記録ID: 5920232
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ハイキング
妙高・戸隠・雨飾
一の鳥居から戸隠奥社入口へ
2023年09月10日(日) [日帰り]



体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 04:03
- 距離
- 9.2km
- 登り
- 236m
- 下り
- 147m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:06
- 休憩
- 0:42
- 合計
- 3:48
距離 9.2km
登り 236m
下り 159m
過去天気図(気象庁) | 2023年09月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
|
写真
一丁を示す丁石。ここから中社迄109m毎に丁石が置かれていた。滅失・行方不明・埋没・盗難(?)などにより元々の丁石は数える程だったが、近年整備された。(ここ10~20年ほど)これは新しい丁石。
街道の途中には昔から続く茶屋、大久保の茶屋がある。現在は蕎麦屋さん。この隣にもう一軒蕎麦屋(大久保西の茶屋)があるが、私はこちらのお店の方が好み。今回はお店には寄らずに先に進む。
戸隠バードラインの横を通る戸隠古道。戸隠バードラインが整備された時代を考えると、旧道をそのまま拡幅・丁石は処分…そんな事があったのかもしれない。当時を知る人はもうそれ程多くは無い筈。調べるのならこの10年が最後に思う。
途中の沢に掛る橋。この感じは昭和30年代かな。親柱が無いのでいつ造られたは判らない。橋桁にプレートが埋め込んであったのかもしれないが確認はしなかった。戸隠バードライン建設時に設置されたものだとすると、戸隠古道のルートはそのまま残され、その横に新道を作ったのだろうか。
先の道標の横にあったもう一つの古い道標。
『右 ちゅう※ 左 不うくハう※ 寛政十戊午歳七月』
※部分は削られている
「右 中院(中社) 左宝光院(宝光社)寛政十戊午(つちのえうまの)年(1798年)七月」
という意味だろう。読めないよなぁ…。
『右 ちゅう※ 左 不うくハう※ 寛政十戊午歳七月』
※部分は削られている
「右 中院(中社) 左宝光院(宝光社)寛政十戊午(つちのえうまの)年(1798年)七月」
という意味だろう。読めないよなぁ…。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)が祀られている火之御子社。戸隠五社のひとつ。奥社、中社、宝光社は有名だけど火之御子社の知名度はやや低いような気がする。実際、ここに神社がある事は知っていたが、今回初めて訪れた。思っていたよりも立派だった。
撮影機器:
装備
個人装備 |
Tシャツ
ズボン
靴下
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
ザックカバー
行動食
ハイドレーション
地図(地形図)
ヘッドランプ
予備電池
GPS
時計
タオル
ストック
カメラ
|
---|
感想
先日の長野ー一の鳥居(時間切れ終了?)に引き続き、今回は一の鳥居ー奥社入口間を歩いてみました。
一の鳥居から先は「戸隠古道」として近年テコ入れされているようです。
古道には昔の石の道標が点在しており、歴史を感じます。立派な石の道標には削り取られた痕があり、明治初頭の廃仏毀釈の傷跡を強く感じます。
一の鳥居から「丁石」という石が109m毎に設置され、五十三丁で戸隠中社に至るとされています。一時期は滅失・埋没等により現存する物は数個と言われていましたが近年抜けている物が再設置されました。当初はピカピカに輝いているように見えた新しい石ですが、間近に見てみると良い具合に苔が生え、道に溶け込むようになって来たようです。意匠も微妙に今迄の物と違っており、苔むした後にも新旧が区別し易いのも交換を持てました。
結局、確認出来なかった丁石は7,17,46〜の計10個。46以降は古道ルートを外れた為でしょう。区間としては火之御子社と中社の間です。7と17はどうでしょう。両方とも見落としかな。
今回、戸隠中社へ直接行ってしまった為、宝光社に寄る事が出来ませんでした。次はいにしえの分岐を宝光社方面に向かって歩いてみるかな。丁石の残りも確認できてないし。
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