剣岳・劔澤大滝


- GPS
- 416:00
- 距離
- 5.6km
- 登り
- 811m
- 下り
- 361m
過去天気図(気象庁) | 2003年10月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
【剣沢大滝の幻ぶり】
北アルプスにある剣沢大滝は日本一の秘境だ。積雪4mになる世界有数の豪雪地帯の水を集め日本海に流れ下る黒部川。その支流剣沢は、深く細く刻まれた峡谷のため、普通の人は近づけない。この奥にある10段合計128メートルの中ほどD滝30mが幻の滝だ。黒部に魅せられ登り続けてきた登山家、志水哲也とその滝の滝壺までおりて撮影しようというもの。
最下段I滝から先のルートは簡単に言えばこうだ。高さ400m、100階建ての超高層ビルが二つ、東京都庁のように並んで建っていて、その隙間は川床で片側一車線の道路ほど。二つのビルは地上12階までつながっていて、そこからI滝がなだれ落ちている。I滝の、向かって右側の壁を50階まで登ったところが通称「焚き火テラス」。そこから二つのビルの隙間部分に水平に横ばいしていく。青白く流れる水流を50m下の奈落に見下ろす壁の中だ。この先にD滝がある。直線距離は200mほどだが、有段者のクライマーが焚き火のテラスから丸一日奮闘するルートだ。1962年に初遡行されて以来、剣沢大滝を完全遡行した者はこれまで20人に満たない。
【志水哲也】
D滝を滝壺まで降りて撮影できる写真家が志水哲也だ。志水が16年前青春をかけた剣沢大滝を写真家として再訪する様を追う。志水哲也は1965年生まれの38歳で僕と同世代の登山家だ。十代の頃たった一人での長期山脈縦走。86,87年には二夏かけて黒部川の入り口に下宿し、黒部川支流をすべて遡行する快挙を成した。このときが剣沢大滝の史上単独第二登。硬派登山家の好む黒部だが「黒部に最も惚れ込んだ男」と志水のことを誰しも認める。同じ時代に山に惹かれ、大学山岳部で先人の伝統を享受して仲間と共に山への関わりを深めた僕とは対照的だ。他に何も要らない、山だけ登りたいという、純粋だった彼の青春は神々しくも羨ましい。20代で著した志水の二冊の手記は、同時代の書の中にあって郡を抜き優れた青春冒険記録だ。
志水は30歳代からガイドになり、5年前から写真家に転身した。人気ルートではない志水色の強いガイド山行には、志水だから応募する固定客に恵まれ、良いペースでガイド業をしているという。20代で本を二冊出版した企画力は、一人独自性あるガイド山行をする今に生きている。縁を繋いで、案を練る。そういった力も持ち合わせていた。もはや本から受けた印象の、純粋で失う物の何もない若者ではなかったが、一人ガイドとして成功し、写真家として再生していこうとしているのだからそれも当然だ。
【撮影チーム】
撮影チーム10人のほとんどは登山歴10年あまりの同世代40歳前後だった。PD廣は明大山岳部OBで91年ナムチャバルワからのつき合い。富山の勝カメラマンは数年前から山登りを始めた。一番経験が短いが山岳会に入って岩登りと積雪期登山を積極的に通ってきた。岩登り技術は現役として鍛錬を重ねている。登攀の安全確認は誰よりも慎重で丁寧だ。取材班のアシストをするプロの山岳ガイド二人(棚、稲)とフリーの音声マン(山)は秘境番組取材によく参加する顔見知り。秘境、山岳取材に関しては山に登れてロケに慣れているメンバーは限られるので知った顔になる。皆山岳部OBで廣との長いつきあい人脈で集まった。加えていつも山岳取材を手際よく手伝ってくれる信州大OBの二人(杉、前)は10年来のつきあい。それに期間半ばまでの日程で地元山岳会メンバー(松)、地元大ワンゲル現役学生(小)。これに志水とザイルパートナー(竹)が加わった。
剣沢平のベースキャンプはガレガレの河原右岸を整地してテント四張り、タープひと張り。北向きのため、一日にわずかしか日が射さない。薪は豊富で、13泊毎晩焚き火を囲む。雨の日はタープの下で焚き火。剣沢で過ごした時間は緑が黄色く紅く色づいて、そして終わっていく期間そのものだった。
【黒部川と関西電力ルート】
二週間の日程で10人が関わり、D滝までのルート工作を固定するため、ヒマラヤ遠征のような極地法を取ることになった。通常は登山者への便宜を図らない関西電力の上部鉄道(欅平〜人見平)を交渉の末、荷揚げと人員輸送に協力してもらい、人見平の作業員宿舎も利用させてもらった。おかげで日程と労力を縮める事ができた。黒部川は戦前から電力開発が進み、ほぼ垂直の壁には川底から100m以上の高さにカタカナのコの字型の長い歩道が掘られている。一般登山道とはいえ落ちれば助からないルートだ。この道を遡ると突如左岸から剣沢、右岸から棒小屋沢の滝が合流する景勝地、十字峡に至る。ここまでが道で、その先剣沢からが沢登りの領域だ。
この旧日電歩道を先駆けに、欅平からは左岸の尾根の地下深く小型の専用鉄道が延々延び、人見平のすぐ先の右岸では地下深く巨大な黒部第四発電所、そこから延々地下トンネルで黒部第四ダムへと地下道が果てしもなく続く。戦前は帝国のために、戦後は復興の夢と希望のために作られた、部外者には見えない大建造物が、北アルプスの山中に眠っている。今回はこの秘密トンネルを初めて目の当たりにして全く驚いた。
