鶴ヶ峰駅北口から出発。商店街を通り抜けます
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12/10 9:56
鶴ヶ峰駅北口から出発。商店街を通り抜けます
国道16号の地下横断歩道を抜けると
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12/10 10:03
国道16号の地下横断歩道を抜けると
鶴ヶ峰坂の標柱。急坂で旧八王子街道の難所だったそうです
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12/10 10:05
鶴ヶ峰坂の標柱。急坂で旧八王子街道の難所だったそうです
大きなループ歩道橋のある公園に入ります
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12/10 10:10
大きなループ歩道橋のある公園に入ります
公園奥の鳥居を回り込むと、石仏・石塔が並ぶ広い境内の奥に白根不動尊の不動堂がありました
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12/10 10:15
公園奥の鳥居を回り込むと、石仏・石塔が並ぶ広い境内の奥に白根不動尊の不動堂がありました
不動堂の横の階段を下ると龍泉橋がありますが、正面の階段は通行止め。しかし、よく見ると川沿いに道があります
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12/10 10:17
不動堂の横の階段を下ると龍泉橋がありますが、正面の階段は通行止め。しかし、よく見ると川沿いに道があります
橋を渡って、右に進めば赤いペイントの施された小瀧不動尊があり
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12/10 10:18
橋を渡って、右に進めば赤いペイントの施された小瀧不動尊があり
左に進めば岩穴の中に白瀧龍神が祀られている。龍神は白糸の瀧から中堀川・帷子川、海、大岡川を経て円海山山麓と行き来していたという
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12/10 10:19
左に進めば岩穴の中に白瀧龍神が祀られている。龍神は白糸の瀧から中堀川・帷子川、海、大岡川を経て円海山山麓と行き来していたという
不動堂下の道を川沿いに進み、白糸の滝橋を渡って白根神社に向かいます
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12/10 10:23
不動堂下の道を川沿いに進み、白糸の滝橋を渡って白根神社に向かいます
白糸の滝は先ほどの小瀧に対応して大瀧とも呼ばれていたようです
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12/10 10:24
白糸の滝は先ほどの小瀧に対応して大瀧とも呼ばれていたようです
急な坂を上ると源義家が厚く信仰したという白根神社に着く。昔は白根不動として世に知られていたが神仏分離により白根神社と改めたそうだ
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12/10 10:26
急な坂を上ると源義家が厚く信仰したという白根神社に着く。昔は白根不動として世に知られていたが神仏分離により白根神社と改めたそうだ
白根神社から住宅地の小径を抜けてバス通りに下り
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12/10 10:35
白根神社から住宅地の小径を抜けてバス通りに下り
相鉄ローゼンの先の小径を右に上る
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12/10 10:48
相鉄ローゼンの先の小径を右に上る
グリーンのグラデーションでペイントされたアパートがが可愛い
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12/10 10:54
グリーンのグラデーションでペイントされたアパートがが可愛い
突当りの公園の中を通り抜け
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12/10 10:57
突当りの公園の中を通り抜け
住宅地を抜けて更に小路を進む
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12/10 11:04
住宅地を抜けて更に小路を進む
住宅地の中を尾根沿いに進み、公園のある二又を左に下ります
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12/10 11:10
住宅地の中を尾根沿いに進み、公園のある二又を左に下ります
中原街道を渡り、トラックの前方奥に見える一方通行路に入ると
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12/10 11:21
中原街道を渡り、トラックの前方奥に見える一方通行路に入ると
長泉寺前の信号に着きます
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12/10 11:26
長泉寺前の信号に着きます
道を渡り、まずは杉山神社へ
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12/10 11:28
道を渡り、まずは杉山神社へ
中山杉山神社は創立年代不詳ですが、慶応元年(1865)に社殿を再建し中山町の鎮守として崇敬されています
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12/10 11:29
