記録ID: 3745689
全員に公開
ハイキング
箱根・湯河原
矢倉岳
2021年11月14日(日) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 06:37
- 距離
- 19.0km
- 登り
- 810m
- 下り
- 1,015m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 6:12
- 休憩
- 0:24
- 合計
- 6:36
距離 19.0km
登り 812m
下り 1,032m
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
| 04:59-05:14[15分] 220円 ◇登戸 小田急線(伊勢原行) 56.6km | 05:30-06:17[47分]639円 ◇伊勢原 小田急線(小田原行) ↓ やや後 | 06:19-06:39[20分] ◇新松田/松田 御殿場線(静岡行) 18.7km | 06:50-07:15[25分] 330円 ■足柄(静岡) ===================== 山歩き ===================== ■山北 | 御殿場線(国府津行) 5.7km 前 | 13:59-14:07[8分] | 190円 ◇松田/新松田 [13分待ち] | 小田急線急行(新宿行) 56.6km やや後 | 14:20-15:24[64分] | 639円 ◇登戸 3・4番線着 ===================== 箱根そば ===================== ◇登戸 1番線発 | 南武線快速(立川行) 10.6km | 15:53-16:04[11分] | 220円 ■府中本町 4番線着 ===================== 交通費合計 \2,238円 |
コース状況/ 危険箇所等 |
21世紀の森はずれのテレビ塔から洒水の滝までの道は、あまり人が通らないようだ。少し荒れていた。山道としては問題なし。 |
その他周辺情報 | 山北駅の駅前通りを左へ約8分(660m)に【スーパーかつべえ】がある。ビール、缶酎ハイを入手可能。 |
写真
小田急新松田駅からJR松田駅に乗り換え。箱根そばの「朝そば」を食べたかったけど、乗り換え時間が短い。セブンイレブンのカレーマンで我慢。JR松田駅ホームからの富士さんは、ちょうど雲に隠れてる。今日は良い天気なので、きっと富士さんを沢山眺められるだろう。
【頼光対面の滝】
源頼光と金太郎が初めて会ったのがこの滝の前なんだって。記念碑を立てるほどのことなのかな? 源頼光と金太郎がジョン・レノンとマイケル・ジャクソン級の有名人だったという事なんだろうかな。
源頼光と金太郎が初めて会ったのがこの滝の前なんだって。記念碑を立てるほどのことなのかな? 源頼光と金太郎がジョン・レノンとマイケル・ジャクソン級の有名人だったという事なんだろうかな。
【銚子ヶ渕】
以下、近くにあった手書きの説明看の写し
――――――――――
昔、花嫁が厳粛な祝言の最中に「おなら」をして大笑いになった。年若い初心な娘はこれを深く恥じて席にいたたまれず抜け出し銚子を抱いてこの渕に身を投げてしまった。
その彼女の履いた草履が時々水面に浮かぶので村人たちは恐れ地蔵尊を安置してねんごろに弔ったので再び浮かんでこなかったと云う。
この悲しい物語りを忘れぬため里人はこの池を「縁結び銚子ヶ渕」と名付け伝えたので良縁を望む多くの男女が池に願をかけ成就したと伝えられている。 「足柄史跡を守る会」平成2年8月
――――――――――
うーん、喜悲劇。
以下、近くにあった手書きの説明看の写し
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昔、花嫁が厳粛な祝言の最中に「おなら」をして大笑いになった。年若い初心な娘はこれを深く恥じて席にいたたまれず抜け出し銚子を抱いてこの渕に身を投げてしまった。
その彼女の履いた草履が時々水面に浮かぶので村人たちは恐れ地蔵尊を安置してねんごろに弔ったので再び浮かんでこなかったと云う。
この悲しい物語りを忘れぬため里人はこの池を「縁結び銚子ヶ渕」と名付け伝えたので良縁を望む多くの男女が池に願をかけ成就したと伝えられている。 「足柄史跡を守る会」平成2年8月
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うーん、喜悲劇。
【椿ヶ渕】(足柄史跡を守る会)
建武二年(1335)日本の歴史を大きく変えた天下分け目の竹之下合戦はこの峡谷一帯で戦に入ったが数に勝る足利軍に攻め立てられ新田軍は引き退く中に深傷を負った一人の武将は気を失い椿林の中の川の縁に転落してしまった。その後水面に浮かんだ血潮で村人に助けられ難を逃れた。武将は後に髪を切って僧に身を変え川のほとりに一庵を建て戦死者の供養をしながら南朝再興の機会を狙っていたが三年後密告により捕らえられ鎌倉に送られたという。その後この渕の椿の花が二本だけ忠臣の霊を慰めるように寄り添い紅白の花をつけたという。
――――――――――
