子集落の水場。湧水の清水を引き込み共同の生活水に利用。贄川や奈良井でも沢山見られる。水舟と同様。汗を拭う冷水が常時あることに感謝。
若神子集落の水場。湧水の清水を引き込み共同の生活水に利用。贄川や奈良井でも沢山見られる。水舟と同様。汗を拭う冷水が常時あることに感謝。
今回の街道歩きで一番目立つ花はコルチカム。西欧、北アフリカなどに約60種が分布するイヌサフラン科球根植物。日本は主に秋咲系。で、なんでこんなに多いのか?
今回の街道歩きで一番目立つ花はコルチカム。西欧、北アフリカなどに約60種が分布するイヌサフラン科球根植物。日本は主に秋咲系。で、なんでこんなに多いのか?
若神子集落 南はずれの石仏群の1つ。手を合わす姿がユーモラス。ちびまる子のキャラクターのよう。
若神子集落 南はずれの石仏群の1つ。手を合わす姿がユーモラス。ちびまる子のキャラクターのよう。
中畑集落 19号線と離れ、一挙に坂道を右上がり。舗装はあるが、中山道。
中畑集落 19号線と離れ、一挙に坂道を右上がり。舗装はあるが、中山道。
中平〜下遠集落 高度を上げた中山道。左下に19号やJRが見え始める。「熊注意」の標識あり。
中平〜下遠集落 高度を上げた中山道。左下に19号やJRが見え始める。「熊注意」の標識あり。
中平〜下遠集落 炭焼き小屋
中平〜下遠集落 炭焼き小屋
折戸集落 贄川駅西上よりパノラマ。19号線。贄川宿の南からこの山の裏側を通り牛首峠に北東に上がる谷があり、桑崎という集落が途中にあり古中山道と結ぶ。
折戸集落 贄川駅西上よりパノラマ。19号線。贄川宿の南からこの山の裏側を通り牛首峠に北東に上がる谷があり、桑崎という集落が途中にあり古中山道と結ぶ。
贄川駅前にて。「熱川」が語源。昔は温泉存在。温泉枯渇後「贄川」。宿創設は天文年間(1532-55)。木曾11宿最北で木曾路の北の入口を守る軍事的拠点であり最初の宿場。
贄川駅前にて。「熱川」が語源。昔は温泉存在。温泉枯渇後「贄川」。宿創設は天文年間(1532-55)。木曾11宿最北で木曾路の北の入口を守る軍事的拠点であり最初の宿場。
贄川宿関所 石置屋根が素敵。旅人の出入や物資の搬出入管理。福島関所の補助的役割を担う。女性等人物改めや木曽檜はじめ木材改めなど厳重審査。口留番所の役割。宿内家数は124。本陣1、脇本陣1、旅籠25。宿内人口は545。
贄川宿関所 石置屋根が素敵。旅人の出入や物資の搬出入管理。福島関所の補助的役割を担う。女性等人物改めや木曽檜はじめ木材改めなど厳重審査。口留番所の役割。宿内家数は124。本陣1、脇本陣1、旅籠25。宿内人口は545。
明治初頭宿駅制度廃止。贄川関所取壊。昭和5年(1930)大火災で町屋焼失。贄川関所は建武2年(1334)頃に源義仲の七代後裔を配置。大坂冬の陣の際には警備為兵を設置。江戸時代は木曽代官山村氏家臣を配置。明治2年に関所廃止。関所階下に「木曽考古館」。贄川で発掘の縄文中期土器を展示。
明治初頭宿駅制度廃止。贄川関所取壊。昭和5年(1930)大火災で町屋焼失。贄川関所は建武2年(1334)頃に源義仲の七代後裔を配置。大坂冬の陣の際には警備為兵を設置。江戸時代は木曽代官山村氏家臣を配置。明治2年に関所廃止。関所階下に「木曽考古館」。贄川で発掘の縄文中期土器を展示。
贄川宿 風情のある水場 冷たい。
贄川宿 風情のある水場 冷たい。
贄川宿本陣跡。居合わせた住民に尋ねると、脇本陣は本陣家の親戚で、本陣跡の南後ろ隣だったと言う。今は民家が点在。
贄川宿本陣跡。居合わせた住民に尋ねると、脇本陣は本陣家の親戚で、本陣跡の南後ろ隣だったと言う。今は民家が点在。
街道西山麓にある麻衣迺(あさぎぬ)神社本殿(塩尻市指定有形文化財)観音寺山門(塩尻市指定有形文化財)への道。
街道西山麓にある麻衣迺(あさぎぬ)神社本殿(塩尻市指定有形文化財)観音寺山門(塩尻市指定有形文化財)への道。
現在の贄川宿。
贄川宿。水場と秋葉神社・津島神社。
贄川宿。水場と秋葉神社・津島神社。
「深澤家住宅」蔵2棟を含む建造物3棟と宅地が国の重要文化財指定。深澤家は加納屋が屋号。贄川屈指の行商商家で主屋は嘉永7年(1854年)、北蔵は文政4年(1821年)、南蔵は文久2年(1862年)建築。
