この日は4人で出発。きれいに晴れ上がって気持ちの良い天気となった。敦賀駅からタクシーで約20分、料金は4000円。R476の木の芽トンネル手前(新保)
の登山口にて。(タクシーの運転手さんが撮影してくれた。)
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9/19 8:44
この日は4人で出発。きれいに晴れ上がって気持ちの良い天気となった。敦賀駅からタクシーで約20分、料金は4000円。R476の木の芽トンネル手前(新保)
の登山口にて。(タクシーの運転手さんが撮影してくれた。)
木ノ芽峠の歴史がまとめてある。
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9/19 8:46
木ノ芽峠の歴史がまとめてある。
登山口にはツユクサが群生していた。
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9/19 8:48
登山口にはツユクサが群生していた。
こちらはキンミズヒキ
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9/19 8:48
こちらはキンミズヒキ
峠までの中間地点。古い道標に新しい案内板が付けられていた。
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9/19 8:58
峠までの中間地点。古い道標に新しい案内板が付けられていた。
木ノ芽川沿いの峠への道
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9/19 9:04
木ノ芽川沿いの峠への道
弘法の爪書き地蔵の案内
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9/19 9:07
弘法の爪書き地蔵の案内
弘法の爪書き地蔵が描かれた大岩。描線は風化して定かでない。30mほど道を逸れた場所にある。
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9/19 9:08
弘法の爪書き地蔵が描かれた大岩。描線は風化して定かでない。30mほど道を逸れた場所にある。
この辺りから下草が伸びて前日の雨が大量に付着していた。スパッツを付けた方が良かったかもしれない。
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9/19 9:13
この辺りから下草が伸びて前日の雨が大量に付着していた。スパッツを付けた方が良かったかもしれない。
紫式部(973頃〜1014頃)がこの辺りで歌を詠んだらしい。997年とあるから1000年以上前の話だ。
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9/19 9:18
紫式部(973頃〜1014頃)がこの辺りで歌を詠んだらしい。997年とあるから1000年以上前の話だ。
昔の旅人はこのように休憩していたんだなあ。良いデザインだ。
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9/19 9:21
昔の旅人はこのように休憩していたんだなあ。良いデザインだ。
ゲンノショウコ。根を乾燥させて煎じて飲むと胃腸病、特に下痢に効いたそうだ。
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9/19 9:30
ゲンノショウコ。根を乾燥させて煎じて飲むと胃腸病、特に下痢に効いたそうだ。
木ノ芽峠下の木ノ芽川源流地点。冷たかったがあまり綺麗ではなかった。新保から約1時間かかった。
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9/19 9:38
木ノ芽峠下の木ノ芽川源流地点。冷たかったがあまり綺麗ではなかった。新保から約1時間かかった。
源流に咲くツリフネソウ。付近一帯に沢山咲いていた。
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9/19 9:39
源流に咲くツリフネソウ。付近一帯に沢山咲いていた。
木ノ芽峠
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9/19 9:41
木ノ芽峠
峠に建つ一軒の民家。築550年だそうだ。御年80歳のご主人が、猫と一緒に暮らしておられる。
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9/19 9:41
峠に建つ一軒の民家。築550年だそうだ。御年80歳のご主人が、猫と一緒に暮らしておられる。
道元禅師の碑。曹洞宗の総本山・永平寺の開祖。
曹洞宗の教えの根幹は、「只管打坐(しかんたざ)」 で、 ただひたすらに坐るという坐禅だそうだ。
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9/19 9:42
道元禅師の碑。曹洞宗の総本山・永平寺の開祖。
曹洞宗の教えの根幹は、「只管打坐(しかんたざ)」 で、 ただひたすらに坐るという坐禅だそうだ。
ご主人と話が弾み、と言うよりご主人の独演会ではあったが、30分以上休憩させて頂き、地元のアイスクリームをご馳走してもらった。アイスの上に黄な粉がまぶしてあり、おいしかった。写真は座敷にデンと置かれた茶釜。豊臣秀吉から拝領した陣中茶釜だそうだ。ちなみにご主人の家系は桓武天皇を祖とし、お主人は初代から数えると55代目だそうだ。平清盛から35代くらいだったかな?織田信長の流れもあるそうだ。信長の先祖は越前の神職だったことは歴史上明らかで、この家の伝承と一致している。その後、尾張に出て、尾張の守護代織田氏の庶流となり、信長の父、信秀の代に勢力を広げた。前川氏の先祖は朝倉氏に仕えた時代もあったようで、その後は福井の北の荘城に詰めた時期もあったそうだ。代々の宝物は殆ど散逸した模様だ。
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9/19 10:04