この地に関係する2つの歴史的事件。【金太郎】(大江山の酒呑童子退治が990年)。【竹之下合戦】(建武中興が1333年以降)。足利尊氏や新田義貞は、300年以上前の源頼光や四天王の事をどう考えていたのかな? 現代からはどちらも大昔と一括りにされるけど、1333年当時にとっての990年は大昔だ。
建武二年(1335)日本の歴史を大きく変えた天下分け目の竹之下合戦はこの峡谷一帯で戦に入ったが数に勝る足利軍に攻め立てられ新田軍は引き退く中に深傷を負った一人の武将は気を失い椿林の中の川の縁に転落してしまった。その後水面に浮かんだ血潮で村人に助けられ難を逃れた。武将は後に髪を切って僧に身を変え川のほとりに一庵を建て戦死者の供養をしながら南朝再興の機会を狙っていたが三年後密告により捕らえられ鎌倉に送られたという。その後この渕の椿の花が二本だけ忠臣の霊を慰めるように寄り添い紅白の花をつけたという。
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この地に関係する2つの歴史的事件。【金太郎】(大江山の酒呑童子退治が990年)。【竹之下合戦】(建武中興が1333年以降)。足利尊氏や新田義貞は、300年以上前の源頼光や四天王の事をどう考えていたのかな? 現代からはどちらも大昔と一括りにされるけど、1333年当時にとっての990年は大昔だ。
+9℃ 虎御前石の分岐に到着。左が虎御前石を経由する【御前石古道】で、直進が初心者用の【ハイキングコース】とのこと。【ハイキングコース】が通行不能となっていて、【御前石古道】を迂回路として推奨しているようだ。「参拝すると女性の願いがかなえられます。(足柄史跡を守る会)」というマジック書きも気になるので【御前石古道】へ進む。
【虎御前石】
建久4年(1193年)5月 源頼朝が富士の巻狩りを行った。曽我兄弟はその巻狩りに乗じ父君の仇討ちを果たさんと富士の裾野に下る。それを聞く兄十郎の恋人虎女(大磯の長者の娘で寅年日刻に生まれたので虎女(後に虎御前)と名付けた)は愛着の情をほどこし難く大磯を発ち、足柄山に忍び夜に入り兄弟の仇敵 工藤祐経を首尾よく討ち取る事ができるか否か、富士の見える古道の傍らの石に座し悲願達成と安否を気遣い夜を明かしたと云う。
5月28日 兄弟が18年間に及ぶ悲願であった父の仇討ちを西井出の地で達成できた。
その後、里人はこの石を虎御前祈願達成の石と言い伝え、女性が石に座し富士に向かって御願いことをすると叶えられるとも傳えられています。
※虎御前は曽我兄弟没後19才で出家し箱根権現で尼になり善光寺に赴いて懇ろに三年間供養した後、曽我の里に帰り曽我の母の尼と共に兄弟の霊に香花を手向け後生を送った。
令和3年8月29日 足柄史跡を守る会
――――――――――
【曽我事件】を僕は知らない。【忠臣蔵】、【伊賀越えの仇討ち】と並ぶ3大仇討ちで、昔は国語の教科書に載っていたそうだ。これを機会に何か本を読んでみよう。
建久4年(1193年)5月 源頼朝が富士の巻狩りを行った。曽我兄弟はその巻狩りに乗じ父君の仇討ちを果たさんと富士の裾野に下る。それを聞く兄十郎の恋人虎女(大磯の長者の娘で寅年日刻に生まれたので虎女(後に虎御前)と名付けた)は愛着の情をほどこし難く大磯を発ち、足柄山に忍び夜に入り兄弟の仇敵 工藤祐経を首尾よく討ち取る事ができるか否か、富士の見える古道の傍らの石に座し悲願達成と安否を気遣い夜を明かしたと云う。
5月28日 兄弟が18年間に及ぶ悲願であった父の仇討ちを西井出の地で達成できた。
その後、里人はこの石を虎御前祈願達成の石と言い伝え、女性が石に座し富士に向かって御願いことをすると叶えられるとも傳えられています。
※虎御前は曽我兄弟没後19才で出家し箱根権現で尼になり善光寺に赴いて懇ろに三年間供養した後、曽我の里に帰り曽我の母の尼と共に兄弟の霊に香花を手向け後生を送った。
令和3年8月29日 足柄史跡を守る会
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【曽我事件】を僕は知らない。【忠臣蔵】、【伊賀越えの仇討ち】と並ぶ3大仇討ちで、昔は国語の教科書に載っていたそうだ。これを機会に何か本を読んでみよう。
芭蕉句碑「目にかかる時やことさら五月富士」
netで調べたら、「曾良宛書簡では、箱根は雨、三島への下りも難儀したことが報告されているので、この「五月富士」は心象風景としての富士か、または雨の合間の瞬間の眺望だった のかもしれない。」とのこと。旧暦の五月は現在の六月下旬なので、小雨の中で富士の麓だけを望んだのだろうと僕も思う。
netで調べたら、「曾良宛書簡では、箱根は雨、三島への下りも難儀したことが報告されているので、この「五月富士」は心象風景としての富士か、または雨の合間の瞬間の眺望だった のかもしれない。」とのこと。旧暦の五月は現在の六月下旬なので、小雨の中で富士の麓だけを望んだのだろうと僕も思う。
足柄峠の頂上は広い公園になっている。この公園の1年間の領有権をかけて、毎年9月第2日曜日の「足柄峠笛まつり」に綱引きしているという。NHKのローカルニュースで小学生の綱引きを観た記憶がある。
足柄峠の公園には城跡の礎石もある。以下、手書きの説明看板写し。
――――――――――
【足柄峠】
