富士山 御殿場ルート


天候 | 1日目:強風 小雨 2日目:快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2012年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
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写真
感想
海の日に、山に行った。
記憶が確かならば、富士山に行ったのは小学5年生の学校行事だったと思う。登山口は覚えていない。それから10数年を経て登山には開眼したものの、富士山には何故か登山意欲が沸かなかった。あれは眺めるものだと決めつけていたか、或いは、伝え聞く登山者の行列、猫も杓子も記念に目指す持て囃されっぷりから、目を背けたかったのかも知れない。
そんな富士山に、誘われるがまま挑む事になった。いざ、登るとなると日本一の山。油断はしない。私はエアリアマップを購入した。どうやら、御殿場口というロングコースに挑む事になった。
前日のパッキングにて、山小屋泊と聞いていたので、いつも多大なスペースを喰うシュラフとシュラフマット、テントは不要。これだけでもかなり軽量になる。そこで、日本酒の瓶720mlをそのまんまザックに突っ込んだ。誘ってくれた上に、小屋の手配までしてくれた大将と、小屋で一杯やろうという算段。小屋は、当初8合目の赤岩八合館という所の予定が、定員一杯らしく、7合目にある砂走館という小屋になった。計画的に小屋に泊まるのは初めてだ。雨風にテントを潰されてやむなく泊まったのは2年前の五竜山荘。うまそうなカレーをほおばる他の客を尻目に、潰される直前にテントで作った伸びラーメンを一人すすったものだ。
さておき、7月15日、早朝の中央道は混んでいた。何とか大将と藤野PAで合流し、須走ICへ。そのまま御殿場5合目登山口まで各々の車で向かう。想像以上に、すんなり駐車できた。もっと、蟻塚の如く登山者が溢れているものだと想像していた。後で聞けば、その状況があるとすれば吉田口と呼ばれる北方面の登山口がそれで、いわゆる「行列の出来る登山道」もそちららしい。この御殿場ルートは、それに比べればずっと人が少ない。
各自車で身支度を済ます。私はピチっとした半そでにユニクロ海パンという夏山装備。ただし海パンといってもああいうのじゃない。要は膝まである薄手のズボン。駐車場から登山口に向かう道中、登山者に注意を促す係りの人がいて、私の出で立ちから、上は降っているかも知れないので雨具の着用を勧められる。また、県としては6合目までを開山としているので、それ以上は自己責任で、と釘を刺された。
8:50 1440m 登山開始。私は結局半そで海パンのままだった。風が強く、山頂付近には雲がまとわりついていた。青空はどこかには見えたが、頭上にはなく、時折小雨も降った。
下ってくる人も相当いて、確かに皆、雨に対応する装備だった。方や、マラソン選手の格好をして、小走りで登っていく人、下ってくる人も沢山いた。いわゆるトレールランナー。いや、それとも少し違った趣で、富士山ならではの競技者たちかも知れない。これらランナーは2日間通して山中至る所にいた。後で分かった事だが、裾野にある自衛隊駐屯地の隊員も相当数これに扮しているようだ。
御殿場ルートは、まるで砂丘を登っているがごとき足場。下りは有利だが、登りは過酷だった。これには、吉田ルート2回、富士宮ルート1回を経験している大将も音を上げていた。ちなみに、私は登山靴にスパッツも付けていたが、大将の靴はいわゆるスニーカーだった。これで上記の富士登山をこなしているのだ。私は、踏み込んでもズリ落ちる感覚が雪に似た部分もあり、この登り自体にはそれ程の抵抗はなかった。しかし、問題は風だった。
この吹きっ晒しでは、半そで海パンでは持たないと思い、途中、時間をもらってヤッケをはおり、下も長ズボンにはき替えた。
