加波山から燕山、天狗の踊り場から迷路の帰路
- GPS
- 08:18
- 距離
- 10.6km
- 登り
- 971m
- 下り
- 964m
コースタイム
- 山行
- 6:53
- 休憩
- 1:16
- 合計
- 8:09
天候 | 快晴〜晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
●コンビニ:県道41号の加波山神社入口から南に少しのところの右側に、コンビニ(ファミマ)、さらに先の左にセブンがあります。 ●駐車場:登山道入口の加波山神社本宮(三枝祇神社:さえなづみじんじゃ)(ここから出発することをお勧めします)と、加波山普明神社、加波山神社真壁拝殿のそれぞれに10台くらいのスペースがあります。もっと上の登山道三号目あたりの廃墟の施設、その上の道路の拡張部分などにも駐車できますが、この山は、下の神社から登るのが筋だと思います。 ●トイレ:本宮で知られる加波山三枝祇(なえなづみ)神社には、鳥居をくぐり階段を上がって境内に入ったすぐ右側に、下り階段があり、それを下った右側にトイレがあります(ただし古いトイレで和式)。三号目付近の山に向かって左方面にの奥にある、寝不動尊にもトイレがあることは前回の登山で確認しました。 ●危険か所:燕山から天狗の踊り場へのルートは、標識皆無、踏み跡微妙。下れば下るほどルートは迷路で踏み跡ほぼなし。ただし、ときどきピンクと黄色のリボンが出現。沢(分岐)あたりは、急斜面。GPS地図無しでは遭難リスクが高いです。とにかく道らしきがほぼありません。 |
その他周辺情報 | ●日帰り温泉:「あけの元気館」の住所は、(桜川市の西側)筑西市新井新田48-1(電話:0296-52-7111)。立ち寄りませんでしたので、情報のみです。 |
写真
感想
●山行計画の自動ルートできない場合の注意点
加波山は3年前の12月に、真壁拝殿あたりから親宮路〜山頂〜一本杉峠ルートで山行しました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2152816.html
今回は、初心者が一人同行なので、本宮路から山頂を親宮路方向に渡り、ゆとりがあったら、燕山、そしてまだ一度も訪れたことがない、「天狗の踊り場」という巨石や奇岩とうわさがあるところを計画しました。
山行計画をしたときに、実は、「天狗の踊り場」が自動では設定できませんでした。そこでいろいろと調べ、なんとか「このへんだろう」と推定し、手動でルートを設定しました。
計画地図では、人の踏み跡があるところなら歩けるはずだと、気楽に考えていました。が、実際に現場を歩いて、すぐにそれが恐ろしく危険になることを思い知りました。
ルートの計画では、自動で設定できるということは、ルートの情報が充分にあるということです。ところが、自動設定できないということは、ルートについての情報が少なく、AIで自動設定できないということになります。それが実際はどういうことなのか、それをこの体で直に体験しました。
それは、遭難リスクが高い、恐ろしいことでした。
●地図にあるはずの道(踏み跡)がない
登山道は、人が歩けば踏み跡で自然に道が道らしく保たれます。が、人の歩数がすくなければ、自然の雑木がルートに進出して踏み跡をわからなくします。計画ルートの設定で、PCで自動設定できないポイントというのは、かつて人が歩いた実績があったとしても、雑木の繁茂が勝って、踏み跡が消されてしまった可能性が高いわけです。
今回、まず、燕山からの天狗の踊り場への分け道への分岐が、曖昧だったことから始まります。私はそこに、案内板があるものと思い込んでいました。が、何もありませんでした。ただ、スマホ地図のGPSが、そのポイントを指し示すのみでした。そこには、道らしきがありません。が、目を疑ってみると、何となく道らしきが見えてきました。たぶんこれだろうと、笹の葉をかき分けて、それらしきを進みつつ、スマホ地図のGPSで小まめに方角を確認して進んだのです。
●ピンクリボンの怪しさとGPS頼り
