石ノカラホト、玉取池探し 一回目 (滝子山の北西付近)
- GPS
- 11:25
- 距離
- 17.3km
- 登り
- 1,239m
- 下り
- 1,253m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
桜公園に5台程、道証地蔵の少し手前に5台程。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所: 歩いたコースでは特に危険箇所はありませんが、足場の悪いところもあります。 深い笹藪の中では、折れた笹の枝で目を刺す危険があるのでメガネやサングラスで目の保護をしなければなりません。 不明瞭箇所: Vルート内は道がありませんので全て不明瞭です。この付近は地形が複雑で枝沢が多数あるので事前に1/25000の地図などで確認しておく必要があります。 また沢を外れると笹藪が深く背丈以上のところが多いです。この様な笹薮の中は2〜3m先の見通しも利かないので、遠くの山や稜線の位置を確認して進む必要があります。 道の様子: 山と高原地図に書かれている一般登山道は特にここでは書きません。 今回は一度Vルートに入りその後一般登山道に戻り、その後再びVルートに入りまた一般登山道に戻るという歩き方をしました。 Vルート内は上記危険個所や不明瞭箇所のところで書いたような状況です。 Vルート内は名の無い枝沢や尾根などで複雑な地形なので、個々の部分での説明は省略します。 (2013年12月11日追記) 2013年12月7日に石ノカラホト、玉取池探し 二回目に行ってきました。 http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-380865.html |
写真
感想
滝子山の北西に”石ノカラホト”と”玉取池”があるようです。
この情報はYamaotoko7さんがヤマレコ地図に登録した中に書かれており、昭和34年に発行の『岩科小一郎著・大菩薩連嶺』に載っている昭和5年の古地図に書かれております。
http://www.yamareco.com/modules/yamainfo/ptinfo.php?ptid=13567
今回、これを探しに行くことにしました。
”石ノカラホト”と”玉取池”の場所の情報:
その他”石ノカラホト”と”玉取池”の説明は、『岩科小一郎著・大菩薩連嶺』に3行程があるのみです。
したがって”石ノカラホト”と”玉取池“の位置の特定は以下の様にしてみました。
先ず滝子山、大谷ヶ丸、大鹿山の三点のそれそれの間の距離を昭和5年の古地図と国土地理院の1/25000地図で比較すると僅か5%の誤差のみでした。そしてその誤差の平均を求めておきます。昭和5年の古地図は意外と正確に出来ていました。
次に、今度は古地図の3つの山の位置と”石ノカラホト”と”玉取池”の距離を測り、先程の誤差を補正してそれを1/25000地図上で示すとそれぞれの位置を示す範囲の図が出来上がりました。
これをそれぞれの目標地点とした訳です。しかし、”石ノカラホト”と”玉取池”の写真もスケッチもなく、更に長い歳月の為様子も変わっていて仮に本物を見たとしてもそれが分からない可能性があります。
更に古地図の、”石ノカラホト”と”玉取池”の位置の正確さが気になるところです。
結果的に現地へ行って見ると付近の地形は複雑で、東長窪(沢)の奥を上がれば良いものを遠回りしていたことが、帰ってから分かったわけです。
いろいろ反省点の多い宝探しでした。
【★★感想と解説★★】
石ノカラホトと玉取池は私が数年前に入手した『岩科小一郎著 大菩薩連嶺 朋文堂』に載っていて長いこと興味をそそりながら頭の中で妄想登山をして、どのように行けば良いかを考えておりましたが、私一人ではどうする事も出来ませんでした。そこで私の知人で中級山岳のバリエーションルートを熟達しているhachi氏が古地図を見ながら現在の地図と照らし合わせて緯度経度や方角その他諸々を数学的に分析してくれました。そのかいがあって今回の石ノカラホト探検に行く事が出来ました。だけど古地図の向ウ沢と思える場所から入っていくつかの小さいヤブ尾根を跨いで玉取沢と思える場所に行きましたが、石ノカラホトや玉取池は過去に先人が残した写真も無く、もちろん絵や毛筆画すらありませんので、実態が無いものを2人で探すのはかなり大変なことでした。だけどhachi氏の数学的分析が功を奏して石ノカラホトもしくは玉取池と思える残骸に出くわすことが出来ましたので、今回の収穫はかなりの進捗であると思いました。次回は必ず発見したいと思っております。
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【★石ノカラホト&玉取池★】
