岡山県津山市 矢筈山 難攻不落の山城に咲く東限の玄海ツツジ



- GPS
- 04:28
- 距離
- 8.0km
- 登り
- 530m
- 下り
- 531m
コースタイム
- 山行
- 3:50
- 休憩
- 0:36
- 合計
- 4:26
歩行距離8km、歩行時間4時間、歩行数15,100歩、消費カロリー1,750Kcal
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
津山市加茂町知和(ちわ)にある千磐(ちわ)神社横に駐車場<写真01>があります。「知和コース」はこの神社<写真02>が登山口となります。 【電車】 JR因美(いんび)線の知和駅からスタートし、知和コースを進み、美作(みまさか)河井駅でゴールできます。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所は2か所です。これ以外はよく整備された落ち葉道やアスファルト道です。なお、内構(うちがまえ)<写真43>は、東からアプローチしピストンするのが無難です。南下したら採石場に出てしまいました。休日でよかったです。 危険箇所1つめは、美作(みまさか)河井駅<写真37>からスタートする山下(さんげ)登山コースの若宮神社<写真32>辺りから標高390m辺りまでです。まだ歩けますが、雨天や雨後は避けたほうがいいでしょう。 林道が崩壊しているようで、30〜40cm程陥没して小石だらけになっているところが断続的にあります。まるで小石でできた幅1〜2m程の川底のようです。雨天や雨後しばらくは川のようになりそうです。また、崩壊していない部分も地盤が緩くなっていると陥没する恐れがあります。 危険箇所2つめは、矢筈山頂上(大筈)<写真19>から小筈頂上<写真21>までです。アセビ越しに広戸仙<写真18>撮影地点辺りから木の間の細い踏み跡があります。ほぼ垂直に下りて登り返す感じで、周辺の丈夫な木を掴んで滑らないよう気を付けました。ピストンしましたが、上りも下りもなかなかのものでした。 木の枝で動きにくくなってきたら、ゲンカイツツジ咲き始め<写真20>撮影地点までは東寄りに、それ以降は西寄りに空間を探すといいでしょう。往路は踏み跡から逸れて歩きにくい所に入り込んでしまいましたが、復路は多少楽でした。 周辺はゲンカイツツジの東限で郷土自然保護地域に指定されています。歩行時は足元などに注意し、我が身とゲンカイツツジをはじめとする植物たちの安全を確保しましょう。 その他、コース状況の詳細は、周辺情報下欄の添付ファイルで確認できます。また、千磐(ちわ)神社<写真03,04>の拝殿の西側に備え付けられた木箱の中に入っている登山地図とガイドも一緒に添付しておきました。 |
その他周辺情報 | 津山市加茂町は国土交通省が選定した「全国水の郷百選」にも選ばれています。加茂町の川には、オオサンショウウオがたくさん生息しています。非常にきれいな水にしか住めないこの両生類は、全国的に環境破壊で絶滅しつつあるので、国の天然記念物として保護されています。 |
ファイル |
(更新時刻:2018/04/02 19:30)
(更新時刻:2018/04/02 13:49)
(更新時刻:2018/04/02 13:49)
|
写真
千磐(ちわ)神社は、元は王子権現と称し素戔嗚命(すさのおのみこと)をご祭神としていました。古くはちいわ(千磐)でしたが、音がちわに変わり、地名などは「知和」の漢字を当てるようになったようです。境内には矢筈城城主草苅(くさかり)家の守護神として奉祀された矢筈(やはず)神社があります。この石段を上っていくと…
御神木の二又の大杉は、推定樹齢660年、樹高約40mです。臥龍(がりゅう)藤は推定樹齢600年で、大杉に絡まる様が大蛇が臥せている姿に似ていることから名付けられました。津山市の天然記念物である両者が微妙に絡まって天に伸びている神秘的なシーンを動画に撮りました。