かなり下りたあたりで林道に出ました。どうやら燕山の電波塔のための管理道路ではないかと推測しました。それにしても、ここにこんな車が走れそうな道があることは、地図情報ではわかりませんでした。地図には、他の踏み跡のルートと差がありません。ともかく、こういう道路があることは、エスケープに使えますので、安心できる発見でした。
しかし、私が計画したルートは、この道路ではありません。道路を横切り、さらに下るルートでした。ところが、いったいどこから下るのか、GPSが示す位置を見ても、道らしきがありません。うろうろ見ていると、少し遠くにピンクリボンが見えると仲間が叫びました。こうして、
ピンクリボンを頼りとし、この辺りから下りても大丈夫だと、道でないところから踏み込みました。今から思うと、そこでエスケープルート(林道)を選ぶべきでした。が、踏み込んでしまうと、どんどん下りとなり、引き返すことができなくなりました。山中にはどこでも獣道のようなものが見えたりします。そこを進みますが、やがてそれはすぐに途切れます。このルートも、そんな感じでした。道を見極めるのではなく、ピンクリボンとスマホ地図のGPSを頼りに信じて、その位置情報と方角を信頼しました。そのために、とんでもない崖を這い下りたり、雑木を右に左にかき分けたり、藪漕ぎしたり、とんでもない道なき道を、計画したルートを辿って。かなりの急斜面を一歩一歩、慎重に進みました。
●絶対に踏み込んではいけないはずの道なき道
今回は3人で行動しました。一人は今回が初登山だったのです。私が計画したルートです。燕山までは初心者でも安心できるルートだったのですが、天狗の踊り場を探るルートは、高齢になってから3年の経験しかない私には、信じられない道なきルートとなり、とても不安でした。しかしこのルート、計画で地図に、登山道として表示されたものでした。誰かが歩いた実績がある道であることは確かなのです。それなのに、私たち3人は、途方にくれるほど、進んでは道を失い、迷っては協議して探りのくり返しで、初心者の登山者を支えながら、やっと沢の、天狗の踊り場、燕山分岐という、実績の少ないポイントに辿り付きました。
そのポイントには、一本の分岐らしきを表す標識の杭がありました。が、ぐらぐら揺れるので、たぶん腐っていたでしょう。文字は風化して読み取れません。そこは標高450メートルくらいでした。燕山山頂の約700メートルから、かなり下ったのです。等高線が狭かったので、かなり急勾配でした。さて、そこからまたGPSで探り、帰路を確認します。とにかく、計画したルートのポイントに着いたことは間違いありません。計画どおりなのですが、道がなかったわけです。さてそこから、計画ルートでは、沢の向かいを登るようです。はたして道らしきがあるのか? 強引に行けないことはありませんが、かなりの急勾配で、調べても行ける雰囲気ではありませんでした。仲間が、下りてきた斜面とは別な方向に、ピンクリボンを2つ目視しました。そこで、方向が違いますが、安心できるピンクリボンの方向に、登り返すことに決めました。スマホ地図でその方向調べると、先ほど横切った管理道路に、数十メートルほど登れば着けるはずです。しかし、ピンクリボンの方向への登りが、ものすごい急斜面で、しかもずるずる滑り、難儀しました。初心者の方がとても大変だったのです。何とか補助をし、全員で協力して、やっと管理道路に着けたので、遭難せずに済みました。
●夕闇迫る秋の夕方ぎりぎり下山
あとは、管理道路をたらたらと登って、親宮路を下山すればよいだけとなりました。すでに夕方、秋分から1か月ほど過ぎた秋の日の入りは早いです。下山ではどんどん足元が暗くなってきました。時折西から水平に木立を抜けて走ってきた真っ赤の夕日の筋が、山肌や下山道の小石に反射し、不思議にやわらかな美しい色合いを愉しませてくれました。真っ赤な西の太陽も正面に覗いたりしました。
