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ハイキング
奥多摩・高尾
五日市の弁天山、城山陽だまりハイク
2008年01月03日(木) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 4.1km
- 登り
- 258m
- 下り
- 273m
コースタイム
JR五日市線・武蔵増戸駅(9時18分着、同発)→山田大橋(9時27分)→五日市トンネル脇から林のヤブコギ(9時46分)→弁天洞穴(9時59分着、登山道に出る、10時01分発)→弁天山山頂(10時05分着、食事、同34分発)→城山縦走路分岐(同37分)→城山山頂(10時53分、同57分発)→小峰公園への道を左に分ける→高尾神社・奥社(11時20分)→登山口・高尾神社(11時29分)→五日市街道(11時40分) ここから、五日市駅徒歩15分。
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年01月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
お正月の足慣らしハイキング。五日市の東に低く山並みを連ねる弁天山・城山に登ってきた。 東京・秋留台の我が家からは、富士山は6合目から上しか見えない。富士山の下半分を隠すのは市道三山だが、そのまた手前に低くはべっているのが、弁天山と城山だ。 最寄のJR五日市線・武蔵増戸駅から出発(9時18分)。五日市街道を渡り、秋川にかかる山田大橋のたもとまで来たところで、「弁天山」と書いた道標が右を指していた。これが正規の弁天山への登山道にいたる道で、秋川を150メートルほど上流で、南岸に渡って、北東側の尾根にとりつく。 私たちは、せっかくのご近所の探索なので、道があるかないかはわからないが、弁天山を南東ないし真東から攻めてみることにし、山田大橋をそのまま渡って南岸の網代地区へ着いた。 車道を西へ折れて、道なりに進み、深く、しかし水流が見えないV字谷を立派な橋で渡る。 弁天山を東から見上げる場所に来た。車道は、左折して「五日市トンネル」に向かっている。弁天山方向の正面には小さな畑があり、私たちは畑を左から迂回して抜け、まっすぐ山頂をめざすことにする。(9時46分) いよいよ、弁天山の登り。道はなく、最初は檜の樹林の際を通る。ついで、雑木林を直上する。小尾根の稜をつたい、かすかな踏み跡をたどっていく。先行するカミさんが、ルートを失い、止まっている。枯れ葉の堆積で、踏み跡はいっそう判然としない。木立のなかに、人が進んで行けるほどの、はかなげな通り抜けを見つけ、改めて登る。 一登りで、開けた樹林の中の空間に登りあがった。「弁天洞穴」という道標が立っていた。やった。登山道に抜けた。(9時59分) 洞穴の入り口まで登って中をのぞくと、真っ暗ですぐには何があるのか見えない。じっくりと見ると、4畳半ほどの空間に数体の石像がすえられていた。毘沙門天の像や、文明9年(1477年)という彫りこみがある大黒天の像が設置されているとのこと。日本の中世のころに興隆した「弁財天」信仰のなかで建立されたものと立て札に記述がある。本来ならば、弁財天の像こそなければならないが、これは後に時代に失われたらしい。 洞穴からは、わずか100メートルの急登で、弁天山の山頂に登りあがった。(10時05分) 標高292メートル。北から東へ、100度分ほどの見晴らしができる。遠く恵比寿、六本木、新宿、池袋の高層ビル群が見えた。さいたま市あたりにも高層ビルがあり、ドーム型のスポーツ施設も大きく見える。その左(北)はるか彼方の山は、筑波山だ。 眼下をゆったりと流れる秋川。秋留台はほぼ全域を間近に見下ろすことができる。我が家の近所にある神社の森も見えた。無風快晴の日差しのもと、すべてが明るい光景だった。 海苔巻きのお餅を食べ、みかんをほおばり、熱い紅茶で一息いれながら、穏やかな景色を眺めた。 弁天山を下って、武蔵増戸駅への道を右に分け、城山への縦走路に入る。 この登りで目立つのは、冬も鮮やかな緑色の葉を伸ばすアオキ。木漏れ日に葉が透き通るように明るく映える。先行するカミさんは、木陰の向こうで姿が見えない。「ジャノヒゲがあるよー!」