鏡ガ沢の玉取沢に玉取池という所あり、現今はほとんどうずもれて池らしくないが、昔そこから水晶の玉を得たそうだ。所持者は笹子方面にいるが、ガラスのようなものではなく天然結晶の不透明なものだという。玉取池の少し下手に石ノカラホトと称し、大石に横穴のある唐櫃のようなものあり、それに古鏡や玉を隠してあった。で、右の玉も壺に入れて鏡ガ沢奥に隠されてあり、旱魃の時に取出して鎮西ガ池に浸す、すなわち雨降ると云う。
『岩科小一郎著・大菩薩連嶺・昭和34(1959)年』より抜粋
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【★鎮西ヶ池★】
※鎮西ヶ池の宝物も石洞と載っておりますので、石ノカラホトが小規模な岩小屋である関連性もうかがえます。
鎮西ガ池(鏡ガ池)より出たと伝える古鏡を池水に浸せばたちまち降る。験を得れば新鏡一面を添えて山中の石洞に返す。この元祖古鏡は現在恵能野の子ノ神社(為朝社)に納めてあるが、重量百五十匁ぐらい、無柄、無模様、無銘、材質は唐銅のごときものをいう。この古鏡には諸説あるが、何せ雨乞いの都度一面ずつ増えるのだから、古鏡と称するものの所持者が各方面にあり。本当の古鏡はどれかわからない。
『岩科小一郎著・大菩薩連嶺・昭和34(1959)年』より抜粋
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【★鎮西ヶ池★】
大鹿山ノ奥ニ鏡ヶ池ト云フ地アリ、里ヨリ山中ニ入ルコト二里余鎮西ヶ池ト云フアリ、今ハ地形ノミニテ水湛ヘス。此邊スコシク平ニシテ居宅蹟アリ、相傳フ、鎮西八郎爲朝伊豆ヨリ、此深山ニ臻リ、庵ヲ結ヒテ居住セシ地ナリト云、因テ鎮西ト称スト云。馬塲ト云ヘル地貮所アリ、亦、馬冷シ塲ナト云フ地アリ、桑畑ト云地アリ、如何ニモ故アル人ノ潛居セシ地ナルヘシ、亦、地ノ傍ニ楓ノ古木アリ、九重ノモミヂト云。
『甲斐國志・鎮西ヶ池の項・文化11(1814)年』より抜粋
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【★大菩薩連嶺滝子山西方の『石ノカラホト』の情報求む!★】
投稿日:2013年04月24日 20:52<Yamaotoko7>
http://www.yamareco.com/modules/diary/8544-detail-50705
コメント
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こんばんは
小生、20年ほど前から滝子山をよく訪ねましたが、いつの頃からか、登山道が付け替えられていて、始めは驚きました。藪下という地点に現在は左の谷から上がってきますが、ちょいと前までは右側から登りついていました。現在は通せんぼのようにでっかい倒木がふさいでおります。その右側から登る谷に立派な小屋が建っていたのを思い出しました。小屋の脇から登っていたんです。
jinzaemonさん こんばんは
jinzaemonさんがいう付け替えられた登山道は、写真11と13の道標がある廃道だろうと思います。そして写真12がその小屋ではないでしょうか?
1446mピーク下の笹藪の中にかすかに踏み跡らしきものがありましたが、今じゃ大変な激藪でした。
この笹の激藪をもし一人で歩いていたなら即座に撤退するところでした
お疲れ様でした
まだまだ時間をかけて探索する必要がありますね。
角材があったと言うのは確かに気になりますね
私の故郷ですが、小さな池が涸れて30年も経つと土砂が流れ込み木が生え、池であった事も分からない様子になってました。
玉取池はなかなか難しいでしょうが石ノカラホトは、「大石に横穴のある唐櫃のようなものあり、それに古鏡や玉を隠してあった」とあるのですから何かしらの姿が残っていていいように思いますよね^^
かなりポイントを歩かれたようなので
お二人が候補とされたところで正解かもしれません。
ロマンがあって素晴らしい山歩きです!
yaritakeさん こんばんは
帰って来てから歩いたコースを検証するといろいろミスに気付きました。
こういう探索は行く前に地形を暗記するほど地図を良く見て行くべきと思いました。
玉取池よりは石ノカラホトの方が発見し易いと思います。何しろその様子が『岩科小一郎著 大菩薩連嶺 朋文堂』に書かれていますので、またいつか行ってみたいと思います
帰るときは、“こんな薮は当分もう行きたくない“などと思っていました。
しかし翌日になるとまた行きたいなどと思う自分の馬鹿さに驚きます。←自分で分かっているだけ分からない人よりマシですよね
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