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Yamareco

記録ID: 3120625
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キャンプ等、その他
アジア

【過去レコ】韓国自転車旅行 1998年 冬枯れの全羅南道、慶尚南道

1998年12月26日(土) 〜 1999年01月01日(金)
 - 拍手
GPS
608:00
距離
338km
登り
5,058m
下り
5,043m
天候 天気はずっと晴れましたが、寒かったです。
アクセス
利用交通機関:
電車 自転車
12月25日 秩父=成田 成田市内車中泊
12月26日 成田=ソウル= 夜行列車
12月27日 木浦(モッポ)=長興(チョハン)68.7キロ シンソ荘旅館
12月28日 長興(チョンハン)=光陽(クワンヤン) 91.9キロ(160.6キロ) ピョホア荘
12月29日 光陽(クワンヤン)=普州 94.3キロ(254.9キロ)〇〇荘
12月30日 普州=釜山 124.4キロ(379.3キロ)ソウル旅館 
12月31日 釜山=ソウル クリム旅館
1月1日 ソウル=成田=秩父
※距離が書いてある日が自転車旅行で、のべ4日走行し、合計379キロでした。

この自転車旅行は、1998年の夏の釜山〜ソウル間の自転車旅行に続き、2度目の自転車旅行です。
1回目の自転車旅行は以下になります。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3059911.html
コース状況/
危険箇所等
当時GPSは無く、ルートは手書きです。
細かい部分で異なる部分があるかもしれません。
今回の自転車旅行のルートは、国道2号線がほんとであったが、峠越えが多くなかなか思った様に進めなかった。トンネルもあるので注意。

天気は安定してましたが、寒かった。但し、道路の凍結箇所は無く、自転車走行には問題ありませんでした。
モッポまでの電車のチケット
モッポまでの電車のチケット
朝鮮半島の冬。最南部だけども寒いです。
朝鮮半島の冬。最南部だけども寒いです。
時々、どこを走っているのかよく分からなくなる。
時々、どこを走っているのかよく分からなくなる。
国道2号線を進みます。
国道2号線を進みます。
国道と並走する田んぼのあぜ道みたいなところ。
国道と並走する田んぼのあぜ道みたいなところ。
冬枯れの全羅南道を走る。
冬枯れの全羅南道を走る。
遠くには山も。
釜山に向け、2号線を延々走った。
釜山に向け、2号線を延々走った。
風をよけ、バス停で休息。自転車の左ペダルが外れ、ボルトに付け替えてある。昨年と同じ事が起きた。
風をよけ、バス停で休息。自転車の左ペダルが外れ、ボルトに付け替えてある。昨年と同じ事が起きた。
こんなかわいい感じのバス停もありました。
こんなかわいい感じのバス停もありました。

装備

個人装備
長袖シャツ Tシャツ ソフトシェル ズボン 靴下 グローブ 雨具 サブザック 地図(地形図) コンパス 筆記用具 ガイド地図(ブック) 保険証 携帯 カメラ

感想

 やさしい叔母ちゃんの旅館でオンドルの温もりに眠り、街の食堂で舌鼓を打つ。市場では韓国の熱気に触れ、自転車のスピードで流れゆく風景を通じ韓国そのものを知る。再び僕はオンボロ自転車をピカピカに磨き上げ、韓国に向かった。

 12月25日 秩父=成田 成田市内
 大きな輪行袋(分解した自転車が入っている)は前の日に車に積んであるので、会社から帰り、着替えが終わるともう旅の準備は終わってしまう。待ちに待った成田への出発。これからどんな事が待ち受けるのかワクワクする。23時40分。成田市内着。家から150km。下道で3時間半だった。座席を倒しシュラフにもぐる。明日からの旅を思い、なかなか寝付けない。

 12月26日 成田=ソウル= 夜行列車
 羽毛のシュラフは熱いくらいだった。でもあまり寝むれず。USAパーキング(5565円)で車を渡し、空港へのシャトルバスに乗り込むと、いよいよ旅は始まったという感じになる。これから全ての事は自分で考え、決めなければならない。
 南ウイング17番ゲート、このゲートで何度か出国した事がある。確か、前回の韓国便もこのゲートであった。時間を持て余しうろうろしているとエールフランスAF275便パリ行きの搭乗者の中に見覚えのある人が居た。医師で登山家の今井通子さんだと気が付いた。目が合ったようだ。フランスで登山かTV撮影なのか、若い女性とお二人だった。そういえば10年ほど前の夏に岩岳スキー場で旦那のダンプさんも見かけた事があった。会社の人にも空港で会ったりする。夏休みが同じなので仕方ない。前にロシアに行った時にSさんにあった。スペインに行くと言っていた。アフリカに向かう飛行機の中でも会社の人がいた事があった。

