蝿帽子峠 水戸天狗党1864年追慕山行
- GPS
- 10:46
- 距離
- 7.9km
- 登り
- 691m
- 下り
- 680m
コースタイム
- 山行
- 10:26
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 10:46
天候 | 低く厚い雲 霧雨少し |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
整備されて7年手つかずという感じ。 |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋
シュリンゲ
防寒具
カッパ
シュラフカバー
小マット
水筒
その他沢個人基本装備(ナイフや灯り地図磁石)
|
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共同装備 |
ツエルト
ノコ
焚き火セット
|
感想
1864年、尊皇攘夷の浪士1000人が50日かけて水戸から京都を目指して行軍し、幕軍に阻まれて厳冬の峠越えをして、その後降伏したという蝿帽子峠。いまは登山道としての管理も不十分な状態ながら、まあいけないこともないという状態。天狗党研究家の旧友をお連れして、登った。
転勤で敦賀在住の元同級生のアユさんが、敦賀で処刑された天狗党の足跡を渡り歩いているとのこと。登山は40年ぶりくらいのトライで、始めはムリと言っていたけど、連行してみた。通常時間読みの2〜3倍のスピードを費やして、しかし着実に前進。「疲れた」、とはいうが「もう駄目」とは言わず、結局峠に到達し、暗くはなったが10時間で帰還した。着実な歩みでよくがんばった。
やはり故事由来のある山道というのは良いものである。この巨ブナ、巨ヒノキ、巨ミズナラは、たしかに隊士数百人の行軍を見下ろしていたのであろうな・・・、などとついおセンチになる。センチメンタルになりたくて行くのである。広葉樹多く、人通り全くなし。お地蔵様が上と下とで鎮座している。地下足袋で踏みしめる地面の柔らかさが心地よい。
上りはところどころ尾根の背を南側にトラバる箇所があり、そこで道を失いやすい。標高950以上のトラバース部分は急傾斜地のため崩壊気味。転落するとオオゴトな場所なので案外時間がかかる。
尾根末端の渡渉は膝くらいの冷水。フェルト底や手編みわらじをデポ。
余裕があれば大河原集落を訪ねてまたおセンチタイムにしたかったが、帰りは真っ暗の上、アユ氏のバイクがエンジンかからず、下山遅れで一刻も早く家族に連絡したかったため早々に通り過ぎたのがちょっと心残り。なにせ電話は能郷まで車で30分以上行かないと通じない。尾根末端の少し上で、AUの電波だけが奇跡的に通じて、無事下山中の連絡が取れてよかった。やはり初めての人と行くときは、下山予定時間午後10時位に設定しておかないと安心できないなー。
アユ氏が前日、揖斐川町の郷土資料館でもらってきた、2015年に整備したときの鳥瞰図マップのようなものがあり、7年前にいちど整備したことがわかる。今回も多少のヤブ払いはしてあったが、廃道歩き慣れしていないと厳しい状態である。道標の多くは獣によって噛み砕かれていた。
yoneyamaさん(58)の大学時代のクラスメイト(58?)が158年前の水戸天狗党にゾッコンという。水戸天狗党を研究する中で外せない地として、今回の「蠅帽子峠」がある。自らだけの力量では到達できない場所というので、今回我々が件のあゆみ氏をエスコートする山行を企てた。歴史的考証についてはお二人に譲るとして、私(52)としては純粋な山行として計画し、事に及んだ。
山登りをしない当のあゆみ氏(58?)には今回の山行は殊のほか堪えた長い一日になったが、登山初心者を山に連れていくことの大変さ重さを知れた我々にとっても貴重な一日だった。先々週の明神岳の山行もそうだったが、一瞬でも気を抜けば状況を一気に暗転させる罠がトラバース部分に仕掛けられており、一日を無事に終えられたことを真に貴いものに感じられた。
あゆみ氏が何を思い、何を感じたのかに今は興味がある。元寮生だけあって流石に粘り腰だった(我々も元寮生)。帰着してあゆみ氏より握手を求められたが、こういうのはイイ。レポート、今から楽しみにしておりますヨ。
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