【高尾】計画二転三転、高尾山へ。登山後はお風呂屋山で山籠もり
- GPS
- --:--
- 距離
- 10.7km
- 登り
- 501m
- 下り
- 490m
コースタイム
- 山行
- 3:35
- 休憩
- 5:42
- 合計
- 9:17
▼高尾山頂から清滝駅までの所要時間には、10分程度の休憩時間が含まれています。
▼今回は、入浴時間や飲食時間を休憩時間にカウントしていますので、お気を付けください。
天候 | 曇り 雨が心配されましたが、8時以降17時まで雨が降ることはありませんでした。 |
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過去天気図(気象庁) | 2019年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
電車:最寄駅 ⇒ 高尾駅 【復路】 電車:高尾駅 ⇒ 最寄駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
▼今回の山行の総括として、危険個所はありませんでした。 ▼金毘羅台コースは落ち着いた雰囲気のある、非常に歩きやすいコースでした。いつもは知りませんが、今回は金毘羅神社まで誰にも会うことはありませんでした。 ▼山頂付近の稲荷山コースは、赤土が露出しており、雨が降った後はかなり滑りやすい。高度が下がると、岩が露出するようになり、グリップが効きやすくなってくる。稲荷山コースを使用するのは今回2回目で、下りで使用したのは初めてだったが、記憶より傾斜がきついなと感じた。 |
その他周辺情報 | ▼高尾山薬王院の本社(権現堂)は、毎月21日にご本尊の御開帳を実施している模様。只、現地で薬王院の僧侶?の方が、当日口述していたことをさらっと聞いただけなので、保証の限りではないが、これをヒントに正しい情報を入手されたし。 ▼京王高尾山温泉・極楽の湯は、入浴料1000円でした。ただし10月2日からは、平日1000円 土日祝日繁忙期1200円に改定になるみたいです。時間制ではないため、今回の様に長居ができます。 ・炭酸風呂がありました。40℃以下の温度設定であるため、長湯が可能でしたが、秩父の祭りの湯の炭酸風呂ほどの疲労回復効果はなかったかな。 ・料理は価格設定はべらぼうに高いとは感じず、まああんなもんでしょうといったレベル。料理の質も、一定基準以上だと思いますので、よっぽど舌が肥えている人でない限り問題なく楽しめると思います。 ▼高尾山口駅近くの国道20号線にあるカレー屋さん、【東山カレー】はなんか美味しそうな雰囲気のあるカレー屋さんでした。個人的には牛筋カレーを試してみたい。牛筋カレーは1000円とのこと。これを高過ぎと取るか、試す価値はありと取るかは個人の考え方に因るかな。私は1回は試してもいいと思っています。写真【θ】参照のこと。 |
写真
感想
▼本来なら9月の2回目の3連休は、O登山隊3人編成(A隊長、K副隊長と私)で巻機山に登る予定となっていました。しかしご存知の通り、どうも天候がよろしくない。連休前の木曜日の段階で巻機山ハイクは延期となりました。
▼東京近郊の土曜日の天気も、やはり天気は良くないみたいだが、午前中はなんとかもちそうとの予報。最初K副隊長から高尾山の提案が出たのですが、どうも色気が足りないと考え、飯能側から棒の嶺に登り(白谷沢コース)清東橋BSに下る案を巻機に変わる代替案として提案、了承された。8時前に飯能駅集合となった。
▼当日早朝、A隊長から雨降っているから中止したいとのLINEが入る。寝っ転がりながらスマホで天気予報を見ると、確かに小雨が降り続けるような予報。仕方がないねと6時くらいまでウトウトしながら寝転がったままいたら、K副隊長から、雨なんとかなりそうだから高尾山に行かないかとのお誘いが入り、お受けすることにした。8時半ごろ高尾駅集合となった。
▼高尾山は今回で5回目ですが、前の週の御岳同様何度行った山でも、やり方次第で新しい発見はあるので、前向きでした。どうせなら登ったことがないコースがいいだろうと考え、金毘羅台コースから山頂を目指し、一番山歩きっぽい雰囲気が楽しめる稲荷山コースで下山することにした。これならおそらく12時前にはすべてが終了するだろう。そのあとは高尾山温泉・極楽の湯に入りたいとのリクエストがK副隊長からあったのでそうすることになった。
▼山行中のことで今回書いておきたいのは、薬王院のことだ。仏教なのか神道なのか今一よくわからない。写真【Ψ】【Δ】の通り、大本堂と本社(権現堂)と中核と思われる建物が2つもある。また薬王院と言えば天狗で修験道の色合いも強い。掴みどころがない施設だと思っていましたが、調べてみて少しだけわかった。
