菜の花畑と古賀志山。今日もとってもいい天気です。
4
5/4 7:20
菜の花畑と古賀志山。今日もとってもいい天気です。
南山道駐車場をスタート。赤岩山から御嶽山周辺を歩く予定。
2
5/4 7:44
南山道駐車場をスタート。赤岩山から御嶽山周辺を歩く予定。
林道背中当線を歩いて風穴道入り口の「風雷神社」石鳥居から入山します。纏のリス君がいました。
3
5/4 8:02
林道背中当線を歩いて風穴道入り口の「風雷神社」石鳥居から入山します。纏のリス君がいました。
しばし歩くと神社分岐の赤鳥居。
2
5/4 8:11
しばし歩くと神社分岐の赤鳥居。
岩窟に石祠が祀られています。
4
5/4 8:13
岩窟に石祠が祀られています。
幟の残骸が落ちていました。「風雷」とあったのでしょうね。
3
5/4 8:15
幟の残骸が落ちていました。「風雷」とあったのでしょうね。
本日は前回(21年1月)訪ねた武子御嶽山の踏査。その時の記録を信用せずに随分手前から、左の岩場に向かってしまいました。
2
5/4 8:30
本日は前回(21年1月)訪ねた武子御嶽山の踏査。その時の記録を信用せずに随分手前から、左の岩場に向かってしまいました。
大岩を巻いていると、
3
5/4 8:33
大岩を巻いていると、
隣の岩場に例の石祠が見えました。
2
5/4 8:39
隣の岩場に例の石祠が見えました。
御嶽三柱大神と大名牟迦命・小名牟迦命が祀られています。願主は武子(たけし)のお方。
5
5/4 8:42
御嶽三柱大神と大名牟迦命・小名牟迦命が祀られています。願主は武子(たけし)のお方。
「明治三十二年六月八日(1889)」武子村の方角を向いているようです。さて
4
5/4 8:43
「明治三十二年六月八日(1889)」武子村の方角を向いているようです。さて
落ちた石が屋根になっている岩屋。周辺には祠以外の物はなさそう。
4
5/4 8:52
落ちた石が屋根になっている岩屋。周辺には祠以外の物はなさそう。
主要道に降りるルートを確認します。
2
5/4 8:55
主要道に降りるルートを確認します。
前回よりは手が入っているようです。
2
5/4 8:56
前回よりは手が入っているようです。
あっという間に風穴道に出ました。戻ります。
2
5/4 8:57
あっという間に風穴道に出ました。戻ります。
道が分かれば簡単に立ち寄れます。
3
5/4 9:01
道が分かれば簡単に立ち寄れます。
オヤツにしましたが虫がたくさんいました。石分補給には厳しい季節になってきました。
3
5/4 9:03
オヤツにしましたが虫がたくさんいました。石分補給には厳しい季節になってきました。
さて、武子からの参道と仮定したルートを歩いてみます。踏み跡あります。
2
5/4 9:09
さて、武子からの参道と仮定したルートを歩いてみます。踏み跡あります。
これはベッドにするには小さいですね。
4
5/4 9:14
これはベッドにするには小さいですね。
尾根筋を下ると、
2
5/4 9:16
尾根筋を下ると、
石祠があります。山仕事の山神の祠にしては立派なので、御嶽の物と推定。判読困難な銘あり、適期になったらまた読みにきましょう。
4
5/4 9:22
石祠があります。山仕事の山神の祠にしては立派なので、御嶽の物と推定。判読困難な銘あり、適期になったらまた読みにきましょう。
そのまま尾根筋を下ると、
2
5/4 9:33
そのまま尾根筋を下ると、
林道に出ました。入山した鳥居口はすぐそこです。
2
5/4 9:38
林道に出ました。入山した鳥居口はすぐそこです。
パラグライダー場と赤岩山。この後、登り返しますがその前に里の神社マークの確認をします。
5
5/4 9:44