【撮影の手際とトラブル】
行程だけならD滝への片道は3日分にあたる。しかしザイルの道を作り、着実に取材班を進め、志水自身も撮影をするため、10人2週間の手間が必要になった。剣沢平の幕営地にベースキャンプを作るまでに6日、そこから焚き火テラスまでのルート工作に2日、悪天をさけて4日停滞に使い、テラスから先のルート工作と撮影に2日、撤収に3日という日数がかかった。
撮影はHD750二台とDVカメラ。バッテリーは関西電力の発電所寮で充電して、運び屋がほぼ毎日丸一日かけて他の食料と共に取りに行く方法だった。2台のカメラで10本のBPL90をやりくりした。心おきなくバッテリーを使える状況ではないので何かと我慢と工夫が必要だった。
ロープを使う垂直の壁から上は、ガイドのクライマーとカメラマンが組んで登る。核心部の焚き火テラスの先は勝がハイビジョン、米山はDVカメラで臨んだ。バランスが厳しいこのルートを8キロのカメラを背負って進むのは非常に難しく、直前で一台に限る事にした。殆ど日の光を浴びない現場では、カメラが乾燥する機会が無く、夜の冷え込みに伴う結露は毎朝の事。そのたびガスストーブでカメラを暖めて対処した。
一台のカメラは帰ってから見たビデオテープの画像が後半乱れていてカメラも故障していたことがわかった。現場では全く自覚症状のない故障。結果デジタルゆえに修復ができ、胸をなで下ろす。HDカメラはずいぶん進歩したがまだ大きく重い。それにきびしい環境での故障が多すぎる。山岳取材に関してはVTR収録部分をもっと軽量化して今のカメラの半分、4キロくらいになってくれると助かるのだが。
【焚き火テラスまでの岩壁ルート】
焚き火テラスまでの岩壁は4ピッチの壁を登る。トップは志水、我々はできたザイルの道を使ってカメラを持ち上げ撮影する。密着は勝、遠目は米山が担当する。I滝を囲む岩壁はやかんの底のような場所で、どこも取り付けないほど垂直だ。この壁は都合3回往復することになったが、重い荷物を背負ってのユマーリング(ロープをつかんだよじ登り)、懸垂下降(ロープにぶら下がって降りる)は応えた。
【トラバースルートと空中チロリアン】
焚き火テラスから先は突破者たちの記述通り、やる気を失うほどの絶叫ルートだ。懸垂15mでかろうじて立てるステップに降りる。足の下50mの奈落の底に激流が見える。手がかり無しのやや斜上トラバース(横ばい)を1ピッチ。絶壁に生える細―い灌木の紅葉が眩しい。小さな木だが樹齢は数十年に違いない。蒼く暗い谷底からは流れ狂う轟音が遠い。
横ばいの行き止まりの先、すなわち懸垂し、水際をまた横ばいし、緑の台地へ上がった合計3ピッチに、チロリアンブリッジを張った。チロリアンとはピンと張ったロープに腰のハーネスを掛けてぶらさがり、ロープをたぐってロープウエイのように空中を移動する術だ。体の下50mに冷たい谷底、両側は天まで続く大岩壁の中の空中チロリアンはさぞ怖いかと思うかもしれないが、こんなにすばらしい経験は無い。細い空には輝く青空が見え、水の轟音の他何も聞こえない境地で空中浮遊を楽しむのだ。幻のD滝がロープ半ばで完璧な姿を見せる。恍惚のロープウエイだった。
緑の台地からさらにD滝の滝壺に降りる志水と勝。落ち口から下に流れるにつれ扇状に広がる優美なD滝は下から見るやいかなものか。この下はまさに前人未踏。勝に任せ、米山は帰りの渋滞無きよう先にチロリアンで戻る。撮影を終え、焚き火テラスを後にし、4ピッチの懸垂下降で延々壁を下る。長い期間かかったがすべてはこの日のためにしてきた準備だった。志水、勝によれば降り立った滝壺は長居してはいけない、恐ろしい場所として感じ、逃げるようにユマーリングして戻ったという。
【健康状態や雰囲気】
10人18日分の食料は出発前に信州大OBの二人が一生懸命用意して、手際よくパッキングしてくれていた。二人の段取りの才能もあり、食事は毎回足りないと思うほどおいしく献立に不満は無かったが、10日を過ぎる頃から新鮮な食べ物の不足のせいか、顔がむくんだり、腫れがひかなかったりという鬱陶しい症状が出始める。ヒマラヤなどでもそうだ。鼻血がよくでたりし始める。新鮮な食べ物というのはやはり何か大切な欠かせないものが含まれているのだろう。長い山行では、こんな時に強い体質は才能のうちだ。
入山10日目くらいに棚と交代で来た稲がすき焼きの材料十人分を担いできてくれた。どしゃ降りの雨の中タープの下の狭い空間の焚き火を囲んで、イチ二のサンで取り合いしながら大笑いで食べたすき焼きは本当においしかった。皆、おおまじめなので、本当におもしろかった。欠いていた栄養分が補充された気にもなった。この夜の大雨で、轟音とともに天場近くのスノーブリッジが崩壊した。いつもその下を横切るやつだ。氷塊が天場の脇の増水した水辺でぐるぐる回っていた。
期間を通じ、健康を壊す者も、不注意から怪我をする者も無く、山慣れしたメンバーばかりで余分な心配が無用なのが良い。手際のそろったメンバーで毎夜焚き火を囲み、ご飯を分け合い、豊富な山の体験の話を交換する、気持ちの良い仕事だった。
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