 KE702便は定刻12時過ぎに離陸。席は左側の窓側。雲海に富士山が浮かび、暫くすると奥多摩か?深い山の上空を通過した。その1ヶ月後、自分は富士山の近くで仕事するとは思いもよらぬ事であった。隣に座っていた韓国人女性はヨーロッパを1週間旅行した帰りとの様であった。日本人はどこに行っても多いが、最近は韓国人もよく旅行中に見かる。韓国版の地球の歩き方もあって、情報は日本と同じ様に溢れている様である。話しかけづらい人かと思ったが、話してみると感じのよい人だった。
 15時過ぎ金浦空港着。両替をして地下鉄に乗れたのは15時45分。木浦(モッポ)までの夜行列車に乗るため、ソウル駅を目指す。しかし金浦空港からソウル駅までの地下鉄の経路は結構面倒。5号線、2号線、1号線と2回乗り継いだが、この乗り換えは、東京で言えば大手町のように、結構歩いて階段を登ったりと、自転車を持った自分には大変な移動だった。大汗をかいてソウル駅にたどり着いた。地下鉄料金は結構乗ったのに550ウォン。この大変な移動中、2度も大変だろうと、叔父さん、叔母さんに助けて頂いた。しかし、混んでいる地下鉄車内で大荷物はひんしゅくだった。自転車持って混んでいる地下鉄に乗るもではないな。
 ソウル駅から各地方都市に夜行列車が出ている。釜山や木浦(モッポ)へは沢山の夜行列車が出ている。と言ってもソウル―釜山間でさえ400キロ余りなので、深夜遅くに出発する列車でないと目的の駅に朝2時だったりするので、到着時間に注意である。それで特急セマウル号でなく、少し遅いムグンファ号が丁度良かったりする。ムグンファ号の乗車券は難なく取れた。土曜とあり登山靴に大きなザックを背負った登山者が多数居た。まるで週末の新宿駅にでもいるかの様である。
 23時20分発のムグンファ号は木浦着翌朝の4時48分。夕方から随分待った。おかげでソウル駅は全て見て回れた。定刻ちょっと前でやっとムグンファ号に乗り込んだ。車内は比較的空いていたが、二つ目の駅ですぐにいっぱいになった。全席指定で、隣の席は家族連れで、子供たちが騒いで、なかなか眠れない。子供が元気なのは万国共通である。自転車を入れた輪行袋は横にすると扉が閉まらなくなるので、最前列と壁の隙間に立てて縛った。自転車が置けそうな場所は唯一ここだけであった。騒いでいた子ども達もいつしか静かになり、自分も寝てしまった。

 12月27日 木浦(モッポ)=長興(チョハン) シンソ荘旅館
 車内のざわめきで目が覚めた。あまり眠れなかった。外は真っ暗であったが、そこが木浦駅である事はすぐに分かった。自転車を担ぎ、電車を降りる。改札まで自転車を担いでいくと、最後になった。列車を降りた人たちは真っ暗な木浦の市内に消えていったが、20名ほどの人が始発待ちなのか駅舎に残った。昨年の年末に木浦からソウルまでセマウル号に乗ったこともあり、駅のつくりはすぐに思い出した。あの道の向こうに泊まった旅館がある。部屋で話をした叔父ちゃんもいるはずだ。
 真っ暗な駅の外に出て、自転車を組み立てる。死角になる場所があったので自転車の部品を並べてみた。寒くて作業は進まない。組み立てるに従いディレーラーに異常がある事に気が付く。チェーンは張らずにコンクリートまで垂れ下がっている。これでは自転車に乗れない。組み方間違えたか確認したが、間違っていなかった。修理するしかないと納得するまで少し時間がかかった。いきなりトラブル。自転車を飛行機に乗せるとろくな事がない。投げられる事もあり、梱包次第では破損してしまう。一通り組み立てが終え、カギをかけて待合室で夜明けを待った。
 明るくなったのは7時過ぎだった。いつも問題が生じてしまう。細引きをディレーラーに引っかけて、後ろの荷台に括り付けてみた。このアイデアはナイスだった。ギヤを変える事はできないが、チェーンは張ったので自転車に乗れた。ギヤを変えられないので、ちょっとした登りも押すしかないが、それでも平均で時速12キロくらいは出て自転車を進める事ができた。国道2号線に出ると栄山江の横断道路に出る。海を渡る風は冷たく、丁度おなかも空いたので、栄山江を越えたところにあった雑貨屋さんで暖かい缶コーヒーとパンの朝食にした。結局自転車屋さんは見当たらなかったので、木浦の街から出てしまった。ぶるぶる震えながら缶コーヒーで暖を取る。何とか走れるので進むしか無かった。宝城(ポソング)まで行きたいところであったが、長興で既に3時。意外と大きな街で、これなら自転車屋さんもありそう。国道からそれて街に入る。旅館街もあってシンソ荘旅館、2万ウォンを今日の宿にした。部屋は比較的綺麗。叔母さんも親切な人だった。
 市内を回ってみたところ、自転車屋さんがあった。マウンテンバイクからママチャリまでいろいろ並んでいた。ディレーラーの部品交換は1万3千ウォンであった。自転車の部品は、日本も韓国も同じだ。新品のディレーラーがオンボロの自転車に取りつけられ、そこだけ光っていた。何度も何度もギヤを変えてみた。軽くなったり重くなったり、カシャカシャと軽快にギヤも変わる。これで明日はガンガン走れそうだ。結局壊れたディレーラーで、この日70キロ弱を走行した。
 走行距離 68.7キロ