天狗伝承が山全体にありそうな、加波山登山、今回は、その天狗伝承が色濃く伝わる、天狗の踊り場の探索で、思わぬ遭難すれすれの体験をすることになりました。もし遭難していたら、天狗さんを恨んじゃうところでしたが、幸いにも初心者が同行したにもかかわらず、全員が協調してトラブルを克服できました。西に沈もうとしている赤い太陽の輝きが、天狗さんの真っ赤なお顔だったのではないかと、今になって気づきました。私たちの安全を見届けたやさしさと喜びの輝きだったのではないかと。私は、天狗存在は実在すると思っています。信じているのではなく、存在すると思っています。私たちが踏み込んだ天狗の踊り場での迷走を、天狗の精霊が見守り、助けてくれたのだと思います。そんな加波山の天狗伝承を、今回は遭難リスクを通じて体験したということにします。
以下は、今回登山の疑問追究と反省を記します。
●2系統の加波山神社
加波山の登山道1合目周辺には、加波山と名がついた神社が三つあります。
1)加波山神社本宮(加波山三枝祇神社、「本宮」「親宮」とも)
2)加波山普明神社(2004年?前までの加波山神社真壁拝殿)
3)加波山神社真壁拝殿(本殿は頂上と石岡市大塚、ここは山麓西の遥拝殿、「中宮」「中天宮」とも)
「加波山神社」をウィキペディアで調べると、こうあります。
(引用)
加波山神社(かばさんじんじゃ)は、茨城県の加波山山頂、石岡市大塚に鎮座する神社。筑波山などとともに連峰を形成する加波山に対する加波山信仰に基づく神社だった。旧社格は郷社。加波山山頂からやや北に隔たった尾根筋に本殿が鎮座し、更にその北方に拝殿がある。また東西の両山麓にそれぞれ遥拝殿としての里宮がある。鎮座地には近接して加波山本宮と親宮も鎮座、この両宮を併せて加波山権現と総称され、両宮に対して中宮(ちゅうぐう)(加波山神社中宮・加波山中宮)を称し、一に中天宮(ちゅうてんぐう)とも称す。
(以上引用)
ここで説明されているのは、「加波山神社真壁拝殿」に属するものです。
御祭神は、国常立尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊など、古事記創生の神々です。
もう一つ「加波山三枝祇神社(本宮)」をウィキペディアで調べてみました。
(引用)
加波山三枝祇神社(かばさんさえなづみじんじゃ)は、茨城県桜川市の加波山山頂に鎮座する加波山三枝祇神社本宮(本宮)と三枝祇神社親宮(親宮)の通称。総花式に加波山三枝祇神社本宮親宮、または単に加波山神社本宮(親宮)、加波山本宮(親宮)ともいう。(以下一部略)旧社格はともに村社。本宮の本殿は山頂に鎮座し、その少し南側に拝殿がある。山頂より尾根筋北に200m程隔てて親宮の本殿が鎮座し、更にその北方に拝殿がある。両宮の里宮は加波山西麓の真壁町長岡にある。
(以上引用)
これが、登山口にある加波山神社本宮の説明です。まず、神社名が正式が「加波山三枝祇神社」であり、それが本宮と親宮に分かれています。
本宮の本殿は、山頂にあり、たぶん一番高い南端709メートルのところに鎮座しています。その少し南、登山道本宮路を登り切ったところに本宮の拝殿がありました。ひっそりと閉じられていましたが。
親宮の本殿は、たしか本宮本殿の次(中宮本殿)の次の社のところに鎮座しています。そして拝殿が、頂上から北に下ったところに、中宮の拝殿のとなり(西側)に並んでありました。
加波山三枝祇神社本宮の御祭神は、伊弉冊命、速玉男命、事解男命、雷神など。親宮は、伊邪那美大神、速玉男命、事解男命、建許呂神とありました。
つまり、登山道入口にある加波山神社本宮は、古来から加波山信仰を司る、加波山西麓の中心であり、山頂の本宮と親宮の本殿を遥拝する里宮でもあったわけです。しかもここからの登山道には、頂上本宮に参拝登山するルートを本宮路、頂上親宮に参拝するルートを親宮路と名づけられている理由がよく理解できました。
つまり、登山道入口近辺に近接して二つの加波山神社があるのは、一方がこのエリア(真壁町長岡地区)で加波山信仰の役割を担っている「本宮」で知られる加波山三枝祇神社でした。そして隣接するもう一つの加波山神社真壁拝殿はというと、加波山東麓のエリア(石岡市大塚)で加波山信仰を担い、かつて郷社格であった加波山神社の西麓の遥拝殿とわかりました。
●謎だらけの「加波山普明神社」、じつは……???
