北八甲田 梅津コースと田茂萢コース スキー指導標巡り

コースタイム
11日G.M.6:00一テント発8:00一田茂ヤチ、赤倉鞍部9:58一赤倉岳11:05一大岳ヒュッテ11:53一鞍部13:29一駐車スペース15:19
感想
梅津コースと田茂萢コース
2001年3月10日-11日
成田、小野寺、八田
火箱沢道路から国道103号線沿いに七曲の急カーブまで、道路東側のブナ林を登って行く。車の排気ガスが流れて来て、ワァイクセジャ。息を止めること数回。田茂萢コースの100番の指導標で一休み。沢をゆっくり登る。ラッセルは、足首上から次第にヒザ下と深くなる。
小野寺さんは馬力ある。国立公園協会と記されている大三角形の木製の指導標は、何年頃に取付けられたのだろう。黄色い丸形の補助標識もある。四角形の赤い標識には番号がついている。酸ヶ湯の湯坂上を1番にして毛無岱ヒュッテ前を通り寒水沢を渡り、田茂萢岳の南側を巻き上がり、赤倉岳との鞍部へ出て、田茂萢沢源頭から沢の中を下り、ロープウエー山頂駅からのフォーレストコースヘ合流し、下方で分かれて国道七曲の100番へ出るコースが田茂萢コースである。今回は、100番から逆に登ってフォーレストコースとの合流点の少し前から、梅津コースを辿るのである。沢から西側の伐開地に上り、ゆるい台地に出て間もなく、右手にサクラフイルムの名の入った150番の三角形の指導標があざやかに目に入って来た。これが梅津コースの終点で田茂萢コースの87番あたりであるが、87番の標識は欠落して見えない。西側のブナ林に指導標が奇数、偶数交互に付けられている。フォーレストコースの横断は、143番。田茂萢沢を渡ったブナの樹には112番、モッコ沢コースは88番、ロープウエーの軌道下は78番。ダイレクトコースとは58番で、丁度ダイレクトコースの9番のところを横断している。ここからロープウエー山頂駅から寒水沢へ張り出している尾根の鞍部付近を越えるのであるが、この尾根の少し下方のトド松が・この梅津コースの開拓者、梅津又四郎の遭難地であり、分骨されてもいるのである。三本目でやっと探し当てる。スキ一板がクロスに樹に打ち付けられているので目印となっている。この尾根を大国見又は国見峠と言うのであろう。ここから大岳はじめ上、下の毛無岱が一望出来る。あんぶからは、右下に寒水沢を見ながら、辿ると19番が右手の岳樺についている。ここから寒水沢の中を通って11番付近から西側の下毛無岱へ上る。ここでしばし休憩し、富士フイルムコースの指導標を確認に田茂萢岳のトド松林の中を探す。2番が見つかる。富士フイルムコースは、この寒水沢からロープウエー山頂駅のある山頂まで50番までつけられたとのこと。今の中央コースよりは、北西側で、上部で合流する。岳樺のあるまばらな樹林のコースで中間にも3枚ほどまだ付いているが去年は見られた。寒水沢から上って、西側の窪んだトド松林を突っ切ると前方に毛無岱ヒュッテが見つかる。夏、冬両方の入口も入室可能だが、中はとても利用に耐えられぬ程荒れてしまっている。是非修復するか、立て直しをおねがいしたいものである。
今は、ここ毛無岱ヒュッテから城ヶ倉温泉へもスキーヤーのため竹竿が立てられている。我々は、ここにザックをデポし酸ヶ湯へ向う。今日はまだスキーヤーのトレースがない。中央コースの丸い標識と旧来の田茂萢コースの大三角形の板の標識が見られる。左手に上毛無岱の間の急斜面が確認出来るので悪天候時にもルートが判るとのこと。
進むとまもなく鳥滝沢の広い凹地で小沢が二本程あるがシールのついた山スキーならなんなく越えられる。次に大岳コースの鍋こわしを下って来たところと合流して湯坂ゲレンデの上につく。下を見ると、丁度池端さんが下山して来て駐車場をスケーティングして車へ向っていた。彼の出発を見送って我々は又往路を毛無岱ヒュッテへもどる。鳥滝沢でガイドに引率されたスキーヤーが15,6名下ってきたのに会う。ヒュッテから少し北東寄り凹状の林の中にテントを張る。
夜、用足しに立った時、一度雪かきをした。軽いファッとした雪だった。
