記録ID: 33531
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積雪期ピークハント/縦走
十勝連峰
オプタテシケ山(イグルー崩壊で引き返し)
2004年11月24日(水) 〜
2004年11月29日(月)

過去天気図(気象庁) | 2004年11月の天気図 |
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コース状況/ 危険箇所等 |
概要 平成16年11月26日にオプタテシケ山の肩において、22:30頃イグルーが崩壊。翌11月27日の下山中、10:30頃Lが動けなくなりLのザックを捨てる。ベベツ北コルに雪洞を掘り、停滞をし、29日に下山した。 予定ルート 白金温泉→オプタテシケ山西尾根→オプタテシケ山→美瑛富士コル→白金温泉 行動記録及び遭難状況 11/25(木) 21:30 札幌発。共同装備に不備があったため、出発遅れる。 11/26(金) 1:00 白金温泉到着。C0。 6:30 白金温泉出発。 9:00 林道終点。ポン水無川沿いを登る。その後西尾根に取り付く。西尾根は積雪少なく、肩にイグルーを作れるかどうか心配だったが、べべツとのコルに十分な積雪が確認されため、肩に雪が無い場合はコルに作ると決め登っていく。 13:30 オプタテシケ山の肩到着。当初はその日のうちにオプタテにアタックし、コルでイグルーを作ろうと考えたが、市川がやや疲れていた事、肩にある小さな吹き溜まりでもなんとかイグルーは作れそうだった事、イグルー作成に時間がかかることが予想された事なども考慮し、なんとなく肩にイグルーを作ることに決定する。途中まで市川が積んでいたが、見瀬の体が作成中のイグルーに当たり、ブロックが3つ落ちたところでやる気をなくし、見瀬と交代する。イグルーは掘り下げると地面が出てきたため、4人で寝るには多少狭かった。また、翌日以降の荒天を予想し、上部ブロック部分を小さくし、二重に積んだ。イグルーの出来としては問題ないように感じた。 15:40 イグルー完成。 16:00 天気図作製。(市川) 17:00 夕食。食事中、雪が少し吹き込んでくるため、ゴミをつめるなどして対応する。 18:00 就寝。少しではあるが吹き込みが続いていた。 20:00 市川がシュラフの上にうっすらと雪が積もっているのに気づき、全員を起こしいったん雪を払い、フライをかぶって再び就寝。吹き込みは上部から粉雪がちらつくぐらいであり、そんなに心配はしていなかった。 21:30 見瀬がシュラフの上に積もった雪の重さで目を覚ますと、身動きできぬ程雪が積もっていたため、非常事態と判断し脱出の準備にとりかかる。イグルーが狭く全員一緒に準備できなかったため、市川だけ先に準備し、他の3人は穴を塞ぐなどしていた。市川が準備を終え、フライを張って吹き込みを防ぐ。他の3人も準備にとりかかる。この時すでにこぶし大の穴からさらさらと雪が流れ込んできていた。穴を塞ごうとするも内側からの修復は困難で、どんどん雪が流れ込んでくる。5分ほどで風上(東)側の壁がどんどん崩れ落ちていく。東より強烈な、氷の粒を含んだ風が吹き込みイグルーを削っていた。 23:00 全員の準備が終わる。この時イグルーの上部はなくなっていた。また流れ込んだ雪に装備が埋まり、可能な限り掘り出すが、見瀬は茶セット、ストーブ修理具、市川はローソク、天気図、中島はストック、勝亦はスプーンを紛失する。イグルー跡地でフライをかぶり座って夜を過ごすことにする。 24:00 寒さと空腹を感じたため、朝食用のラーメンを食べる。 11/27(土) 1:00 市川と勝亦で、イグルーの外に置いておいた勝亦のスコップを探しに行くが発見できない。外は非常に寒く、2人とも震えて帰って来たためストーブで暖をとる。その後も時折ストーブで暖をとる。 7:00 ラーメンを再び作る。見瀬はほとんど眠れずに夜を明かす。携帯の天気図を確認し、低気圧が抜けこの先冬型が決まっていくことを確認した。 8:30 これ以上待っても天気の回復が見込めないため、下山する事にする。見瀬はシーズリを主張するが他の3人はシートラでもたいして変わらないだろうという安易な考えで、それに見瀬も流されシートラをして出発。先頭を見瀬、最後尾を市川が行く。少しいくと、予想以上に向かい風が強く視界も無いためいったんイグルー跡地に引き返し、フライをかぶり今後について話し合う。市川が1人で西尾根の状況を確認しに行く。 