記録ID: 4560174
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講習/トレーニング
関東
中原街道・大田区の起伏を歩く 丸子橋→洗足池→旗の台
2022年08月07日(日) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 03:42
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 20m
- 下り
- 1m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 2:03
- 休憩
- 1:40
- 合計
- 3:43
距離 8.8km
登り 25m
下り 10m
7:47
4分
丸子橋西詰
7:57
8:04
5分
多摩川浅間神社
8:09
7分
丸子橋
8:16
8:17
3分
丸子の渡し跡
8:20
8:24
4分
新幹線撮影
8:28
8:33
4分
沼部駅
8:37
8:38
14分
桜坂下
8:52
9:29
6分
雪が谷大塚駅 (撮り鉄)
9:35
9:49
4分
石川台〜雪が谷大塚の撮影地 (撮り鉄)
9:53
11分
呑川の石川橋
10:04
10:05
4分
洗足池駅前
10:09
10:12
3分
千束八幡神社
10:15
10:21
3分
洗足池休憩所&トイレ
10:24
10:27
9分
弁財天
10:36
10:43
3分
勝海舟の墓
10:46
10:50
4分
日蓮袈裟掛けの松
10:54
10:57
4分
洗足池駅前
11:01
11:02
12分
洗足坂上
11:14
11:15
2分
旗の台交差点
11:17
旗の台駅東口
登高グラフを読み取ると、登りは52〜53m、下りは36〜7mくらいとなっております。地味に起伏があり、非常に蒸し暑い中では何気に体力を使います。
過去天気図(気象庁) | 2022年08月の天気図 |
---|---|
アクセス |
写真
01. 1975年以来、東急の最大勢力として活躍して来た8500系電車が間もなく引退することとなり、早朝から記念切符が発売されました。そこで、ゲットがてら東急をぶらぶら撮り鉄することにしたのですが、一方でここのところ猛暑と多忙で全然歩いておらず運動不足がひどいため、中原街道歩きの続きをちょこっと歩くことにしました。
02. まずは、昨年8月の中原街道歩き以来約1年ぶりに新丸子駅を訪れ、約1時間撮り鉄 (^^;
約1年間の間に、東急の乗入れ相手である東京メトロ副都心線と都営三田線で相当大規模な車両の新旧交代があり、都営三田線の新車6500形を初めて撮りました。「キングジム」の異名通りのスタイルです w
約1年間の間に、東急の乗入れ相手である東京メトロ副都心線と都営三田線で相当大規模な車両の新旧交代があり、都営三田線の新車6500形を初めて撮りました。「キングジム」の異名通りのスタイルです w
04. 東急5050系4000番台「ヒカリエ」編成による特急小手指行き。
東横線沿線民でないと未だに、東横線と西武池袋線が直通しているという事実を見るたびに軽くビックリです w
そして間もなく、この線路に相鉄の電車もやって来ます……!
東横線沿線民でないと未だに、東横線と西武池袋線が直通しているという事実を見るたびに軽くビックリです w
そして間もなく、この線路に相鉄の電車もやって来ます……!
07. 中原街道歩きのハイライトの一つ・丸子橋を渡ります!