私たちは、加波山神社本宮(三枝祇神社)の駐車場から登山をスタートしました。
古式ゆかしい本宮の境内には、旧村社とはいえ、いくつかの社があり,立派な社務所もあって山麓の神社としての風格はすばらしいものがあります。境内を東に抜けて、山を目指して歩きだすと、すぐ左側に、鄙びた神社が佇んでいました。けっして大きくはないひっそりとした、ある意味で幽玄な暗さが不気味な印象がないではありません。立ち寄り参拝しました。
拝殿に向かいお参りをすると、右側に張り紙が二つありました。そこに書いてある文字を読んでみます。
「天狗の宮、日本で唯一天狗の頭の骨を御神体とするお宮」
ハァ?、と驚く内容です。「日本で唯一天狗の頭を御神体とする」?とあります。あるブログに、ここの拝殿にあがって、写真撮影禁止ですが、御神体を見ることができたという報告がありました。その印象は、よくわからないものだったとありました。
もう一つ、この神社の由来がありました。神社の名にある「普明」とは、国安普明(万延元年1860年9月28日〜大正元年1912年9月28日)という、明治時代に、明治天皇の相談役なども務め活躍した、最後の仙人と伝えられた超人でした。伝説ですが、少年期から厳しい修行を山中で行い、やがて、テレポート、分身、水の上を歩く、透視、物品引き寄せ、空中から神薬を出す、不食などの、いわゆる超能力を発揮。しかし、無欲でおだやかでおごらず、頭をさげることを厭わず、自戒をもって素直に生きた、不思議な超人で、最後の仙人ともいわれるほどの、常識を超えた神人だったそうです。死後も、死体が消えたなど不可思議な現象が記録されています。
そんな国安普明(国安仙人)を御祭神と祀ったのが、加波山普明(ふみょう)神社だったのです。
この、仙人とされる国安普明は、若いころにたいへんに厳しい修行を山中でしたとされ、おそらくその修行の指導にあたったのが、いほゆる天狗であったのではないでしょうか? 国安仙人は、日本各地の霊場で修行をしたとされ、その修行の山の一つが加波山であったことは想像に難くありません。
ところで、国安仙人は大正時代に入って死去しました。が、死体が消えたなどの現象から、尸解(しかい)したとされます。
さて、「尸解」とは何でしょうか。ブリタニカ国際大百科事典から引用します。
(引用)
尸解(しかい):中国の神仙思想や道教で,人がいったん死んだのちに生返り,他の離れた土地で仙人になることをいう。また,このような仙人を尸解仙という。尸解には,死体を残して霊魂のみが抜け去るものと,死体が生返って棺より抜け出るものとがある。
(以上引用)
国安普明の場合は、死体が消えたそうなので、生き返って棺から抜け出たと考えられます。イエスキリストの復活のようです。その現象を尸解というわけです。はたして尸解した普明犯人は、どこに行かれたのでしょうか。
そんな近代の仙人を御祭神とした神社なので、それほど古くからのことではないはずです。
普明神社(ふみょうじんじゃ)をウィキペディアで調べてみます。
「新潟県南魚沼市にある神道大教所属の神社。明治時代の仙人・国安普明を祭る」とあり、「昭和27年(1952年)、松井慶一(桂陰)が、国安普明の神徳布教を目的として、東京に苗場明道会を設立。昭和30年(1955年)、新潟県南魚沼郡(現在の南魚沼市)に普明神社を建立」とあることから、加波山普明神社は、それ以降のことになります。が、加波山普明神社のたたずまいは、とても古い、昔の神社の雰囲気で包まれています。
あるブログから、その理由がわかりました。じつは、この神社は、すぐ東の敷地に隣接している加波山神社真壁拝殿であったようです。調べると、現在この神社は、石岡市大塚を拠点とする加波山神社の末社と格付けされていました。つまり、最近になって隣の敷地に新しい「真壁拝殿」が建立されたことに伴い、役割を変えて、以降、おそらく、新潟の普明神社から御祭神を分霊して、天狗に縁が深い国安普明仙人を祀るようになったと推測します(裏取りしていません)。それ以降、社名を「加波山普明神社」として末社に連なったのだと思います。
するともう一つ、疑問が出てきます。
すぐ東に隣接する、現在の加波山神社真壁拝殿の出現です。
●豪華絢爛のギラギラ装飾の真壁拝殿のナゾ?
