飯降山・越前大野城跡巡り
- GPS
- 04:47
- 距離
- 16.5km
- 登り
- 1,055m
- 下り
- 1,042m
コースタイム
- 山行
- 4:08
- 休憩
- 0:39
- 合計
- 4:47
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:JR越美北線越前大野駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
登山道は総じて整備され問題なし 飯降山林道は苔生して滑りやすい |
写真
感想
JR越美北線の気動車を北大野で降り、先ずは大野城のある亀山を目指した。大野盆地にポツンとある亀山に金森長近が築いた平山城で天正8年(1580)に竣工した。その後青木氏、松平氏と城主が替わり、一旦天領となった後、土井氏が入り明治維新を迎えた。天守閣は安永4年(1775)に焼失し昭和43年に復元された。北登り口に達すると通り越して武家屋敷の旧田村家住宅に立ち寄った。風格のある屋敷で入場料300円が必要、余り時間がないので外観を見ただけで北登り口に戻った登山道の傍らに亀山観音が祀られていた。案内板によると大正12年真言宗の僧侶の発願で建立されたと云う。すぐに山頂に達し300円の入城料を出して天守閣に入ると最上階から経ヶ岳、荒島岳等を望むことができた。土曜日とあってか人出が戻っているようだった。3等三角点「亀山」(249m)は天守閣の傍らにあった。
階段で西登り口に下山し、国道158号線を横断し犬山集落から微かな踏み跡を辿って戌山北尾根に踏み込むと林道が現れた。お堂のある所で車道から直接繋がっていたようだ。地形図にない林道で枝線もあり何処へ行くのか分からず辿って行くと山麓を巻くように進み軈て下りだしたので引き返して上に向かう枝線に入った。順調に高度を上げたが此れも水道施設か何かで途切れ、その先の獣道を辿り西尾根に這い上がった。しっかりした登山道があり、麓の車道を回り込めば正規の登山口があったようだ。
明らかに人の手が入った地形で堀切により稜線が分断され土橋で連絡していた。反対側の斜面は恐ろしく急で今でこそ階段が付けられているがその当時は高い防禦力となっていたのだろう。郭の跡などに標識があり、遺構が案内されている。戌山城は、南北朝の頃、斯波義稙によって築かれ、千福氏、朝倉氏、金森氏と城主が替わった。金森長近は入部と同時に大野城築城に取り掛かり完成と同時に廃城となった。戌山(325m’)山頂に到ると戌山城主郭の跡で案内板が設けられていた。樹林帯で展望はなし。
南に進み開けた所に出ると大野城が目の前で、大野城が天空の城と呼ばれる所以の霧に浮かぶ城はこの場所から撮られたものだ。大野盆地に霧が出て雲に浮かぶのは年に10日程度しかないらしい。「三脚禁止」の表示があり条件の揃った日は沢山の人が訪れるのだろう。少し進むと南郭の跡で戌山南峰(302m’)としてい置いた。南に下ると鞍部から西に登山道が分岐し上丁への下山路が案内されていた。そして稜線の道は「←戌山城址 飯降山→」と案内されいよいよ飯降山への道となった。
分岐から300mほど進むと4等三角点「鍬掛」(329m)のあるピークで、なだらかに飯降山に近づいている。飯降からの登山道が合流する処には、黒い柱に頭が赤い地籍測量の標識のようなものに「2合目」の標識が捩止め止めされていた。飯降登山口から合目がスタートしているようだ。此の後も9合目まですべて標識があり、良い道しるべとなった。7合目と8合目の間に地形図にある林道のヘアピンカーブが接しておりピストンを最小限に留めるため下山はこの林道を使うことにした。9合目付近で展望が開け白山、荒島岳(1,523m)を望むことができた。
山頂の東端にも開けた所があり、白山(2,702m)や野伏ヶ岳(1,674m)稜線の日岸山(1,669m)、薙刀山(1,647m)も確認できた。すぐ後ろには避難小屋かと見紛う祠があった。進んで行くと小さな祠があり、すぐ傍に2等三角点「御岳山」(884m)があったが「飯降山 あっち→」と看板があった。先に進むと開けた所に飛び出し一本の木の根方に祠がありその前に山頂標識が置かれていた。ここが飯降山(いいふりやま884m)山頂で、野伏ヶ岳(1,674m)、小白山(1,609m)、木無山(1,328m)、荒島岳(1,523m)、部子山(1,464m)等を見ることができた。
昼食休憩の後、林道接続点まで戻り、予定通り林道経由で下山した。所々開けた所があり展望を楽しめた。ダートとコンクリート舗装の区間が混じりコンクリート部分は苔で滑り易く一度転んでしまった。飯降登山道へ繫がる道かと思い進んで行くと谷間で行き止まりとなってしまい引き返して下って行くと、地形図にない道を下っていたようだ。雪崩止めの鉄パイプが谷々にあり最後は巨大なコンクリート堰堤が立ちはだかっていた。集落に入り飯降神社に達し参拝して登山の無事を報告した。
この後は車道歩きで越前大野駅に向かった。大野の城下町、朝倉義景の墓や武家屋敷の旧内山家なども見たかったが列車までの時間がないので傍らを通っただけで我慢した。駅に近づくと立派な神社があり、立ち寄ると日吉神社で裏手には山王社が小高い位置にあった。此処は亥山城の跡で鳥居近くの池が城の堀の名残と云う。この遺構しかないが戦闘用の城ではなかったようだ。南北朝時代の堀口氏政の居城であったと云う。越前大野駅は木造の瀟洒な駅で旅情をそそる。1日15本に減ってしまった越美北線の列車に乗って帰路に着いた。
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