01福生寺三重塔越しに
高津山西尾根
福生寺は天平勝宝6(754)年に鑑真により創建され、報恩大師が備前48か寺の1つとしたとされています。三重塔は1441年室町幕府6代将軍足利義教により建立されたといわれ、国の重要文化財に指定されています。背景には高津山の西尾根が見えました。
0
01福生寺三重塔越しに
高津山西尾根
福生寺は天平勝宝6(754)年に鑑真により創建され、報恩大師が備前48か寺の1つとしたとされています。三重塔は1441年室町幕府6代将軍足利義教により建立されたといわれ、国の重要文化財に指定されています。背景には高津山の西尾根が見えました。
02実相院大元帥明王堂
実相院は、一時は33もあったといわれる福生寺の坊の1つです。大元帥明王(だいげんすいみょうおう)は国土を守る神としてあがめられたので、室町時代などの戦乱期に祀られたとしても不思議ではありません。
0
02実相院大元帥明王堂
実相院は、一時は33もあったといわれる福生寺の坊の1つです。大元帥明王(だいげんすいみょうおう)は国土を守る神としてあがめられたので、室町時代などの戦乱期に祀られたとしても不思議ではありません。
03実相院アジサイ
西法院はたくさんのアジサイ観賞客で賑わっているようでしたが、実相院の方は無人で独り占め状態でした。アジサイは2本だけで、もう1本のほうは色づき始めでした。
1
03実相院アジサイ
西法院はたくさんのアジサイ観賞客で賑わっているようでしたが、実相院の方は無人で独り占め状態でした。アジサイは2本だけで、もう1本のほうは色づき始めでした。
04屏風岩北側の岩
屏風岩に近づいたことを最初に知らせてくれるランドマークとなる岩です。ロッククライマーだけが登攀を許されるほど鋭利な岩です。
1
04屏風岩北側の岩
屏風岩に近づいたことを最初に知らせてくれるランドマークとなる岩です。ロッククライマーだけが登攀を許されるほど鋭利な岩です。
05屏風岩全景
屏風岩を西側から望んだ全体像です。屏風らしき景観は南西壁面ですが、このアングルから見た屏風岩も迫力があります。左に見えているのが北側の岩<写真04>です。動画も撮りました。ホオジロとウグイスのさえずりがいいBGMになりました。
0
05屏風岩全景
屏風岩を西側から望んだ全体像です。屏風らしき景観は南西壁面ですが、このアングルから見た屏風岩も迫力があります。左に見えているのが北側の岩<写真04>です。動画も撮りました。ホオジロとウグイスのさえずりがいいBGMになりました。
06屏風岩南側の岩
全景<写真05>の右側の岩場をズームしてみました。とりあえず、今回はこの巨大な岩場まで行くことにしました。親水の森から西急斜面の鉄塔巡視路を登り、最後は細い踏み跡を辿りました。
0
06屏風岩南側の岩
全景<写真05>の右側の岩場をズームしてみました。とりあえず、今回はこの巨大な岩場まで行くことにしました。親水の森から西急斜面の鉄塔巡視路を登り、最後は細い踏み跡を辿りました。
07屏風岩頂上より
不老山&医王山
真ん中に鬼ヶ城池、その向こうに備前焼のメッカ伊部(いんべ)の町並みが見えます。その両サイドに向かって左が不老山、右に医王山が見えました。
0
07屏風岩頂上より
不老山&医王山
真ん中に鬼ヶ城池、その向こうに備前焼のメッカ伊部(いんべ)の町並みが見えます。その両サイドに向かって左が不老山、右に医王山が見えました。
08屏風岩頂上より南東の岩場
屏風岩の岩場は南西方面に集中していますが、南東側にも見られました。もしかしたら、視界に入らない斜面にもたくさんの岩場があるのかもしれません。
0
08屏風岩頂上より南東の岩場
屏風岩の岩場は南西方面に集中していますが、南東側にも見られました。もしかしたら、視界に入らない斜面にもたくさんの岩場があるのかもしれません。
09屏風岩南尾根より南の岩場
屏風岩の南に延びている尾根を行ける所まで行った先に大きな岩場が出てきました。360度パノラマ展望ですが、頂上に立つのは危険と判断し、見るだけに留めました。