9:00 イグルー跡地は比較的風の弱いところで、穴に入っている分には風は避けられたが、新たにイグルーや雪洞を作る事は困難で、さらに1日、2日この場で耐えるのも不可能と判断し、風強く視界も悪いが、無理やりにでも下山する事にする。見瀬と中島はメガネが凍りつくため、はずして出発する。見瀬はメガネをはずして目がよく見えなくなっていたため、先頭を市川に代わる。市川、勝亦、中島、見瀬の順で、磁石を北西にきって進んでいく。強い向かい風で思うように前進できず、風に流され南西方向に進路がずれていく。シートラしているスキーも風によってずれて斜めになった。しばらくして中島のスキーが飛ばされたが、中島、市川、勝亦はこの事態に気づいておらずそのまま進んでいってしまった。それくらいから、見瀬は風で転び、少しパーティーから離れた。すぐに皆気付き戻ったが見瀬は足と腰の筋肉に激しい痙攣を感じるようになり、ルートについても口出しできる状態でではなくなった。市川が全員にスキーを直すように指示したが状態はあまり変わらず、特に勝亦、見瀬は遅れ始める。2人は強風のため前進が困難になってきたため、このままでは危険と判断し、見瀬、市川、勝亦のスキーを捨てることを決め、岩陰に置いていく。このとき、見瀬はザックを背負っては満足に立てなくなる。ここから磁石はきらず、安全な場所を求め斜面を下っていく。さらに50歩ほど歩いたあたりで見瀬は歩けなくなり、風をよけて休みたいと主張したため、縦穴を掘って休むことにする。しかし、雪が少なく、50cm ほどしか掘り下げることはできず、フライをかぶって休もうとしたがフライは破れた。破れて風が吹き込むため、再び風の防げる安全な場所を求めて出発するが、見瀬は完全に動けなくなっていたためザックを捨てていく。さらに30歩ほど歩いたあたりに、たまたまコルの端の大きな吹き溜まりがあった。そこには十分な雪があり、比較的に風が弱かったので雪洞を作る事になる。掘っている間に中島は見瀬のザックを取りに行った。 12:00 一時間半ほどで雪洞は完成した。その間見瀬は動けず座っていた。雪洞内でお湯を沸かし行動食を食べると回復した。そのままシュラフに入る。 16:00 天気図作製。(勝亦) 18:00 就寝。 11/28(日) 4:00 起床。 6:30 外に出るも依然として風が強く視界も悪いため、時間待ちする。12時まで1時間ごとに外に出るが回復の兆しは無い。ラジオで天気予報などを聞くと、翌日は回復傾向であったため、翌日の天気を期待する事に決める。 13:00 ある程度の視界が出たため、スキーの回収を試みる。北へ100mほど進むと運良くスキーを発見した。 16:00 天気図作製。(勝亦) 夕食を作り始める。 18:00 就寝。市川のシュラフは状態が悪く寒さで眠れずにいたため、エマージェンシーシートにくるまる。 11/29(月) 4:00 起床。 6:30 外へ出るも、粉雪が舞い視界がほとんど無いため雪洞へ戻り、時間待ちする。その後も1時間ごとに偵察に行く。 10:30 依然として天気は悪いが、天気回復の見込みが無いこと、装備が濡れていたこと、食糧が少ない事、パーティーの消耗が激しいこと、1人はスキーを失っており下りに時間がかかりそうな事から、少なくとも今日中に樹林帯内まで行くつもりで、ひたすら磁石を北西にきって下山を開始する。見瀬のスキーは中島が持ち、シーズリでいく。西尾根に当てるつもりだったが、その前に当たった別の尾根を西尾根と勘違いし降りてしまう。最終的にポン水無川の1本南西の沢形に降りてきた。樹林帯に入ってからは磁石を北西にきって林道に当てた。 15:50 林道到着。たまたま、見瀬と市川と中島の靴のサイズが同じだったため、3人でツボになる人を交代しながら行った。林道に入ってからはラテルネをつけて白金温泉まで下山。 気象分析 26日、未明に朝鮮半島に発生した低気圧の影響により、日中は前面となり、北海道は全道的に快晴であった。これは山の中でも同様である。低気圧はその後、急速に発達し、18時の時点でも988hpaとなっていた。このときは夕食をとっており、吹き込みが確認されたがごく少量であり、簡単な対応で済ませた。風は徐々に強まっているようではあったが、まだ外の天気はそれほど悪化しているようには感じられなかった。21時頃からイグルーは崩壊し始めたが、天気図を見てもまさにこのとき、温暖前線が通過している。この温暖前線の通過に伴い、氷の粒を含む強い南東風が吹いた。暖かい南東風が氷の粒(ひょう)を作り、これがイグルーを削る原因になったと考えられる。風はその後、一時的に弱まった後、向きを北西に変えた。 