記録ID: 5423241
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ハイキング
奥秩父
秩父御岳山
2023年04月29日(土) [日帰り]


体力度
5
1泊以上が適当
- GPS
- 09:19
- 距離
- 27.0km
- 登り
- 1,497m
- 下り
- 1,580m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 8:37
- 休憩
- 0:42
- 合計
- 9:19
距離 27.0km
登り 1,508m
下り 1,585m
16:50
ゴール地点
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
| 武蔵野線(東京行) 13.0km 6号車 | 05:01-05:14[13分] | 220円 ◇新秋津/秋津 2番線着・1番線発 [乗換7分+待ち10分] | 西武池袋線(小手指行) 21.9km | 05:31-05:41[10分] | 566円 ◇小手指 [乗換1分+待ち0分] | 西武池袋線(飯能行) ↓ 中前 | 05:42-06:00[18分] ◇飯能 [乗換1分+待ち3分] | 西武秩父線(西武秩父行) 33.1km やや前・後 | 06:04-06:48[44分] ◇西武秩父/御花畑 [乗換8分+待ち18分] | 秩父鉄道(三峰口行) 12.0km | 07:14-07:39[25分] | 450円 ■三峰口 ====== 山歩き ====== ■浦山口 | 秩父鉄道(影森行) 4.1km | 16:53-16:56[3分] | 240円 ◇影森 [乗換1分+待ち1分] | 秩父鉄道(熊谷行) ↓ 中央 | 16:58-17:01[3分] ◇御花畑/西武秩父 2・3番線発 [乗換8分+待ち25分] | 西武秩父線(飯能行) 33.1km 前・やや後 | 17:34-18:19[45分] | 576円 ◇飯能 [乗換1分+待ち8分] | 西武池袋線快速(池袋行) 21.9km やや後 | 18:28-18:58[30分] ◇秋津/新秋津 2番線着・1番線発 [乗換8分+待ち0分] | 武蔵野線(府中本町行) 13.0km | 19:06-19:20[14分] | 230円 ■府中本町 2番線着 交通費合計:2282円 |
写真
+16℃ 荒川を白川橋で渡る。
緑の中に「藤の花」と「桐の花」が見える。同じ色の花だけど、咲いている場所の違いで「藤の花」と「桐の花」を見分けられる。
荒川に掛っている吊橋は「秩父ジオグラビティパーク」というアトラクション。バンジージャンプはパスだけど、床版が疎らな吊橋(全長100m高さ50m)をハーネスを付けて渡るアクティビティはやってみたいなと思って値段を調べた。往復3500円らしい。うーん、ちょっとお高い。
参考→https://gravitypark.jp/%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%8b%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%af/
緑の中に「藤の花」と「桐の花」が見える。同じ色の花だけど、咲いている場所の違いで「藤の花」と「桐の花」を見分けられる。
荒川に掛っている吊橋は「秩父ジオグラビティパーク」というアトラクション。バンジージャンプはパスだけど、床版が疎らな吊橋(全長100m高さ50m)をハーネスを付けて渡るアクティビティはやってみたいなと思って値段を調べた。往復3500円らしい。うーん、ちょっとお高い。
参考→https://gravitypark.jp/%e3%82%ad%e3%83%a3%e3%83%8b%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%af/
贄川宿は「かかしの里」だそうで、登山口まで色々な案山子が飾ってある。等身大で生活感のあるポーズが付けてあり、暗がりで見るとちょっと怖いかも。
以下、贄川宿入口にあった説明看板の文言写し。
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秩父甲州往還を白久側から渡船場を越え、八幡坂を登ると贄川の宿に付く。
新編武蔵風土記稿に「此処ハ江戸ヨリ甲州へノ道筋ニテ左右ニ屋並ソロヒテ丗六軒アリ。寛文七年(1667年)ヨリ毎月二七ノ日ニ市立セシガ」・・・」
贄川宿は大宮郷(秩父市)に次ぐ秩父甲州往還の宿場で、三峯社講中・諸国商人衆の定宿として江戸初期から賑わいを見せていた。また宿の立地が上信や甲州への分岐点であったことや、物資の集散にも好都合であったため、六斎市や雛市も開かれた。
