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Yamareco

記録ID: 1365028
全員に公開
ハイキング
中国

岡山市北区 鼓山〜大平山 高松城水攻め関連史跡&古墳&巨石群

2018年01月21日(日) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
1
日帰りが可能
GPS
04:21
距離
8.5km
登り
344m
下り
352m
歩くペース
ゆっくり
1.41.5
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
3:39
休憩
0:43
合計
4:22
8:39
1
高松城水攻め史跡公園P
8:40
8:53
13
高松城水攻め史跡公園
9:06
9:06
18
鼓山登山口
9:24
9:28
37
鼓山頂上
10:05
10:06
23
名越山裏山古墳群その1
10:29
10:29
10
名越山裏山古墳群その1(2回目)
10:39
10:43
14
巨石群その1
10:57
11:03
9
181m峰
11:12
11:13
13
巨石群その7
11:26
11:34
19
大平山頂上
11:53
11:53
19
隠里池
12:12
12:17
9
勝負谷古墳群その3
12:26
12:27
34
太閤岩
13:01
高松城水攻め史跡公園P
毛利軍VS秀吉軍の史跡を辿るコース
歩行距離8.5km、歩行時間3時間30分、歩行数15,400歩、消費カロリー1,430Kcal
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2018年01月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車 自家用車
【自動車】
「高松城水攻め史跡公園 」の駐車場<写真01>に自動車を停めました。3台程しか停められませんが、自動車で来る人はほとんどいません。
【電車】
JR吉備線「備中高松」駅下車。数分で「高松城水攻め史跡公園 」に着きます。
コース状況/
危険箇所等
 高松城水攻め史跡公園駐車場<写真01>から鼓(つづみ)山登山口<写真06>まではほぼアスファルト道です。川の南側のほうが広く歩きやすいです。
 鼓山登山口<写真06>から鼓山頂上<写真07>までは、低いササが茂っているところがありますが、踏み跡はわかります。
 鼓(つづみ)山頂上<写真07>からピーク181m<写真19、20>を経て巨石群その7<写真21>までは、はっきりした道はありませんが、かき分けなくても木の間を適当にぬって歩けます。
 巨石群その7<写真21>から大平山頂上<写真22、23>を経て隠里池<写真24>まではよく整備されています。一部、枯れた「ひっつき虫」が残っていますが、今回は実はほとんどつきませんでした。
 隠里池<写真24>から高松城水攻め史跡公園駐車場<写真01>までは、道がはっきりしており、御崎神社<写真39>から駐車場まではアスファルト道です。隠里池<写真24>西を南北に流れる川を渡った辺り周辺は工事中なので、通行には注意が必要です。

 鼓(つづみ)山登山口<写真06>から鼓山頂上<写真07>までは、低いササが茂っているところがありますが、踏み跡はわかります。
 最初は鉄塔巡視路で入口周辺は斜めに倒れかけた竹がたくさんありますが、頭上を気にせず歩けます。デコボコの土道には少し小石がゴロゴロしています。
 標高60m辺りの鉄塔の左右に中国電力のポールがあり、左(北)のほうに進むと細道で木の枝が少し邪魔になりました。すぐに右側の道と合流したので、右側の方が正規のルートだったのかもしれません。
 標高100m辺りから高さ20〜40cmのササが茂ってきますが、踏み跡はなんとなくわかります。

 鼓(つづみ)山頂上<写真07>からピーク181m<写真19、20>を経て巨石群その7<写真21>までは、はっきりした道はありませんが、かき分けなくても木の間を適当にぬって歩けます。
 鼓山頂上<写真07>から標高100m鞍部の南側辺りまでは、ビニール紐やビニールテープがあり、高さ20〜40cmのササの間の踏み跡を辿って歩けます。それを過ぎるとテープもササもなくなり、ピーク181m<写真19、20>を経て巨石群その7<写真21>まで木の間をぬって適当に歩きました。
 名越山裏山古墳群その1<写真10>から他の古墳を探して斜面を下りましたが、結局、見つかりませんでした。少し崩れやすいのですが、標高100m辺りに東西に延びる細道があり、地形図の実線の道に合流できそうでした。

