秩父札所26〜28番+秩父映画祭


- GPS
- 03:20
- 距離
- 8.6km
- 登り
- 264m
- 下り
- 260m
コースタイム
天候 | 曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
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コース状況/ 危険箇所等 |
26番札所は影森駅近くの納経所がある円融寺から昭和電工の敷地を通過して琴平神社の石段を登って、奥社の先の急な岩混じりの山道を登るか、右わきの舗装道を進んで、石段を登っていくか、どちらも本来の観音堂のある岩井堂に出られる。足の自信のある人は神社からの山道がお勧めだが、かなり険しい道。岩井堂もこの先の橋立寺も、武甲山に象徴される石灰岩の山、経済発展とともに山の形が変わる運命にある。そうした岩山の尾根を歩くコースだ。 また岩井堂からのハイキングコースの岩尾根歩きでは最後のピークに大きな護国観音像があり、これは昭和10年というかなり古い時代に鉄筋コンクリート造りの巨大観音像の先駆けになったものらしい。高崎観音や東京湾観音はこの後に築造され、近代技術による関東では最初の巨大観音であるらしい。 大淵寺から橋立寺へは、寺を出て左に舗装道を進むと、採掘会社の引込線と秩父鉄道の分岐で秩父鉄道を渡る橋があり、底を渡るともう一度、渡り返墨地になるが、そうした二度手間をしない近道がある。最初の橋の手前にある踏み跡を辿ると遠回りする道と合流する。若干の藪と急な下りさえ、耐えられれば問題はない。橋立寺は随分しゃれたカフェができて、様変わり。今日は時間がないので納経だけで何も食べずに移動したが、次回はもう少し楽しんでみたいと思わせる場所になっている。 |
写真
装備
個人装備 |
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
雨具
靴
ザック
昼ご飯
行動食
飲料
計画書
予備電池
GPS
筆記用具
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
日焼け止め
保険証
携帯
時計
タオル
カメラ
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感想
一日前だと天気がよりよかったが、今日は曇りで、午後はあやしそうーー。予定では札所で行きそびれている6番から9番札所と28番札所をつないで武甲山を越えるつもりだったが、始発で出ると横瀬駅に7時過ぎに到着し、残念ながら札所の開門は8時、先に26〜28番札所なら、影森駅到着は8時前くらいなので、そちらを先に回る。御花畑駅でてんぷらそばを食べたが、次の列車が20分後なので、西武秩父駅に戻って影森まで歩く。途中秩父映画祭のポスターを見て、昨日今日なのか、とまだ一度も見ていない映画祭ーー天気も思わしくないので橋立堂から武甲山でなく、映画祭にしようかーー
まずは影森駅手前の二十六番札所の入口を探す。電車を使えば10分位早かったかな?円融寺の観音堂を見ると正面に金ぴかの聖観音像がある。本では恵心僧都作の立像とあるが新しく塗りなおしたのかしら???その隣に寄木造の勝軍地蔵があり、鎌倉時代の優れものらしい。納経と観音様のお姿を入手し、観音堂の岩井堂に向かう。円融寺を出て左に進み、昭和電工の敷地内の歩道を進むと、琴平神社の入口の鳥居がある。ここを右の道をとると岩井堂とハイキングコースの分岐点下で石段を登る。まっすぐ神社の148段の石段を進むと、琴平神社本堂手前に奉納相撲の土俵がある。この本堂からさらに奥の院を目指して山道を進む。次第に厳しい傾斜になり、岩や木の根っこ混じりの本格的な山道になる。山歩きになれない巡礼者はこちらの道は厳しいので、神社入口の右のゆるやかな参道を進めば、最後は急な石段だが、手すりもあり。安心してあるけるだろう。本社から二分くらいで祖霊社があり、さらに4分くらいで別の社を通過する。どれが奥社なのかよくわからない。最後の社から4分くらいで、岩井堂に到着。入口の鳥居からなら15分くらい、標高差にして150m位だ。円融寺からなら25分から30分というところ。大岩のある崖を利用して岩井堂は立っている。凄いところに建てたものだ。山岳信仰、修験道の時代の精神をを良く表している。空海の真言密教と神仏習合と関係する山岳信仰とが融合し平安末から室町時代を経てやがて全国に広がって秩父地方でも61カ所の修験道拠点があったようだ。中でも三峰神社はその中心で、両神神社など各地に拠点があったという。江戸時代には修験道は幕府によってきびしく制限されてきたが、札所巡礼の流行で岩井堂のような修験道に使われた堂宇と一般庶民が出会うようになったようだ。