パラグライダー場と赤岩山。この後、登り返しますがその前に里の神社マークの確認をします。
県道沿いに、?ツタのからまる・・・石鳥居は明治十八年(1885)
5
5/4 9:49
県道沿いに、?ツタのからまる・・・石鳥居は明治十八年(1885)
稲荷社のようです(石工銘有「関口磯吉」)。中には「明治三十八年十二月(1905)・・・大日本帝国栃木縣・・・」と記された木札がありました。
4
5/4 9:52
稲荷社のようです(石工銘有「関口磯吉」)。中には「明治三十八年十二月(1905)・・・大日本帝国栃木縣・・・」と記された木札がありました。
さらに県道を歩くと、題目塔(昭和十年、1935)と石祠等がありました。
4
5/4 10:08
さらに県道を歩くと、題目塔(昭和十年、1935)と石祠等がありました。
「阿(龍)蘭藤原義廣霊神」(明治二十四年、1891)、一瞬、御嶽かと思いましたが、
4
5/4 10:17
「阿(龍)蘭藤原義廣霊神」(明治二十四年、1891)、一瞬、御嶽かと思いましたが、
どうやらお稲荷さん関連のようです。
2
5/4 10:18
どうやらお稲荷さん関連のようです。
北ノ峯へ向かいます。作業道は途中から山道となり、
3
5/4 10:27
北ノ峯へ向かいます。作業道は途中から山道となり、
尾根に乗りました。まずは籠岩に行ってみます。
2
5/4 10:53
尾根に乗りました。まずは籠岩に行ってみます。
籠岩のようです。
3
5/4 10:54
籠岩のようです。
良い眺めです。
3
5/4 10:57
良い眺めです。
先日イワウチワを見に行った二股山も。
6
5/4 10:57
先日イワウチワを見に行った二股山も。
足元には、危うく踏みそうになったハニワ地蔵さん。あの二股山で出会いましたね。
4
5/4 10:58
足元には、危うく踏みそうになったハニワ地蔵さん。あの二股山で出会いましたね。
無縫塔も気になりますが、今回はパスして
2
5/4 11:02
無縫塔も気になりますが、今回はパスして
北ノ峯山頂。そこには「赤岩」432.7 m四等三角点がありました。
2
5/4 11:06
北ノ峯山頂。そこには「赤岩」432.7 m四等三角点がありました。
ドウダンツツジでしょうか。
6
5/4 11:12
ドウダンツツジでしょうか。
こんな岩場を登って行くと、
4
5/4 11:15
こんな岩場を登って行くと、
可憐なイワカガミが咲いていました。
6
5/4 11:18
可憐なイワカガミが咲いていました。
ホワイトちゃんです。
7
5/4 11:18
ホワイトちゃんです。
そしてアオダモ。
6
5/4 11:20
そしてアオダモ。
さらに危険な岩場が続きます。
2
5/4 11:20
さらに危険な岩場が続きます。
鞍部。ここを右に下ると武子御嶽山です。
2
5/4 11:30
鞍部。ここを右に下ると武子御嶽山です。
赤岩山の登り返し。
3
5/4 11:31
赤岩山の登り返し。
赤岩山535m山頂です。旧名:西ノ鳥屋山。
3
5/4 11:45
赤岩山535m山頂です。旧名:西ノ鳥屋山。
お隣の岩場からハイカーさん達の声が聞こえてきます。
2
5/4 11:48
お隣の岩場からハイカーさん達の声が聞こえてきます。
下りの鎖場。
3
5/4 11:54
下りの鎖場。
二尊岩とパラさん。
5
5/4 11:58
二尊岩とパラさん。
先程にぎわっていた岩場
3
5/4 12:07
先程にぎわっていた岩場
登るとこれまた絶景でした。
3
5/4 12:10
登るとこれまた絶景でした。
そしてここにもイワカガミちゃん。
3
5/4 12:15
そしてここにもイワカガミちゃん。
2
5/4 12:16
日光ファミリー
3
5/4 12:16
日光ファミリー
3
5/4 12:17
