記録ID: 1972750
全員に公開
沢登り
東海
若丸山(狂小屋からタキノマタ遡行)
2019年08月12日(月) 〜
2019年08月13日(火)


- GPS
- 32:00
- 距離
- 4.2km
- 登り
- 830m
- 下り
- 13m
コースタイム
<8月12日>0800岐阜発 →1000櫨原ゲート →1140渡渉 →1230狂小屋 →1300タキノマタ入渓 →1340タキノマタ大滝(アブダル) →1500左沢分岐 →1800標高1000ⅿの尾根上にツエルトビバーク
<8月13日>0500起床 →0600稜線(ブナ林が目印) →0715若丸頂上(0830マデ滞在) →1100〜1300幕営地(仮眠、撤収)→1400二股 →1500大滝 →1600狂小屋 →1730駐車地 →1800櫨原望郷の丘(仮眠2時間)→2300岐阜自宅
<8月13日>0500起床 →0600稜線(ブナ林が目印) →0715若丸頂上(0830マデ滞在) →1100〜1300幕営地(仮眠、撤収)→1400二股 →1500大滝 →1600狂小屋 →1730駐車地 →1800櫨原望郷の丘(仮眠2時間)→2300岐阜自宅
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
扇谷右岸林道は一般人の車での進入は禁止されている。ゲートから狂小屋まで徒歩だと3時間半はかかるだろう。さらに1時間沢を歩いてタキノマタ大滝。そこから頂上まで、どれだけ健脚であっても4時間。しかも、やぶ漕ぎと沢登りの技術が求められる。読図力は言うまでもないこと。 標高800mに二股に分かれた沢があるが、それを分かつ尾根に登山道(けもの道に毛の生えた程度だが、明らかに人間の造ったもの)らしきものがあり、帰りはそれを下った。登りは右の沢を水が枯れる所まで登ったが、相当きつい。登山だけが目的ならこの尾根を詰めた方が楽だろう。分岐から1時間で稜線。沢だと猛烈なやぶ漕ぎがあり2時間半。そこから頂上直下まで根曲り漕ぎを1時間。さらに最も強烈なシャクナゲスパイラル40分で頂上。この辺りは根性が勝負の分かれ道。 私は26年前にヒン谷からと、越前熊ノ河からも登ったことがあったが、今回のタキノマタが最もハードだった。しかも先回はグループだったからビレイを取ってくれる相棒もいて、それほど苦労した記憶はない。今回のように単独、ビバーク、猛暑日の条件下での山行は他人にはとうてい薦められるものではない。たとえ、頂上には奥美濃屈指の絶景が待ってくれているとしても。 扇谷右岸林道が登山者にも開放されれば、多少楽にはなるかも知れない。いずれにしろ、多くの登頂者がそうしているように、途中でのテント泊は必要。 |
写真
3年前から10回以上このゲートを潜っているだろう。ここから徒歩だと狂小屋まで3時間半。ザックを背負って足繁く通う私を不憫に思ったのか、工事関係者の方がこっそり鍵番号を教えてくれた。一般人は進入不可。昔の扇谷林道は対岸の左岸にあったが、今はダムの底。
このゲートから先、二日間誰ひとりとして逢うことは無かった。
このゲートから先、二日間誰ひとりとして逢うことは無かった。
林道から見た若丸山。たぶん、無雪期の奥美濃で最も登り難い山だろう。尾根から頂上まで、藪の左門さえ足元にも及ばない根曲り竹が密生している。頂上直下は足が地に届かないシャクナゲ地獄だ。しかも登山道と呼べるようなものはどこにも無い。読図力と根性を試される山。
20年ぐらい前まで、一般人がスニーカーでここまで歩いて来れたが、現在は沢を歩かないとほぼ不可能。標高1100メートルの美濃峠から越前温見へと続いていた旧道はすべて崩落してしまった。
落ち口の右(画像では左)にお不動さんを祀った祠の跡が見える。内部には錆びた燭台のようなものが残されている。櫨原から人々が離れて20年経つから、それ以前のものだろう。
落ち口の右(画像では左)にお不動さんを祀った祠の跡が見える。内部には錆びた燭台のようなものが残されている。櫨原から人々が離れて20年経つから、それ以前のものだろう。
この滝を見て何度引き返しただろうか。たぶん、今回が最後でここに来ることはもう無いだろう。体力、バランスには比較根拠のない自信があったが、単独の老人には気合だけではどうにもならない限界がある。これが最後だ。