足柄峠は標高759米の箱根外輪山から派生する尾根上に位置し静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、古くから官道(かんどう)として防人や旅人の往来も盛んであった。また軍事的にも重要な場所であったため、多くの史跡や遺跡、石仏、文学碑等が残され、その上旅情豊かな風景は、訪れた人達の心を離さない。
「足柄の関」
昌泰2年(899年)盗賊(僦馬の党ーしゅうばのとうーという)を防ぐ目的で設置された関である。
「足柄城址」
創築者・年代は不明であるが、平安末期ごろから戦略上の要地として何度か軍事的な施設がもうけられた形跡がある。城郭としては、小田原後北条氏の属城で、数ヶ所の曲輪と土塁、井戸跡、倉屋敷跡、数地点に砦(矢倉)等があり、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの後、廃城となった。
「笛吹塚」
新羅三郎義光は、兄八幡太郎義家の苦戦している「後三年の役」(1083-1087年)に参戦する途中、足柄峠において笙の笛の師「豊原時元」の子時秋に笙の秘曲を伝授したといわれる。
「聖天堂」
弘法大師の建立と云われ、本尊は等身大の石仏で、秘仏として公開されない。福運厄除、縁結びのご利益があるとして参拝者が絶えない。毎年4月20日に大祭が行われる。
「万葉公園」
足柄峠は古来から官道であったため、多くの人々が通り歌を詠んでいる。万葉集にも数首歌われているのが見られる。万葉の歴史を記す公園として、昭和57年度に南足柄市によって設置された。
万葉集から
足柄の御坂に立して袖振らば
(あしがらのみさかにたしてそでふらば)
家なる妹は清に見るかも
(いえなるいもは さやにみもかも)
「その他の遺跡、句碑など」
あずまはや橋、六地蔵、芭蕉句碑、足柄明神、唯念上人名号碑、生田蝶介歌碑、足柄古道など。
小山町観光協会・小山町
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【足柄峠】
足柄峠は標高759米の箱根外輪山から派生する尾根上に位置し静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、古くから官道(かんどう)として防人や旅人の往来も盛んであった。また軍事的にも重要な場所であったため、多くの史跡や遺跡、石仏、文学碑等が残され、その上旅情豊かな風景は、訪れた人達の心を離さない。
「足柄の関」
昌泰2年(899年)盗賊(僦馬の党ーしゅうばのとうーという)を防ぐ目的で設置された関である。
「足柄城址」
創築者・年代は不明であるが、平安末期ごろから戦略上の要地として何度か軍事的な施設がもうけられた形跡がある。城郭としては、小田原後北条氏の属城で、数ヶ所の曲輪と土塁、井戸跡、倉屋敷跡、数地点に砦(矢倉)等があり、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの後、廃城となった。
「笛吹塚」
新羅三郎義光は、兄八幡太郎義家の苦戦している「後三年の役」(1083-1087年)に参戦する途中、足柄峠において笙の笛の師「豊原時元」の子時秋に笙の秘曲を伝授したといわれる。
「聖天堂」
弘法大師の建立と云われ、本尊は等身大の石仏で、秘仏として公開されない。福運厄除、縁結びのご利益があるとして参拝者が絶えない。毎年4月20日に大祭が行われる。
「万葉公園」
足柄峠は古来から官道であったため、多くの人々が通り歌を詠んでいる。万葉集にも数首歌われているのが見られる。万葉の歴史を記す公園として、昭和57年度に南足柄市によって設置された。
万葉集から
足柄の御坂に立して袖振らば
(あしがらのみさかにたしてそでふらば)
家なる妹は清に見るかも
(いえなるいもは さやにみもかも)
「その他の遺跡、句碑など」
あずまはや橋、六地蔵、芭蕉句碑、足柄明神、唯念上人名号碑、生田蝶介歌碑、足柄古道など。
小山町観光協会・小山町
足柄万葉公園到着。自転車(ローディーの中でもクライマーっぽい自転車)が多い。公園の中を歩いて矢倉岳へ向かう。公園の中にはたくさんの植物と、その植物を詠んだ万葉集の歌が展示してある。古文が好きな人におすすめの公園。
テレビ塔から東を望む。酒匂川(さかわがわ)が緩く蛇行している。写真右上に元第一生命ビル(現ビオトピア)が見える。松田駅まで約8kmであると地図を確認する。車道歩きはつまらないので、松田駅まで歩くことには気が乗らない。いずれ酒匂川沿いの未舗装道路を歩いてみたい。要調査。
写真より、もっと上から滝は落ちている。大きな滝。
・かながわの景勝50選 1979年(昭和54年選定)
・名水百選 1985年(昭和60年選定)
・日本の滝百選 1990年(平成2年選定)
・かながわ未来遺産100 2001年(平成13年選定)
・かながわの景勝50選 1979年(昭和54年選定)
・名水百選 1985年(昭和60年選定)
・日本の滝百選 1990年(平成2年選定)
・かながわ未来遺産100 2001年(平成13年選定)
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