 巨石群その7<写真21>から大平山頂上<写真22、23>を経て隠里池<写真24>まではよく整備されています。
 巨石群その7<写真21>を過ぎるとすぐに、ビニール紐やビニールテープが大量にある広い木漏れ日道になり、大平山頂上<写真22、23>まで快適でした。大平山頂上<写真22、23>から隠里池<写真24>方面に向かう道に入ると、前回は「ひっつき虫」の猛攻撃を受け、全身についた実をとるのが大変でしたが、今回は少し残っているだけでした。
 標高180m辺りで「ひっつき虫」は終わり、標高170mからしばらくはササやシダの間の細道が続きます。標高140m辺りから溝状に掘れた粘土道がありますが、3m程で終わるので、大雨以外は大丈夫でしょう。

 隠里池<写真24>から高松城水攻め史跡公園駐車場<写真01>までは、道がはっきりしています。隠里池<写真24>から延びる地形図の実線の道の入口周辺は、今回はササがきれいに刈られていました。
 勝負谷古墳群その1<写真25>を見に行くために幅1m足らずのところを渡渉しました。靴底が濡れる程度で問題ありません。古墳周辺は適当に歩きましたが、流しそうめん滝<写真28>からは細道のようになっており、すぐに地形図の実線の道に合流しアスファルト道になりました。
 隠里池<写真24>西を南北に流れる川を渡った辺り周辺は工事中で重機が入っています。今回は日曜日だったためか、作業は休みで重機のすぐ脇を通っても大丈夫でした。
 勝負谷古墳群その3開口部<写真30>撮影地点を過ぎて少し経つと土道になり、落ち葉で少し滑りやすいところや濡れてぬかるんだところがありますが、太閤岩<写真31>手前から歩きやすくなります。
その他周辺情報  高さ27mにも及ぶ巨大な大鳥居<写真01、37>を北北東に少し進んだ所に最上稲荷(さいじょういなり)があります。明治の神仏分離令の際、特別に「神仏習合」の祭祀形態が許された仏教の流れを汲む貴重な稲荷です。そのため、お寺でありながら鳥居をそなえ、神宮形式の本殿(霊光殿)があるなど神仏習合時代の形態を数多く残しています。岡山県周辺地域では日本三大稲荷の一つとしています。
01高松城水攻め史跡
      公園駐車場
広そうに見えますが、自動車は3台程でいっぱいになります。JR「備中高松」駅から徒歩でも来られます。蛇口の取っ手がなくなって手が洗えないトイレの右奥に最上稲荷大鳥居<写真37>が見えています。
01高松城水攻め史跡
      公園駐車場
広そうに見えますが、自動車は3台程でいっぱいになります。JR「備中高松」駅から徒歩でも来られます。蛇口の取っ手がなくなって手が洗えないトイレの右奥に最上稲荷大鳥居<写真37>が見えています。
02供養塚越しに蛙ヶ鼻築堤跡
黒田官兵衛の秘策により、秀吉は蛙ヶ鼻から約3km、高さ約7mの堤防を築いたとされています。蛙ヶ鼻(かわずがはな)は、石井山(石井山陣跡<写真35>周辺)の南に位置し、堤防の唯一残った史跡です。この北東の標高50m辺りには蛙ヶ鼻陣跡があります。
02供養塚越しに蛙ヶ鼻築堤跡
黒田官兵衛の秘策により、秀吉は蛙ヶ鼻から約3km、高さ約7mの堤防を築いたとされています。蛙ヶ鼻(かわずがはな)は、石井山(石井山陣跡<写真35>周辺)の南に位置し、堤防の唯一残った史跡です。この北東の標高50m辺りには蛙ヶ鼻陣跡があります。
03高松城水攻め史跡公園
蛙ヶ鼻(かわずがはな)の築堤遺構周辺は、高松城水攻め史跡公園として整備され、手前の柵列は築堤跡複製展示部分、後方は現存する堤です。国指定史跡です。
03高松城水攻め史跡公園
蛙ヶ鼻(かわずがはな)の築堤遺構周辺は、高松城水攻め史跡公園として整備され、手前の柵列は築堤跡複製展示部分、後方は現存する堤です。国指定史跡です。
04高松城水攻め築堤跡
         出土の骨
堤の基底部に使われた土俵(つちだわら)に混入していた骨です。
04高松城水攻め築堤跡
         出土の骨
堤の基底部に使われた土俵(つちだわら)に混入していた骨です。
05高松城水攻め築堤跡
   基底部の杭&土俵跡
平成10年、水攻築堤遺構状況確認のため、発掘調査が行われました。その結果、現在の水田の下約1mの所で基底部が確認されました。土俵(つちだわら)の跡のくぼみには氷が張っていました。
05高松城水攻め築堤跡
   基底部の杭&土俵跡
平成10年、水攻築堤遺構状況確認のため、発掘調査が行われました。その結果、現在の水田の下約1mの所で基底部が確認されました。土俵(つちだわら)の跡のくぼみには氷が張っていました。
06鼓(つづみ)山登山口