常識で考えてみます。だれかが巨額で拝殿の建築を支援してくれるとしたら、現存する社を伝統に従って建て替えるのが通常でしょう。ところが、真壁拝殿のケースでは、隣接する敷地にまったく様式の違う拝殿が新築されました。登山者が驚くのは、現在の真壁拝殿の真っ赤な鳥居と豪勢な装飾であふれた、拝殿社の輝きです。旧真壁拝殿であった隣の神社外観が、暗くひっそりと佇む印象とは、まったく真逆なド派手さに、度肝を抜かれた人は多いでしょう。
快晴の朝、太陽の下に輝く極彩色の境内は、古式ゆかしい神社の印象はありません。竜の彫り物などなど、大陸文化の印象に、好悪分かれるところです。加波山という古い修驗の信仰が伝わるところには、明らかに違和感がないではありません。
いったいどういう経緯で、こういう神社ができたのか。その説明が「加波山神社建立の由来」として石碑に刻まれていました。
それによると、宗教法人箱根大天狗山神社の開祖、竹田敏男(竜斉大天狗)という方の署名の由来書でした。そこには、竹田氏と加波山神社との修行にまつわる四十数年にも続いた関係があり、加波山で最終的な修行を成し遂げた竹田氏が八十歳を迎えて書き記したとあります。そこには「何時果てるとも知れぬ命の結晶として、加波山神社の神々の未来永劫の発展の為に命を燃やしている」とあり、五億円に近い金額を寄付し、建立されたものとあります。記名日は、平成十六年六月。西暦2004年です。つまり、この時に、新しい加波山神社真壁拝殿が出現したのだろうことがわかります(推測)。
つまり、このような建造物は、寄進者の意向に影響されます。お金を出してくれて拝殿が充実することは、願ってもないことです。が、伝統が深いところであればそれだけ、伝統様式を保とうとするでしょう。ところが、寄進者が、まったく異なる様式を希望したなら、それに屈するしかないかもしれません。
寄進を受け入れると同時に、伝統を残すにはどうしたらいいか?
古い従来の社はそのまま残し、新たに土地も含めて新築することにしたのが、現在の加波山普明神社と加波山神社真壁拝殿の姿なのではないかと思いました。
個人的には、今の真壁拝殿の豪奢な様式は、神道としては受け入れがたいもので、度肝を抜かれても、好きにはなれません。何かこの豪華さの裏に、金にまつわるあまり好ましくない問題があるのではないかと邪推をしてしまいます。
因みに、この新しい真壁拝殿の寄進者の関係の、箱根大天狗山神社を調べてみました。きれいで豪華なホームページがあります。それを見ると、新しい真壁拝殿の豪奢の様式と同じものであることがわかります。さらに箱根大天狗山神社について、いろいろと調べてみると、水子に関するあまりよろしくない評判が出てきました。どうもニオイます。私はこれ以上かぎたくないニオイです。
天狗というと、人間にとって一概によい存在とはかぎりません。平田篤胤の『仙境異聞』では、天狗が人間の生活を密接にささえつつ修行をしている様が書かれていますが、人間も同様に、悪心をもった天狗も存在します。天使のなかにも、堕天使がいるように、天狗は、獲得した神通力を利用して、人々を惑わせ、金品を巻き上げることに加担をするものもいるでしょう。精霊といわれる狐霊なども同様です。人間をサポートする精霊と、人間を食い物にする精霊がいるわけです。
愛宕山の十三天狗は、人間をサポートする優れた天狗精霊だと思います。が、箱根の〜〜〜は、どうもニオイが違います。その影響を受けた、現在の真壁拝殿? どうも違和感がぬぐえません。
●廃墟:天狗之庭(1987〜1993年)のなぞ
加波山登山道本宮路の三号目、鳥居がある手前のところに、風化しかかっている奇妙な建造物がありました。敷地は封鎖されていて、囲いの隙間から覗くことはできます。電話ボックスくらいのガラスのケースがあって、そこに天中坊大天狗らしき一本ゲタの天狗像が見えました。近くで見てみたいほど、きれいな状態ですが、お顔の目のあたりが、ケースに隠れて見えないのが残念でした。すこし横には、岩切之大権現らしき天狗像が同様にあり、これも近くで見たいほど、よい状態で保存されています。その他は奥まっていてどうなっているのか分かりません。
ここは、廃墟として有名な「天狗之庭(大天狗神社)」という施設です。
ウェブで調べると、1987年のバブル期に箱根の新興宗教団体が茨城支部神社として違法に建築した施設とありました。「仏像や神像が雑然と並び、四隅に建つ照明塔があるB級スポット的施設で、主神として天中坊大天狗、加波根不動明王、岩切之大権現、天聖稲荷大明神、釈迦如来像、十二支雷公観世音が祀られている。照明塔はソーラーシステムで稼働していたらしい」とありました。役場は立ち退き要求するも活動継続し、バブル期には活況を呈したという。1993年に箱根に神社を再建したため、茨城の神社を放棄した」とありました。
