大文字山火床と京都市中三低山巡り


- GPS
- 07:09
- 距離
- 14.7km
- 登り
- 483m
- 下り
- 489m
コースタイム
- 山行
- 7:00
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 7:29
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
途中、北野白梅町から御室仁和寺まで嵐電(京福電鉄)に乗車した。 花園駅前から丸太町京阪前まで市バス92系統に乗り、丸太町駅から京阪電車で京橋まで乗車。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありません。 吉田山、船岡山、雙ヶ岡(ならびがおか)は林の中に散歩道が錯綜していて迷いやすいですが、迷っても下に降りると直ぐに住宅地なので遭難することはありません。 |
その他周辺情報 | コースの途中には小規模で個性的な飲食店やパン屋さんが多い。 |
写真
西方向にはこれから歩く三低山(吉田山、船岡山、雙ヶ岡)を確認した。遠く愛宕山も見える。
飛び石の間隔が微妙に広いので、kazunookeikoは高野川は何とか渡ったが、賀茂川はパスして出町橋に逃げた。
鞍馬口通りは京都市内の北部を東西に貫いて、下賀茂神社西門前から金閣寺前の鏡石通りまで続いている。豊臣秀吉が御土居を建設した際、ここに「京の七口」の一つ、鞍馬口が設けられたそうだ。
江戸時代はこの通りが洛中と洛外の境界とされていた。(Wikipediaより)
出雲路橋については奈良時代の頃、出雲族が住んでいたということからこの付近を出雲路と呼んだことに由来するそうです。賀茂川に架かる橋で出雲路橋なのでしょう。
長年京都で仕事していても、全く気にせず、改めて調べてみた結果です。
説明によると、「豊臣秀吉が京都整備と外的侵入防止のため築いたもので、総延長23kmに及ぶが、江戸時代以降は無用となり開発が進んで壊された部分が多い。現在市内に9か所残っている。」との事だ。
待っている時、北野白梅町行き電車が入線してきた。
この路線は単線だ。
学校を見に行ったFさんが戻ってきたので、すぐそばに位置する三低山の三つ目、雙ヶ岡に登った。雙ヶ岡には3つの岡が並んでいて、三角点のある「いちのおか」に着いた。
感想
大文字山の火床で京都市内の展望を楽しんでから、市内の三低山(吉田山、船岡山、雙ヶ岡)を定年まで勤務していた会社の山歩き仲間と巡ってきた。
大文字山には良く登るが、三低山は麓を通ることはあったが、登るのは初めてだった。
三低山の標高は100mを僅かに超えているが、麓が標高70m~80mなので標高差としては数十メートルなので、街なかの公園の延長かと勝手に思っていたが、豊かな自然が残り、山中を歩いているような錯覚にとらわれる程だった。
又、大勢の家族連れの人達が散策したり、弁当を広げたりとそれぞれに楽しんでいる姿も印象的だった。
何れの山にも三角点が設置されているのも魅力だ。見晴らしも良かった。
船岡山からは京都を取り巻く山々や遠く金剛山も望むことが出来た。
大文字火床は京都市内が一望できる有数の展望スポットなので、そこからこの日に巡る三低山を確認した。
連休初日で人気の山には大勢の家族連れが押し寄せていた。
三低山を繋ぐルートは吉田神社から東一条通り、賀茂川沿いの遊歩道、鞍馬口通りを通った。
鞍馬口通りは京都市内の北部を東西に貫く古い通りで、銭湯を改装したカフェや昭和を思い出させる銭湯がある。(銭湯・船岡温泉は休業中)
又、小さいながら個性的な飲食店やパン屋さんなども多く、昔ながらの商店も多く見受けた。
先輩が賀茂川で足が攣り、北野天満宮辺りで疲労の色が見えたので、北野白梅町から、雙ヶ岡の麓にある御室仁和寺まで嵐電に乗り、2km弱を短縮した。
電車に乗って気分が変わったのか、先輩は元気を取り戻し、雙ヶ岡の3つの岡を越えて、無事ゴールであるJR花園駅に着地した。
40年近く京都の会社に勤務したが、その頃は殆ど社用車やバスで移動していたので、大通りしか通ったことがなかった。
この日初めて長い距離を、通しで歩いて新たな魅力を感じることが出来たし、有名な社寺仏閣も初めて訪れるところが多かった。
先輩、友人とはこの10年、一緒に山歩きを続けてきたが、最近は山より街道歩きや街歩きが良いようだ。
私自身は山歩きの意欲がまだまだ旺盛なので、体力が続く限り、体力に合わせて続けていきたいと思っている。
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