「深澤家住宅」蔵2棟を含む建造物3棟と宅地が国の重要文化財指定。深澤家は加納屋が屋号。贄川屈指の行商商家で主屋は嘉永7年(1854年)、北蔵は文政4年(1821年)、南蔵は文久2年(1862年)建築。
主屋は切妻造、平入り、2階建、鉄板葺き。奥行きの長い建物。内部は縦2列、8室。2階は表側と裏手に各1室。屋敷構えが十分に残り、江戸期末期の宿場町家の形態を伝える貴重な建物。なお、二重出梁は本山宿の小林住宅以外では唯一の形。
主屋は切妻造、平入り、2階建、鉄板葺き。奥行きの長い建物。内部は縦2列、8室。2階は表側と裏手に各1室。屋敷構えが十分に残り、江戸期末期の宿場町家の形態を伝える貴重な建物。なお、二重出梁は本山宿の小林住宅以外では唯一の形。
深津住宅のすぐ先に小さな小道が右にあり、曲がる。ここがおそらく桝形又は鉤の手になるのか?曲り角に風呂桶状の水場。家屋の軒下をうまく利用。
深津住宅のすぐ先に小さな小道が右にあり、曲がる。ここがおそらく桝形又は鉤の手になるのか?曲り角に風呂桶状の水場。家屋の軒下をうまく利用。
贄川のトチノキ 長野県天然記念物。国道19号を渡り西側の坂を上がる。樹齢600年以上と推定。樹高32m、根元周囲は10m。驚いた。
贄川のトチノキ 長野県天然記念物。国道19号を渡り西側の坂を上がる。樹齢600年以上と推定。樹高32m、根元周囲は10m。驚いた。
国道沿いに城取うるし工芸店や中村漆器木曽路民芸館などがあり、伝統的な木工製品が並んでいる。
国道沿いに城取うるし工芸店や中村漆器木曽路民芸館などがあり、伝統的な木工製品が並んでいる。
木曽路民芸館の横を通過すると側道がなくなり、フェンスか鉄パイプのようなもので補強した一段高い側道へ上がらされる。工事現場のような狭い通路を歩く。
木曽路民芸館の横を通過すると側道がなくなり、フェンスか鉄パイプのようなもので補強した一段高い側道へ上がらされる。工事現場のような狭い通路を歩く。
桃岡集落。やがて道路左上の山に入り、下草の中を下りると右に馬頭観音や中山道の石標示があり「ほっと」した。
桃岡集落。やがて道路左上の山に入り、下草の中を下りると右に馬頭観音や中山道の石標示があり「ほっと」した。
桃岡 「素戔嗚」の扁額を掲げた「津島神社」の鳥居 小さな祠横の半球石は「こだま様」=「蚕」のこと。
桃岡 「素戔嗚」の扁額を掲げた「津島神社」の鳥居 小さな祠横の半球石は「こだま様」=「蚕」のこと。
桃岡 秋はこれが一番
桃岡 秋はこれが一番
桃岡 郵便ポスト 確か私の故郷もこんな感じで郵便葉書や塩販売を手がけている家が必ずどの村にもあった。
桃岡 郵便ポスト 確か私の故郷もこんな感じで郵便葉書や塩販売を手がけている家が必ずどの村にもあった。
押込一里塚63里(標柱)贄川桃岡 桃岡集落から国道19号に合流する手前右側に人恋しそうにぽつんと立っている。
押込一里塚63里(標柱)贄川桃岡 桃岡集落から国道19号に合流する手前右側に人恋しそうにぽつんと立っている。
奈良井川上より南東を見る。
奈良井川上より南東を見る。
19号線を左に入る中山道。長瀬集落へ。
19号線を左に入る中山道。長瀬集落へ。
長瀬集落 秋の花と言えばやはりこれか。
長瀬集落 秋の花と言えばやはりこれか。
木曽平沢北 道の駅「木曽ならかわ」りっぱな「木曽くらしの工芸館」(メインホール・アートギャラリー・クラフトマンギャラリー・シアター・実験工房)がありますが全て休館。
木曽平沢北 道の駅「木曽ならかわ」りっぱな「木曽くらしの工芸館」(メインホール・アートギャラリー・クラフトマンギャラリー・シアター・実験工房)がありますが全て休館。
木曽平沢北 道の駅「木曽ならかわ」仕方なく道の駅でぶどうやらりんごやらのジュースを飲んだら、元気百倍
木曽平沢北 道の駅「木曽ならかわ」仕方なく道の駅でぶどうやらりんごやらのジュースを飲んだら、元気百倍
JA木曽楢川の西上の尾根を見上げる。
JA木曽楢川の西上の尾根を見上げる。
諏訪神社への上り坂。この坂の向こうは木曽平沢
諏訪神社への上り坂。この坂の向こうは木曽平沢