さて、岩井堂は赤く塗られた立派なお堂だった。崖の斜面を利用して、巨大な土台柱で堂宇を支えている。この堂宇の建設は大変な技術と労力が掛けられ、修験道にかける情熱とその支援者の存在を感じ取ることができる。現在の堂宇は江戸時代の建築で、起源は13世紀初頭らしい。室町時代の札所の文献に二は岩井堂は既に存在し、札所6番となっていたようだ。堂宇の向かい側の大岩の下部には窟屋があって、閻魔さまをはじめ様々な仏様が安置されている。仏様一体一体に様々な人々の思いや歴史が秘められているはずだ。この窟屋の先の崖を進むと少し先に大仏があり、さらに進むと長者屋敷を経て羊山に至るハイキングコースになっている。おそらくその昔から修験者や巡礼者にも使われていた古い道だろう。歴史を感じ取りながら、しばし岩井堂周辺を眺めたり撮影して12分くらいここで過ごし、次の札所とその手前の白衣観音に向かう。大仏には行きそびれた。一旦分岐まで下って、先の琴平神社入口の鳥居からの道に合流する。この道の最後は200段以上の石段だ。ここらは結構な痩せ尾根になっており、振り返ると岩井堂があり、南東方面の樹木の間から武甲山の前山の石灰岩の稜線(飯盛山?)がわずかに見えるが、ガスがかかって、木々の葉に隠され、ほとんど見えない。岩場混じりの痩せ尾根を辿り、古びた鉄橋のがたつきにおびえながら渡り、アップダウンを繰り返すと岩井堂から20分くらいで白衣観音(護国観音)の下に出る。入口には小さな野仏(馬頭観音??)が置いてある。小さなピークを回り込んで登ると山頂は展望台で、奥に大きな観音像が立っている。昭和10年、全国初の鉄筋コンクリート造の大きな観音像で関東三大観音の先駆けとなった。高崎観音はやはり鉄筋で昭和11年に建造されている。この観音様は高さ15.6mで高崎観音や東京湾観音に比べれば大きくはないが、最初の鉄筋造り観音という栄誉を持つ。すぐしたの円融寺に向かって木が切り払われて下からも見えるようになっている。荒川や秩父盆地、対岸の小鹿野や長瀞アルプス(宝登山)方面が展望できる場所だ。何人かが休憩したり通過したりしている。ここから急斜面を10分弱下ると大淵寺の観音堂が見えてくる。途中では秋の花を撮影したり、お地蔵さんを眺めながらのんびり下る。影森駅付近にあったウッディコイケをいう材木、木材加工会社の寄進による休憩用ベンチが沿道に置いてあり、観音堂にも置いてあった。お堂の壁には堂宇の起源となる宝明という行脚僧の錦絵がかかっている。このお堂は月影堂という美しい名前がついており、かつては観音様あたりの山の上にあり、月見の名所だったらしい。江戸時代末に大淵寺境内に移設され、明治39年、秩父鉄道の蒸気機関車による火災で焼失後、本堂は再建されたが、観音堂は平成8年にようやく再建されたという。お堂の聖観音を拝み、その先にあった延命水を飲んで体を浄め、納経所に向かう。大淵寺を出て左の道を進むと、秩父鉄道を渡る橋がかかり、巡礼道は底を渡ってもう一度次の橋で戻ってくる。大淵寺の管理人に尋ねると、土手の藪道があり、わたらずとも土手沿いに進む近道があるという。足の達者な人なら大丈夫というので踏み跡を藪の中に捜す。秩父鉄道と太平洋セメントの引込線の分岐する先の土手に水道関係か何かの施設があり、その周辺に踏み跡がついているのでそこに入るとすぐ土手を下る道があり、二つ目の橋の出口付近に出た。正規の巡礼道を進んだ人の前に出て、橋立堂を目指す。先の橋の出口から5分くらいで彩甲街道(国道140号線)から浦山ダム方面に向かう県道73号線に出る。すぐ先に浦山郷土資料館があり、入ってみる。浦山ダムの底に沈んだムラの歴史、文化財、祭りなどの写真や解説が展示されている。この浦山地域は江戸時代の文化文政年間に編まれた新編武蔵風土記に記載があり、八王子選任同心名の調査の記録を残している。険しい山の中のわずかばかりの耕地を耕し、木材切り出しや炭焼き、機織りなどの生業で暮らす人々の様子が描かれている。また明治年間には人類学者の鳥居瀧蔵が先の風土記を頼りに路査し、当時の民族や暮らしを記述、さらに大正年間には「考現学」で著名な今和次郎の民家を中心とする住居関連の道具や民俗の調査をしており、「日本の民家」とう著作に記述されている。浦山には「県や秩父市指定のいくつかの文化財や天然記念物があるが、なんといっても重要なのは獅子舞だ。秩父地方には各地に独特の獅子舞が伝承され、山里の裏山の獅子舞はその衣装や構成がなかなかユニークだ。保存会が結成され、2009年には地元中学生を中心に30年ぶりに獅子舞が開催されたようだ。その時の映像をネットで検索できる。