ご主人と話が弾み、と言うよりご主人の独演会ではあったが、30分以上休憩させて頂き、地元のアイスクリームをご馳走してもらった。アイスの上に黄な粉がまぶしてあり、おいしかった。写真は座敷にデンと置かれた茶釜。豊臣秀吉から拝領した陣中茶釜だそうだ。ちなみにご主人の家系は桓武天皇を祖とし、お主人は初代から数えると55代目だそうだ。平清盛から35代くらいだったかな?織田信長の流れもあるそうだ。信長の先祖は越前の神職だったことは歴史上明らかで、この家の伝承と一致している。その後、尾張に出て、尾張の守護代織田氏の庶流となり、信長の父、信秀の代に勢力を広げた。前川氏の先祖は朝倉氏に仕えた時代もあったようで、その後は福井の北の荘城に詰めた時期もあったそうだ。代々の宝物は殆ど散逸した模様だ。
玄関の正面に平重盛の墓があった。重盛は清盛の嫡男。墓誌にはご主人の36代の祖と記してあった。
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9/19 10:10
玄関の正面に平重盛の墓があった。重盛は清盛の嫡男。墓誌にはご主人の36代の祖と記してあった。
苔むした麦藁屋根を見上げるYさん。
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9/19 10:10
苔むした麦藁屋根を見上げるYさん。
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9/19 10:11
今庄側から見た峠と藁ぶきの家。古い街道の面影が濃い。
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9/19 10:12
今庄側から見た峠と藁ぶきの家。古い街道の面影が濃い。
北西に展望が広がっていた。
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9/19 10:14
北西に展望が広がっていた。
アップすると大きな山塊が確認できたが、どこの山だろう。同定が難しいが方角と距離感から判断すると、永平寺町北側に東西に広がる浄法寺山1052.9mではないだろうか。
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9/19 10:14
アップすると大きな山塊が確認できたが、どこの山だろう。同定が難しいが方角と距離感から判断すると、永平寺町北側に東西に広がる浄法寺山1052.9mではないだろうか。
ツリフネソウ
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9/19 10:18
ツリフネソウ
アップで
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9/19 10:19
アップで
峠からしばらくは幅の広い歩きやすい道が続く。
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9/19 10:19
峠からしばらくは幅の広い歩きやすい道が続く。
言奈地蔵(いうなじぞう)のお社
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9/19 10:23
言奈地蔵(いうなじぞう)のお社
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9/19 10:23
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9/19 10:25
屋根の苔がすごい
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9/19 10:25
屋根の苔がすごい
トリカブトが多い。季節の花だ。
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9/19 10:28
トリカブトが多い。季節の花だ。
木ノ芽峠を下り、笠取峠を下ったところにある案内。
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9/19 10:34
木ノ芽峠を下り、笠取峠を下ったところにある案内。
ミゾソバがスキー場のゲレンデに咲いていた。ここらから舗道が始まった。
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9/19 10:40
ミゾソバがスキー場のゲレンデに咲いていた。ここらから舗道が始まった。
長い舗装道歩きの途中の道標。木ノ芽峠から3km歩いてきた。この辺りは旧道は不明瞭になっている。旧道を拡張して舗装したのだろう。
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9/19 10:55
長い舗装道歩きの途中の道標。木ノ芽峠から3km歩いてきた。この辺りは旧道は不明瞭になっている。旧道を拡張して舗装したのだろう。
綺麗に晴れ上がった空に秋を感じた。
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9/19 11:03
綺麗に晴れ上がった空に秋を感じた。
樹の根元には山神様の石塔が建っていた。
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9/19 11:04
樹の根元には山神様の石塔が建っていた。
二ッ屋の宿場跡に着いた。遺構が沢山あった。昔は賑わったんだろう。
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9/19 11:24
二ッ屋の宿場跡に着いた。遺構が沢山あった。昔は賑わったんだろう。
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9/19 11:26
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9/19 11:26
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9/19 11:27
大きなケヤキがあった。