中岩で一休み。
3
5/4 12:25
中岩で一休み。
中岩に立つドーハン君。
6
5/4 12:26
中岩に立つドーハン君。
お隣が御嶽山。
3
5/4 12:35
お隣が御嶽山。
降りた鎖場を振り返りました。
3
5/4 12:40
降りた鎖場を振り返りました。
2
5/4 12:49
御嶽山の石祠越しに日光の峰々。
3
5/4 12:55
御嶽山の石祠越しに日光の峰々。
御嶽山560m、旧名;中ノ鳥屋山。「弘化三年(1846)木曽御嶽山勧請」
3
5/4 12:55
御嶽山560m、旧名;中ノ鳥屋山。「弘化三年(1846)木曽御嶽山勧請」
中央に羽賀場山。遠景は横根山〜庚申山、皇海山方面
3
5/4 12:57
中央に羽賀場山。遠景は横根山〜庚申山、皇海山方面
以前歩いたことのある笹目倉山〜鶏鳴山の稜線。その右奥には日光白根と男体山。
4
5/4 12:57
以前歩いたことのある笹目倉山〜鶏鳴山の稜線。その右奥には日光白根と男体山。
うっすら鳴虫山と日光家族
4
5/4 12:58
うっすら鳴虫山と日光家族
遠景は高原山。
2
5/4 12:59
遠景は高原山。
登ってきた尾根
2
5/4 12:59
登ってきた尾根
今回は此処から下山します。昨夜の寝不足と直射日光でフラフラ。
2
5/4 13:23
今回は此処から下山します。昨夜の寝不足と直射日光でフラフラ。
アルマヤ堂跡へ寄り道。
3
5/4 13:29
アルマヤ堂跡へ寄り道。
立派な岩窟があります。右上には
5
5/4 13:29
立派な岩窟があります。右上には
弘法大師様。
4
5/4 13:29
弘法大師様。
最奥の窟に石祠が見えます。
5
5/4 13:30
最奥の窟に石祠が見えます。
「記念 中興開山米山治平翁之碑/明治四十三年三月(1910)発見/大正六年(1917)宇都宮三宝講建之」
3
5/4 13:31
「記念 中興開山米山治平翁之碑/明治四十三年三月(1910)発見/大正六年(1917)宇都宮三宝講建之」
ふと視線を感じて、小さな窟に近づいてみると
5
5/4 13:32
ふと視線を感じて、小さな窟に近づいてみると
何とこんな所にもハニワ地蔵さん
7
5/4 13:32
何とこんな所にもハニワ地蔵さん
アルマヤ天が祀られていたのでしょうか。
5
5/4 13:33
アルマヤ天が祀られていたのでしょうか。
夕立など一時避難には十分な広さです。
3
5/4 13:35
夕立など一時避難には十分な広さです。
さらに岩壁下を歩くと
3
5/4 13:37
さらに岩壁下を歩くと
岩から沁みた水場がありました。意外に冷たかったです。
3
5/4 13:38
岩から沁みた水場がありました。意外に冷たかったです。
さらに右手の岩場を下っていると、道の向こう、左手の岩場のしたに「聖観音」の案内板がありました。
2
5/4 13:50
さらに右手の岩場を下っていると、道の向こう、左手の岩場のしたに「聖観音」の案内板がありました。
聖観音が脇侍を従えて三尊形式でいらっしゃいました。
7
5/4 13:52
聖観音が脇侍を従えて三尊形式でいらっしゃいました。
背中に銘があります。「寄進 享保十丁巳三月吉日(1725)當所長□傳左衛門」
3
5/4 13:55
背中に銘があります。「寄進 享保十丁巳三月吉日(1725)當所長□傳左衛門」
そして聖観世音菩薩立像です。この岩場が観音岩でしょうか。
4
5/4 13:58
そして聖観世音菩薩立像です。この岩場が観音岩でしょうか。
脇侍とは石材が異なるようです。ご対面は今回が初めてでした。
3
5/4 13:59
脇侍とは石材が異なるようです。ご対面は今回が初めてでした。
そして瀧神社。
4
5/4 14:03
そして瀧神社。
瀧神社の由来
1