昨年8月に耐暑訓練も兼ねて三ツ境駅からここまで歩いた際に、最後に渡って多摩川駅にゴールインということでも良かったのですが、一応緊急事態宣言中につき、不要不急の目的で都県境を跨ぐなという「百合子の言いつけ」を守ったのでした w
昨年8月に耐暑訓練も兼ねて三ツ境駅からここまで歩いた際に、最後に渡って多摩川駅にゴールインということでも良かったのですが、一応緊急事態宣言中につき、不要不急の目的で都県境を跨ぐなという「百合子の言いつけ」を守ったのでした w
10. 多摩川浅間神社のテラスからは、目の前の多摩川と東急、そして富嶽や丹沢が良く見えるのですが、今日は山岳展望おあずけ (苦笑)。
この一年間で爆発的に増えた東京メトロ17000系です。
この一年間で爆発的に増えた東京メトロ17000系です。
23. というわけで、洗足池に到着〜。地下水が湧き出し、中原街道によって堰き止められたかたちの池で、住宅街の中のオアシスとなっています。
今回唯一のヤマレコらしい活動 (?) として、時計回りに一周してみます。
今回唯一のヤマレコらしい活動 (?) として、時計回りに一周してみます。
26. 名馬・池月の像。
石橋山の合戦に敗れた源頼朝が房総に渡って態勢を立て直し、再び相州へと向かう途中、この地に陣を構えて泊まったところ、どこからともなく馬が現れて「池月」と命名され、行く先々の戦陣で活躍したとか。
石橋山の合戦に敗れた源頼朝が房総に渡って態勢を立て直し、再び相州へと向かう途中、この地に陣を構えて泊まったところ、どこからともなく馬が現れて「池月」と命名され、行く先々の戦陣で活躍したとか。
33. 勝海舟の墓
幕末維新期の混乱の中、江戸城及び江戸の街も官軍に攻められる危機にあったものの、池上本門寺での西郷隆盛と勝海舟の談判によって無血開城となりましたが、勝海舟はその交渉のために通った中原街道と洗足池の風景を愛し、洗足池の畔を選んで墓としたとのこと。
幕末維新期の混乱の中、江戸城及び江戸の街も官軍に攻められる危機にあったものの、池上本門寺での西郷隆盛と勝海舟の談判によって無血開城となりましたが、勝海舟はその交渉のために通った中原街道と洗足池の風景を愛し、洗足池の畔を選んで墓としたとのこと。
34. 左……政争に敗れた西郷隆盛が勝海舟を偲びつつしたためた「留魂碑」。
右……西郷隆盛と勝海舟の腹を割った談笑で江戸・東京が救われたことを記念する漢詩。やけに豪放磊落な作風だと思ったら、なるほど戦前における国民主義&アジア主義のドン・徳富蘇峰の作とは!
右……西郷隆盛と勝海舟の腹を割った談笑で江戸・東京が救われたことを記念する漢詩。やけに豪放磊落な作風だと思ったら、なるほど戦前における国民主義&アジア主義のドン・徳富蘇峰の作とは!
35. 日蓮袈裟掛けの松。
中原街道を歩いていた日蓮が足を洗って涼をとるため、この松に袈裟をかけたとかで、洗足池というネーミングもその故事にちなんでいるとか。ほか、池上本門寺を筆頭に、大田区内は日蓮宗の寺が非常に多いのだとか。
中原街道を歩いていた日蓮が足を洗って涼をとるため、この松に袈裟をかけたとかで、洗足池というネーミングもその故事にちなんでいるとか。ほか、池上本門寺を筆頭に、大田区内は日蓮宗の寺が非常に多いのだとか。
36. というわけで、洗足池をの〜んびりと一周し、洗足池駅前に戻ってきました。所要約50分……随分デカい池です!
この駅舎、池上電気鉄道時代の昭和9年=1934年に建てられた年代モノで、いつまでも残って欲しいものです。
この駅舎、池上電気鉄道時代の昭和9年=1934年に建てられた年代モノで、いつまでも残って欲しいものです。
39. 旗の台の交差点に着いて、本日の超〜ユルユルな中原街道歩きは終了です。
次回はまず、画面右の旧道に入ります。(一気に桜田門まで行くか、それとも三田あたりで区切るか……未定です w)
次回はまず、画面右の旧道に入ります。(一気に桜田門まで行くか、それとも三田あたりで区切るか……未定です w)
感想
余りにも暑くて暑くて、しかも急な仕事の依頼もあったりで、全然ハイキングに出かけておらず、体力の低下が懸念される今日この頃でしたが、去る7日には東急の記念切符を早朝から購入する必要が生じたことから、そのついでにちょこっと中原街道 (江戸〜平塚間の東海道脇街道) の未踏区間を歩き、撮り鉄活動と街道ウォーカーを両立してみました。
しかし……午前11時でも湿度が75%もある泥沼の蒸し風呂状態の中で確認したのは、やっぱり体力がダメダメだという現実……。
全部酷暑と多忙が悪い!ということで、早く暦通りに秋らしい気候にならないものか……と待ちわびるばかりです。
以上、ヤマレコ活動的要素は少ない、撮り鉄ついで街道ちょい歩きのレコではございますが、ご覧頂き誠にありがとうございました m(_ _)m
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