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9/19 11:27
大きなケヤキがあった。
樹齢は300年くらいだそうだ。
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9/19 11:28
樹齢は300年くらいだそうだ。
ケヤキの横には荒れ果てた日吉神社。北国街道全盛の頃は二ツ屋宿の鎮守だったが、豪雪のため住民は離村してしまい、今は荒れ放題になっている。
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9/19 11:29
ケヤキの横には荒れ果てた日吉神社。北国街道全盛の頃は二ツ屋宿の鎮守だったが、豪雪のため住民は離村してしまい、今は荒れ放題になっている。
二ツ屋宿跡の標識
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9/19 11:32
二ツ屋宿跡の標識
林道の横は二ツ屋川が流れている。この辺りでは水量が増えてくる。
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9/19 11:34
林道の横は二ツ屋川が流れている。この辺りでは水量が増えてくる。
街道に佇む地蔵尊。比較的新しいようだが風雪を経た表情が良い。
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9/19 11:37
街道に佇む地蔵尊。比較的新しいようだが風雪を経た表情が良い。
街道脇の広場で昼食休憩。周りの風景に溶け込んで寛ぐ
KFさん。木株の上にはお茶を沸かすコンロが置いてある。
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9/19 12:22
街道脇の広場で昼食休憩。周りの風景に溶け込んで寛ぐ
KFさん。木株の上にはお茶を沸かすコンロが置いてある。
大分下ってきて、現在の二ツ屋の集落の入り口。民家は大きく立派な造りの家ばかりだった。正面の建物はトイレ。同行者に女性が居る場合は重宝すると思う。有難い。
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9/19 12:48
大分下ってきて、現在の二ツ屋の集落の入り口。民家は大きく立派な造りの家ばかりだった。正面の建物はトイレ。同行者に女性が居る場合は重宝すると思う。有難い。
二ツ屋の看板と二ツ屋川。奥は藤倉山の稜線
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9/19 12:48
二ツ屋の看板と二ツ屋川。奥は藤倉山の稜線
藤倉山をアップで。カタクリなど春の花で有名だったが、鹿害で絶滅したそうだ。数年前に計画して観光案内所に問い合わせたら花が無くなってしまったので断念した経緯がある。
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9/19 12:51
藤倉山をアップで。カタクリなど春の花で有名だったが、鹿害で絶滅したそうだ。数年前に計画して観光案内所に問い合わせたら花が無くなってしまったので断念した経緯がある。
かなり広い範囲の田んぼでソバが栽培されていた。今花盛りで、11月には新ソバが食べられるそうだ。今庄では有名らしい。地元の人がおいしいソバ屋を教えてくれたが、昼ご飯の後でお腹が一杯なので、食べられなかった。残念!
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9/19 12:55
かなり広い範囲の田んぼでソバが栽培されていた。今花盛りで、11月には新ソバが食べられるそうだ。今庄では有名らしい。地元の人がおいしいソバ屋を教えてくれたが、昼ご飯の後でお腹が一杯なので、食べられなかった。残念!
ソバの花
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9/19 12:56
ソバの花
ソバ畑の横をゴールに向かって歩く。今庄駅まであと4kmくらいがんばろう!!
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9/19 12:58
ソバ畑の横をゴールに向かって歩く。今庄駅まであと4kmくらいがんばろう!!
藤倉山の麓の新道地区。この辺りも立派な家が多かった。
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9/19 12:59
藤倉山の麓の新道地区。この辺りも立派な家が多かった。
北陸トンネルの今庄側出口を撮ったつもりが右端に切れてしまった。
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9/19 13:19
北陸トンネルの今庄側出口を撮ったつもりが右端に切れてしまった。
北陸トンネルを目指す同じサンダーバード。焦っていたので斜めになっている。アカンなあ!!
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9/19 13:28
北陸トンネルを目指す同じサンダーバード。焦っていたので斜めになっている。アカンなあ!!
この辺りは鹿蒜の里というらしい。木ノ芽峠の案内もある。
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9/19 13:29
この辺りは鹿蒜の里というらしい。木ノ芽峠の案内もある。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
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9/19 13:32
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
稲田の向こうを疾走する特急しらさぎ。後部がかけているではないか!!
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9/19 13:32
稲田の向こうを疾走する特急しらさぎ。後部がかけているではないか!!
