【冬の遠征その2】 新宮市町歩き+α たくさんの人が登場する1日


- GPS
- 02:48
- 距離
- 8.1km
- 登り
- 43m
- 下り
- 42m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2019年12月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | かあちゃんの店 熊野本宮大社 和歌山県立熊野本宮大社ビジターセンター 道の駅「なち」 那智勝浦駅 |
写真
感想
三重県南部では、夜に結構な大雨が降った。そして、この日は尾鷲市にある大峰山を予定していた。往復で13kmほどで土の林道を永遠とゆくコースである。一等三角点百名山に選ばれている。
この大雨、そしてこの日から痛くなった左膝、どうやら暫く山は諦めた方が良さそうだ。平地歩きであれば問題ないが階段などは一歩一歩登り下りが必要なのだ。
仕方がないので今日はというか痛みがとれるまでは町歩きに徹底することとする。結局選んだのは新宮市だ、かつて熊野速玉大社に来たことはあるがそれ以外のスポットに出向いたことはないのだ。
駅近くに駐車場があると思っていたが行く途中に観光用駐車場があったので首尾よくそこに停めることとする。目の前のは大きな山ノ上が切り取られている目立つ構成物があった。間違いなくお城のあとである。
紀州の徳川家は紀州全体を運営してゆくのに和歌山は端すぎるのだ、そこでここにあった城を活用して部下をここにおいたわけだ。それが浅野氏1代、水野氏16代となる。そういうわけでこの城は江戸時代終わりまで使われた。
日本百名城には入っていないが「続・日本百名城」に登録されているようだ。
その後、街の顔たる駅に向かうこととする。紀勢線の駅になる。丁度特急車両の入れ換えがあったのでそれを見ることができた。この路線は本当に1回しか乗ったことがないなあ、と思いながら撮影した。
その後は熊野速玉大社に出向くこととした。
ここにも過去に来たことは1度のみである。ここ自体に関しては特に大きな印象はないのだ。今回はその横のある佐藤春夫記念館に立ち寄った。東京の氏の自宅を移築して博物館にしたそうで見ごたえがあった。
その後、駐車場に戻るが、もう少し歩きたくて2周目を歩くこととする。次は「徐福」についての旅だ。神社には徐福の墓に無学祖元が参ったという石碑があった。無学祖元といえば、神奈川では鎌倉のお寺をたてた僧侶としてよく知られている。こんなところにまで来ていたんだなあと驚く。
そして、徐福公園として整備されている彼のお墓に行くこととした。
徐福は中国秦の時代の人である。始皇帝のために不老の薬草を探しに日本に向かった人物とされているが、どうやら探しに行くことを進言したということから始皇帝とは馬が合わず、粛清を恐れて自ら始皇帝のもとを離れたという解釈もできるということもあるそうだ。
なお、徐福はこの地で一生をすごし当時の中国の優れて技術を伝えて回りの人々の暮らしを豊かにしたそうである。
紀元前の人だが日本の弥生時代にこんな人がいたというのも驚いた。
その後、自家用車に戻ることになった。
せっかくだからと熊野本宮大社に出向くこととし、車を走らせた。その途中の昼食はうどんとめはりずしのセット。めはりずしの塩加減が心地よい、始めての食べ物だが気に入った。
熊野本宮大社では、ヤタガラスを中心に参拝させていただいた。ヤタガラスは高千穂に天孫降臨した神武天皇をここまで先導したという3本足のカラスである。そう、サッカー日本代表のエンブレムにもなっている。なので、サッカー日本代表に関する展示物なども非常に多かった。
その後、海岸沿いに戻り、温泉に入り、書き物を色々してから就寝した。左足の痛みは温泉で少しよくなったが、山はどうだろうか。
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