12:05 6合目 2590m
風の強さは標高と共に強さを増していき、山頂向かって左手の宝永山(富士山の山腹にあるボコっとした瘤みたいな火山の跡)の向こうから、ひっきりなしに雲が流れてきた。中粒の雨を降らす事もあり、それ以上に怖いのは、風がしばしば砂利の礫を浴びせかけてくる事だった。これは目に入ると洒落にならない。砂嵐が巻き上がる度に、顔を下に向けて耐風姿勢をとった。
天候は不順だが、やはり眺めは壮大だ。下界を振り返れば、左手には山中湖。正面に登って来た登山口や、それに至った道路もまだ良く見える。そして右手には法永山が、茶色い砂丘の様にそびえている。だが山に向きかえると、依然として山頂はガスに包まれたままで見渡す事は出来なかった。
幾つかの分岐やブルドーザーの道を越えていくと、段々と斜面は急峻になり、雨風も冷たくなってきた。程なく、向かいから来る若者のグループと出くわした。彼ら、彼女らはどうやら富士宮ルートから登ってきて、ここで御殿場ルートと合流して上を目指していたらしい。何と、予約している宿は我々が予約出来なかった赤岩八合館。しかし、そこへ登ろうとすると、立ち入り禁止の柵が置いてあり、その先は上級者以外は危険だからやめておけという噂?との事だった。一緒にそこまで進んでみれば、確かに物々しい柵が設置されている。
冷静に考えれば、単にこれは、登山口で聞いた「県で認めているのは一応6合まで」という事に他ならなかったのだが、彼らの真剣な話し振りと、他の下山者から伝え聞く上の状況、そして冷たい雨風吹き荒ぶ現状が相まって、「残念、ここまでか」と一瞬思ってしまう。大将も、予約した小屋にキャンセルの電話をしようとしたが繋がらなかった。
しかし、ここまで、足元の悪さと強風に相当な妨害は受けているものの、身の危険を感じる程の箇所は無かった。それがこの柵の向こうになって突然そんな様相を見せるとは思い難い。予約している砂走館は、そこから僅か70分程度の所だった。更にその先はいざ知らず、少なくとも山小屋まで行く事がそれ程危険とはどうしても考えられなかった。そこで、身をもって危険を感じたら諦める事とし、とにかく今日の宿を目指す事に決め、私と大将は柵を越えて歩き出した。若者グループも、そんな我々をしげしげと見ていたが、後に登って来ていたようだ。そんな若者グループの一人が、雨風の中おもむろに上半身裸になって着替えを始めた時、二の腕に雷みたいな形の刺青が施されていた。「ワイルド」と口々に笑う仲間。私もついでに、「今ハヤリのワイルドだね」と賞賛を贈った。
さて、登ってみると、雨風の強さは変わらず、足元が砂利からガレた溶岩石が中心になってきた。斜面を見れば、たしかに落石したら怖そうな眺めではあるが、必ずしも登山者を拒絶するものではなかった。果たして、14:45 7合目に到着。3030m
それを過ぎると矢継ぎ早に営業小屋が3軒現れ、その最後が、我々の宿泊する砂走館だった。
15:05砂走館着
小屋の前で記念撮影をして大将と握手を交わした。小屋の男性に、「富士山は毎日こんなに風が強いのですか?」と聞くと、いやいや、ここ最近特別です。との回答。ホッとした。しかし、ここ最近という事は明日もか?という一抹の不安。
宿代に、到着のビール、大将のおごりだった。なんとありがたい事だろうか。我々は2段ベッドの2階をあてがわれた。私達が着いた時点ではその場所には誰もいなかったのだが、ほんの幅2mちょっとあるかどうかの間に、何と5人がひしめき合う。大将曰くこれでも広い方らしい。
17時から夕食と言うのでそれまでビールとスナック、そして大将の持ってきたウイスキーを飲んで待ち、大将と富士山の地図を広げ、富士山や日本の景気、経済情勢について話していた。すると、後から来る団体客の前に、という小屋スタッフの配慮で、少し早めにカレーが出来た。セルフサービスで何とお替り自由!何もかも高額な山小屋で、そんなサービスがあるとは驚いた。一杯目で腹一杯食べたのだが、折角なのでお替りも貰った。至福の一時だった。窓から外を眺めると、強風とガスの中、先程の若者グループが険しい顔で立っていた。私は窓を叩いて彼らを呼んでみたが、気付かれず、そのまま赤岩八合館に歩を進めたようだった。