贄川宿の家並みは往還に沿って短冊状で、旅籠、酒屋、質屋、紺屋、豆腐屋などがあり、他にも医師、髪結い、荷継場などがあった。
この贄川宿には秩父の地質調査に来日したナウマン博士や宮沢賢治、それに明治の文豪幸田露伴も立ち寄り、いずれも東方の眺望を絶賛している。 「秩父市教育委員会」
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以下、贄川宿入口にあった説明看板の文言写し。
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秩父甲州往還を白久側から渡船場を越え、八幡坂を登ると贄川の宿に付く。
新編武蔵風土記稿に「此処ハ江戸ヨリ甲州へノ道筋ニテ左右ニ屋並ソロヒテ丗六軒アリ。寛文七年(1667年)ヨリ毎月二七ノ日ニ市立セシガ」・・・」
贄川宿は大宮郷(秩父市)に次ぐ秩父甲州往還の宿場で、三峯社講中・諸国商人衆の定宿として江戸初期から賑わいを見せていた。また宿の立地が上信や甲州への分岐点であったことや、物資の集散にも好都合であったため、六斎市や雛市も開かれた。
贄川宿の家並みは往還に沿って短冊状で、旅籠、酒屋、質屋、紺屋、豆腐屋などがあり、他にも医師、髪結い、荷継場などがあった。
この贄川宿には秩父の地質調査に来日したナウマン博士や宮沢賢治、それに明治の文豪幸田露伴も立ち寄り、いずれも東方の眺望を絶賛している。 「秩父市教育委員会」
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+18℃ 「即道の奇妙な墓石」を通過。普通のお坊さんのお墓に混じって台座の石が変わった形のもの、墓石自体が穴の開いた自然石のようなものもある。どれが「奇妙」なのかよくわからない。即道という元禄時代のお坊さんの偉業というか伝説が色々面白い。
良くまとまっているページ→https://navi.city.chichibu.lg.jp/blog/2017/12/2289/
良くまとまっているページ→https://navi.city.chichibu.lg.jp/blog/2017/12/2289/
+20℃ えっちら登って尾根に乗る。登山道は乗った尾根を登っているのだけど、反対の尾根末端に行ってみる。展望台みたいに景色が良い。帰宅後に調べたら「一番高岩(いちばんたかや)」(標高345m位。)という場所だった。
三峰口駅の右奥は酉谷山かな。遠く武甲山、大持山も見える。
三峰口駅の右奥は酉谷山かな。遠く武甲山、大持山も見える。
+19℃ 尾根を登る。「三峰線26号鉄塔」の建つ露頭にでる。
近くの藤の花に来ているらしいクマンバチが露岩で日向ぼっこをしている。ここで3匹のクマンバチを見る。のんびりホバリングしているようでも写真を撮ろうとすると急に逃げる。写真は撮れなかった。
近くの藤の花に来ているらしいクマンバチが露岩で日向ぼっこをしている。ここで3匹のクマンバチを見る。のんびりホバリングしているようでも写真を撮ろうとすると急に逃げる。写真は撮れなかった。
クマンバチ3匹がいた所から一番近いと思われる藤の花。上の方は桐の花。熊蜂と藤は「相利共生」関係。(藤の花の堅い蓋は、熊蜂のパワーでないと開かないので、熊蜂は藤の蜜を独占できる。藤は虫媒花の虫を熊蜂に集中することで受粉確率が向上する。これが「相利共生」)。
ところで、同じ時期に同じ色で咲く同じ植生の藤と桐。桐は藤の花を真似ることでクマバチをおびき寄せようという作戦なのかしら? 桐の生存戦略についての本を捜してみたい。
ところで、同じ時期に同じ色で咲く同じ植生の藤と桐。桐は藤の花を真似ることでクマバチをおびき寄せようという作戦なのかしら? 桐の生存戦略についての本を捜してみたい。
三等三角点【三峰】1080.42mにタッチ。
現在挑戦中の山リストには含まれないけれど、以下の山リストに属している。
関東百名山 35/100座目。
関東百山 49/100座目。
埼玉県の山(分県登山ガイド) 21/71座目。
静かなる山 16/98座目。
東京周辺の山350 123/350座目。
日本百霊山 29/100座目。
埼玉県の山50 18/50座目。
現在挑戦中の山リストには含まれないけれど、以下の山リストに属している。
関東百名山 35/100座目。
関東百山 49/100座目。
埼玉県の山(分県登山ガイド) 21/71座目。
静かなる山 16/98座目。
東京周辺の山350 123/350座目。
日本百霊山 29/100座目。
埼玉県の山50 18/50座目。
秩父御岳山頂上から「西の肩」へ降りる道を覗き込む。太い綿ロープや鎖が付けられた急斜面。とても楽しそう。地図を見て考える。予定では強石コースで下山だったけど、まだ時間が早いので落合へ降りてから強石に行くことにする。ここから西の肩へ下る。
普寛トンネル入り口に到着。落合コースが森林管理道(林道御岳線)に接するけれど交わらずに山道が続く。