 12月28日 長興(チョンハン)=光陽(クワンヤン) ピョホア荘
長興を出発してすぐに宝城に着いた。宝城はあまり大きな街という感じはしなかった。昨日、長興で正解だった。ここからは慶全線が平行する。最悪、トラブったら電車で帰えれると思うと安心する。15号線と合流してからは広い道となり、路肩もしっかりしており走りやすかった。でも片側1車線で路肩の無い道になることもあり、この時は注意である。郊外はトラックも多く、前からも後ろからもトラックが来た時などは一度自転車を降りて避けるしかない。国道2号線はトラックが行きかう幹線道路であった。
 順天まで来た。大きな街であった。もう少し行こうと考えていたが、市街地を過ぎてからやっぱりここに泊まろうと考えなおし旅館探しを始めた。でも旅館は無く、温泉マークの出ていたビルに入ってみたが、どうやら沐浴場であった。主人に10分ほど行けば旅館があると言われ国道を進む事にした。しかし、10分後に現れたのは高級なホテルと思われる白い大きな建物。これじゃ有り金叩いても泊まれないだろう。仕方なく自転車を進める。1時間程進んでまた温泉マークを見つけて入ってみたが、ここも沐浴場であった。旅館にも温泉マークを付けるが、沐浴場にも付けるのだ。がっかり。つぎの街光陽まで来てしまった。駅前で今度は旅館のハングルを見つけて中に入る。しかし居たのは3,4歳の男の子、女の子の兄弟だけ。変な感じで自分を見つめている。ご主人は留守のようであった。旅館が2階で、1階が食堂になっており、1階に旅館のご主人が居るかもしれない。でも次の旅館を探す事にした。しかし見渡す限り旅館はこの1軒のみ。そうこうしている内に左ペダルのネジがバカになり、ペダルが取れてしまった。夏に右ペダルが取れており、それと同じ事が左ペダルで起きていた。踏んだり蹴ったりで、自転車を押しながら、旅館、旅館と放浪する羽目になった。なぜか、このあたり旅館が少ない。
 駅から更に国道を200メートルほど行って左側の路地裏がホテル街であった。もう旅館は見当たらないので、ピョホア荘と書かれたところに入ってみた。でも中はオンドル部屋にベットがあって、旅館と変わらず、2万5千ウォンと安かった。ホテルと英語の看板があっても、実は荘旅館みたいであった。
 我々旅行者にとってありがたい事に、韓国にはホテル、旅館、民宿が多い。民宿はまだ一度も泊まった事が無いが、旅館は何度も泊まっている。ホテルよりこじんまりしており、安いし、面倒見のよい叔母ちゃんもいる。韓国なら絶対旅館が便利だと思う。
 走行距離91.9キロ(木浦から160.6キロ)