千磐(ちわ)神社ルートから最初に到達する曲輪(くるわ)の成興寺丸(じょうこうじまる)跡です。東西30間(約55m)、南北8間(約15m)の規模で、草苅(くさかり)氏の菩提寺である寺が置かれたことからきています。
二の丸は本丸の西隣にあり、東西22間(約40m)、南北10間(約18m)の広さです。ここから大ヶ山(だいがせん)が見えました。山下(さんげ)登山コースは美作(みまさか)河井駅から登りここへ出てきます。360度動画を撮りました。
矢筈山(やはずやま)西尾根にも咲き始めの木がありましたが、頂上直下からは満開でした。ここから本丸である頂上周辺を歩きながら動画を撮りました。北東には桜尾山、北北西には大ヶ山(だいがせん)、北西にはうっすら角ヶ仙(つのがせん)、西にぼんやり泉山(いずみがせん)、南東に広戸仙(ひろどせん)&滝山&那岐山(なぎさん)と人気の山がたくさん見えました。
この辺りが矢筈山頂上の東端で、さらに東にある小筈に向かって踏み跡があります。ここから南東にアセビ越しに広戸仙(ひろどせん)が見えました。南尾根には標高1075.4m三角点のある 爪ヶ城跡があります。
矢筈山頂上<写真19>から木を掴みながらほぼ垂直に下りていると、咲き始めのゲンカイツツジがありました。岩場に生えるツツジ科の低木で、コバノミツバツツジよりも色が濃くダイセンミツバツツジくらいです。また、花の形はシャクナゲに似ています。ツツジの仲間の中では特に早咲きです。
咲き始め
大筈(矢筈山頂上)<写真19>の東にある狭いピークは小筈と呼ばれ、ゲンカイツツジの自生地の東限といわれています。3,4人立つと一杯になるほどの狭い場所のあちらこちらに小さなゲンカイツツジが生えており、ちょうど咲き始めでした。満開になると足の踏み場に困るかもしれません。この時季でよかったです。
土塁越しに桜尾山
土塁は敵の侵入を防ぐために土を盛り上げたものですが、矢筈城跡では岩盤をそのまま利用したものもたびたび見られました。北東に標高956.3m頂上三角点のある桜尾山が見えています。
樹皮は和紙の材料になります。岡山県北部は大蔵省印刷局への局納ミツマタ栽培地です。ここは道沿いに数本だけなので、自生しているものでしょう。うっすら日が当たっているのはこの木だけでした。動画も撮りました。
矢筈城第二代城主草苅(くさかり)景継の若宮を祀っています。尼子氏から離れ毛利氏を主君とした景継でしたが、天正3年(1575年)、秀吉の誘いを受けて信長側についたことを小早川隆景に知られ、草苅家存続と引き換えに城内で自刃しました。若宮もそのときに道連れになったのかもしれません。天正12年(1584年)、景継の弟である第三代城主重継らが廃城によりこの地を去った頃、幼児の泣き声に気づいた村人が若君の霊を慰めるために祠を建てたといわれています。
&美作河井駅
美作(みまさか)河井転車台は1872年(明治5年)に開業した東京・新橋駅にあったものと同じサイズ(12m40cm)の輸入品で、完全な形で残っているのはここだけです。鳥取方面からの除雪車の方向転換に使われたと言われています。その後、埋もれていたものを全国から集まった鉄道ファンが2007年に掘り起こし、現在に至ります。
体長は3cm近くありました。翅には複雑な網目模様があり、胴体は黄色っぽかったように思います。時季や大きさからモンカゲロウかと思ったのですが、尾が2本しかないようなので違うかもしれません。連れの手首に止まっており、カメラを近づけると怖がってビクビクしていましたが、なんとか1枚だけ撮らせてくれました。
1931年9月に開業した岡山県と鳥取県の県境駅です。駅舎入口からは開業当時のままの木造の温かみのある小荷物窓口と切符売場が見えています。ちなみに、千磐(ちわ)神社駐車場<写真01>から徒歩数分の知和(ちわ)駅も同時期開業の木造駅舎で、こちらは秘境駅百選にも選ばれており人気コミック「のんのんびより」第2巻の帯に描かれています。下山後に立ち寄るのを忘れてしまいました。
