20210320-人が少ない市街地散歩-新旧の西国街道-武庫川髭の渡し


- GPS
- 04:18
- 距離
- 25.4km
- 登り
- 12m
- 下り
- 23m
コースタイム
- 山行
- 3:53
- 休憩
- 0:26
- 合計
- 4:19
天候 | 曇りのちぽつぽつ小雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2021年03月の天気図 |
アクセス | 徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
武庫川の堤防と河川敷、西田公園と西宮神社の境内以外、すべて市街地の街路です。 |
写真
この三王神社の北側を北西から南東に東上してきた西国街道(この溝がその道筋の方向を示す名残)は、ここで向きを約 30 度左(東進で)に変え、現在の国道 2 号線と(芦屋川の東までは)ほぼ一致した道筋を東進して行きます。
写真向かって右端に旧国道の道標が見えます。
旧西国街道とこの東では旧中国街道、つまり大阪との間の旧国道(国道 43 号線ができる以前)がこの道筋だったということのようです。
明治 43 年(1910 年)の地図での旧西国街道を、現在の街路で近似して辿りながら、武庫川まで行ってみます。
この手前(ここの南、写真向かって左の方)で、京都に向かって北東へ進む旧西国街道と、尼崎大阪方面に東進する中国街道が分岐していました。このあたりは、現在の街路が一致しません。
東川に沿って北上する道は、このあたりでも旧西国街道と現在の街路とが一致していないようで、与古道公園の中を通過していたようです。
ここの東川沿いの現在の道は、廣田神社の参道(広田参道筋)を南へまっすぐ延長した線上から東へ約 40m ほどずれた位置にあります。
現在の広田参道筋から南へ続く道は、山手幹線と JR 神戸線の間あたりから、南南西にカーブしています。
明治 43 年の地図では、廣田神社から南下する道は、途中、東西にぶれながら、このあたりに来ていたようです。
これと同様の明治三十一年六月、官幣大社廣田神社是ヨリ十二丁の石標が、国道 2 号線から国道 171 号線が分岐して始まる札場筋交差点の北東の角のあたりにあります。
この斜めの路地は、写真奥に見えます国道 171 号線と斜めに交叉して北東へ続いていて、明治 43 年の地図の西国街道に最も近い道筋のようです。
ここ大畑町の路地の南東の青木町あたりからこの路地を通り、西宮中央運動公園の北東へ抜けるまでは、旧西国街道が現在の街路と一致していません。
西宮市の旧西国街道の道標の案内は、西宮中央運動公園の北側からはじまります(帰路に写真を撮影)。
写真中央のローソンがあるピンクの建物の向かって右手の路地から進んできました。
旧西国街道は、この踏切で阪急電鉄今津線と斜めに交叉しています。
報徳学園中高等学校からその南西にある阪神水道企業団の施設のあたりでは、旧西国街道を現在の街路で正確にトレースできないところがあります。往路と帰路で少し違う道を通っているのは、そのためです。
いろいろな資料に見られる西宮市内の旧西国街道は、ここから西宮中央運動公園を南西へ通過して、この記録の最初から 9 枚目の写真、与古道公園あたりまで南下することになっています。
明治 43 年の地図では、ここから南西、西田公園あたりまで、山裾に沿って南西に道が続いています。
さらに昔の西国街道の可能性をさぐるために、ここから方向としては南西方向に街路を辿ることにしました。
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下に資料を追記しましたが、ここが旧西国街道の新旧の道筋の東の分岐点になるようです。
下にも記しますが、この道も旧西国街道のようです。
明治 43 年の地図では、2 枚前の写真の旧西国街道の南西への続きが、細い道筋として描かれています。
太平洋戦争後に米軍が撮影した航空写真では、廣田神社の参道はここが起点で、北東から南西へ道が通っている(通っていた)ことがわかりました。
明治 43 年の地図では、細い道筋として、旧西国街道らしき道が描かれていて、この公園のあたりで南に向きを変えています。
この石碑にはほかに何も彫られておらず、またこれに関する資料を見つけることもできず、由来はわかりませんが、ここに古い旧西国街道が通っていたようです。
そこは、右下の出会い広場より一段高いところです。前の写真の石碑の後ろ一段下に見えているのが出会い広場、その向こうは公園の南側の外で、阪急電鉄の高架と側道です。
旧西国街道は、西田公園を北東から南西に通過していたのでしょう。
芦屋市、阪神電車打出駅の周辺は、旧西国街道を追うことができませんが、ところどころ、一致していそうな所があります。
ここは芦屋市春日町です。こういうお地蔵様がいらっしゃるところは、もし移転したものでなければ、古い道がここを通っていたことを示しているでしょう。
打出小槌町までは、旧西国街道に近似した街路を進みました。この写真の箇所では、行きと帰りとで少し違う道を通っています。
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ここが旧西国街道の新旧の道筋の西の分岐点で、お地蔵様とその向かって右側の小さい石標が道標ということです。下に追記しました。
装備
個人装備 |
ERGOSTARランニングマスク装用
Buffフェイスマスク携行
長袖ジップシャツ(HOOH 250)
長袖インナーTシャツ(おたふく手袋ボディータフネス)
ズボン(ランニング用ジャージスラックス)
靴下(安全靴作業用)
靴(Salomon XA COLLIDER)
ザック(Paladineer Sunature 28L)
レインスーツ(サウスフィールド上 携行のみ)
タオル
ハンドタオル
帽子(作業用cap)
飲料1L
水分以外1kg+健康保険証+山岳保険会員証
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感想
昼からの空き時間、雨が降る前に行って来れるところとしまして、西国街道を東へ、武庫川まで辿ってみることにしました。
今日の散歩の西宮市内での往路は従来いわれている旧西国街道を辿り、帰路ではそれより以前の時代の旧西国街道を辿りました。
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目的 1
歩いて半日で到達できる西の端、大丸神戸店の北西の角までは、先日辿って、西国街道と浜街道を確認しました。
今日の散歩で、武庫川の髭の渡しから三宮神社まで、西国街道と浜街道のルートトレースが完成しました。
20210221-人が少ない市街地散歩-西国街道浜街道-三宮神社-生田神社-西国街道
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2944658.html
目的 2
旧西国街道が西宮の市街地を通る経路が新旧ありそうなのに気づきました。従来いわれている経路とともに、もう一つの、おそらくはさらに古い経路を探索することにしました。
従来いわれている経路
街道をあるく 西国街道
https://www.rekishikaido.gr.jp/aruku/saigoku/
あらかじめ、資料を収集しておきました。
西国街道-西宮神社-武庫川髭の渡し、資料