 12月29日 光陽(クワンヤン)=普州 〇〇荘
 毎日好天が続いている。寒いけど、道は凍結しておらず走行に問題ない。8時過ぎに出発した。夏に買ったボルトを今回も持っていたので、ペダルの代わりにした。このボトル今回も大活躍であった。近くの売店で、パンとジュースの食事を済ませると、光陽の街を後にする。非常に寒い。早く太陽が出てほしいと思う。でも1時間も走ると日も昇り、体も熱くなってくるのでヤッケを脱ぐ。Tシャツとカッターシャツで丁度いいくらいに体は熱くなる。
 今回旅行は日程的に短いので、状況によっては釜山まで走り切れない可能性もある。でも今日は普州の先は馬山まで大きな街が無く、この日は普州泊まりを余儀なくされた。
 河東(ハドン)という街を過ぎ、横川という集落にたどり着いた。雑貨屋で休んだあと、道は徐々に登り坂になってきた。この登りを越えれば下りだろうから頑張ろうと思ったが、峠を越えると次の登りが待っていた。そんな調子で、なかなか峠越えにならず、延々登らされた。途中からすでに自転車を押し始めていた。やっと旗の立った峠が見えてきた。
 峠で再び自転車に跨ると、数キロにも及ぶダウンヒルが待っていた。40キロほどのスピードが出ると、先ほどかいた汗も引いていった。遠くに望む街まで一気に走る。先ほどの峠はみるみるうちに遠ざかっていった。そのあと10キロほど、緩やかに下っていたので飛ばすことができた。気持ち良かった。
 途中、大韓航空オフィスにリコンファームの電話を入れる。電話で英語をしゃべるのは苦手だ。通じたかいつも不安。リコンファームはいつも心配の種になる。その後も小さなアップダウンがあったが、普陽湖が見えてくると普州の市街地はすぐであった。また旅館を探すが、温泉マークの看板がなかなか見つからない。しかたなく、南江にかかる橋の南側の路地にあったホテルに入った。ホテルは2万5千ウォン。この辺りはなぜか旅館が少なかった。ホテル名のハングルをメモったが読めない。ホテルの叔母さんは元気な人でとても賑やか。部屋に入るとちょっと体がだるく、風邪をひき始めた感じだった。無理せず、近くで夕食を取って早めに寝た。悩んでいたのがこの後の予定。元旦の便で日本に帰らなくてはいけないので、大晦日はソウルに戻っていた方が無難。そうすると明日か、明後日の午前中には自転車を分解しないといけない。明日中に釜山まで走り切った方がよさそうだが、普州から釜山までの距離は今日より長い。とりあえず明日早く出発しよう。
 走行距離94.3キロ(木浦から254.9キロ)

 12月30日 普州=釜山 ソウル旅館
 日の出をまって7時半ホテルを出発。これが目いっぱいの早出で、これより早いと暗いし寒い。何とか今日中に釜山にたどり着きたいと思い、飛ばすようにした。でも、この日もアップダウンが続き、思うように進まない。結構疲れて馬山(マサン)に着いた。途中、国道2号線がよくわからなくなり、時間を食ってしまった。ガソリンスタンドで給油待ちの車はスキー板を積んでいた。韓国にもスキー場がある。今度機会あれば滑ってみたいものだ。
 馬山(マサン)といえば、前に担当したメーカがユニットをここで作っている事もあり、そのメーカの工場を見たいと思っていた。工場の住所をメモしていたが、市街地から遠い事もあり実現しなかった。この街の人達が作っていると思うと親近感がわいた。馬山は釜山から車で数時間の位置にあり、その製品はフェリーで下関に送られている模様。
 市内で国道2号線の標識を見つけ救われた気分だった。今回の旅は、木浦で国道1号線をわずかに走った後は、ほとんどは国道2号線である。国道2号線は木浦、釜山を結ぶ幹線道路で、全線制覇した事になる。
 鎮海(チンハエ)の手前でトンネルがあった。夏の走行では一度もなかったが、今回は大きいのがここを含めて2か所あった。国道2号線は大型トラックが多く、そんな状況でトンネルは最悪であった。本当に怖かった。このトンネルを抜けると、あとは港に向かって一気に下っている。さて今日の行程の半分ほど来た事になる。今日中に釜山に行けるよう先を急いだ。
 鎮海からはアップダウンが続いた。山を越えて入り江の漁村に着き、また山を越えてという具合で、山越えと入り江が交互に現れた。日没近くなってきたため、時間を気にしながら走る事となった。時間が押してきている事もあるが、時々現れる山越えがしんどかった。もし釜山に着く前に暗くなったらどうしようか?そればかり考えていた。自転車にはライトも無い。
 途中立ち寄った小さいスーパー。パンと飲みものお金をレジで払っていたら、3人の男達が自分の自転車を見ていた。メータをのぞき込み何やら話をしていた。荷物を荷台に括り付け自転車を漕ぐ姿は好奇の的になる。前回は、更に大きな空気入れを自転車に括り付けており、信号待ちした際、隣に停車したバス車内の学生全員が自分を見ていた時は、少し恥ずかしくなったものだ。
 夕暮れ近くなったとき、大きな橋に出た。もしやと地図を見ると洛東江にかかる橋とわかった。もう釜山の入口である。いくつもの峠を越え、現在地が分からなくなっていた時だったので、うれしい誤算であった。若い警官にこの道を行けば釜山に着けるか英語で聞いてみた。そうだと答えてくれた。街中でよく見かける警察官はみな20代の若い男性ばかりだ。話かけるとみな親切な人達であった。
 日も落ち始めたが地下鉄新平(シンピョン)駅が見えた。もうこの地下鉄沿いに行けばチャガルチだ。夏に泊まったフェニックスホテルもある。ここまで来ると人通りが多くなり、道には多くの露店が出ている。街中に入った事で、日没しても問題無さそうなので安堵した。もう観光半分でも釜山に着くだろう。露店を覗きながらのんびり進んだ。大判焼きみたいなのを売っていたので1個買ってみた。500ウォンで、中に目玉焼きが入っていてケチャップが付いていた。これがホクホクで甘かった。辛いものが多い韓国でこれは美味しく、もう1つ買って食べた。
 市街地で迷ったが、釜山タワーを目印に海へと下っていくと、チャガルチ市場に着いた。大変な人通りを自転車を押しながら進むとフェニックスホテルが現れた。全予定コースを無事走れた事に、何とも充実した思いだった。地球の歩き方にある、ソウル荘旅館に向かった。部屋は取れたが、日本人客ばかりであった。地球の歩き方に載っているる旅館は日本人であふれている。旅館着が6時半。長かった一日と、今回の自転車旅行が終わった。時間切れで釜山までたどりつけない可能性があったので、本当に良かった。旅館は2万5千ウォン。
 夜はカルビで飲んだ。夏の釜山からソウルの540キロと、今回の木浦・釜山間の380キロが繋がった。この二つの自転車旅行は強烈な思い出となった。旅の回想と、デジカルビをつまみに飲んだビールの味は格別であった。
 走行距離124.4キロ(木浦から379.3キロ)

