鳥海山
- GPS
- --:--
- 距離
- 11.3km
- 登り
- 1,167m
- 下り
- 1,149m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
湯ノ台口〜滝の小屋〜八丁坂〜賽の河原〜薊坂〜外輪山〜新山〜大物忌神社〜分岐点〜七高山〜湯ノ台口駐車場に下山 |
写真
感想
「存在価値」
鳥海山
雲海から聳え立つ出羽富士は、白波がたつ孤島の如く寄り添うものは無くその場に毅然と佇んでいる
右の裾は大地へ富を与え、左の裾は雲の隙間を縫って海へ恵みを与えるように没していく
昨年の10月に登った月山の頂から眺めた時の鳥海山のイメージだ。
その雄姿に心奪われ翌年の秋に登る事を決めた。今回の連休の天気は九州豪雨の前線の活発な動きで21日から東北にも強い雨雲がかかっていたし、「やまとくらす」の予報でも鳥海山は3日間雨マークだったが23日の日曜日に賭けた。
21日、自宅を22時半に出た。山形の寒河江経由で道の駅にしかわで車中泊、朝は敷地内の共同浴場「水沢の湯」に入った後、酒田方面へ向かった。
月山の峠は雨だけでなくガスも掛かって見えにくかったが少し紅葉が始まっているようだった。
酒田の街をしばしドライブした後、遊佐町の鳥海ブルーラインへ向かった。
今回は鉾立ルートを勧められたが整備された登山道ではなく多少厳しい所を歩きたくて、百宅口ルートと湯ノ台口ルートの二つで木曜まで悩んだ。最終的に心字雪渓ルートを歩きたいという思いから湯ノ台口コースを選んだ。
登山口へ着いたのが正午過ぎで携帯の電波も入らなくなった。
現地はガスが深く、激しい雨も降って風もゴォっと吹いていた。
時折、真っ白な空から降る大粒の雨を眺め回復を信じながら車内で読書に耽る。
20時には寝袋に入ったが、外の激しい雨と風の音で三度ほど起きた。
夜中2時まで雨は降っていたのだと思う。
2時半頃に静かになったので車外に出ると満天の星空だった。
その星空をみて今日は晴れると確信。先週の三方倉山の大木に祈ったひとつ目が叶った。
5時頃登山口スタート、15分くらいだろうか、一つ目の山小屋である滝の小屋経由で軽い沢登りになる。
まずは八丁坂を登る。背中に朝日を浴びながら雨に濡れた石に注意して歩いた。
八丁坂より緑広がる庄内平野を見る。磐梯山から見る会津盆地に匹敵する位、庄内平野の田園風景も見事だった。
庄内平野の向こうは日本海だがその時は雲に覆われていた。
今年の猛暑でも万年雪が残っていた心字雪渓。「心」という形の雪渓だから心字雪渓と呼ぶらしい。
来月にはまた新雪に覆われるんだろうなと思いながら登っていると「バリリィイ」という轟音と共に雪渓の一部が崩れ落ち登山者全員が一斉に目を向けた。
河原宿から薊坂(あざみざか)にかけて夏の名残りの花、ウゴアザミと鳥海固有のチョウカイアザミがまだ残っていた。
賽の河原のガレ場は時々ガスが掛かっていたが、赤リボンも標柱もない。
コースの目印は岩の黄色い矢印ペンキだけ。小屋での案内表示でもこの地域は「迷う場所で危険」となっている。視界が悪いとかなり困るポイントである。
幸いガスも一瞬で消え、ガレ場を登り続けトラバースすると、次は薊坂という急登コースになる。
八丁坂、河原の心字雪渓ガレ場ときて濡れ石で滑りやすい急登の薊坂には心折れそうになった。
その時、丁度ラインに入った応援メッセージをみて自分らしく楽しむ事にした。
薊坂より振り返って心字雪渓を見る。遠くに見える鳥海湖も青く見えた。
何より晴れてくれた事、登れる幸せを噛みしめて。
久しぶりに素晴らしい雲海に出会えた。昨年の10月に月山から見たこの鳥海山。
今度はこちらから雲海に浮かぶ月山を見る事が出来て、大木に祈った事のふたつ目が叶った。
長い薊坂を登りきると外輪山にでた。目の前には鳥海山の頂上が見えた。
ここから左に外輪を回って、御室小屋(大物忌神社)からいよいよ鳥海山の頂上の新山の岩肌へチャレンジ。
大きめの岩場の中に浮石も多く注意しながら三点支持で登る。グローブは外すべきだと後半になって気づいたが、こんなに長い岩山は初めてだった。10時ジャストに新山山頂(2236m) に到着。このルートで5時間かかった。
頂上は狭く2m四方位。鳥海山の頂に立って360度眺めた。外輪山の形状が際立って美しくみえた。
大木に祈った、山頂に立つというみっつ目の願いが叶った。
素晴らしい景色はこの山の存在があってこそ。この存在を受け入れたから眺める事が出来たのだ。
山頂には5人くらいだったから写真もゆっくり撮れたが、天辺付近の岩肌で食事をとっていたら多くの人が登ってきた。
頂上は人だかり。15分のお昼を終え次は七高山へ登る。
新山を直降し、分岐点コースの壁を直登だ。 七高山頂上(2229m)に到着。
1801年の噴火によって新山が盛り上がるまでは、この七高山が鳥海山の頂上だったと後から調べてわかった。
下山始めて外輪山を歩いていると新山の岩場から悲鳴と同時に女性が滑落した。
幸い大事にはいたらないように見えたがすぐには立てないようだった。
あれだけ沢山の人が岩場を交錯していたらありえる場所だ。
河原宿小屋まで来て振り返り、鳥海山を見上げる。
登る時には山頂に雲が掛かってその全容は見えなかったがしっかりとそこに鎮座している。
これまでのヤマの中でも際立って素晴らしいヤマだった。
深田久弥の「日本百名山」の中で「鳥海山は東北人の気質のようにガッシリとした重厚、時には鈍重という感じさえ受けるが、鳥海山にはその重さがなく、颯爽としている」と書いてあるが、遠くから眺める様はまさしくその通りだったが登ってみて感じた事は実に荒々しく重かった。
そして何より素晴らしい山だった。
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