中山杉山神社は創立年代不詳ですが、慶応元年(1865)に社殿を再建し中山町の鎮守として崇敬されています
本殿右手前の竹垣の中には、2012年の境内整備完成記念に寄贈されたという水琴窟がありました
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12/10 11:30
本殿右手前の竹垣の中には、2012年の境内整備完成記念に寄贈されたという水琴窟がありました
お隣の長泉寺の入口には、元禄6年(1639)の庚申塔が立っていまする
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12/10 11:33
お隣の長泉寺の入口には、元禄6年(1639)の庚申塔が立っていまする
長泉寺も創建年代等は不詳ですが、慶安ニ年(1649)には本尊不動堂領として寺領5石の御朱印状を拝領したそうです
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12/10 11:34
長泉寺も創建年代等は不詳ですが、慶安ニ年(1649)には本尊不動堂領として寺領5石の御朱印状を拝領したそうです
本堂横にはこんな物騒なものもありました
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12/10 11:34
本堂横にはこんな物騒なものもありました
中山駅近くで昼食を済ませ、長泉寺横の旧街道を進み
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12/10 12:26
中山駅近くで昼食を済ませ、長泉寺横の旧街道を進み
JR横浜線の中山第二踏切を渡ります
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12/10 12:30
JR横浜線の中山第二踏切を渡ります
工場の敷地に突き当たったら、すぐ左の工場敷地沿いの道に入ります
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12/10 12:37
工場の敷地に突き当たったら、すぐ左の工場敷地沿いの道に入ります
バス通りに出て橋を渡り、すぐ先の青砥交差点を右折
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12/10 12:40
バス通りに出て橋を渡り、すぐ先の青砥交差点を右折
最初の角を左に入るとここが旧街道。すぐ先に水難者供養塔・地蔵尊・庚申塔が並んでいました
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12/10 12:46
最初の角を左に入るとここが旧街道。すぐ先に水難者供養塔・地蔵尊・庚申塔が並んでいました
一旦戻って、バス通りを東に進み、杉山神社前を抜けて
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12/10 12:50
一旦戻って、バス通りを東に進み、杉山神社前を抜けて
蓮生寺へ。創建は永禄2年(1559)とされます
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12/10 12:52
蓮生寺へ。創建は永禄2年(1559)とされます
境内には北条時頼に仕え当地を所領した青砥左衛門尉藤綱を祀る青砥大明神があります
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12/10 12:54
境内には北条時頼に仕え当地を所領した青砥左衛門尉藤綱を祀る青砥大明神があります
旧街道に戻り住宅地の中を進むと北八朔子育北向地蔵尊があります
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12/10 13:08
旧街道に戻り住宅地の中を進むと北八朔子育北向地蔵尊があります
鶴見川に架かる精進橋。この少し下流に「地蔵の渡し」があり、渡しの安全を祈願する2体のお地蔵様が鎮座していたそうです
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12/10 13:15
鶴見川に架かる精進橋。この少し下流に「地蔵の渡し」があり、渡しの安全を祈願する2体のお地蔵様が鎮座していたそうです
旧街道から少し住宅地に入ると川和下宿の道祖神。寛政元年(1789)の双体道祖神で祠の中の丸石はどんど焼きで使われたものとか
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12/10 13:21
旧街道から少し住宅地に入ると川和下宿の道祖神。寛政元年(1789)の双体道祖神で祠の中の丸石はどんど焼きで使われたものとか
川和宿の通りの中央に位置する八坂神社。境内の二十三夜塔は明治41年(1908)のものでした
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12/10 13:24
川和宿の通りの中央に位置する八坂神社。境内の二十三夜塔は明治41年(1908)のものでした
川和宿を数分進むと石塔が二塔。左は安政三年(1856)の上宿道祖神、右は庚申塔
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12/10 13:28
川和宿を数分進むと石塔が二塔。左は安政三年(1856)の上宿道祖神、右は庚申塔
上宿道祖神の先の角を右に入り、川和八幡神社一の鳥居の前を抜けて天宗寺に向かいます
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12/10 13:33
上宿道祖神の先の角を右に入り、川和八幡神社一の鳥居の前を抜けて天宗寺に向かいます
畑の中に安政三年(1856)の庚申塔と左に単体道祖神。右に壊れた石塔が積まれていますが宝暦四年(1754)の文字が読み取れました