1
09屏風岩南尾根より南の岩場
屏風岩の南に延びている尾根を行ける所まで行った先に大きな岩場が出てきました。360度パノラマ展望ですが、頂上に立つのは危険と判断し、見るだけに留めました。
10屏風岩南尾根より
高倉稲荷南小ピーク
ミニ富士のような存在感がありました。この岩場からもう少し南に下れそうでしたが、引き返すことにして動画を撮りました。
0
10屏風岩南尾根より
高倉稲荷南小ピーク
ミニ富士のような存在感がありました。この岩場からもう少し南に下れそうでしたが、引き返すことにして動画を撮りました。
11モチツツジ
屏風岩頂上<写真07,08>周辺はさすがに咲き終わっていましたが、なぜかここに1つだけ咲いていました。熊山はたいてい冬場に行くので、ここでモチツツジを見たのは初めてでした。
1
11モチツツジ
屏風岩頂上<写真07,08>周辺はさすがに咲き終わっていましたが、なぜかここに1つだけ咲いていました。熊山はたいてい冬場に行くので、ここでモチツツジを見たのは初めてでした。
12ササユリ
道の脇に1株だけありました。この時季の熊山は初めてだったので、ササユリが見られるのは知りませんでした。
2
12ササユリ
道の脇に1株だけありました。この時季の熊山は初めてだったので、ササユリが見られるのは知りませんでした。
13展望の森展望台
文字通り、展望の効く休憩舎です。近くまで自動車でアプローチすることも可能です。
0
13展望の森展望台
文字通り、展望の効く休憩舎です。近くまで自動車でアプローチすることも可能です。
14展望の森岩盤より
南東方面景観
展望台<写真13>のすぐ近くにある岩盤です。ここからの方がすばらしい景観が望めます。
0
14展望の森岩盤より
南東方面景観
展望台<写真13>のすぐ近くにある岩盤です。ここからの方がすばらしい景観が望めます。
15展望の森岩盤より
片上湾&瀬戸内海諸島展望
岩盤<写真14>からの片上湾と瀬戸内海諸島(日生諸島)の景観です。真ん中の片上大橋を境に、手前に前島、向こう側に日生諸島の曽島や鴻島などが見えました。動画も撮りました。
1
15展望の森岩盤より
片上湾&瀬戸内海諸島展望
岩盤<写真14>からの片上湾と瀬戸内海諸島(日生諸島)の景観です。真ん中の片上大橋を境に、手前に前島、向こう側に日生諸島の曽島や鴻島などが見えました。動画も撮りました。
16大滝山頂上三角点
緩やかな広い道を歩いていると、道端に突如現れます。標高425.1mの三角点(点名:大滝山)です。ここから尺八山に向けて進みましたが…
0
16大滝山頂上三角点
緩やかな広い道を歩いていると、道端に突如現れます。標高425.1mの三角点(点名:大滝山)です。ここから尺八山に向けて進みましたが…
17尺八山上空に筋雲
北東から見た尺八山です。素朴な形をしていますが、上空の筋雲とのコラボで美しく見えました。取り付き点をスルーして1本北側の道に入ってしまったので、頂上を巻いてしまいました(>_<)以前行ったときは、頂上は通過点のような感じで展望が効かなかったように思います。
0
17尺八山上空に筋雲
北東から見た尺八山です。素朴な形をしていますが、上空の筋雲とのコラボで美しく見えました。取り付き点をスルーして1本北側の道に入ってしまったので、頂上を巻いてしまいました(>_<)以前行ったときは、頂上は通過点のような感じで展望が効かなかったように思います。
18ネジキ
尺八山の北側の道にはたくさん花が落ちていました。この1本だけまだギリギリ満開でした。樹皮の模様により幹がねじれているように見えるそうですが、いつも花に夢中で確認するのを忘れてしまいます。
1
18ネジキ
尺八山の北側の道にはたくさん花が落ちていました。この1本だけまだギリギリ満開でした。樹皮の模様により幹がねじれているように見えるそうですが、いつも花に夢中で確認するのを忘れてしまいます。
19ミヤコイバラ