浦山地区は広大な面積の中に集落が点在し、細久保(ヒイラギの大木は市指定記念物)や唐沢の(大平山付近・大ドッケ付近)フクジュソウ(市指定天然記念物)などの地域はダムの底にはなっていないが、多くの残された集落も人口が激減し、廃村寸前状態の地域が広がっている。私自身もこのフクジュソウを見に行くために自転車や徒歩で何度か違うルートでこの地域を歩いている。焼畑や山仕事、お祭りなど興味深い記録を見ながら、この地域の歴史に思いをはせる。また浦山地区岩合の岩陰遺跡からは、縄文早期から弥生時代までの様々な土器などの遺物が出土している。土器破片を見て、この場所に一万年もの長い月日を暮してきた人々の歴史があるのだろ実感。さらに最近のジオパーク、ジオサイトの様々な解説を見る。秩父は中央構造線に近く、群馬県境の恐竜の足跡化石にも見られるようにジュラ紀の地層、チャートと石灰岩、泥岩層が混じるジュラ紀のメランジェと呼ばれる付加体の地層、不整合線などなど、特異な地質で知られ、「科学者」宮沢賢治も見学に訪れている。長々と見学していたようで、10分ほど撮影、見学して資料館を辞し、次の橋立堂に向かう。道路の東側には太平洋セメントの採掘場入口があり、石灰岩の稜線と採掘場の様子が見て取れる。奥には武甲山の稜線も見える。西側には浄水施設があり、その先を右折すると、橋立堂・鍾乳洞の駐車場があり、少し進むと札所がある。札所入口手前には最近できた「Jurin'geo(ジュリンズジオ)といしゃれた名前のカフェの看板があり、札所の中に入るともともとある蕎麦屋の手前に新しいカフェが立っている。確かにここは観音堂の他に鍾乳洞もあり、武甲山登山などのハイカーも通過するのだが、橋立堂の管理人は随分商売熱心だ。この観音堂は全国的に見ても100観音霊場の中で二つしかない馬頭観世音を祀る霊場の一つ。お堂の本尊をじっと見つめるが、どれが馬の頭なのか良く分からない。どなたかの秩父巡礼のHpには「秩父札所28番の本尊は、札所中唯一の馬頭観世音で、高さ26.5cm、漆箔三眼、三面三臂の坐像で鎌倉時代の逸品だが、現在三臂並びに馬頭を欠いているのが惜しまれています。秩父札所28番の馬頭観音は、六観音・八大明王の一つで、冠に馬頭をいただき、身色は赤で、いかりの相を表し、一切の魔や煩悩を打ち伏せるといいます。」とあり、馬頭が失われていることがわかる。残念だ。納経とお姿を入手し、いくつかの馬の銅像や馬像のあるお堂を見る。今回は鍾乳洞にはいかずに、秩父映画祭を見学すべく浦山口駅に急ぐ。天気も怪しそうなので今回は武甲山越えはキャンセル。秩父映画祭は初めてなので勝手がわからない。西武秩父駅でパンフレットを入手できればよかったがポスターを見ただけでは良く分からず、西武秩父駅へ。途中の仲見世通りで映画祭の特設舞台で挨拶があった。何かの映画の挨拶と秩父のメイプルシロップのキャンペーンを兼ねたイベントだった。メープルシロップのジェラートと炭酸の妙なドリンクをいただいてから駅頭の案内人に尋ねると会場が分かれており、招待作品の上映会場とコンペ部門の会場二か所がある、コンペ部門の二か所の会場のある秩父神社に向かって歩く。既に11時は回っており、会場についた時点では午前中の最後の作品の上映前だった。
秩父映画祭のコンペ部門は秩父を舞台にした20分までの短編映画で、記録映画ではなく創作ものだ。これではネタが尽きてしまうのではと心配しながら、「おおかみによろしく」を見る。秩父地方のオオカミ信仰(江戸時代に流行した)。を題材に現代の少女と男の子が出合、オオカミを探してさまよう男と大人になった少女との出会いが描かれている。絶滅した大神を探すという設定は短い時間の中ではやや無理な感じだがーー。そのほか子供を流産した夫婦と巡礼の話など、こうした映画を何年も出していると飽きてしまうのではないかと余計なお世話をして先細りが心配になる。お昼の弁当を食べて午後の作品をいくつか見て、2時前、別会場の招待作品(三国廉太郎の唯一の未公開作品)を見るかどうか迷ったが、今日は早めに帰宅することにする。秩父映画祭の様子がわかったので、来年からは事前に良く調べて、参加するかどうか考えることにしよう。この事業は無料なので、おそらく秩父市や観光協会が観光とタイアップで町おこし事業として開催しているものなのだろう。もう少し本格的なものかと思ったが、ささやかな規模のものではあった。神社内の会場を出ると、神社内で何やら雅楽の音楽が流れ、結婚式の儀式が行われているようだった。いかにも秩父らしい雰囲気。
今回の巡礼コースはおそらく、全コース中でも展望の良い山道コースで、秩父の修験道や馬頭観音などについて、興味を持つことができたこと、浦山の歴史に触れることができたことなど、短くもなかなか良い巡礼であった。
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