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12/10 13:38
畑の中に安政三年(1856)の庚申塔と左に単体道祖神。右に壊れた石塔が積まれていますが宝暦四年(1754)の文字が読み取れました
天文9年(1540)村民・岩澤氏の開山と云われる天宗寺。境内には地蔵の渡しにあったお地蔵様(別名・流れ地蔵)が遷置されています
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12/10 13:41
天文9年(1540)村民・岩澤氏の開山と云われる天宗寺。境内には地蔵の渡しにあったお地蔵様(別名・流れ地蔵)が遷置されています
この辺りは毎年のように洪水が起こり、地蔵の渡しのお地蔵様もそのたびに祠が流されるため、ここ天宗寺と近くの瑞雲寺に1体づづ遷置されたそうです
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12/10 13:43
この辺りは毎年のように洪水が起こり、地蔵の渡しのお地蔵様もそのたびに祠が流されるため、ここ天宗寺と近くの瑞雲寺に1体づづ遷置されたそうです
境内には芭蕉の句碑もありました。「うき我を さびしがらせよ かんこ鳥」と刻まれています
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12/10 13:46
境内には芭蕉の句碑もありました。「うき我を さびしがらせよ かんこ鳥」と刻まれています
旧街道に戻る途中の川和八幡神社
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12/10 13:52
旧街道に戻る途中の川和八幡神社
川和八幡神社は貞観十七年(875)武蔵野国河輪神社として従五位を授けられているとか
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12/10 13:53
川和八幡神社は貞観十七年(875)武蔵野国河輪神社として従五位を授けられているとか
再び旧街道を歩き、バス通りに合流すると祠の中に庚申塔や石仏が車座のように並んでいました
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12/10 14:12
再び旧街道を歩き、バス通りに合流すると祠の中に庚申塔や石仏が車座のように並んでいました
道の対面にあった川和里と刻まれた石塔。私には判別できませんでしたが歌碑のようでした
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12/10 14:24
道の対面にあった川和里と刻まれた石塔。私には判別できませんでしたが歌碑のようでした
バス通りの手斧橋の先を右に入りますが旧街道は残っておらず、住宅地の中を荏田高校を目指して進みました。荏田高校前から旧街道が復活します
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12/10 15:01
バス通りの手斧橋の先を右に入りますが旧街道は残っておらず、住宅地の中を荏田高校を目指して進みました。荏田高校前から旧街道が復活します
池尻橋で新横浜元石川線を渡り、尾根沿いに道を進みます
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12/10 15:05
池尻橋で新横浜元石川線を渡り、尾根沿いに道を進みます
15分ほど住宅地の中を進み、下り坂の途中から右の階段を下ると
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12/10 15:20
15分ほど住宅地の中を進み、下り坂の途中から右の階段を下ると
真福寺に着きます。真福寺は北方3.4kmほどのところにあったそうですが、大正10年(1921)観音堂のあった当地に移転して来たそうです
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12/10 15:22
真福寺に着きます。真福寺は北方3.4kmほどのところにあったそうですが、大正10年(1921)観音堂のあった当地に移転して来たそうです
県や国の重要文化財となっている仏像が安置されているようですが見ることができないのが残念です
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12/10 15:23
県や国の重要文化財となっている仏像が安置されているようですが見ることができないのが残念です
境内には樹齢200年ほどのイチョウと樹齢400年ほど云われるカヤの木があり、横浜市の名木古木に指定されています
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12/10 15:30
境内には樹齢200年ほどのイチョウと樹齢400年ほど云われるカヤの木があり、横浜市の名木古木に指定されています
真福寺前の坂を下り旧大山街道と合流。街道を少し戻ると荏田下宿の庚申塔があります
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12/10 15:34
真福寺前の坂を下り旧大山街道と合流。街道を少し戻ると荏田下宿の庚申塔があります
旧大山街道荏田宿を荏田駅方面に向かいます
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12/10 15:35
旧大山街道荏田宿を荏田駅方面に向かいます
国道254号線を渡って大山街道とも別れ、打上げ場所を求めてあざみ野駅へ向かいました
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12/10 15:40
国道254号線を渡って大山街道とも別れ、打上げ場所を求めてあざみ野駅へ向かいました
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