・Wikiより引用【高尾山薬王院(たかおさんやくおういん)は、東京都八王子市の高尾山にある寺院。<中略> 大本堂は、薬王院の中心となる本堂で、薬師如来と飯縄権現を祀る。現在の堂宇は1901年(明治34年)に建立されたものである。彩色は施されていないが、彫刻で装飾されている。入母屋造である。堂内には護摩壇がある。本社(権現堂)は、薬王院の中心となる本社で、飯縄権現を祀る社殿(神社)である。<中略>社殿前方には鳥居があり、神社であることが分かる。寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の神社の姿の一つの典型例といえるだろう。本尊の飯縄大権現立像は異形の仏として有名。<後略>】
・寺院であり、神社でもあるんだ。そら掴みどころ無いよなあ。でも、江戸時代までは神道と寺院が混在化していたのが一般的だったみたいで、今の様にはっきりとわかれてた時代の方が、日本の歴史上短いのかもしれない。異質なものも次第に取り込んで消化し一体化していくというのは、日本文化の特徴の様な気がする。明治の神仏分離前の状態を維持している高尾山薬王院は貴重な存在なのでしょう。
・ラッキーなことに、毎月21日は通常は非公開の本社(権現堂)のご神体が御開帳されるとのこと。本社の建屋内に入っての参拝が出来た。建屋に入る前に塗香を手渡され、身を清めるように言われる。お賽銭をし、少し薄暗い建屋を時計回りに回る。12時の位置に本尊が設置されている。薄暗くて全体像はよくわからないが目だけは光ってはっきり見えた。不動明王に似ていたが、あとで調べると飯縄権現といって厳密には不動明王とは違うみたいだ。神前?仏前?にお供えされていたお酒に奉納者の名前が記載されていた。なんと私と同じ苗字の奉納者が、結構沢山のお酒を奉納している。私の苗字は、全く聞いたことがない類のものではないが、決して多くはない、どちらかと言えばやや珍しい苗字。Wikiによると、【飯縄権現の発祥は、信濃国上水内郡(現 長野県)の飯縄山(飯綱山)に対する山岳信仰と考えられる神仏習合の神】とある。昔私の祖先は諏訪当たりが出自だと聞いたことがある。飯縄山と諏訪とでは少し距離があるみたいですが、なんらかの所縁を感じざるを得なかった。K副隊長曰く、「今日は高尾に来いと呼ばれたのかもしれませんね」参拝を終えると、出口でお神酒を頂けた。
▼薬王院を出るとあっと言う間に高尾山頂。もともと本日は雨が降らなければOK、雨が降らないうちに下山という覚悟が出来ての登山だったので、山頂からの眺望が残念なことは端から織り込み済み。富士山が見えなかろうと、丹沢が見えなかろうと問題なかったのですが、山座同定で三ノ塔を大山と間違えたのはショックだった。石老山は一目でわかったのに残念だ。山座同定の道はまだまだ遠く険しい。
▼さて、山頂には10時半に着いてしまった。高尾駅を出発して2時間くらいしか経っていない。流石に物足りないので、最長陣馬迄足を延ばそうかという話も一瞬出たが、当初の予定は雨が降る前にハイキングを終えるということだった。その前提を崩すことも無かろうということで、稲荷山コースを足早に下りる始める。赤土が露出している所には少し苦戦しながらも、下りの苦手な私にしては頑張って速足で下りる。山頂から休憩込みで80分程度で清滝駅に到着した。
▼下山後は、高尾山温泉で優雅なひと時を過ごす。結果的には山行時間より長く施設に滞在をしてしまった。O登山隊は伝統的に登山後必ず風呂に入りますが、烏の行水となることが多い。私も普段は風呂に時間を掛けないタイプです。それが今回はサウナにも入ったりして一時間以上湯に浸かっていたと思う。その後のお楽しみタイムはビールから始まり、ハイボールを数杯飲み、そこそこの量のツマミも平らげた。炙りシメサバなんか2回も頼んでしまったし。締めにちゃんぽんを頼んだ後、もう一度風呂に入ることになった。今度はぬるめの炭酸風呂に長く漬かった。K副隊長とは何度も、「今日は贅沢な休日の使い方をしている」ということで意見が一致した。
▼楽しい時間はすぐ過ぎ去ってしまうのが世の常で、あっと言う間に夜の帳が下り始める時間となってきました。まあ、秋分の日ですからね、また夜の方が時間が長い季節がやってきます。K副隊長は高尾山口から帰路に着きます。私も一緒に高尾駅まで行き、そこで乗り換えてもよかったのですが、どうしても旧甲州街道の分岐の写真が撮影したかった為、高尾駅まで歩くことにした。楽しかった一時の余韻にもう少しだけ浸っていたかったのかもしれない。
▼そんな感じで、高尾山ハイクを大義名分とした飲み会という色合いが非常に強い山行だったのですが、本当に贅沢な時間の使い方が出来たと思っています。こんな日も人生の中では絶対に必要でしょう。楽しかったですね。K副隊長、お付き合いいただきありがとうございました。また、やりましょうね。
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