ノイバラに似ていますが、花は直径2.5cm程と少し大きく、茎に細かい毛があります。この道沿いにしばしば見られました。
1
19ミヤコイバラ
ノイバラに似ていますが、花は直径2.5cm程と少し大きく、茎に細かい毛があります。この道沿いにしばしば見られました。
20熊山神社鳥居越しに拝殿
切妻平入り神明造りの本殿で、祭神は大国主命です。熊山山頂付近には中世「帝釈山霊山寺」の伽藍があり熊山神社はその鎮守でした。明治初期の神仏分離令により開扉しました。
0
20熊山神社鳥居越しに拝殿
切妻平入り神明造りの本殿で、祭神は大国主命です。熊山山頂付近には中世「帝釈山霊山寺」の伽藍があり熊山神社はその鎮守でした。明治初期の神仏分離令により開扉しました。
21稲荷社
&児島三郎高徳挙兵の跡
建武中興(1334年)の初め、後醍醐天皇が西遷させられる時に、児島高徳が義旗をあげ、皇師の軍を起した場所とされています。
0
21稲荷社
&児島三郎高徳挙兵の跡
建武中興(1334年)の初め、後醍醐天皇が西遷させられる時に、児島高徳が義旗をあげ、皇師の軍を起した場所とされています。
22熊山天然杉
熊山神社と熊山遺跡とを結ぶ山道脇には、「熊山天然杉」と呼ばれる2本の杉が並んでいます。樹齢は1000年ほどで、その高さは38m、幹まわりも4.5mと巨大で、赤磐市の天然記念物に指定されています。動画も撮りました。
0
22熊山天然杉
熊山神社と熊山遺跡とを結ぶ山道脇には、「熊山天然杉」と呼ばれる2本の杉が並んでいます。樹齢は1000年ほどで、その高さは38m、幹まわりも4.5mと巨大で、赤磐市の天然記念物に指定されています。動画も撮りました。
23熊山遺跡
国の史跡名勝記念物に指定されています。一辺が約12mからなる基底部の上に3段の基壇を積み重ねた石積遺構で、内部の竪穴石室には、かつて等身大の陶製筒型容器や奈良三彩の小壺などがおさめられていました。現在では奈良時代前期に築かれた仏塔であると考えられています。いつももっと近くから撮るのですが、ここからのほうが木々に囲まれていい雰囲気に見えました。
0
23熊山遺跡
国の史跡名勝記念物に指定されています。一辺が約12mからなる基底部の上に3段の基壇を積み重ねた石積遺構で、内部の竪穴石室には、かつて等身大の陶製筒型容器や奈良三彩の小壺などがおさめられていました。現在では奈良時代前期に築かれた仏塔であると考えられています。いつももっと近くから撮るのですが、ここからのほうが木々に囲まれていい雰囲気に見えました。
24熊山展望台下より
吉井川&大谷山
展望台にはお話し中の方々がおられたので、すぐ下から撮りました。吉井川が芸術的に蛇行していました。
0
24熊山展望台下より
吉井川&大谷山
展望台にはお話し中の方々がおられたので、すぐ下から撮りました。吉井川が芸術的に蛇行していました。
25熊山展望台下より小豆島
ここからも瀬戸内市の山越しに小豆島が見えました。右のほうをズームすると白っぽい塔のような物が見えますが、小豆島大観音仏歯寺のご本尊だそうです。
0
25熊山展望台下より小豆島
ここからも瀬戸内市の山越しに小豆島が見えました。右のほうをズームすると白っぽい塔のような物が見えますが、小豆島大観音仏歯寺のご本尊だそうです。
26七世紀頃
秦氏が掘った井戸
直径1m足らずの小さな井戸ですが、山中ではとてもありがたい存在だったのでしょう。秦氏は熊山の南麓(現備前市香登)に住み、製鉄や土木などの諸技術を持っていた渡来系の一族です。この井戸をはじめ、熊山山塊の数々の石積遺跡は秦氏と関係があるともいわれています。瀬戸内市長船(おさふね)町の刀鍛冶の技術の発達にも貢献したかもしれません。
0
26七世紀頃
秦氏が掘った井戸
直径1m足らずの小さな井戸ですが、山中ではとてもありがたい存在だったのでしょう。秦氏は熊山の南麓(現備前市香登)に住み、製鉄や土木などの諸技術を持っていた渡来系の一族です。この井戸をはじめ、熊山山塊の数々の石積遺跡は秦氏と関係があるともいわれています。瀬戸内市長船(おさふね)町の刀鍛冶の技術の発達にも貢献したかもしれません。