2021年02月27日 00:59
https://www.yamareco.com/modules/diary/121565-detail-232379
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西宮市、西田公園に旧西国街道跡の石碑があることを知り、明治 43 年の地図と照らし合わせましたところ、西田公園あたりを通る道があって、それが旧西国街道から続いていそうだとわかりました。
今昔マップ
http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.743596&lng=135.339139&zoom=16&dataset=keihansin&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
西宮は、現在の市街地は古代、入り海(湾)になっていて、西宮神社があるところは海に突き出た砂州でした。
20200813-人が少ない市街地散歩-ニテコ池-廣田神社-甲山 (11/61)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=2498789&pid=bece7940d45d1ec6d4a388d78b0ede64
西宮市 西宮小史
https://www.nishi.or.jp/bunka/rekishitobunkazai/nishinomiyanorekishi/shoshi.html
大阪高低差学会 西宮の古代地形を歩く
http://osakakoteisa.blog.fc2.com/blog-entry-12.html
古代から奈良時代には、山陽道は、山城国(京都)の山崎から西ないし南西へ、昔の大阪湾の北から西では山裾と海の間をたどっていたようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%99%BD%E9%81%93
河川からの堆積土砂によって入り海が埋められて西宮の町の土地ができるより以前は、弥生時代の山裾の道(古代の山陽道、いずれ西国街道になる道)は、廣田神社の前あたりから、西宮の入り海を北東から南西へまわっていたのでしょう。
奈良時代末期(7世紀後半から8世紀後半ころ)に編纂された万葉集より後の時代には、この西宮の入り海に触れた歌や文献はないということです。平安時代には入り海が埋まりつつあったか埋まっていたのでしょう。
鎌倉時代には、かつては入り海に注いでいた夙川をまっすぐ南に付け替えたのだそうです。
平安時代から時代が下り、江戸時代に街道が整備され、明治になって都市になり、太平洋戦争後の市街地再開発から現代まで、西国街道は、その通り道が変遷してきたのだと思われます。
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資料の追記
元々の旧西国街道は、今回辿ったとおり、西宮中央運動公園の北から南西にそのまま進み、廣田神社の参道の南端を北東から南西に通過し、芦屋市打出、春日町まで、現在伝わっている旧西国街道とは違うルートで南西に直進していた、ちょうどお地蔵様を撮影した地点(最後から 2 枚目の写真)がその西の端の分岐点にあたるということです。
今津いまむかし物語
旧西国街道を歩く(4)★森具〜打出
http://imazukko.sakura.ne.jp/nishinomiya-style/blog/imazukko/T2.html
現在伝わっている旧西国街道の西宮中央運動公園から与古道公園までの区間は、
1.
もともとは旧来の西国街道(古来の山陽道)から分岐して西宮の門前町に通じる横道(今では与古道の地名に残る)だったものが、時代とともに本街道に昇格して西国街道になった、
2.
廣田神社の前を芦屋打出まで南西に通じていた旧来の西国街道(古来の山陽道)は廃れ、田畑になり、町になり、失われた、
ということです。
ちょっと歴史っぽい西宮
江戸時代〜西国街道と中国街道
http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55425819.html
マイケルのここは芦屋の打出
打出に残る旧西国街道の道標
http://www.trans-usa.com/ashiya/douhyou.html
広田村から打出村への本街道
http://www.trans-usa.com/ashiya/honkaidou0.html
どこでも Walkin'
西国街道 (本街道・芦屋分岐探索)
2010年10月5日(火) 芦屋
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2010/11/post-2d4c.html
西国街道 (御茶屋町探索)
2010年10月5日(火) 西宮
http://walkin.way-nifty.com/walkin/2010/11/post-df11.html
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西田公園 万葉植物苑
https://www.nishi.or.jp/access/koen/nishida.html
https://nishi2.jp/nisida/
https://nishinomiya-style.jp/glossary/nishidakoen
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大伴家持の桃の歌
国立公文書館 2018年3月1日
https://www.facebook.com/JPNatArchives/posts/441872246248639
春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出て立つをとめ
万葉仮名表記、歌の意味
春苑 紅尓保布桃花 下照道尓出立 嫺嬬
http://www.robundo.com/robundo/column/?p=9263
https://goyakuya.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
https://nbataro.blog.fc2.com/blog-entry-155.html
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川の名前を調べる地図
東川水系
https://river.longseller.org/ws/280016.html
六湛寺川は、名前なしとなっています。
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今日の神戸の最高気温は 19.9 度。夙川、香櫨園駅の周辺の桜が咲きかけていました
。
水分 1L を含む約 2kg の荷物で、水 200ml を消費しました。
アメダス神戸
https://www.jma.go.jp/bosai/amedas/#area_type=offices&area_code=280000&amdno=63518&format=table1h
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