落合コースが山崩れで通行止めになっていた時は、ここから林道で下っていたとのこと。(帰宅してから調べた)
西の肩への鎖場が降りたいだけなら、普寛トンネル入り口右へ御岳山2号線の起点から入って、P.916から強石ルートに戻すのがも良かったのだなと帰宅後に思った。
下山当時は、落合に降りてから強石に行くことしか考えてなかった。
落合コースが山崩れで通行止めになっていた時は、ここから林道で下っていたとのこと。(帰宅してから調べた)
西の肩への鎖場が降りたいだけなら、普寛トンネル入り口右へ御岳山2号線の起点から入って、P.916から強石ルートに戻すのがも良かったのだなと帰宅後に思った。
下山当時は、落合に降りてから強石に行くことしか考えてなかった。
+22℃ 林道「森林管理道杉ノ峠線」と歩いて来た舗装道路の合流点を振り返って撮影。「全面通行止」の看板があるのが「森林管理道杉ノ峠線」、左に分岐しているのが落合コースへの舗装道路。
国道140号に併せる。振り返って撮影。右手の鳥居は御嶽普寛神社。木曽御嶽山、越後八海山、上州武尊山、武州意和羅山などを開山・中興し、御嶽教の開祖とされる普寛行者(木食行者)を祀る神社。ここが普寛行者の生家だったとのこと。残念なことに「新型コロナ感染拡大防止のため境内立入禁止」と門が閉ざされていて参拝は叶わず。
林道は大きく崩れている所が2カ所。自動車は勿論、バイクもトレール車でないと通り抜けできないと思う。林道を歩いている時、シッポふさふさのホンドリスが林道を走り去った。カメラ間に合わず残念。
道の脇の千手観音堂にお参り。写真を撮り忘れたけれど、千手観音堂の前は土俵になっている。以下、説明看板の写し。
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千手観音堂 一棟
千手観音堂の仏像 千手観音座像・十六善神像 二十一躯
千手観音堂 相撲四十八手板絵 四十八面
『新編武蔵風土記稿』によると、この堂は、天文二年(1533年)の棟札あり、二間半に二間、千手観音座像と、十六善神像、四天王像がまつられている。また、回廊正面の天井には、秩父界隈の力士により奉納されたといわれる「相撲四十八手板絵」があり、信願相撲との関連が見られる。
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千手観音信願相撲
千手観音信願相撲は、毎年八月十六日に行われる。
信願相撲の起源は定かではないが、江戸時代、信願がかない出世力士となった地元出身の隅ノ江津雲(すみのえつくも)という力士がおり、後にこの力士の助力により、文政年間(1818-1830)に時の花籠親方から辻免許を受けて、大いに栄えたと伝わる。なお、信願相撲はこの免許を受ける以前から行われていたといわれている。
信願相撲は、身体健康・無病息災などの願をかけ、力士に相撲を取ってもらう願掛けの相撲である。行事の呼び出しは「誰々の信願相撲、誰々に取らせます」と奉納の形をとる。相撲は二番取りで、始めに勝った者は次に負けるという勝負なしの取り組みである。
ーーーーー
平成29年3月 秩父市教育委員会
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千手観音堂 一棟
千手観音堂の仏像 千手観音座像・十六善神像 二十一躯
千手観音堂 相撲四十八手板絵 四十八面
『新編武蔵風土記稿』によると、この堂は、天文二年(1533年)の棟札あり、二間半に二間、千手観音座像と、十六善神像、四天王像がまつられている。また、回廊正面の天井には、秩父界隈の力士により奉納されたといわれる「相撲四十八手板絵」があり、信願相撲との関連が見られる。
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千手観音信願相撲
千手観音信願相撲は、毎年八月十六日に行われる。
信願相撲の起源は定かではないが、江戸時代、信願がかない出世力士となった地元出身の隅ノ江津雲(すみのえつくも)という力士がおり、後にこの力士の助力により、文政年間(1818-1830)に時の花籠親方から辻免許を受けて、大いに栄えたと伝わる。なお、信願相撲はこの免許を受ける以前から行われていたといわれている。
信願相撲は、身体健康・無病息災などの願をかけ、力士に相撲を取ってもらう願掛けの相撲である。行事の呼び出しは「誰々の信願相撲、誰々に取らせます」と奉納の形をとる。相撲は二番取りで、始めに勝った者は次に負けるという勝負なしの取り組みである。
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平成29年3月 秩父市教育委員会
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