こちらはサンダーバード。同じく後部が欠けている。アカン。これからは鉄道写真は専門家のSFさんに任せよう。
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9/19 13:36
こちらはサンダーバード。同じく後部が欠けている。アカン。これからは鉄道写真は専門家のSFさんに任せよう。
今庄に入って直ぐにある鹿蒜神社。鹿蒜の里にあるから鹿蒜神社だろう。式内とある。式内とは平安時代に編纂された格式である「延喜式」に記載されている神社だそうだ。
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9/19 13:41
今庄に入って直ぐにある鹿蒜神社。鹿蒜の里にあるから鹿蒜神社だろう。式内とある。式内とは平安時代に編纂された格式である「延喜式」に記載されている神社だそうだ。
旧街道は秋の風情が漂っていた。
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9/19 13:51
旧街道は秋の風情が漂っていた。
今庄宿のの入口にある常夜灯
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9/19 13:56
今庄宿のの入口にある常夜灯
今庄には造り酒屋が4軒ある。そのうちの1軒。
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9/19 14:05
今庄には造り酒屋が4軒ある。そのうちの1軒。
街の中心付近にある新羅神社。朝鮮半島から移住した人たちは敦賀に上陸して、この地に集落を作ったのだろう。福井からは伝説上の継体天皇が出ている。朝鮮から渡来した技術集団の長を総称したのだろう。この地を豊かにして力を蓄え、大和に進出し一時代を築き、その後も大和朝廷の基礎をこの人たちが築き上げたのだと思う。
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9/19 14:08
街の中心付近にある新羅神社。朝鮮半島から移住した人たちは敦賀に上陸して、この地に集落を作ったのだろう。福井からは伝説上の継体天皇が出ている。朝鮮から渡来した技術集団の長を総称したのだろう。この地を豊かにして力を蓄え、大和に進出し一時代を築き、その後も大和朝廷の基礎をこの人たちが築き上げたのだと思う。
藤倉山にはここから登るようだ。
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9/19 14:08
藤倉山にはここから登るようだ。
造り酒屋(2軒目)KFさんは何を想う?
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9/19 14:10
造り酒屋(2軒目)KFさんは何を想う?
広くて立派な本陣跡
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9/19 14:12
広くて立派な本陣跡
本陣の説明
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9/19 14:19
本陣の説明
造り酒屋(3軒目)
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9/19 14:13
造り酒屋(3軒目)
町屋に上げられた「うだつ」。徳島県美馬市の脇町が有名だが、ここは木製で珍しい。防火のためと富の象徴でもあり、余裕のある家はこぞって上げたそうだ。
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9/19 14:17
町屋に上げられた「うだつ」。徳島県美馬市の脇町が有名だが、ここは木製で珍しい。防火のためと富の象徴でもあり、余裕のある家はこぞって上げたそうだ。
今庄駅横の大きな高札風の看板
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9/19 14:21
今庄駅横の大きな高札風の看板
今庄駅前に設置された付近の案内板
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9/19 14:22
今庄駅前に設置された付近の案内板
広域の案内板
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9/19 14:22
広域の案内板
今庄駅。観光協会と物産館が同居してる。初めて来たので、昔の状況はわからないが、新しくなって昔の面影は無くなってしまったようだ。
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9/19 14:23
今庄駅。観光協会と物産館が同居してる。初めて来たので、昔の状況はわからないが、新しくなって昔の面影は無くなってしまったようだ。
今庄駅構内は昔の面影が残っていた。敦賀方面。画面左には広大な機関区跡があった。北陸トンネルが開通するまで峠を越える為に増結する機関車が配備されていたそうだ。敦賀からの列車は増結した機関車をこの駅で切り離し、敦賀に向かう際は連結したそうだ。(同行のSFさん談)
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9/19 14:40
今庄駅構内は昔の面影が残っていた。敦賀方面。画面左には広大な機関区跡があった。北陸トンネルが開通するまで峠を越える為に増結する機関車が配備されていたそうだ。敦賀からの列車は増結した機関車をこの駅で切り離し、敦賀に向かう際は連結したそうだ。(同行のSFさん談)
福井・金沢方面。長いホームが昔の繁栄を物語っていた。今、停車するのは普通電車だけで2両編成だから悲しくなる。
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9/19 14:40
福井・金沢方面。長いホームが昔の繁栄を物語っていた。今、停車するのは普通電車だけで2両編成だから悲しくなる。
敦賀行き521系の普通電車が入ってきた。敦賀で15:23の新快速に乗り換えて京都で下車して反省会に臨んだ。反省会はKFさんの配慮でエビスビールをたらふく飲むことができた。KFさんありがとうございました。飲み気に走ってしまい、反省会の写真はありません。
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9/19 14:44
敦賀行き521系の普通電車が入ってきた。敦賀で15:23の新快速に乗り換えて京都で下車して反省会に臨んだ。反省会はKFさんの配慮でエビスビールをたらふく飲むことができた。KFさんありがとうございました。飲み気に走ってしまい、反省会の写真はありません。
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