それから寝床に戻り、私の持ってきた日本酒をちびちびやり、18:00過ぎに就寝した。疲れと酔いで0時までは起きずにいたと思う。しかし周囲がにぎやかになって来たのは気付いていた。それ程広くもない一棟に百数十人収容で今夜は満員。二段ベッドどころか、天井裏みたいな間や、玄関にまで布団が敷き詰められ、いびきのオンパレードだった。0時過ぎに目が覚め、大将と外の偵察がてらトイレに発った。風はビュンビュン吹いている。富士山頂で御来光を見たいならば、夜中の1時過ぎにここを発たねばならない。しかし、この天候では危険と判断し、ご来光はこの小屋からにしようという事になった。加えて、私はこれから1時間後に登山開始するには、二日酔いで頭が痛かった。
それからは寝てるのか覚めてるのか、寝苦しい時間が続いた。そして4時前、大将から出発の準備を命じられた。ここでのんびり御来光を見てから、6時前くらいに山頂へ発つのかと思いきや、大将曰く、もう登り始めてしまおうとの判断。小屋の外は、そこで御来光を迎えようと言う登山客で賑わっていた。それを横目に、少数の登山者と我々は上を目指して歩き出した。ヘッドライトを頭に装着して。この計画は大成功だった。朝一にもかかわらず順調に登り、ちょうど赤岩八合館で朝日のお出まし。オレンジの光が、まばゆく一帯と雲を照らした。
美男美女のカップルに撮影を頼まれた。お返しにこちらも撮影してもらった。御来光という呼び方が相応しい、何とも威光に溢れる朝日だった。しばらくすると朝日は朝もやと混じって、ぼやけたなオレンジの光源になった。昨日の心配に全く反して、空模様は素晴らしい、風もさほどないこの2日目の朝だった。
まず、富士山登山の第1の醍醐味は味わう事が出来た。我々は先を目指した。山頂まではまだ2時間少し登らねばならない。
8合目前のちょっとした納屋の前で、ザックを下ろして休んでいると、先程まで下にいた団体が追いついて来た。ガイドらしき初老の男性(著名な登山家、岩崎元郎氏に似ていたので一瞬ハっとしたが違った。)に2~30名ほどの老若男女。ここ一帯はもはや、すれ違いも譲り合いが必要で、追い抜きは難しい細い道。この団体に先を越されると厄介な事になる。どうせ彼らもここで一息つくだろうと思っていたら、彼らはそのまま先に進んでいった。大将と私も彼らに先行されまいと慌てて出発したが、ちょうど彼らの長い列の真ん中辺りに2人して取り込まれる形となった。我々の前は、事あるごとに足を停めて写真を撮る若い女性。後ろはかえりみないマイペース。その後ろに大将、次が私。その後ろも若い女性で、以降十数名。彼らの靴にはツアーの目印として同じ印が付けられていた。我々2人が他人という事に誰も気付かないのか?それとも気付きながら敢えて同じペースで歩いているのか?分からないが、確かに彼らの途中に入り込んでしまったのは我々自身なので、強引に抜かす事など出来ない。そんな訳で彼らのペースに従って、30分余り完全に一員となって歩いた。途中で、ガイドが足を止めた。「ここで先に行かせてもらうチャンスか?」と思うが、広い道でもない。すると前の方からどうやら伝言ゲーム形式で何やら伝えられてきた。
「気合い」の一言。どうやら、もう少しだから気合で頑張れと言うメッセージのようだ。彼らは我々を完全に一員と認めてくれているようで、前の女性が「気合いです」と普通に我々に言った。私はそれを聞いて、はじめは何もしなかったが、後ろの人達が「何、何?」という雰囲気になっていたので、振り返って、「気合だそうです。」と伝えた。何とも滑稽な体験だった。