頂上周辺をズームしてみました。右側が標高756.3m頂上三角点<写真19>のある大筈、ほぼ垂直に切れ落ちた谷を挟んで左側がゲンカイツツジ<写真20、25>の東限である小筈<写真21>です。これを上り下りしたのだと思うと感慨深いです。
知和(ちわ)集落より矢筈山の北西尾根を見ると、採石現場に出くわしました。宇喜多氏や秀吉などにたびたび攻められながらも、備中高松城合戦の和議条件として天正12年(1584年)に廃城となるまで一度も落城しなかった矢筈城の土台を見たような気がしました。この岩山が戦国時代に城を支え、現在はその山肌を削られながら人々の生活を支えているのだと思うと、様々な思いがこみ上げてきます。城跡には影響のない部分だとは思いますが…
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
サブザック
ザックカバー
地形図
コンパス
マップケース
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
|
---|
感想
矢筈山(やはずやま)には岡山県内最大の中世城跡である矢筈城跡(高山城跡)があり、 東西1,600m、南北に500mの規模誇ります。山城好きの自分にとっては、非常に有意義な時を過ごすことができました。
矢筈城が中世の城には珍しく一度も落城しなかったのはなぜか? 城主だった草苅(くさかり)氏は戦国大名の毛利氏についたために、宇喜多直家・秀家や羽柴秀吉等の有力武将からたびたび攻撃を受けました。しかし、備中高松の合戦の和議により1584年に廃城となるまで矢筈城を死守しました。今回は、急斜面に設けられた堀切や岩盤を利用した土塁など、矢筈山の特異な地形を利用した難攻不落の山城の秘密を垣間見ることができました。登山口にわかりやすく貴重な資料をセットしてくださった「矢筈城跡保存会」の方々に感謝します。
今回の山行のもう一つの目的、それはこの矢筈山がゲンカイツツジの日本の自生地の東限であるということを確かめることでした。矢筈山頂上(大筈)までは、それらしきものを見ることはできませんでした。しかし、ゲンカイツツジの自生地はさらに東にある小筈(こはず)だと言われています。そこで、意を決して小筈に行くことにしました。
<写真40>の山容を見てもらうとわかると思いますが、大筈から小筈に行く道はとても険しく、特に下りは木を掴まないと歩けません。下りが苦手な連れが道から外れて木の枝に絡まって動けなくなっているのを見たときには、あきらめようかと思いました。しかし、”東限のゲンさん”に一目会いたいと必死の連れは、絡まる木の枝からなんとか脱出し、大筈からの下り斜面と小筈の頂上で咲いているのを見ることができました。
岡山県下では南西部でも見られます。一度だけ雰囲気の違うコバノミツバツツジが咲いていると不思議に思った記憶がありますが、鬼城山(きのじょうさん)だったかもしれません。
帰路は二の丸から美作(みまさか)河井駅に向かう山下(さんげ)コースを進みました。このコース上でタムシバ、ミツマタ、ミヤマカタバミなどの春花が開花しているのを次々と見ることができました。加茂川沿いに何か所かある桜並木は、それぞれ数本ずつの規模ですが、そろそろ咲きそうでした。周辺情報下欄の添付ファイルにコース状況として書き込んでおきましたので、また花見の時には参考にしたいと思います。
自宅からの行き帰りでは、車窓から桜並木を何度も眺められました。赤磐市のネオポリス(桜が丘団地)をはじめ、赤磐市周匝(すさい)の城山公園周辺、美咲町の柵原(やなはら)ふれあい鉱山公園周辺、津山市の鶴山公園周辺などは川沿いの大規模な桜並木の桜が満開で見飽きるほどでした。
秘境駅、城跡、旬の花々など見どころいっぱいで帰宅まで楽しい時間を過ごせました。充実した一日でした。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する