記録ID: 35110
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無雪期ピークハント/縦走
京都・北摂
囲炉裏村【はんなりオフ】豊能三山から能勢妙見山
2009年03月01日(日) [日帰り]



- GPS
- 05:40
- 距離
- 12.5km
- 登り
- 783m
- 下り
- 844m
コースタイム
箕面森町地区センターバス停⇒青貝山(391m)⇒天台山(640m)⇒光明山(639m)⇒能勢妙見山(660m)⇒[大堂越]⇒妙見ケーブル黒川駅前⇒能勢電鉄妙見口駅
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年03月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
【妙見山縁起】 ◆能勢妙見山の正式名称 能勢妙見山には鳥居があり「妙見宮」とも呼ばれますが、『日蓮宗霊場能勢妙見山』とあるように、日蓮宗のお寺です。能勢妙見山は、能勢町地黄の眞如寺の飛び地境内となっており、正式には「無漏山眞如寺境外(けいがい)仏堂能勢妙見山」といいます。昔は、神仏習合といい同じ場所で神様と仏様をお祀りしていましたので、妙見大菩薩を仏教と同時に神道式に崇めよういうことで鳥居が残されています。明治になって、神仏分離(1868年)が行なわれ、能勢妙見山はその沿革から、寺院として再認識されることになりました。 ◆能勢氏と妙見山の歴史 能勢妙見山の入口の鳥居の右側に、能勢頼次公の銅像があります。能勢妙見山を開基した人で、戦国時代から江戸時代にかけて活躍し、一時期滅びた能勢家を再興させた能勢中興の人として知られています。清和源氏といわれるように、源氏は清和天皇から始まりますが、清和天皇の曾孫に当たる多田満仲の長子が大江山の鬼退治で有名な頼光、そしてその子頼国の時長元年中(AD1028〜1037)に能勢に移住し、以来能勢を氏としたと伝えられています。 さて、多田満仲から数えて22代目能勢頼通(よりみち)の時代、織田信長が京へ上洛し勢力を広げようとして、頼通に対し織田に従うよう言ってきました。しかし頼通は代々足利将軍家に仕えてきたことから、織田の申し出を断りました。このため、織田の命を受けた隣接の山下城主である塩川伯耆守国満に攻められることになります。こうしてついに、天正8年(1580)頼通は塩川勢に謀殺されます。塩川勢はその勢いで、一気に能勢へ攻め寄せてきます。能勢頼通が謀殺されたことを知った能勢軍は急きょ頼通の弟である19歳の頼次を後継として戦いますが、居城であった丸山城は落ち、能勢頼次は居城をここ妙見山(当時は為楽山という)に移します。 そして天正10年(1582)本能寺の変が起こります。能勢頼次は隣接する亀岡の明智光秀と以前から親しくしており、また信長によって兄が謀殺された経緯もあって、明智光秀に味方して兵500人を出しますが、結果は明智は秀吉に敗れてしまいます。秀吉軍はさらに能勢にも攻め込み、神社仏閣に至るまでことごとく焼き払い、このとき頼次は打って出ていさぎよく戦いの花と散ろうと決心しますが、老臣たちに諭されて、数名の家来を連れて備前の国岡山の城下へ落ち延びていきます。 能勢頼次は名前を三宅助十郎と変えて逃げ、能勢氏の先祖の寄進によって建てられた妙勝寺という日蓮宗のお寺に落ち着きます。この時、頼次の胸には、23代続いた能勢氏が自分の代に消えてしまうのか、長く住み慣れた能勢の山川も再び踏みしめることができないのか、という想いが去来したに違いありません。 時代は徳川家康の台頭の時となります。ある時、家康が京都の実相寺(現在の南区上鳥羽)という日蓮宗寺院で休憩した時のこと、実相寺の住職が能勢頼次の弟であったことで、頼次は家康に召し抱えられることになり、やがて慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで能勢頼次は徳川軍として大きい戦功を立てて、家康からかつての能勢氏の領地を与えられます。 ◆能勢妙見山のはじまり 能勢頼次が秀吉軍に攻められ落ち延びて19年、備前の妙勝寺で「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて能勢氏再興を願い、それが実現したことで仏への感謝の念が大きくふくらみ、もっと法華経の信仰を深めたいという想いにかられ、日乾上人の説法を聞くことになります。日乾上人という人は、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の法主(ほっす=住職)になられた高徳の僧で、その法話を聞き感動した頼次は、即座に日乾上人に帰依(自分の身も心もすべてを捧げて信じること)します。そして広大な山屋敷を寄進し、ここに住んでさらに教えを説いて欲しいと願い出たことが眞如寺の始まりです。 日乾上人はこの願いに応えて、のちに能勢に身を寄せて教えを説き広めることに尽くされます。