【過去の山行】 門司城登城 交通の要所を見下ろす
- GPS
- --:--
- 距離
- 1.7km
- 登り
- 139m
- 下り
- 139m
コースタイム
- 山行
- 0:26
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:26
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
人がたくさん入っているハイキングコースです。 |
写真
感想
九州を旅行していた時の記録の一部である。当時は日本百名城登城を目指しており、西日本の城登城を中心に観光を組み立てていた。結局、この後兵庫県まで高速道路で移動し次の日「丹波篠山城」登城で、日本百名城登城にけりをつけたのである。
ちなみにこの日は道の駅「うきは」で目覚め、筑前大野城に登城してからここにやってきた。(福岡県の日本百名城「福岡城」は以前に別の旅行でやってきている。)
なお、その記録の中で山行記録になりそうなものを少しずつヤマレコに書いているところであり以下の記録などもその中に入っている。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-484064.html
【過去の記録】 風雲竹田城 天空の城にあこがれて
当時の記録をMIXIに残してあるので引用しよう。
引用
関門海峡という交通の要所にそびえたつ岩山、天然の要害である。この城の歴史は古く交通の要所を守る砦として中世よりなおしなおし使われてきた城郭である。江戸時代の一国一城令で建物は取り壊されたがいまでは観光地化されている。
駐車場に車を止め20分ぐらいで登りきる。眼下には関門海峡大橋。そして門司港レトロ、小倉の街、巌流島まで見える。また、全体が公園になっており、展望できるところが多く、写真を何枚も撮影する。海流が強く、海流の方向に航行する船は楽チンだが、逆向きに航行する船は黒い煙を出して力を出して航行している。明石海峡、鳴門海峡など潮が強い海峡はそれを見るのも楽しみだ。
引用終わり
関門海峡を見下ろす適地、1185年に平知盛によりここに城が築かれた。源平の戦いの最終地「壇ノ浦」を見おろす。
1255年には藤原親房がこの城に入り「門司氏(もじし、もんじし)を名乗るようになってからこの地域やこの城を「門司」と呼ぶようになったそうである。
戦国時代にはこの城は天然の要害活交通の要所であるため何度も取り合いが行われている。大内氏、大友氏 そして毛利氏・・・。
1561年には大友氏の数万の軍勢を毛利氏が守りきる、通称「門司城の戦い」が起き、その後も毛利氏の城となっていたが、1600年に黒田氏が筑前の国に入ると城は壊され、廃城となった。
1892年に大日本帝国陸軍により下関要塞ができ、城の遺構はほぼなくなってしまうが、石垣などは残されている。
なお、門司城は日本百名城の中には入っていなく、たまたま近くを通った時に発見し立ち寄ったスポットであることを追記しておきます。
さて、2年後の今、写真を整理してみるといろいろ面白いですね。下関と門司港レトロにある2つのタワー、「海峡メッセゆめタワー(下関市)」「門司港レトロハイマート」の対比、それから1年半後に通ることになる九州道・・・。(一般道は関門海峡トンネル(有料)を通るのです)。関門海峡のまるで川のような流れ、そしてそれを追い波として高速で抜けていく船と向かい波により黒煙を出しながら一生懸命に登る船との対比、瀬戸内海方面ではのどかな海と山が見え、のどかな漁村の様子も見ることができる。
しかも、平日だったこともあって、誰にも会わなかった。非常に静かなハイキングであった。結構先を急いでいたので(この日も下関に渡ってから赤間神宮や壇ノ浦古戦場を見物したかったのだ。)花などを撮影することはなかったが、今思うとそういうのも撮影しておけばよかったなあと思う。
九州の玄関口、さまざまな風景と歴史を感じさせる観光地としてなかなか面白い所です。
なお、今回の旅行は12泊13日、すべて車中泊というかなり長いものでした。
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