30年間のその思いを、タキノマタ不動明王にお祈りして、左の壁に取りついた。
30年間のその思いを、タキノマタ不動明王にお祈りして、左の壁に取りついた。
その上の2段滝。10mと15mに折れ曲がっている。さらにその上の、ナメ、ゴルジュ、ナメ、ゴルジュが連続した100メートルはこの谷随一の圧巻。水量が少なければへつれるが、今回は無理。左岸を巻く。
先週歩いた小津権現藤波谷のナメ、ゴルジュ帯より遥かに水量が多い。
先週歩いた小津権現藤波谷のナメ、ゴルジュ帯より遥かに水量が多い。
衣類が濡れたので滝上部の河原で焚火タイム。蚊取り線香はアブ除け。
ついでに、餅をひとつ焼いた。
今回は初めから途中ビバークを予定していたから、のんびりしたもんだ。
餅とコーヒーと焚火。何やらとても贅沢な気分だ。
ついでに、餅をひとつ焼いた。
今回は初めから途中ビバークを予定していたから、のんびりしたもんだ。
餅とコーヒーと焚火。何やらとても贅沢な気分だ。
標高800メートル。ここからは未知の世界。ロープを出さなければならない滝はないが、2〜3メートルのものは驚くほど多い。
恥ずかしい話だが、この落ち込み深さの目測を誤って、腿ぐらいと予測したのだが、腰まであった。しかも「ヤバイ」と思った瞬間にバランスを崩して、ザックを濡らしてしまい、カメラが犠牲になった。従って、ここからの画像はガラケーの100万画素で。
恥ずかしい話だが、この落ち込み深さの目測を誤って、腿ぐらいと予測したのだが、腰まであった。しかも「ヤバイ」と思った瞬間にバランスを崩して、ザックを濡らしてしまい、カメラが犠牲になった。従って、ここからの画像はガラケーの100万画素で。
1000メートルまで登って来たのに水量はハンパ無く多い。「もしや?」と思い地図を開いたが間違っていなかった。地図に100メートル(経緯度約5秒)四方のマスを作っておいたが、かなり有効。
下山途中で気付いたのだが、山頂直下の壁群から落ちている沢と尾根をひとつ挟んだ二股の沢がある。この尾根には明瞭な登山道があった。朽ちてはいるが、ところどころにテープも残されている。熊ノ河ルートとブナ林で合流しており、かつて越前へ抜けた古道が残されたのではないだろうか。温見に下りた美濃峠の裏道として使われていたと、推理した。若丸登山の為に開かれたのなら、稜線や頂上直下に道がひとつも無いのは不自然。
下山途中で気付いたのだが、山頂直下の壁群から落ちている沢と尾根をひとつ挟んだ二股の沢がある。この尾根には明瞭な登山道があった。朽ちてはいるが、ところどころにテープも残されている。熊ノ河ルートとブナ林で合流しており、かつて越前へ抜けた古道が残されたのではないだろうか。温見に下りた美濃峠の裏道として使われていたと、推理した。若丸登山の為に開かれたのなら、稜線や頂上直下に道がひとつも無いのは不自然。
水の枯れた地点から猛烈なヤブに取りついて尾根を目指した。ケモノ道の適当に平坦な場所にツエルトを張ってビバークとした。当初の計画では、頂上から福井市街の灯を眺めようかと考えていたのだが。。
あまりにも暑い。炎天下の正午前後に、あの踏み跡も無い稜線のやぶ漕ぎは自殺行為だろう。涼しい朝8時に頂上に立つことを逆算すると、この辺りが適当か。不細工で惨めな張り方になったが、スペースが無いのだから仕方ない。横になる空間と虫が入らなければ御の字だ。疲れもほぼピークだ。
ウイスキーを飲みながら、だらしなくグォロリと横になった。
あまりにも暑い。炎天下の正午前後に、あの踏み跡も無い稜線のやぶ漕ぎは自殺行為だろう。涼しい朝8時に頂上に立つことを逆算すると、この辺りが適当か。不細工で惨めな張り方になったが、スペースが無いのだから仕方ない。横になる空間と虫が入らなければ御の字だ。疲れもほぼピークだ。
ウイスキーを飲みながら、だらしなくグォロリと横になった。
経験者にしか理解できないだろうが、ケモノ道での単独ビバークはほとんど眠れるものではない。真夜中に訪問者があまりにも多いのだ。鹿がこっそり見回りに来るのはまだいい方で、低い声の咆哮が聞こえたりすると、手近のありったけの金属類で応対挨拶しなくてはならない。だからウィスキーは必需品だ。すこしでも眠っておかないと山どころではなくなってしまう。もっとも、飲みすぎたら、元も子もなくなってしまうだろうが。。。アンクルトリスの小瓶が丁度いいだろう。