鼓(つづみ)山城は、1582年、織田信長の命により備中に侵攻した秀吉の左翼をかためる秀長(秀吉の弟)が山陽道からの毛利軍に対し布陣した所です。山陽自動車道のすぐ南に登山口がありました。
06鼓(つづみ)山登山口
鼓(つづみ)山城は、1582年、織田信長の命により備中に侵攻した秀吉の左翼をかためる秀長(秀吉の弟)が山陽道からの毛利軍に対し布陣した所です。山陽自動車道のすぐ南に登山口がありました。
07鼓山頂上(山城跡)
標高122mの鼓(つづみ)山頂上です。本丸跡が残っていますが、ササが茂ってよくわかりませんでした。秀長は本能寺の変(信長の死)を毛利方へ伝えようとしていた明智方の使者を捕らえ、秀吉に天下取りの勝機を作らせたといわれています。鼓山の麓に使者の墓があるそうです。
07鼓山頂上(山城跡)
標高122mの鼓(つづみ)山頂上です。本丸跡が残っていますが、ササが茂ってよくわかりませんでした。秀長は本能寺の変(信長の死)を毛利方へ伝えようとしていた明智方の使者を捕らえ、秀吉に天下取りの勝機を作らせたといわれています。鼓山の麓に使者の墓があるそうです。
08鼓山3号墳開口部
鼓山の頂上にあります。石室は全長6mで天井石が露出しています。4基ある古墳のうち、石室が確認できるのは3号墳だけだそうです。
08鼓山3号墳開口部
鼓山の頂上にあります。石室は全長6mで天井石が露出しています。4基ある古墳のうち、石室が確認できるのは3号墳だけだそうです。
09名称未定古墳開口部
名越山裏山古墳群の西に名称未定の古墳が2基あります。これは東側のほうで天井石が露出していました。石室は全長5mだそうです。西側の古墳は開口部が30cm程しかなかったのでスルーしました。
09名称未定古墳開口部
名越山裏山古墳群の西に名称未定の古墳が2基あります。これは東側のほうで天井石が露出していました。石室は全長5mだそうです。西側の古墳は開口部が30cm程しかなかったのでスルーしました。
10名越山裏山古墳群
       その1開口部
名越山裏山古墳群8基のうち、開口部がわかるのはこれだけのようです。大きな天井石1枚がなんとか載っています。周辺には墳丘と天井石の一部が見える古墳があっちこっちにありました。南東に下って岡山県の埋蔵文化財に載っていない古墳を見に行きましたが、見つけられませんでした。
10名越山裏山古墳群
       その1開口部
名越山裏山古墳群8基のうち、開口部がわかるのはこれだけのようです。大きな天井石1枚がなんとか載っています。周辺には墳丘と天井石の一部が見える古墳があっちこっちにありました。南東に下って岡山県の埋蔵文化財に載っていない古墳を見に行きましたが、見つけられませんでした。
11巨石群その1
ピーク181mの西尾根は磐座(いわくら)や古墳など巨石群だらけです。これは、前回よりも少し南を通ったので見つけられた巨石群です。岡山県の埋蔵文化財に載っている磐座3つのうちの1つだろうと思います。
1
11巨石群その1
ピーク181mの西尾根は磐座(いわくら)や古墳など巨石群だらけです。これは、前回よりも少し南を通ったので見つけられた巨石群です。岡山県の埋蔵文化財に載っている磐座3つのうちの1つだろうと思います。
12巨石群その1別角度から
東側に巨石が連なっています。これはほんの一部です。写真を撮って東に進み、引き返すと巨石がサークル状になっているのがわかったので、動画を撮りました。
12巨石群その1別角度から
東側に巨石が連なっています。これはほんの一部です。写真を撮って東に進み、引き返すと巨石がサークル状になっているのがわかったので、動画を撮りました。
13巨石群その1東端
ここから西に戻りながら動画を撮りました。かなり広範囲に巨石があるのがわかります。
13巨石群その1東端
ここから西に戻りながら動画を撮りました。かなり広範囲に巨石があるのがわかります。
14巨石群その2
これも前回は見つけられなかった巨石群です。その1<写真11〜13>に比べると規模はかなり小さいのですが、磐座(いわくら)の可能性は十分あります。
14巨石群その2
これも前回は見つけられなかった巨石群です。その1<写真11〜13>に比べると規模はかなり小さいのですが、磐座(いわくら)の可能性は十分あります。
15巨石群その3
これは前回も見た巨石群です。左奥にほぼ垂直の断面を持つ巨石がありますが、加工の跡なのでしょうか。動画も撮りました。
15巨石群その3
これは前回も見た巨石群です。左奥にほぼ垂直の断面を持つ巨石がありますが、加工の跡なのでしょうか。動画も撮りました。
16巨石群その4
これも前回も見た巨石群です。古墳のようにも見えます。
16巨石群その4
これも前回も見た巨石群です。古墳のようにも見えます。
17巨石群その5