二日目は、六時に起きてテント場出発は8時過ぎ、寒水沢を渡り、大三角形の指導標を一枚確認。その後は、去年の記憶で歩いたが、少し行き過ぎてから巻いたので乱雪帯になり、アルバイトさせられた。新雪のため崩れそうな、無立木の南斜面を巻いたが、これも少し上を歩き過ぎたようだ。下のトド松沿いを歩くと丁度、途中の雪庇にもかからず次の指導標に当たるのだ。小野寺さんも心配しながらラッセルしたと話していた。赤倉岳とのあんぶにザックをデポし、サブザックで大岳方面へ向う。次第に上部も晴れ出して来て、先週の土曜日のように晴れ渡って見事な白銀の世界となる。続々とロープウェー駅からスキーヤー、ボーダーが黒い列をなして雪面にシュープールを描いていく。ラッセルはヒザ上だが、サブザックなので、団体を追い抜いて赤倉岳、井戸岳、そして大岳ヒュッテヘ。陽なたぼっこしながら昼食を採る。
二日目ともなると足が重い帰りの井戸岳の登りで少し遅れる。大岳の上に二人、三人と姿が見える。又二人、三人と大岳へ登り始めたのを見ながら往路をたどってデポ地へ。少しモナカになった雪の田茂萢沢を下りフォーレストコースに合流し、またフォーレストコースの30番から分かれて、田茂萢コースを下り無事、火箱沢道路の駐車地点へ到着。シールを外したのは、最後の伐開地から、滑降のみだった。シールにダンゴが付いたが、シール用ワックスを持参したので、ことなきを得た。小野寺さん、八田さんありがとうございました。(成田)
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15年ぶりともいわれる青森の豪雪も2月半ばで一息ついた弥生3月、好天の中、先人の歩いた雪の道をたどる山旅が行われた。梅津コースは、梅津又四郎が昭和初期に開いたルートで、積雪期に萱野高原から酸ケ湯にいたる雪の道だという。成田さんは、このコースを青森営林局刊の「林友」という雑誌で読み、昨年来何回か踏破しているそうだ。国道103号線から火箱沢林道に曲り、すぐのスペースに駐車し、スキーをつける。田茂ヤチコースをしばらく登ると右手のぶなの木にrさくらフイルム」のネーム入りのプレート150番が見えてくる。ここが梅津コースの入り口だ。さくらフイルムは当時小西六写真工業のフイルムの商品名で、今では会社名はコニカ、商品名はコニカフイルムと変わっており随分前に取り付けられたものだろうが、プレートは寒水沢手前までかなりの数が残っており、昨年成田さんが付けたという蛍光テープとともに我々を導いていく。梅津コースはゆるやかに登りながらフオレストコース、;もっこ沢コース、ダイレクトコースを横切り、梅津又四郎の遭難場所のあお'もりトドマツにはスキーがX字に打ち付けられていた。梅津の冥福と我々の山旅の無事を祈り進む。プレートは毛無袋ヒユッテまでついていたというが、このあたりからほとんど見当たらない。国見峠を越えて毛無岱ヒユッテで重いリユックを置き、サブザックで酸ケ湯往復。湯坂から酸ケ湯駐車場を望むと池端さんと思しきひとかげがみえ、黒のジムニーに乗り込んだが、果たして本人かどうか?後で聞いてみよう。翌日は朝のうちこそ雪模様であったが、晴天となり、南北八甲田が一望となる。毛無岱から寒水沢ぞいに田茂ヤチ岳と赤倉岳の鞍部へ。荷物デポ後赤倉岳を目指す。我々の後を10数名のグループが登ってくる。赤倉岳の斜面はことさら雪が深く、昨日、今日とラッセルに獅子奮迅の活躍をいただいた小野寺さんも先を譲る。十和田の山の店のツアー19名だそうであり、赤倉から箒場に下るとのこと。大斜面のパウダースノーをうらやましく感じたが、新雪の無木立急斜面には常に雪崩の危険があるとの成田発言に、それもそうだと思い直すのであった。時間の関係もあり大岳ヒユッテでひきかえす。私はこれまで兼用靴利用が多かったが、最近は泊りの山行はプラブーツにシールでの下降がほとんどである。スキー操作は大変だが荷物の重さを考えればゲレンデのように行くはずもなく、登りや靴の着脱を考えるとプラブーツである。後は雲谷スキー場でプラブーツの滑走練習を積み、ころぶ回数を減らす工夫をしたいものだ。また、標高がさがった段階でシールに雪がだんご状に張り付き難渋した。成田さんにお借りしたシール用ワックスは春山に必携と感じた。(記八田)
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