翌朝5時出発で6時には稜線に上がった。快晴だ。目指す若丸が朝日に染まっている。直線距離で僅か1キロだが、踏み跡の全くない激ヤブを突破するとなると、2時間は必要か。
余分なものは野営地にデポしてきたから、身軽なものだ。ひとつ大きく深呼吸をして、気合を入れ直した。
余分なものは野営地にデポしてきたから、身軽なものだ。ひとつ大きく深呼吸をして、気合を入れ直した。
7時15分、頂上直下のシャクナゲスパイラルをやけくそで突破して頂上。360度遮るもののない奥美濃屈指の絶景が広がっていた。能郷白山、小津権現、ソムギに三周や冠、奥美濃を代表する山々がすべて見渡せた。
それにしても、これだけ登山者に媚びない山も珍しいのではないだろうか。「どうぞ登って下さい」というような道や標識はどこにも無い。「登れるものなら来てみろ」とシャクナゲや根曲がりが登山者を寄せ付けないのだ。稜線から頂上まで、テープ一本見つけられなかった。ヤブ屋の矜持は決してテープなどは残さない。
標高、眺望、難易度から総合的に判断すると、奥美濃ヤブ山番付西の横綱で間違いないだろう。凛とした「若丸山」の文字には言い知れぬ風格が漂っていた。
ハーモニカはクロマチックで<ゲド戦記>より「テルーの唄」。
♪ こころを何に たとえよう 鷹のような このこころ・・♪
それにしても、これだけ登山者に媚びない山も珍しいのではないだろうか。「どうぞ登って下さい」というような道や標識はどこにも無い。「登れるものなら来てみろ」とシャクナゲや根曲がりが登山者を寄せ付けないのだ。稜線から頂上まで、テープ一本見つけられなかった。ヤブ屋の矜持は決してテープなどは残さない。
標高、眺望、難易度から総合的に判断すると、奥美濃ヤブ山番付西の横綱で間違いないだろう。凛とした「若丸山」の文字には言い知れぬ風格が漂っていた。
ハーモニカはクロマチックで<ゲド戦記>より「テルーの唄」。
♪ こころを何に たとえよう 鷹のような このこころ・・♪
感想
感想は後日、日記にも書いておきたい。今日はあまりにも疲れた。笑顔だけがこぼれてくる疲労。嬉しかったのだ。
櫨原望郷の丘で2時間ぐっすり眠ってから家路についた。岐阜の我が家には真夜中で、女房を起こさないよう風呂になみなみと湯を張った。
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コメント
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maasuke1さん こんにちは〜
いつもいつもすごいレコです
狂小屋の方から若丸ですか。。。 想像できない世界をこうしてレコで拝見できて感激です
獣だらけのビバーク、藪漕ぎもなんのその、、、
無雪期の若丸なんてとても考えられないです
そうそう、今日(8/21)PM3:46からメーテレの「アップ」で徳山団地での徳山踊りが放映されますヨ
夜7時から東海テレビの「何だコレ!?ミステリー」では徳山の門入が放映されますのでどうぞご覧になってくださいネ
来週月曜は仕事で門入へ行くので船から若丸。。。 見えるかな!?
こんばんは。
残念ながら、5時まで仕事しているので、メーテレは観れませんでした。
徳山の盆踊りは一度だけ、徳山本郷で見たことがあります。33年前だったと思いますが、冠山へ登った時です。当時は今のような道路事情ではなかったから、冠、金草でさえ、塚か櫨原で一泊でした。
離村家族が増えだしたころで、10人ぐらいが輪になって静かに踊っていました。大きなケヤキの木の下で、ぼんやり眺めていた記憶があります。
若丸を狂小屋から登れたことで、「これで奥美濃のすべてを登った」と、他人には胸を張って、自慢できるのではないでしょうか。はじめて能郷白山に登ってから34年経ちます。毎週のように、コツコツ登ってきました。遭難、道迷いは何回もありましたが、それでも懲りずに奥美濃へ足を運びました。
なにかうまく表現できないのですが、やっぱり奥美濃が好きなのです。
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