ずいぶん大きく、遠目には1枚岩のように見えました。前回なぜ見落としたのか不思議です。
17巨石群その5
ずいぶん大きく、遠目には1枚岩のように見えました。前回なぜ見落としたのか不思議です。
18巨石群その5別角度から
巨石群の角には割れ目がありました。こうしてみると、石をたくさん集めてきたようにも思えます。
18巨石群その5別角度から
巨石群の角には割れ目がありました。こうしてみると、石をたくさん集めてきたようにも思えます。
19ピーク181m巨石群その6
少しこんもりしたピーク181mのすぐ手前から撮りました。周辺にはピークを囲むように巨石が並んでいます。磐座(いわくら)かもしれません。
19ピーク181m巨石群その6
少しこんもりしたピーク181mのすぐ手前から撮りました。周辺にはピークを囲むように巨石が並んでいます。磐座(いわくら)かもしれません。
20ピーク181m巨石群
      その6上から
ピーク181mのてっぺんに巨石が載っています。同じ大きさに加工した巨石を重ねたようにも思えます。
20ピーク181m巨石群
      その6上から
ピーク181mのてっぺんに巨石が載っています。同じ大きさに加工した巨石を重ねたようにも思えます。
21巨石群その7
前回も見た巨石群です。一直線に並んだ巨石の間は幅数十cmくらいでほぼ一定です。周辺はやはり巨石がサークル状になっています。磐座のような気がします。歩きながら動画も撮りました。
21巨石群その7
前回も見た巨石群です。一直線に並んだ巨石の間は幅数十cmくらいでほぼ一定です。周辺はやはり巨石がサークル状になっています。磐座のような気がします。歩きながら動画も撮りました。
22大平山頂上三角点
標高191.4mの大平山頂上三角点です。その名の如く山頂は平たく、周囲に高い山が少ないため、視界が良い日はパノラマ展望を楽しむことができます。この日は霞んでおり遠くの方ははっきり見えませんでした。
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22大平山頂上三角点
標高191.4mの大平山頂上三角点です。その名の如く山頂は平たく、周囲に高い山が少ないため、視界が良い日はパノラマ展望を楽しむことができます。この日は霞んでおり遠くの方ははっきり見えませんでした。
23大平山頂上より最上稲荷
最上稲荷は日本三大稲荷の一つです(諸説あり)。明治の神仏分離令の際、特別に神仏習合の祭祀形態が許された仏教の流れを汲む貴重な稲荷です。そのため、お寺でありながら鳥居をそなえ、神宮形式の本殿(霊光殿)があるなど、神仏習合時代の形態を数多く残しています。
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23大平山頂上より最上稲荷
最上稲荷は日本三大稲荷の一つです(諸説あり)。明治の神仏分離令の際、特別に神仏習合の祭祀形態が許された仏教の流れを汲む貴重な稲荷です。そのため、お寺でありながら鳥居をそなえ、神宮形式の本殿(霊光殿)があるなど、神仏習合時代の形態を数多く残しています。
24隠里池
大平山の南西尾根を標高50mまで下ってくると、静かな隠里池が出てきました。ピーク181m<写真19、20>方面が見えています。
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24隠里池
大平山の南西尾根を標高50mまで下ってくると、静かな隠里池が出てきました。ピーク181m<写真19、20>方面が見えています。
25勝負谷古墳群その1開口部
30基以上ある勝負谷古墳群のうち、まだ見たことがない古墳を探しに行きました。開口部はかなり埋もれていました。
25勝負谷古墳群その1開口部
30基以上ある勝負谷古墳群のうち、まだ見たことがない古墳を探しに行きました。開口部はかなり埋もれていました。
26勝負谷古墳群
   その1石室内部
腹這いになってのぞいてみると、高さはけっこうありました。2mだそうです。
26勝負谷古墳群
   その1石室内部
腹這いになってのぞいてみると、高さはけっこうありました。2mだそうです。
27勝負谷古墳群その2開口部
その1<写真25、26>の隣に大きな墳丘がありましたが、開口部はほふく前進しても入れそうにありませんでした。
27勝負谷古墳群その2開口部
その1<写真25、26>の隣に大きな墳丘がありましたが、開口部はほふく前進しても入れそうにありませんでした。
28流しそうめん滝⁉
幅5cm、落差2m程です。おもしろかったので動画も撮りました。
28流しそうめん滝⁉
幅5cm、落差2m程です。おもしろかったので動画も撮りました。