ガイドの裁量か、それとも人数の限界か、このツアーは周りにとっては迷惑と思わざるを得なかった。後ろからこの長蛇を抜かせる人もおらず、また、すれ違いになる下山者はほぼ全員待たされていた。登り優先が原則なのかも知れないが、特に礼も無く、当然の様に数十人が他人を待たせてすれ違っていくのはいかがなものかと思った。しかも我々もそれに加わっているというジレンマ。
途中で、ガイドが足を止めて能書きを始めた隙に、我々はそそくさとスピードを上げて彼らからやっと分離した。それ以降は、ペースを少し上げて、とにかく彼らには追いつかれないよう心がけた。大体この辺りから、大将は頻繁に酸素を吸うようになったが、幸い頭痛などは無く、高山病ではない様子だった。私も、折角買ってきたものなので酸素を口にあてがって吸ってみたが、おいしい訳でもなく、実感は無かった。これが高山病の予防になっていたのかも知れない。
6:10ツアーから逃げる形で、遂に頂上の鳥居に到達した。気分は爽快。周囲はザ・観光地といった様相。私は大将のいざなうまま、初のお鉢を覗き込んだ。すごい。これが富士山の中心か…その迫力は、写真には納まらない。
そのお鉢沿いに反時計回りに少し行くと、立派なデジタルカメラが置き去りにされているのを大将が見つけた。皮のケースに入った、中々高級そうなモデルだ。大将は、自分も以前携帯電話を届けてもらった経験があるらしく、どうにかこれを届けてやりたい、と自分の事のように心配していた。私は、以前ピッケルを拾ってインターネットで探してみたがダメだった事もあり(今でも勿論保管、募集しているが)、正直そのまま置いておくのが吉と思ったが、結果的には山頂郵便局の受付の若者に託す事にした。彼らも、落とし物の受付は原則やっていないようで、はじめ困った表情を浮かべたが、若者曰く、2,3日後に吉田口に下山するので、そうしたら地元警察に届けると言って、カメラを受け取ってくれた。我々の下る御殿場口は警察から遠いとの事。責任を彼に転嫁した形となったが、ともあれ少しホッとした。
その窓口でハガキを買って、各々スタンプを押して傍らにあるポストに投函した。数人に宛てて黙々と書いている大将が、私に「『そだつ』ってどう書くんだっけ?」と尋ねた。度忘れか、それとも高山病のはしりなのだろうか?多分前者だろう。
投函して更に先に進むと、頂上の頂上、剣ヶ峰に登る事が出来る。その頂上こそが、真に日本の最高地点という事になる。が、直下の階段は渋滞だった。ラーメン屋に並ぶのは嫌いだが、ここは並ぶしかない。この間、我々を挟んで待たされる側と待たせる側のちょっとした応酬があったが、面倒なので詳しくは書かない。おとなしく15分程度並び、頂上の石碑で、大将と記念撮影をした。自分自身にもいい記念、記録になった。
そこからまた郵便局、食堂などがある広場に戻り、腰をかけて腹ごしらえをした。天気は最高だった。私はもっとぎゅうぎゅう詰めの頂上を想像していたので、賑わっているにしろずっと居心地が良かった。
傍らにいるオジサンが、その仲間と下山について話していた。「下りはどうって事ねえよ、2時間と少しあれば下っちまう。」何と強がりを言うオヤジだ、と思った。延べ10時間近くも掛けて登頂したのを、いくら何でもそんな早さで下れるものか、と思っていた。その時点では。
8:15 下山開始。他の登山と比べた時の富士山の特徴として、登る時は登るだけ。下る時は下るだけ。これは非常に潔い。他の登山、特に縦走では、せっかく稼いだ高度をぐんぐん下り、またそれ以上に登る。逆に、下山中なのにある区間はぐっと登りが続くといった事は当たり前。しかしここ富士山はそれが全く無いのだ。
先程登ってきたジグザグ道をひたすら下る。大将はペース早く、半分駆け下るように私のずっと前を行った。私はペースを保って、まるで軍隊よろしく確実な歩行に努めた。後ろには下山者が全くおらず、とてもリラックスした気分でぐんぐんと下る。どの場所からでも、素晴らしい下界の景色が広がった。特に、宝永山の織り成す砂丘の眺めは優雅でありワイルド。