このとき、日乾上人は能勢氏の家鎮として古くから祀られていた「鎮宅霊符神」を法華経のご守護神「妙見大菩薩」とし、さらに武運長久を願って武具甲冑を身につけ剣を手にした妙見大菩薩のご尊像を日乾上人自ら彫刻して授与し、これを能勢の領地が一望できる為楽山の山頂に祀りました。これが能勢妙見山の始まりです。時に慶長8年(1603)、今から約400年前のことです。その後、慶長10年に開運殿が新築されています。 以後、日乾上人は能勢頼次の外護のもとに次々と能勢一帯の神社・寺院を日蓮宗に改宗していきます。こうして能勢地方の日蓮宗=能勢法華が成立していきました。 能勢頼直の代には、江戸の下町本所に下屋敷を賜り、ここに妙見大菩薩のご分体を祀りましたところ多くの信仰を集め、親子鷹でおなじみの勝小吉と勝海舟親子の熱烈な信仰を得ており、今も妙見山の東京別院として賑わっています。 なお、能勢妙見さんは日乾上人以来代々、眞如寺住職があわせ受持するところとなっておりますが、昭和16年宗教法人法の改正によって、眞如寺の所属となって、現在に至っています。 ◆花柳会・芸能界の妙見信仰 妙見大菩薩の妙という字は美しい、清らか、見は目で見るから転じて姿形という意味から、妙なる姿、美しい姿ということで、古くから歌舞音曲を志す人々に信仰されています。 また、花柳界・芸能界からの信仰も厚く、歌舞伎・浄瑠璃の脚本作者の近松門左衛門も熱心な妙見信仰を持っており、また開運殿の前にあります浄水堂は四代目中村歌右衛門が願主となって建てられたものです。建物の柱の下にあります銅板にその名前が刻まれております。 ◆妙見山の自然 妙見山の山頂付近には大きなブナの木が幅広く根を張っているのが見られます。このブナの原生林は、大阪府自然環境保全地域として指定されています。日本のブナ林は温帯(年平均気温が6〜13度C)の代表的な落葉樹で、日本の西南地方では一般に1000メートル以上の山に生育していますが、妙見山のブナ林は660.1メートルと比較的低い山に生育していることで珍しいとされています。妙見山頂から西南の斜面にかけて周り2メートル以上のものが約100本もあって、中には直径が1.3メートルを越える大阪府下最大級のものも見られます。昭和58年5月2日に大阪府の天然記念物に指定されています。 能勢妙見山の山門をくぐって右手、鐘楼堂の横に大きな栃の木があります。大阪府下ではこれだけの栃の巨木は珍しいといわれており、秋には「トチの実」を見ることができます。その他にも妙見山中には杉や檜の大木が多く、この深い緑の中にはいろいろな植物を観察することができます。また深い山であるため、野鳥の種類も多く、カワセミ、オオルリ、サシバ、ヤマドリなど82種類の野鳥を観察できます。 このように自然に恵まれた妙見山は、「大阪みどりの百選」指定地として第29番目に指定されています。指定された理由として、「信仰の山として古い歴史を持ち、山頂や参拝堂からの眺望がすばらしい。山頂には府下では珍しいブナの自然林があり、小鳥や昆虫類が豊富である」ことがあげられています。 ◆矢筈紋章 この紋章は能勢頼次公から使用されました。吉例の「矢筈(やはず)」が寄り合ってできたものです。この紋章は能勢妙見山が独自のものとして使用しています。 ◆妙見大菩薩とは 妙見大菩薩の話 鎮 宅霊符神と妙見大菩薩は同体で、もとは北辰=北斗星・北極星の信仰に始まるものです。太古の昔から太陽・月・星の運行を神秘的なものとして崇め、中国の道教では鎮宅霊符神、仏教では妙見大菩薩と呼ばれ、国土安穏・五穀豊穣・除災招福、開運隆昌の守護神として信仰されてきました。妙見大菩薩は日蓮宗以外でも、真言宗・天台宗などに取り入れられています。妙見大菩薩の神格化する北極星は、常に北を指しています。昔から旅人の指針として仰ぎ見られてきたことから、人生の道を導き開いてくれる開運の守護神として深く信仰されてきました。開運と言うことから、妙見様は何でも聞き届けてくださる守護神として、勝負も守ってくれるということで有名な将棋の坂田三吉が関根八段との対局の前夜、屋根の物干し場で太鼓をたたいて「能勢の妙見さん頼んまっせ」と拝んでいたシーンは舞台でも映画でも印象に残ります。また、指針ということで、学問の守護神としても祀られてきました。 《能勢妙見山公式HPより引用》 |
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Taishoさん始めました。
10月23日(土)に妙見山 天台山コース行きました。
コースがちょっと違いますが、Taishoさんの山行記録が大変参考になり、無事に登ることができました。
歴史のコメントもあり、歴史好きの私としては興味深く拝見させていただきました。
※初めの登山が石切山経由の満願寺でした。多田/清和源氏ゆかりのお寺だそうですね。
色々行かれているようで、今後も参考にさせていただきます。
こんにちは。
最近ヤマレコをのぞいてなかったので返信が遅くなり申し訳ありません。
最近山を始められたようですね。
私は、ここのところ六甲全山縦走大会のトレーニングで六甲山系にばかり入ってます。
これからもよろしくお願いします。
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