低気圧はさらに発達を続けながら北東に進み、翌27日6時の時点ではサハリンにあった低気圧と合流し、976hpaにまでなった。北海道は冬型の気圧配置となって、北西から非常に強い季節風が吹くようになる。パーティーはこの強風下で行動していた。低気圧はその後952hpaまで発達したが、進行速度が時速20km以下と比較的遅く、これが28日以降の冬型による悪天が長引いた原因であると考えられる。28日、29日とも北西からの季節風は依然として強かった。 今回の低気圧の発達の仕方は典型的な日本海低気圧のパターンである。低気圧の急速な発達はパーティー内でも予想していたが、イグルーが崩壊するという事態は想像していなかった。通常、1日に24hpa発達する低気圧のことを爆弾低気圧と呼ぶが、今回の低気圧は1日に44hpa発達していた。 30hpa程度の発達はしばしば見られるが、今回は特に急速に発達し、吹き込みの風が強い「引きの冬型」を形成した。以下に入山前日の25日以降の天気図を示しておく。 問題点と分析 ・天場の設定 翌日の悪天が予想されたにもかかわらず樹林帯内に天場を設置しなかった。ただこの時点ではイグルーは絶対に壊れないものという認識もあった。 ・イグルー崩壊 二重にして悪天に備えたが結果的に崩壊。隙間をしっかりと埋めなかった、作り方が雑であった、技術力が不足していたという要因もあったが、何よりもイグルーはどんな条件でも壊れないものという誤った認識があった。今回は主稜上で氷の粒子を含んだ爆風に吹かれ、隙間から徐々に削り取られてしまった。稜線に天場を持つ場合の、イグルー、雪洞、冬天の技術を研究していく必要を感じた。 ・装備の紛失 天場での装備の管理がいいかげんであった。今回の事を教訓に天場での装備管理を徹底していく必要がある。具体的には、イグルー、雪洞の場合はアイゼンとスコップは全員中へ入れ、ストック、ピッケルは1本ずつ中へ入れる。スキー、スノーシューはピッケルをアンカーとし入り口付近に置いておく。 ・エスケープ判断 向かい風でまともに前進できないにもかかわらず北西に磁石を切って行った。パーティー内で誰からも裏十勝側(追い風)に下ろうという案を出す者もおらず、単なる経験、知識不足 ・シートラ 強風にあおられるのがわかっていたのにもかかわらず、安易な判断でシートラを選択した。パーティー内でしっかりと話し合いをし、決めるべきだった。リーダーはもっとリーダーシップを発揮し、自分の意見を言うべきだった。今後、強風下ではシーズリを選択していく。 ・ルートファインディング オプタテシケ山肩から磁石を北西方向に切ったのにもかかわらず、ベベツ北コルに出てしまった。結果的には安全な天場を確保できたものの、ルートファインディングは大きく間違っていた。強烈な向かい風という中ではあったが、先頭を歩いていたアシスタントリーダーのルートファインディングは明らかにはずれており、その事に関して他の3人から何も指摘がなかったのも問題である。また、パーティー間でコンタクトがうまくとれずに、進め方について十分な議論がなされずにいた。 ・行動不能 見瀬は悪天下の中で行動不能という事態に陥ってしまった。原因としては、寒さ、強風、シャリバテ、精神的プレッシャー、低体温症、寝不足、と様々な要因が考えられるが、今後は寒さに対しては早めに防寒着を着、シャリバテに関しては行動食を適時食べるなどして、自分自身の状態に細心の注意を払い、二度とこのような事態にならぬよう努める。このことは他の3人にも言える。 ・ スキーデポ 強風にあおられ、前進が困難になり、身の危険すら感じたため、スキーを捨てる決断をした。しかし、その前にシーズリを試してみるべきだった。今回はパーティーとして、スキーを捨て、いち早く安全圏内に逃げる選択をしたが、その後のラッセルを考えたら必ずしも正しい判断だったとはいえない。 ・ ザックデポ リーダーが全く動けず、他の3人も消耗しているという状態で仕方なく、リーダーのザックをその場に置いていってしまった。しかし、荷物を分担したり、せめて非常用装備だけは携帯するべきであった。また、パーティーの中でザックを捨てる事に関して異論を唱える者がいなかったことは装備に対する認識不足であり、猛省すべき点である。 ・ 最終日の下山ルート 現在地が十分に把握できず、視界もないため、磁石を北へ切って、適当な尾根を下り、樹林帯内に入ってからは北西に切って、林道にあてることができた。この判断は妥当であったと考える。 |
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