弥十郎ヶ岳〜丈山〜飛曽山☆丹波篠山の里山と城址を周回
- GPS
- 04:22
- 距離
- 10.2km
- 登り
- 811m
- 下り
- 802m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
辻川右岸の尾根は荒れており、踏み跡も不明瞭な箇所が多い 飛曽山の北斜面はかなりの急斜面 |
写真
感想
有給消化のための休暇の日である。庭師さんが来るというので家内は家にいる予定だったのが、朝に庭師さんが体調不良とのことで予定がなくなったので、急遽、近場のショートコースの山・・・と考え、丹波篠山の弥十郎ヶ岳に出かけることにする。
この日は朝から雲のない快晴が広がっていたが、京都市街を車で西に向かうと次第に雲が多くなってくるようだ。R372を西に進み、天引峠を越えて篠山盆地に入ると国道沿いの街路樹が既に綺麗に紅葉している。カツラの樹に思われた。
辻の集落に入ったところで、東山城址の入口に小さな駐車場が設けられている。駐車場とはいっても草が伸びており、そうと知らなければ車を停めることも躊躇するような場所だ。まずは集落の中を歩いて、南山城址に向かう。
集落の南西にある大仙寺の山門の左手から竹林の中を登ってゆく明瞭な小径が続いている。すぐに防獣柵が現れるが、その扉を開けて中に入る。「本郭」と記された真新しい道標が頻繁に現れ、道も良好に整備されているようだ。九十九折りの道を登ってゆくと尾根から突き出した小さなピークが近づくと階段状の平地が現れる。
最上部が最も広い平地となっており、本郭が設けられたところらしい。戦国時代にこの地方の領主であった波々伯部氏によって築かれたものらしい。当時は篠山街道を見下ろす山々にはいくつもの城が築かれていたようだ。織田信長の名を受けた明智光秀が丹波の平定した際に波々伯部氏は滅んだとされている。
城址を後に、背後の斜面を登る。道が不明瞭な箇所もあるが、頻繁にテープが現れ、藪もないので登りやすい。ca520mを越えたあたりで尾根に乗ると、西側の畑市からの登山道と合流したせいだろうか、尾根には明瞭な道が現れる。東側から心地よい涼風が頻繁に吹くようになり、暑さを感じなくて済む。
P573のピークに寄り道するが、ここはプレートの類は何もない。しばらくは緩やかな尾根道が続く。弥十郎ヶ岳が近づき、ひと登りをこなすと畑市からの登山道と合流するジャンクション・ピークca690mに出る。ヤマレコでは弥十郎ヶ岳北峰と地点登録されているところだ。
弥十郎ヶ岳の山頂を目指して尾根を進むと、左手の斜面には真新しい林道が登ってきている。弥十郎ヶ岳の山頂からは北西に展望が開けており、多紀アルプスの三嶽、小金ヶ嶽を眺望することが出来る。以前の山行記録では山頂からは篠山方面まで広く見晴らしが効くと記されていたが、周囲の樹々が成長しているせいだろう、それほどの展望が得られないように思われた。
山頂を後に丈山を目指す。山頂の南の鞍部に下がると左手に分岐する道が現れる。道標の類は見当たらないが、この道が丈山への尾根に至る道だ。植林の斜面の左側をトラバースする道はすぐに自然林の中の明瞭な尾根道になる。
アップダウンの少ないなだらかな尾根が続くが、尾根上の小ピークca660mは単なる通過点のように思われる地味なピークではあるが、ヤマレコのアプリではハハカベ山と表示される。ピークには樹の根元にハハカベ山と刻まれた小さな石標が凭せかけてあった。ハハカベとは変わった山名だが、先述の篠山の領主「波々伯部」氏に由来するらしい。
ちなみに篠山街道沿い、波々伯部氏の領土の中心であった宮ノ前には波々伯部神社があるが、こちらは「ほうかべ」と読むらしい。「ははかべ」にせよ「ほうかべ」にせよ知らなければ読めない難読地名に違いない。
次の標高点ピークp665mを過ぎ、小ピークca660mから北東に伸びる尾根に進む。尾根を降ると左手から林道が現れる。籠坊方面への分岐がある鞍部を過ぎて再び尾根に乗ると尾根の先にある丈山(じょうせん)の山頂を訪れることにする。
尾根を南下するとすぐに廃林道が現れる。林道は丈山の西側をトラバースしていくので山頂が近づいたところで尾根を歩いて山頂に至る。丈山の山頂は檜の植林に囲まれたなだらかな隆起だった。ここは兵庫県ではあるが、京都の山で見かけるPH(ピークハンター)氏によるプレートが檜の樹に掛けられていた。
先ほどの登山道に戻るとすぐに農文塾への道標が現れる。農文塾とは何かと思ったが、後川の集落にあるかつての天空農園の跡地にある茅葺きの民家のことらしい。尾根は再びここから丈山の北峰にかけて緩やかな登りに転じる。丈山の標高は701mであるが、北峰は723mとこちらの方が高い。
北峰の手前の小ピークは北中山726mと記された小さなプレートがあり、正確にはこのピークの方が北峰より高いようだ。丈山北峰の山頂には再びPH氏の小さなプレートを見出すことが出来る。その下には古い小さなプレートが横たわっている。プレートにこびりついた土を落とすとシドロ北峰と記された文字が現れる。先ほどの北中山は別名シドロ大丸とも呼ばれることを下山後に知る。
丈山北峰からは緩やかに自然林の尾根を下降する。尾根が大きく左手に曲がったところに飛曽山のピークがある。小さな岩場となっている狭い山頂は南側に展望が広がり、歩いてきた丈山北峰を眺望する。この飛曽山は丈山から縦走すると尾根の先にある小さな頭のように思えるが、辻富士とも呼ばれ、辻の集落から正面に見上げと秀麗な山容を誇る山であった。
ここから次の三角点ピーク△478.8mにかけてかなりの急下降が続く。グリップの効く登山靴を履いてきたから良かったが、そうでなければザレ気味の滑りやすい斜面の下降に難儀したことだろう。
△478.8mには三角点の柱石の傍に緑色の山名標が落ちているが、このプレートにより点名は飛曽であることを知ることが出来る。このあたりから尾根は明瞭ではあるが、倒木が目立つ。弥十郎ヶ岳に比べてこの辻川の右岸尾根は歩く人も少ないのだろう。標高が低くなってきたせいか、先ほどまで尾根上を吹き抜けていた風も弱くなり、急に蒸し暑さが感じられるようになってきた。
P403は登山道に見慣れた緑色の針金のついた小さなプレートが落ちている。応急処置で近くのコバノミツバツツジと思われる低木に掛けさせて頂く。p403からは尾根を直進しそうになるが、西に大きく曲がるのが正解らしい。
尾根を進み次の鞍部に至ると、再び「本郭」と記された真新しい道標が現れる。尾根の末端ca420mのピークが東山城址であり、ここも山頂部の広い平地の手前に階段状の郭が現れる。城址の北東から登山道が続いていた。北側の鞍部から西に植林の谷を下降すると再び防獣柵が現れる。柵に設けられた扉を開けて出発地点に戻る。
集落から見上げる弥十郎ヶ岳は傾いた夕陽を浴びて輝いていた。すぐ近くの民家から立ち上る藁焼きの煙の匂いが秋の気配を感じさせる。
帰宅後、山中で採取したタマゴタケはホワイトマッシュルームと竹輪を加えてバター炒めにする。タマゴタケは2本のみと少ないのが残念であったが、それでも強い個性を放つタマゴタケの味は竹輪に十分に染み込んでくれるのだった。
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