29勝負谷古墳群
     その3石室内部
田んぼの脇にあります。高さは2mもあるのに、奥行きは3mもなさそうでした。
29勝負谷古墳群
     その3石室内部
田んぼの脇にあります。高さは2mもあるのに、奥行きは3mもなさそうでした。
30勝負谷古墳群その3開口部
道から全景が見えます。大きいのですぐわかりました。
30勝負谷古墳群その3開口部
道から全景が見えます。大きいのですぐわかりました。
31太閤岩
備中高松城を見下ろすことができる石井山の奥にあるのが、秀吉が腰掛けていたとされる太閤岩です。秀吉は、生涯4度の水攻めをしましたが、完全に成功したのは最初の高松城だけでした。
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31太閤岩
備中高松城を見下ろすことができる石井山の奥にあるのが、秀吉が腰掛けていたとされる太閤岩です。秀吉は、生涯4度の水攻めをしましたが、完全に成功したのは最初の高松城だけでした。
32観音山古墳群その1開口部
20基ちかくある古墳のうち、開口部が見られる数少ない古墳です。
32観音山古墳群その1開口部
20基ちかくある古墳のうち、開口部が見られる数少ない古墳です。
33観音山古墳群
     その1石室内部
カメラだけ突っ込んでみました。小さめの石が積まれています。
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33観音山古墳群
     その1石室内部
カメラだけ突っ込んでみました。小さめの石が積まれています。
34秀吉公の軍馬繋留地跡
「右下の谷」がそうらしいのですが、よくわかりませんでした。南側でしょうか。
34秀吉公の軍馬繋留地跡
「右下の谷」がそうらしいのですが、よくわかりませんでした。南側でしょうか。
35石井山陣跡&持寶院跡
秀吉は備中高松城の水攻めの際に本陣をここ持寶院に置きました。持寶院は現在<写真38>の位置にあります。備中高松城方面が見えます。
35石井山陣跡&持寶院跡
秀吉は備中高松城の水攻めの際に本陣をここ持寶院に置きました。持寶院は現在<写真38>の位置にあります。備中高松城方面が見えます。
36清水宗治公の首塚跡
1582年6月4日、秀吉の講和条件として自刃した高松城主清水宗治公の首級は、秀吉の本陣だったここ石井山持寶院境内に葬られ、一基の五輪塔を建立されたといわれています。現在は、高松城の本丸跡に移転しています。
36清水宗治公の首塚跡
1582年6月4日、秀吉の講和条件として自刃した高松城主清水宗治公の首級は、秀吉の本陣だったここ石井山持寶院境内に葬られ、一基の五輪塔を建立されたといわれています。現在は、高松城の本丸跡に移転しています。
37最上稲荷大鳥居
持宝院に向かう途中、最上稲荷の大鳥居が見えました。昭和47年(1972)に建立されたもので、高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模を誇ります。平成26年(2014)に改修工事が行われました。
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37最上稲荷大鳥居
持宝院に向かう途中、最上稲荷の大鳥居が見えました。昭和47年(1972)に建立されたもので、高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模を誇ります。平成26年(2014)に改修工事が行われました。
38持宝院境内十一面観音石仏
独特の顔と、線彫りされた体部が特徴の高松地区を中心とする地域固有の石仏で、代表的な製作者の名をとって文英石仏と呼ばれています。天文14年(1545年)の銘があるそうです。
38持宝院境内十一面観音石仏
独特の顔と、線彫りされた体部が特徴の高松地区を中心とする地域固有の石仏で、代表的な製作者の名をとって文英石仏と呼ばれています。天文14年(1545年)の銘があるそうです。
39御崎神社拝殿&本殿
備中高松城水攻めの際の堀尾吉晴(堀尾茂助)の陣跡といわれています。また、円墳である御崎神社古墳があります。神社の詳細は不明です。最上稲荷大鳥居<写真37>を正面に見ながら石段を下りました。
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39御崎神社拝殿&本殿
備中高松城水攻めの際の堀尾吉晴(堀尾茂助)の陣跡といわれています。また、円墳である御崎神社古墳があります。神社の詳細は不明です。最上稲荷大鳥居<写真37>を正面に見ながら石段を下りました。