5/4 14:03
瀧神社の由来
もう一つ。
2
5/4 14:04
もう一つ。
鬼面がありました。
3
5/4 14:05
鬼面がありました。
反対側
2
5/4 14:06
反対側
社殿に向かって右上部の巌窟に石塔が見えます。私ではちょっと無理。
3
5/4 14:08
社殿に向かって右上部の巌窟に石塔が見えます。私ではちょっと無理。
社殿の後方には
4
5/4 14:09
社殿の後方には
「御竃」の石塔。
2
5/4 14:10
「御竃」の石塔。
その側面には「昭和七年十二月吉日(1932)氏子一同」とあります。以後同時期に奉納された石塔が沢山あります(*同)で示します。
2
5/4 14:10
その側面には「昭和七年十二月吉日(1932)氏子一同」とあります。以後同時期に奉納された石塔が沢山あります(*同)で示します。
続いて狛犬さん。
6
5/4 14:11
続いて狛犬さん。
そして最奥には「御穴不動」(*同)
2
5/4 14:12
そして最奥には「御穴不動」(*同)
社殿隣の滝場には「滝不動」(*同)。クライマーさんが降りた間隙に撮影。
3
5/4 14:14
社殿隣の滝場には「滝不動」(*同)。クライマーさんが降りた間隙に撮影。
不動滝(男滝)の滝壺
3
5/4 14:15
不動滝(男滝)の滝壺
水量は殆ど無し。
2
5/4 14:15
水量は殆ど無し。
水場上の岩窟にはこれも昭和七年の「護摩壇」(*同)の石塔があります。(前回調査済)
3
5/4 14:16
水場上の岩窟にはこれも昭和七年の「護摩壇」(*同)の石塔があります。(前回調査済)
瀧神社と不動滝。周辺はクライミングの方が大勢いらっしゃいました。
3
5/4 14:17
瀧神社と不動滝。周辺はクライミングの方が大勢いらっしゃいました。
こちらは「山神」(*同)
3
5/4 14:18
こちらは「山神」(*同)
岩壁に沿って西進します。
3
5/4 14:20
岩壁に沿って西進します。
ここを入ると、
2
5/4 14:22
ここを入ると、
ジャイアントロボのような不動様。
4
5/4 14:25
ジャイアントロボのような不動様。
「女瀧」(*同)
2
5/4 14:26
「女瀧」(*同)
こちらも水量はわずかです。
2
5/4 14:27
こちらも水量はわずかです。
分岐に戻ってさらに道を進むと、小社のある岩窟が見えてきます。
1
5/4 14:29
分岐に戻ってさらに道を進むと、小社のある岩窟が見えてきます。
弁天・天狗・風雷神が祀られた宮。以前は三つのお宮が並んでいたみたい。
4
5/4 14:31
弁天・天狗・風雷神が祀られた宮。以前は三つのお宮が並んでいたみたい。
内部を覗くと、弁天様(ん?智拳印?)とその手前が雷神様でしょうか。
6
5/4 14:32
内部を覗くと、弁天様(ん?智拳印?)とその手前が雷神様でしょうか。
袋状の物を背にしたのが風神様でしょう。
3
5/4 14:32
袋状の物を背にしたのが風神様でしょう。
天狗様は全身像と大天狗、小天狗の面像。
3
5/4 14:32
天狗様は全身像と大天狗、小天狗の面像。
さらにもう一体の弁天様。
3
5/4 14:32
さらにもう一体の弁天様。
岩窟の右手に行くと、
3
5/4 14:35
岩窟の右手に行くと、
弁天・天狗宮・風疹雷神の由来と
2
5/4 14:36
弁天・天狗宮・風疹雷神の由来と
その奥に「風穴」(*同)の標石。
3
5/4 14:38
その奥に「風穴」(*同)の標石。
弁天宮らしく周囲は池状になっています。
3
5/4 14:38
弁天宮らしく周囲は池状になっています。
この分岐を右に行くと、
2
5/4 14:45
この分岐を右に行くと、