諏訪神社階段 芭蕉句碑「送られつおくりつはては木曽の秋 芭蕉」
諏訪神社階段 芭蕉句碑「送られつおくりつはては木曽の秋 芭蕉」
さて木曽平沢の宿全体を見渡せる。その向こうには峠山1415mと鳥居峠1198m。「漆工町 木曾平沢」の町並みは国の重要伝統的建築物群として指定。しかし、何度かの火災で古い建物は殆どなく、大部分が伝統的建物を新たに建築。
さて木曽平沢の宿全体を見渡せる。その向こうには峠山1415mと鳥居峠1198m。「漆工町 木曾平沢」の町並みは国の重要伝統的建築物群として指定。しかし、何度かの火災で古い建物は殆どなく、大部分が伝統的建物を新たに建築。
木曽平沢。斜交建築様式の建物が多い。奈良井川対岸には木曽漆器館もある。
木曽平沢。斜交建築様式の建物が多い。奈良井川対岸には木曽漆器館もある。
平沢の漆工業は江戸期初期に普及。木曽五木を利用した伝統的な地場産業となる。漆器に必要な条件(最良の原料・適度の湿気・新鮮な空気)が揃った土地。外国人が漆器店に大勢押し寄せて説明を受け、買い物中。
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平沢の漆工業は江戸期初期に普及。木曽五木を利用した伝統的な地場産業となる。漆器に必要な条件(最良の原料・適度の湿気・新鮮な空気)が揃った土地。外国人が漆器店に大勢押し寄せて説明を受け、買い物中。
平沢 北を見て 南の町外れにある道標など。右が平沢を通過する中山道
平沢 北を見て 南の町外れにある道標など。右が平沢を通過する中山道
平井から母沢 奈良井川沿いに歩く。
平井から母沢 奈良井川沿いに歩く。
母沢 踏切を渡らずに右の信濃路自然歩道へ入る。
母沢 踏切を渡らずに右の信濃路自然歩道へ入る。
中央線を潜る。
1500m以上の山はかなり紅葉が進む。
1500m以上の山はかなり紅葉が進む。
橋戸一里塚64里 木曽平沢の先、奈良井川遊歩道を歩くと川向こうにある。小さな橋を渡り遊歩道を通ると近くに行ける。なぜ西の川向こうに?中山道は向こうか。
橋戸一里塚64里 木曽平沢の先、奈良井川遊歩道を歩くと川向こうにある。小さな橋を渡り遊歩道を通ると近くに行ける。なぜ西の川向こうに?中山道は向こうか。
綿沢から北を見る。木曽楢川小学校を左に見る。美しい木造校舎で、広々とした環境や地域センターとして機能する姿も羨ましい。
綿沢から北を見る。木曽楢川小学校を左に見る。美しい木造校舎で、広々とした環境や地域センターとして機能する姿も羨ましい。
奈良井駅到着。峠山が端正な姿を見せる。昔の中山道は奈良井川橋を渡り、さらに右に坂を上がり、八幡宮に至った。
奈良井駅到着。峠山が端正な姿を見せる。昔の中山道は奈良井川橋を渡り、さらに右に坂を上がり、八幡宮に至った。
奈良井宿 駅西上にある八幡宮の旧中山道の杉並木。
奈良井宿 駅西上にある八幡宮の旧中山道の杉並木。
奈良井宿 八幡宮 下町氏神。奈良井宿の丑寅の方角で鬼門除けの守護神。創建は天正年間(1573〜92)。現在の本殿は一間社流造で江戸時代末期に建立。5月初旬の春祭りに、下町明友会の若衆が長持行列を。かつては境内舞台で芝居を演じた
奈良井宿 八幡宮 下町氏神。奈良井宿の丑寅の方角で鬼門除けの守護神。創建は天正年間(1573〜92)。現在の本殿は一間社流造で江戸時代末期に建立。5月初旬の春祭りに、下町明友会の若衆が長持行列を。かつては境内舞台で芝居を演じた
奈良井宿 二百地蔵 明治時代に奈良井宿周辺の国道の開削や鉄道敷設の際に行き場の失った石仏194体を収集し祀る。
奈良井宿 二百地蔵 明治時代に奈良井宿周辺の国道の開削や鉄道敷設の際に行き場の失った石仏194体を収集し祀る。
奈良井宿八幡宮 これにて本日終了。次回掲載は奈良井宿から木曽福島宿編。
奈良井宿八幡宮 これにて本日終了。次回掲載は奈良井宿から木曽福島宿編。

感想

奈良井川と共に歩んできた山間の宿々。山岳気候と豊かな湧水を利用し、林業や農業に取り組み、木造建築、工芸品、野菜・果物を作り出した歴史と伝統に感銘を受けた。

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