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 防寒具 手袋(防水加工) 軍手 雨具 日よけ帽子とフード 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 サブザック ザックカバー 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 携帯 時計(防水) タオル カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(山使用可能) eTrex30(GPSナビゲーター)

感想

“(備中)高松城”
豊臣秀吉ファンなら誰もが知る秀吉の天下取りのターニングポイントとなった場所です。今回のコースはそんな秀吉が辿った史跡や想像以上に満ちていた巨石群、古墳群を周りました。

 湿地にあり沼城と言われた備中高松城を宇喜多軍と共に3万という大軍で攻めた秀吉軍は苦戦を強いられます。 そこで、黒田官兵衛の進言により、水のために攻めにくい城を逆に水によって攻めることになります。 築堤工事はわずか12日間で完成し、足守川の水を引き込むことで、高松城を完全に浮城にしました。
 しかし、そこに突如舞い込んだ織田信長の死の知らせ。謀反を起こした明智光秀を討てば天下が自分に転がり込んでくると、 黒田官兵衛より助言を受けた秀吉は、備中高松城主清水宗治の毛利氏や家臣への忠義を利用し、戦わずして自害に追い込みました。そして、すぐに明智光秀を討つべき帰京…
 個人的には農民出身の秀吉が天下取りを可能としたターニングポイントとなったのがこの高松城水攻めだと思っています。そんな秀吉や対峙した清水宗治ゆかりの貴重な史跡がいくつか残っています。地元では「悲劇の武将」清水宗治は絶大な人気を誇っていますが、秀吉の正室ねねの兄が足守藩主だったこともあり、秀吉への思いは複雑なようです。
 ちなみに、高松城の水攻めを機に天下取りに突き進んだ豊臣秀吉は、秀吉の息子秀頼の時に、徳川軍にだまされ大坂(おおさか)城の堀を埋めてしまい、水による防御を失い滅亡させられます。そうした“水”という視点から歴史を紐解くのもなかなかおもしろいものです。



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