中腹にトラロープのある岩壁、この先の岩陰まで行き、何もないので戻りましたが、ここが背中当山の直登ルートだったようです。
2
5/4 14:48
中腹にトラロープのある岩壁、この先の岩陰まで行き、何もないので戻りましたが、ここが背中当山の直登ルートだったようです。
岩下道に戻り西へ。
2
5/4 14:52
岩下道に戻り西へ。
荒沢瀧が見えました。
3
5/4 14:58
荒沢瀧が見えました。
首のない荒沢不動
3
5/4 15:00
首のない荒沢不動
水量はそれまでの滝と比べたら、やや多め。
3
5/4 15:01
水量はそれまでの滝と比べたら、やや多め。
注連張場の上部の岩窟に石祠がありますが、私には無理な所です、
2
5/4 15:02
注連張場の上部の岩窟に石祠がありますが、私には無理な所です、
岩下道はよく整備されていました。
2
5/4 15:05
岩下道はよく整備されていました。
大日窟前の常火屋跡に来ました。
4
5/4 15:07
大日窟前の常火屋跡に来ました。
當山中興の法印祐淨に関する石碑が2基(明治四十三年、1910と大正九年、1920)
3
5/4 15:10
當山中興の法印祐淨に関する石碑が2基(明治四十三年、1910と大正九年、1920)
石燈籠だったのかな。「安永九庚子天四月吉日(1780)」
2
5/4 15:12
石燈籠だったのかな。「安永九庚子天四月吉日(1780)」
「武州江戸市谷町願主片山治左衛門 同五良左衛門」
2
5/4 15:12
「武州江戸市谷町願主片山治左衛門 同五良左衛門」
常火屋跡の覆屋。右に新しい子育て地蔵様。左は地蔵尊等と奪衣婆。右奥の岩窟に石標。
3
5/4 15:13
常火屋跡の覆屋。右に新しい子育て地蔵様。左は地蔵尊等と奪衣婆。右奥の岩窟に石標。
大日窟の由来
2
5/4 15:14
大日窟の由来
賽の河原に見立てられているそう。
3
5/4 15:16
賽の河原に見立てられているそう。
守り仏の地蔵尊。台石に「<種子カ>奉造立供養地蔵菩薩像」、側面には
3
5/4 15:16
守り仏の地蔵尊。台石に「<種子カ>奉造立供養地蔵菩薩像」、側面には
「享保九甲辰天閏四月吉旦辰(1724)願主別當佛師大棟氏」
2
5/4 15:17
「享保九甲辰天閏四月吉旦辰(1724)願主別當佛師大棟氏」
その傍らには馬頭尊(天保十三年、1842)と
3
5/4 15:20
その傍らには馬頭尊(天保十三年、1842)と
薬師様?
3
5/4 15:22
薬師様?
脱衣婆さんはまだ新人みたい。
5
5/4 15:23
脱衣婆さんはまだ新人みたい。
覆屋左に「種子<ヴァン>奉造立石燈爲現當二世安楽也 元禄十丁丑年六月廿日(1697)岩崎村野沢施主福田孫右衛門」、この人物が始まりのようです。
2
5/4 15:24
覆屋左に「種子<ヴァン>奉造立石燈爲現當二世安楽也 元禄十丁丑年六月廿日(1697)岩崎村野沢施主福田孫右衛門」、この人物が始まりのようです。
右奥の石標「<種子ヴァーンク>奉造立□供室一宇<省略>」側面に「上都賀郡鹿沼町林梁 岩見要助/明治四十五年五月吉日(1912)當山主権僧都祐淨」
2
5/4 15:29
右奥の石標「<種子ヴァーンク>奉造立□供室一宇<省略>」側面に「上都賀郡鹿沼町林梁 岩見要助/明治四十五年五月吉日(1912)當山主権僧都祐淨」
それでは大日窟へ行ってみましょう。
2
5/4 15:30
それでは大日窟へ行ってみましょう。
大日窟。享保以降湯殿山信仰の影響を受け、湯殿権現と称したそう。岩場に立て掛けられた棒状に見えるものは梯子です。
4
5/4 15:32
大日窟。享保以降湯殿山信仰の影響を受け、湯殿権現と称したそう。岩場に立て掛けられた棒状に見えるものは梯子です。
大日様が祀られた石祠と常夜燈。
2
5/4 15:33