 12月31日 釜山=ソウル クリム旅館
 昨夜分解して輪行袋に入れた自転車を持って地下鉄中央洞へ。釜山駅からは特急列車セマウル号でソウルに向かう。楽しみにしていたハイキングは時間無く実現しなかった。登山のガイドブックまで持っていたが、残念だった。
 セマウル号は釜山の駅を出発し、次第に郊外へ。自分の指定席は右側の通路側。窓側は若い軍人だった。大邱に着くころ、そわそわしてきた。車窓を流れる景色に見覚えがあったのだ。大邱、金泉、大田と国道4号線を右に左にと走る。冬枯れの茶色い田園風景も、僕の脳裏には青々とした夏の風景が重なっていた。4号線を食い入るように見ていると、こんなところ走ったなという思いであった。ある踏切りを見たとき、それはあのクソ暑い夏の日に、走り去るセマウル号を見送ったあの踏切であることに気づいた。今、僕は、暑い夏に汗だくで走ったこの道を、セマウル号の車内でビールを飲みながら見つめている。そしてセマウル号は数時間先にはソウルに到着するのである。
 ソウルではまた明洞のクリム旅館へ。この旅館は既に3回目となった。叔父さんも僕の顔を見て覚えてくれていたようだ。でにここも全部日本人で、満室との事だった。無理を言ってみたら、風呂は無いけど一部屋あるという。風呂無し2万ウォンでお願いした。そんな事もあって、沐浴の初体験ができた。丁度旅館の2軒隣りに沐浴場があって入った。入口で3千ウォンを払う。中には床屋などもあり、脱衣場の雰囲気も日本の銭湯と同じ感じ。風呂場は湯舟が深かった。奥に垢すり台があって、スッポンポンの叔父さんが一糸まとわず、垢すりされている姿を見て、自分はできないと感じた。
 大晦日の明洞の賑わいは大変なものだった。全州屋でビビンバ食べるのが恒例になってしまった。全州屋は韓国人と、それより多い日本人で大変混雑していた。相席になった日本の叔父さんはもう20年も前から、韓国に通い詰めているそうで、オリンピックを境に、ソウルの街も変わったと言っていた。

 1月1日 ソウル=成田=秩父
 大韓航空705便は金浦空港を離陸。また韓国に来たいと思った。
 この日時間があったので、東大門市場や、金浦空港から歩いて行ける場所にあった市場にも寄ってみた。市場は韓国らしい熱気を感じられ買い物交渉も楽しい。いつまでも庶民の台所を支えてきた市場が無くならないで欲しいと感じた。

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