さて、ここで大きな疑問が湧いてきました。
この天狗之庭の様式は、あたらしい真壁拝殿と発想がどこか似ているような? 気のせいでしょうか? さらに「1993年に箱根に神社を再建」という下りです。天狗と名のつく宗教団体としたら、真壁拝殿建立に寄進した、あの団体のその人ではないのでしょうか? ホームページや他の記事を調べてはましたが、1993年に符号するところが出てきません。なので、確証がないのですが、どう考えても、関連があるとしか思えません。
そしてその人物等を調べると、よろしからぬものが出てきます。これ以上、深入りしたくはありませんが、怖いものみたさでこんな動画を発見しました。どなたかが、この廃墟施設をドローンで撮影したものです。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm38742792
●天狗の踊り場は、道なき道の迷路:曲者のピンクリボン(林道を頼ること)
今回の登山で、私が行きたかった「天狗の踊り場」は、人口の施設ではなく、本物の自然の天狗の修行場と考えられる場所です。どこに行っても、巨岩がドスンとかゴロンとかある山の部分は、「天狗の〜〜〜」と言われます。ですから、おおよそ、どんなところから、だいたいの予測がつきました。山中に巨岩があると、コントラストが強い山の印象が深まります。私は大好きです。そんな巨石や巨岩のある風景が。
岩や石には、地球生成のエネルギー、電磁波があります。その微細な振動に触れると、私の生体が喜ぶのです。巨岩や巨石の周辺は、磁場が高いといわれます。大きな地球の生成の電磁波エネルギーが膨大に放射されているからだろうと体験的に思います。だからこそ、加波山に行くなら、近くの天狗の踊り場というところを訪れたかったのです。
ところが、このスポット、ヤマレコの登山計画で自動で地図に出ませんでした。手動であたりを目星をつけて、ルートを作るしかなかったのです。地図には、踏み跡の履歴があります。それを頼りに、作成したのですが、はっきり言って、危険な歩いてはいけないルートになってしまいました。
ルートで許せるのは、燕山から西に、天狗の踊り場方向に下り、途中の巨岩・巨石を堪能して、電波塔管理と思われる林道に出るところまでです。
ルートの計画では、このような車が走れる林道(未舗装)があることがわかりませんでした。その情報があらかじめあったなら、これを利用した、もっと安全なルートを作成できたでしょう。
まずいことに、今回私が作ったルートは、この道路を横切り、さらに奥深く下に下りるもので、これまでの経験から、計画地図どおりに行けば、必ず突破できることと信じ、予定どおり、結構しました。
それは、反省すべき失敗でした。
まず、林道を横切って下に下りる道が見つからないのです。必死に手分けして探すと、遠くにピンクリボンが見えたのです。つまり、ここを下れば、ただしいルートに出れると判断したのです。もしピンクリボンが見つからなかったら、林道を利用して,安全に下山することを考えたかもしれません。が、リボンが見えたのです。このピンクリボン、そして黄色いリボン、曲者です。
燕山から天狗の踊り場というエリア、まったく標識がありません。ときどきリボンがあるのです。リボンがあると、安心してしまいます。ところが今回は、リボンに惑わされたと思います。
まして今回は、初心者の方がいらっしいました。ほんとうにその方には、申し訳ないことに、道なき道を案内してしまい、多大な迷惑をかけてしまいました。幸い、一度も音を上げることなく、辛抱強く付き合ってくれたので、無事、さんざん迷ったあとに、林道にエスケープできました。私もすでに数十回ほど登山をしていますが、今回の天狗の踊り場の近辺のように、道がものすごく曖昧で、はっきり言ってまったく登山道とは言えないルートを、こんなにもたくさん歩いたのは初めての経験です。それを初心者の方に体験させてしまったことは、大いに反省しなければならないことです。それにしても、初心者の方が、この急斜面が続出する迷路を耐えて歩ききったこと、すごいことだと思います。ほんとうに申し訳ございませんでした。
●加波山の大神と天狗の皆様に感謝
ありがとう、加波山の大神たち、そして天狗の皆様。
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