と上方から声がする。登ってゆくと、日が差し込む一角があり、蛇ノ髭が群生している。真冬の雑木林の林床で、コバルト・ブルーの光沢のある青い実をつけるユリ科の植物。実は、美しい陶器のような色合いで、細い葉とは不釣合いに見えるほどだ。 しかも、実に見えるものは、果実ではなく、種子そのもの。果肉は周囲につかず、種子そのものである胚珠が、そのまま生長・肥大して露出しています。不思議な植物だ。 この一帯もそうだが、弁天山から城山の北側から東側は、杉などの植林地はわずかで、ナラやホオの木などの自然の広葉樹林が広がっている。五日市街道から見上げると、春先の芽吹きの時期、新緑の時期、そして秋の紅葉の時期、それぞれに季節の訪れを伝えてくれる場所だ。下から眺めてきたその森に、今回はようやく入り込んだことになる。ツツジも多く、その季節ならばハイカーも多いのかもしれない。今日は、まったく人に会わない静かな山道だった。 やや急な、短い登りを2回、乗り越すと、城山の山頂に出た(10時53分)。標高331メートル。 楽しみにしてきたのは、「関東北山」の遠望だ。弁天山からは、隣の草花丘陵にさえぎられて、「北」の遠望が利かなかった。日光から上越にかけての雪山が、この高さからならば、見渡せるかもしれない。幸い、北の方角は、この季節だけは樹間に視界が開けていた。 しかし今日は残念。もやのせいか、遠望はできなかった。 がっかりしたが、もう一つ、望んでもいなかった楽しみが、この山頂にはあった。 図面入りで立っている説明板によると、この城山は、15世紀から16世紀にかけて、地元の農民集団に支えられた地侍たちが、「網代城」という城を築いた場所だったという。地侍と農民たちは、「一揆」を持続し、どの有力地方領主にも年貢を納めることなしに、ごくローカルな権力を100年近くに渡って維持した。 説明図によると、いまたどってきた縦走路の尾根が細まった部分には、「堀切」と呼ばれる溝と柵が設けられていた。私たちが下降するこの先の尾根にも、堀切は二重、三重に設けられて、敵の進出を阻んでいる。 地侍と農民たちは、16世紀中ごろに小田原の北条家につながる北条氏照に敗北させられるまで抵抗を続け、その後には、八王子市の「滝山城」の支配下の支城として組み入れられたとのことだった。 10数年も麓から見上げていたのに、そんな歴史があった山だったとは、ここに登ってくるまで、知らなかった。 城山から、五日市方面へ下降する。(10時57分発) すぐに、小峰公園への道を左に分ける。秋川街道に下りても、五日市は遠くなるので、右に秋川へ下ってゆくルートを選んだ。これが、ちょっと見込み違いだった。 高尾神社の奥社を経て、秋川へと降りていくルートは、登山道としてはほとんど歩かれていないようだ。道は明瞭だが、3回ほどものすごい傾斜の下降があり、足元は落ち葉と転石で不安定。トラ・ロープを伝って下降させられる場所もあった。前方を通せんぼする倒木まで現れた。クモの巣はほとんど残っていなかったが、これは冬だからで、他の時期には道はもっと通りにくそう。 とはいえ、人が通らない道は、それはそれでうれしい。足元には、フジの種子を包んでいたサヤが無数に散らばり、大きなホオ葉も落ちていた。南天の赤い実もまだ残っていた。 場所はくわしくは言えないが、縦走路では、フユイチゴのかなり大きな群落も見つけた。1房、2房、頬張ると甘い。真冬に熟す、木苺だった。 小さな高みも3度ほどあり、最後の高みが高尾神社の奥社だった。(11時20分) その少し先に尾根の肩のような見晴らし地点がある。五日市駅周辺と、その上に大岳山が望めた。 ひと下りで、登山口の高尾神社に降り立った。(11時29分) 秋川の深みはよく澄んでいる。ここから、五日市街道に出て、五日市駅は15分とかからない。 私たちは、まだ歩きたい気持ちがあったので、秋川駅方面を目指して、畑の中の農道を選びながら、陽だまりのハイキングを続けた。背後には、離れるほどに小さく、低く、そしてついには周囲の山にのみ込まれて行く、弁天山−城山の山並みがあった。 http://trace.kinokoyama.net/kanto/bentenyama0801.htm |
写真
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