27ユキノシタ
井戸<写真26>の内側に生えていました。ジンジソウに似ていますが、上の小さな3枚の花びらにはピンク色の斑点があります。よく見るとなかなか愛らしい花です。
1
27ユキノシタ
井戸<写真26>の内側に生えていました。ジンジソウに似ていますが、上の小さな3枚の花びらにはピンク色の斑点があります。よく見るとなかなか愛らしい花です。
28帝釈山霊山寺山門跡
帝釈山霊山寺は室町時代まであった寺で、熊山遺跡<写真23>はこの寺の仏塔だったのではないかという説もあります。周辺には石垣の跡や鐘楼か観音堂の跡と思われるものなどの遺構があります。
0
28帝釈山霊山寺山門跡
帝釈山霊山寺は室町時代まであった寺で、熊山遺跡<写真23>はこの寺の仏塔だったのではないかという説もあります。周辺には石垣の跡や鐘楼か観音堂の跡と思われるものなどの遺構があります。
29キビタキ♂
初夏に全国の山林などに渡ってくる夏鳥です。メスはかなり地味ですが、オスは腹部や目の上の眉斑が黄色なのでわかりやすいです。きれいな声でさえずりながら興味津々でこちらを見ていました。
1
29キビタキ♂
初夏に全国の山林などに渡ってくる夏鳥です。メスはかなり地味ですが、オスは腹部や目の上の眉斑が黄色なのでわかりやすいです。きれいな声でさえずりながら興味津々でこちらを見ていました。
30東屋越しに小豆島
途中で下に見えたコンクリート道への階段を下りれば近道だったようですが、そのまま北東に進んでしまったのでたどり着きました。ここからも小豆島が見えました。
0
30東屋越しに小豆島
途中で下に見えたコンクリート道への階段を下りれば近道だったようですが、そのまま北東に進んでしまったのでたどり着きました。ここからも小豆島が見えました。
31黒いキノコ
いびつな形の傘は直径5cm程で、かすかにささくれのようなポツポツが見えました。柄にはイボ状の突起があります。テングタケの仲間が傷んで真っ黒になったようにも思えましたが、ツボもツバも見当たりませんでした。とりあえず、触らぬキノコに祟りなしということで、近くで眺めるだけにしました。
0
31黒いキノコ
いびつな形の傘は直径5cm程で、かすかにささくれのようなポツポツが見えました。柄にはイボ状の突起があります。テングタケの仲間が傷んで真っ黒になったようにも思えましたが、ツボもツバも見当たりませんでした。とりあえず、触らぬキノコに祟りなしということで、近くで眺めるだけにしました。
32標高250m滝
道は途中から沢沿いになりました。石がゴロゴロした所もありますが、急な下り道にはロープが設置してあるなど、安全に下れました。この滝は肉眼ではもう少し水量があるように見えたのですが・・・
0
32標高250m滝
道は途中から沢沿いになりました。石がゴロゴロした所もありますが、急な下り道にはロープが設置してあるなど、安全に下れました。この滝は肉眼ではもう少し水量があるように見えたのですが・・・
33防獣フェンス扉のドクダミ
西法院の建物が見えてきたと思ったら、防獣フェンスに阻まれました。道から少し逸れてしまったのかもしれません。フェンス沿いに東寄りに歩いたら見覚えのある扉がありました。開けて外に出るとすぐにドクダミが出迎えてくれてほっとしました。
0
33防獣フェンス扉のドクダミ
西法院の建物が見えてきたと思ったら、防獣フェンスに阻まれました。道から少し逸れてしまったのかもしれません。フェンス沿いに東寄りに歩いたら見覚えのある扉がありました。開けて外に出るとすぐにドクダミが出迎えてくれてほっとしました。
34西法院境内ガクアジサイ
17時を過ぎていましたが、まだ数人おられました。西法院境内は青系のアジサイが多かったので、ピンク色のガクアジサイが目立っていました。
0
34西法院境内ガクアジサイ
17時を過ぎていましたが、まだ数人おられました。西法院境内は青系のアジサイが多かったので、ピンク色のガクアジサイが目立っていました。