大日様が祀られた石祠と常夜燈。
「宝暦十庚辰天七月吉祥日(1760)願主秀儀 欽言」
2
5/4 15:41
「宝暦十庚辰天七月吉祥日(1760)願主秀儀 欽言」
この先は前回辿ったので、今回はここで終了。yけに
3
5/4 15:44
この先は前回辿ったので、今回はここで終了。yけに
やけに真っ直ぐな湯殿大権現道で下山します。
2
5/4 16:01
やけに真っ直ぐな湯殿大権現道で下山します。
林道からの入り口
2
5/4 16:07
林道からの入り口
大日窟の案内板があります。
2
5/4 16:07
大日窟の案内板があります。
駐車地に戻ってゴールです。
2
5/4 16:15
駐車地に戻ってゴールです。
渋滞の高速を途中で降りて、最近ちょっと話題になっている所に寄り道してみました。気軽に歩いていける三県境。
2
5/4 18:25
渋滞の高速を途中で降りて、最近ちょっと話題になっている所に寄り道してみました。気軽に歩いていける三県境。
“道の駅かぞわたらせ“から数百m。渡良瀬遊水地はトライアスロン関連で何度も通いましたが、反対側の田園地帯にあったのね。
3
5/4 18:32
“道の駅かぞわたらせ“から数百m。渡良瀬遊水地はトライアスロン関連で何度も通いましたが、反対側の田園地帯にあったのね。
その頃は全然話題にもなっていませんでしたが、これがSNS時代なのでしょうか。
2
5/4 18:32
その頃は全然話題にもなっていませんでしたが、これがSNS時代なのでしょうか。
三県境の夕焼け。「あと20分早くれば」と案内のおじさんに言われました。
5
5/4 18:33
三県境の夕焼け。「あと20分早くれば」と案内のおじさんに言われました。
何故、こんな所に三県境があるのか尋ねたら、何とここに渡良瀬川と谷田川が流れていたそうです。
4
5/4 18:33
何故、こんな所に三県境があるのか尋ねたら、何とここに渡良瀬川と谷田川が流れていたそうです。
三県境界:埼玉県加須市/群馬県板倉町/栃木県栃木市
3
5/4 18:33
三県境界:埼玉県加須市/群馬県板倉町/栃木県栃木市
あの頃は北川辺町だったよね。
4
5/4 18:34
あの頃は北川辺町だったよね。
旧渡良瀬川跡
2
5/4 18:35
旧渡良瀬川跡
帰り支度をしていた案内のおじさんからいただきました。先日のアド街にもちょこっと出ているそうです。
4
5/4 18:37
帰り支度をしていた案内のおじさんからいただきました。先日のアド街にもちょこっと出ているそうです。
駐車地の道の駅に戻って。てっきり田中正造さんかと思ったら、我が国解剖学の父:田口和美博士とのこと。埼玉って意外に医学関連の先進地域だった?
4
5/4 18:47
駐車地の道の駅に戻って。てっきり田中正造さんかと思ったら、我が国解剖学の父:田口和美博士とのこと。埼玉って意外に医学関連の先進地域だった?
古賀志山には何度か行ったことがありますが、神社やら石造物やらがこんなにたくさんある信仰の山だったんですね!楽しい岩遊びが出来る山との認識しかありませんでした😅godohanさんが歩いたルートを辿れるかはわかりませんが、とりあえずとても気になるアルマヤ堂と奪衣婆だけでも見に行きたいと思います。情報ありがとうございました😊
この日もお天気だったので、クライマーの方が大勢いらっしゃいました。
アルマヤ堂からの岩下道は歩かれる人は少ないようですが、普通に歩きやすい道なので是非お訪ねくださいませ。古賀志山は主要道の他に細かなルートがたくさんあり、信仰の場所も多いみたいなので、私もまだまだ訪ねることになると思います。それでは。 godohan
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する