二俣城址から鳥羽山



- GPS
- 01:50
- 距離
- 3.6km
- 登り
- 143m
- 下り
- 147m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
5〜7台ほど駐車可で無料です。 ここが満車の場合、鳥羽山の登山口にも駐車可能な空き地があるようです。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険な所はありませんでした。 標識もあり二俣城址から鳥羽山または鳥羽山から二俣城址へも回れます。 |
写真
感想
浜松市天竜区二俣町にある二俣城址と鳥羽山に行ってきました。
ここは戦国時代の三方ヶ原の合戦の前哨戦と呼ばれている武田軍と徳川軍の
戦いの場です。
甲府から青崩峠を通り南下してきた武田信玄と勝頼の軍が出てきて道中
邪魔になる家康を討ち取り織田信長を倒しに行くという史実です。
きれいに整備している低山で広場や遊具もあり散歩コースとしてはとても
いい所だと思います。
鳥羽山を降りて江戸時代から残る筏や食料問屋の古い建物の田代家も
見てきました。
ここの管理人さんと話が合って、歴史と山の長い話となってしまいました。
織田信長は武田軍が再度動き出したことと2年前の徳姫からの手紙
(信康と瀬名が武田と通じていること)を思い出し家康の息子の信康と瀬名姫を
家康に死罪にするように命じたものの家康は死なせたくなかった。
瀬名姫は浜松城近くに家康が屋敷を建て、気が狂った病ということで本当は寿命を全うさせたかった。
信康には城を転々と移動させ二俣から先は信長の手の届かない所に逃げても構わない考えで二俣城に移した。
しかし家康の心中が家臣たちに伝わらず、家臣たちが追い込んで死に至ってしまったとも思われます。
しかも青龍寺の信康の墓は死後100年たってから作られた。それまで、城址に
埋められていたなど不思議な話も聞きました。
もしかしたら、身代わりをたて瀬名と信康はおとなしく生きていたかもです。
私の見解もいれてしまい、悪いとは思いますが、家康が奥様と息子を殺そうなど
できなかったのではと考えてしまいます。
普通、疑惑ありきでよそから圧力がかかっても家族を死罪にできませんよね。
管理人さんと歴史と水窪の山の話に没頭してしまい、古い田代家の話は少しだけに
なってしまいましたが、有意義な山行となりました。
まもなく浜松は武者行列が行われます。
2万2000人の隊列に出陣です。天候よければ行ってきたいと思います。
読んでいただきありがとうございました。
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