35西法院境内
8000万年前安山岩
本堂の建て替えの際に見つかった岩石で、石垣に利用する予定だったそうです。造園業者から珍しい物との指摘を受け、地質学者に確認を依頼したところ、約8千万年前の白亜紀の火山活動でできた安山岩の隙間に熱水が入り込み、このような不思議な模様が形成されたと考えられるとのことでした。今月初めに地元紙で紹介されていました。
0
35西法院境内
8000万年前安山岩
本堂の建て替えの際に見つかった岩石で、石垣に利用する予定だったそうです。造園業者から珍しい物との指摘を受け、地質学者に確認を依頼したところ、約8千万年前の白亜紀の火山活動でできた安山岩の隙間に熱水が入り込み、このような不思議な模様が形成されたと考えられるとのことでした。今月初めに地元紙で紹介されていました。
36西法院境内
八重のガクアジサイ
淡い水色の萼が重なり合って豪華に見えます。最近はガクアジサイの八重咲きの品種もいろいろあるようです。
0
36西法院境内
八重のガクアジサイ
淡い水色の萼が重なり合って豪華に見えます。最近はガクアジサイの八重咲きの品種もいろいろあるようです。
37西法院境内
カシワバアジサイ
護摩堂の裏手にアジサイが満開の斜面がありました。白い房状になって咲いているのがカシワバアジサイです。
0
37西法院境内
カシワバアジサイ
護摩堂の裏手にアジサイが満開の斜面がありました。白い房状になって咲いているのがカシワバアジサイです。
38アジサイロード
いったん道路に出て愛染橋の上から向かいのアジサイ斜面を動画に撮りました。ここから数mはアジサイロードでした。
0
38アジサイロード
いったん道路に出て愛染橋の上から向かいのアジサイ斜面を動画に撮りました。ここから数mはアジサイロードでした。
39アジサイロードより
福生寺三重塔
さわやかな青色のアジサイ越しに福生寺三重塔<写真01>が見えました。
0
39アジサイロードより
福生寺三重塔
さわやかな青色のアジサイ越しに福生寺三重塔<写真01>が見えました。
40沢沿いにアジサイ
道路沿いに水路のような沢があり、石垣に微妙に色が違うアジサイが見えました。これから次第に青くなるのでしょう。
0
40沢沿いにアジサイ
道路沿いに水路のような沢があり、石垣に微妙に色が違うアジサイが見えました。これから次第に青くなるのでしょう。
41西法院境内
石灯籠&アジサイ
境内の細道の両サイドに石灯籠とアジサイが並んでいたので歩きながら動画も撮りました。
0
41西法院境内
石灯籠&アジサイ
境内の細道の両サイドに石灯籠とアジサイが並んでいたので歩きながら動画も撮りました。
42福生寺本堂
本堂は天和2(1682)年に岡山藩主池田綱政により再建され、岡山県の重要文化財に指定されています。右端に見えるのはボダイジュ<写真43>の枝の一部です。
0
42福生寺本堂
本堂は天和2(1682)年に岡山藩主池田綱政により再建され、岡山県の重要文化財に指定されています。右端に見えるのはボダイジュ<写真43>の枝の一部です。
43ボダイジュ&オオハナアブ
ボダイジュはちょうど満開でいい香りがしていました。煩悩だらけで?蜜や花粉に夢中のオオハナアブは写真、コマルハナバチのオスは動画に撮りました。ボダイジュは、臨済宗の開祖で岡山市吉備津の神官の家に生まれた栄西が中国から持ち帰って広まったといわれています。ちなみに、釈迦が悟りを開いたのは、インドボダイジュの木の下です。
1
43ボダイジュ&オオハナアブ
ボダイジュはちょうど満開でいい香りがしていました。煩悩だらけで?蜜や花粉に夢中のオオハナアブは写真、コマルハナバチのオスは動画に撮りました。ボダイジュは、臨済宗の開祖で岡山市吉備津の神官の家に生まれた栄西が中国から持ち帰って広まったといわれています。ちなみに、釈迦が悟りを開いたのは、インドボダイジュの木の下です。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する