仙元山(埼玉県小川町)からのプチ縦走


- GPS
- 04:44
- 距離
- 11.8km
- 登り
- 442m
- 下り
- 450m
コースタイム
- 山行
- 3:56
- 休憩
- 0:49
- 合計
- 4:45
天候 | 晴れときどき曇(猛暑・無風) |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
大雨が数日来続いている合間のため、登山道が濡れていて滑りやすかった、泥濘がありました。が、道はハイキングコースとして充分に整備され、危険個所はありません。雨の後なので、下山でツルリと滑る危険はたくさんありましたが……。 |
写真
感想
◎なめてはいけない昼から登山
連日、天候が荒れ模様なので、どうしようかと迷っていました。この休日、朝目覚めたので空を仰ぐと雨雲の様相で二度寝しました。朝9時過ぎになると、空に晴れるような兆しがあり、青空がぼんやりと出てきたので、急遽山に行くことにして、すぐに準備をしました。
候補地はいくつかありましたが、昼から登るとなると、むずかしそうな山は危険です。すぐ近くの、小川町の仙元山に決めました。事前に計画はしていたので、すぐにでかけましたが、それでも現地の道の駅おがわまちに着いたのは、昼の12時を回っていました。急ぎ準備をしてスタートしましたが、すでに12時半。しかも猛暑の30度越え。無風で湿度も高く、立っているだけで暑いのなんのって、スタート条件は、芳しくありませんが、300ほどの低山であり、ハイキングコースなので、ちょっとなめてかかりました。
ハイキングコースなので、道は楽だろうと、今回は敢えて登山靴ではなく、ハイキングシューズ。これは途中から、失敗だったと反省しました。なぜなら、ここ数日前から大雨が降ったあとの影響が隨所に残っていたからです。
もう一つ、30度越えの気象の変化が予測された夏の時期だったせいか、山を歩いている人とは数人しか出会いませんでした。午後の時間帯になったからでもあるでしょう。山の尾根道は午後の2時ほどになります。低山なので、万一の安心感はありますが、大日山を過ぎると、歩いていたのは私一人きりのようでした。事故ったら、命に係わります。午後登るのは、リスクが急増します。
◎低山ハイキングコースでも雨上がりの滑りは危険
このコースは、標高約300メートルの仙元山ピークから、標高250メールトほどの稜線を昇り降りするハイキングコースで、青山城跡、大日山、物見山、庚申、小倉城跡に続く、整備された快適な道でした。それが前もってわかっていたので、今回は登山靴ではなく、あえてハイキングシューズで試しました。たぶん雨の影響がない状態だったら、ハイキングシューズでも大丈夫だったでしょうが、下山では土も石もかなり滑りやすく、10回くらいヒヤリとする思いをしました。また、整備されているとはいえ山道は、微妙な凹凸があって、そこを踏んだときの足首のぐらつきがハイキングシューズでは登山靴よりも激しく、捻挫しそうなケースもありました。やはり山道はなめてはいけません。老人の私ならなおさらです。登山靴でくればよかったと反省しました。
整備された道がほとんどでしたが、一カ所、危険なところがありました。最後の小倉城跡から里に下りる道です。ここはなぜか、ガレキが混じり足場が悪いのです。それだけでなく、かなり濡れていて、どこもかしこもツルツルと滑ります。濡れていなければ、なんとかなるのですが、ここまで濡れているとやばい状態でした。もっと悪いことに、少し下ると湧き水が道に流れ込んで、小さな沢道になっていました。最悪です。登りならなんとかなるのでしょうが、下りなので慎重にビビリながら下りました。幸いなのは、急坂ではなかったことです。
◎全身が汗だくの夏の猛暑
私はたいへんに汗かきです。普段ジムで45分ほど運動しただけで、汗びっしょりになります。登山では真冬でも、下山してみると上半身はびっしょりで、ほぼいつも必ず、着替えないと車に乗れません。山のぼりを始めたばかりの最初、やはり真夏の午後に、芦ケ久保のところの日向山という低山を試しましたが、全身、上から靴下まで、沢に落ちたくらいに汗でびっしょりになりました。着替えをもっていたなかったので、そのまま車に乗りましたが、汗がシートを盛大に染み渡り、後始末が大変でした。
今回も、Tシャツとスパッツの軽装でしたが、案の定、早くから汗でビショビショ。リュックは背あてに隙間があるドーター製でよかったのですが、背負っている部分や腰を締める部分は汗でびっしょりと濡れてしまいました。今回も上から下まですべての着替えをしました。着替えても、汗が全身から出てくるほどの猛暑でした。17時をまわっていましたが。
◎青山城跡にあった説明文
青山城跡にあった説明文を文字起ししました。
引用して紹介します。
*
町指定史跡 青山(割谷)城跡
小川町大字青山字立厳二二九‐ニほか
平成四年三月二十五日 町指定
青山(割谷)城跡は、青山と下里の大字境に位置し、青山側では青山城、下里側では割谷城と呼ばれています。 ‘
城跡は尾根を巧みに利用し、標高二六五メートルの山頂部に築かれた本郭を中心に、南西に二の郭、南東に三の郭を「コ」の字状に配し、それぞれの郭は堀切で画されています。本郭の南束側および二の郭の東側には通路状の帯郭が残されています。一方、北側は小規模な郭と堀を配するのみとなっています。
板碑の石材である緑泥石片岩の分布域にあり、堀切はこの岩盤を掘り抜いて造られ、本郭周囲の一部には石積みが残っています。城跡の下里側の麓近くには、板碑石材の採掘と加工を行っていた割谷採掘遺跡があります。
江戸時代に書かれた『関八州古戦録』には永禄六年(一五六三)に「松山城へは上田案楽斎、同上野介朝広を還住なさしめ青山・腰越の両砦と共に堅固に相守らせ」たとあり、松山城の支城であったと伝えられています。
束二・六キロメートルには小倉城跡があり、北に四ツ山(高見)城跡、北西に中城跡、西に腰越城跡を望むことができます。また、麓を流れる槻川に沿った道や現在の八高線に沿った道を見下ろす地理的な要所に位置した城跡です。
*
以上、引用。
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