途中、大将が指差したのはブルドーザー道。ポツリポツリと登山者もそこを下っている。明らかに、この道を行けばショートカットだ。
我々はコースアウトし、ブルドーザー専用道に入った。ここは広くて歩きやすく更にペースが上がった。あっという間に、3つの山小屋を通り過ぎ、7合目の分岐にまで下った。ここからは「大砂走り」。一気に下る。
足元は、昨日苦労して登った砂地。砂が深い所ではふくらはぎ位まである。登りは蟻地獄。下りは砂のスキーさながら。
砂走りとは全く良く言ったものだ。本当に走れる。スーパーマリオが無敵になった気分だ。御殿場口までの一本道、他の登山者が休み休み下っている傍らを、バジリスクの様に砂走った。大将はここでもハイペースだった。私はジグザグを切って、歩きと走りの中間位のペースでぐんぐん下った。楽しい。体力は消耗しないのにスピードは上がる。その内、大将に追いつくべく、マジで駆けた。ザックが踊らないように片手で引き締めて、小走りに、ジグザグでブレーキをかけながら。ここらでやっと、心拍数が上がってきて、体力を使っている実感がでてきた。
そんな至福の楽しいエリアも、裾野に近付くにつれて傾斜は無くなり、深い砂を歩くようになった。こうなると、炎天下の砂漠を歩いているようなもので、中々ハードだった。散々砂の中を走った大将の靴の中には相当の砂利が入り込んでいたようで、途中でそれらを排出した。ショートスパッツもこの砂の前に無力だった様だ。いずれにせよ、スニーカーの様な靴でこのハードな山行をこなしたのはすごい。私は大将と同じ靴でやりくりする自信は無い。
途中で、昨日は見えなかった山頂をバックに写真を何枚か撮り、ヘトヘトになって登山口直近の休憩茶屋に寄った。そこの自動販売機で、大将はコーラ、私はジンジャーエールを買い、乾杯して飲み干した。各¥300、この際安い!
そこから5分ばかり下り、10:40遂に下山を果たした。山頂のオヤジの言う事は強がりではなかった。本当に、2時間と30分で山頂から駐車場に下って来たのだ。
大将は、特に一日目の登り、砂の足元にたいそうくたびれさせられた様で、「もうこれで富士山はやめだ」と言っていたが、須走コースが未踏だ。是非また、お手合わせ願いたいものである。
御殿場コースを選んでもらったのは幸運だった。これが道中ずっと行列だったら、私こそ、もう富士山はやめだ、となっていただろう。砂と風と雨に悩まされた一日目の苦労は、下山時の爽快感に見事に昇華した。
私の初富士山登頂は、運と大将とへの感謝で幕を閉じた。ひとまず。
大将と相談の上、渋滞を避ける為にもどこにも寄らず解散。が、結果的に私は腐った。寸前に起きたオートバイの事故で八王子までビッタリの中央道。そのまま素直に首都高まで走れば良かったんだろう。しかし私は我慢出来なかった。遠回りの圏央道に入り、関越道も無視して終点まで突っ走った。そして埼玉の見知らぬ一般道を、方角だけを頼りにぐだぐだと走っていた。自宅周辺の中華屋で、ラーメンにギョーザをガツガツと食らう事だけが望みだった。11:00過ぎに登山口を発ち、渋滞、自身の刹那的な迷走を経て、自宅周辺に着いたのが16:00過ぎ。それでも良かったのだ、中華屋で贅沢さえ出来れば。が、行ってみれば準備中。もう待てない。
私はスーパーに寄って、ギョーザを見つけるが、スーパーのくせに高い。5分少々迷った挙句、丁度値下げシールを貼って貰ったばかりのひつまぶし、たこ焼き、中華サラダを買って帰宅した。
ひつまぶしは、うなぎなんて一かけら。殆どがうまくもないタレがしみ込んだ茶色い飯だった。たこ焼きは、爪先ほどもないタコを包んだ小麦粉の塊。中華サラダは単にまずい。富士山登頂直後にしては、最低の晩飯だった。
蛇足ではあるが。
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