両さんから寅さん、そして民子さんへ 亀有駅→柴又一帯→矢切の渡し→矢切駅


- GPS
- 03:31
- 距離
- 9.1km
- 登り
- 21m
- 下り
- 0m
コースタイム
- 山行
- 2:25
- 休憩
- 0:59
- 合計
- 3:24
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
自宅最寄り駅→品川駅→西日暮里駅→亀有駅 【帰り】 矢切駅→(バス)→市川駅→自宅最寄り駅 |
その他周辺情報 | 寅さん記念館、山田洋次ミュージアム 蒙古タンメン中本市川 |
写真
感想
金曜日に関東の広い範囲で雨が降った、日曜日にはどうしても外すことができない用事がある。そんな土曜日、朝で雨は止むという予報。車で車中泊しての歩行はコスパが悪く、止めることとした。
というわけでかつてから考えていた企画「両さんから寅さんへ」の企画を実行することとした。電車に乗り目的地に向かう途中に2つのトピックがあった。
1つ目は、横須賀線乗車中の親子の様子。私の前に座った母娘、母は小学校受験と言っていたので多分4歳から5歳、電車の中でアルファベットの書取りをさせられていた。お手本からちょっとずれたり字が曲がったりするとすぐに横から手が出てきて消される、自由にやりたい娘だったが次第に「やりたくない」に変わってくる。そこを母が娘をつねり、叩き、やらせようとするがもう無理である。「どうしてあんたはこんななの!」「こんなバカじゃ将来困るよ!」と母は子供に言うが、わたしゃこの親子の人間関係の方が心配だ。
とうとう母も諦めてドリル類をしまうが娘の怒りは止まらない、母に食ってかかり、つかみかかり、母も負けずとやり返す。大船から横浜までずっとこんな感じだ。とうとうハンカチで、母は娘の口を押さえた。苦しそうな娘は母の横っ腹を殴りつける。娘の手が母の顔に行きマスクが破ける。そんな時間をだった、娘が周りの人に助けを求めたら出て行こうと思ったのだが、娘は母にのみ気が入っているようだった。そのまま、喧嘩しながら横浜駅で降りて行った。
これって虐待だよな、やりたくもない勉強を強要されるとそりゃ嫌だよな、きっとこの母と娘の関係将来心配だよな、そう思った。
もう一つは、西日暮里駅で我孫子方面に行かねばならぬのを綾瀬方面に乗ってしまい、逆方向に行ってしまい、40分ほどロスしてしまったことだ。
というわけで、歩き出すのは11時を超えてしまった。これは巻いて歩かなくてはならない。
亀有駅近辺にはこち亀関係のフォトスポットがたくさんあるのだが今回は南口に1箇所のみ撮影した。まあ、それは過去に歩きレコにしたことがあるのでいいかと諦めた、撮影するものたくさんあるしね。
前回は亀有駅から上野方面、東京ドームで野球を見て巣鴨までというルート、今回は柴又帝釈天に向かうが、一駅常磐線を歩いておこう、そう「金町駅」に一旦向かうのだ。
環七から金町方面に向かう。JRの貨物線を越え、狭い路地を歩いていく。韓国語を使う若者たちが朝からビールや缶チューハイを片手にたむろしている。私は恐怖を感じながらも金町駅へ、京成金町駅、JR金町駅と2路線使える駅でタワーマンションなどもたくさんあった。
12時には「大きな古時計」鐘の音色で流れる中、私は柴又に向けて南下する。金町浄水場の横を通ると柴又だ。2012年に山田洋次ミュージアムが開館してからすぐに来ているから11年ぶりの柴又である。
まずは駅に行きましょう。そこには11年前にはなかった寅さんとさくらさんの像があるではないか。じっくりと見回る、特に寅さんの寂しそうな雰囲気が秀逸に再現されていますなあ。ますます駅から街が寅さんの世界化している。
とりあえず帝釈天の参道を歩いて行こう、実際にいくつもの店が「男はつらいよシリーズ」に出ているのだろうなあ。とらやの前も通る、和菓子屋、蕎麦屋などが多く洋食屋などは少ない。
柴又帝釈天は、日蓮宗のお寺である。帝釈天様が公開されているのだが人が多くて諦める、境内の中にも見どころもたくさんある。そして、境内に流れるお経、近所迷惑とかはないのだろうなあ、周りの住民にとっても「ありがたい」と思われるようなお寺様なのだろう。
次は「寅さん記念館」「山田洋次ミュージアム」に出没する。2館共通で500円だ。山田洋次ミュージアムはかつて別のところにあったのだが寅さん記念館の施設の一部になっていた。
ちなみに、寅さん記念館は3回目、山田洋次ミュージアムは2回目に訪問である。同じ敷地内に移ってきたので両方とも規模は小さくなっているような気がした。なお、写真撮影はOKだが個人で楽しむだけでSNSなどには載せないでほしいということだそうだ。
「寅さん記念館」はかつては膨大な資料を見ることができ、時間が幾つあっても足りない感じだったが、今回は意外とスルッと出てきてしまった。「とらや」「朝日印刷所」のセット柴又のジオラマ、帝釈人車鉄道の展示などが主で、かつてあった「ポスター全種類」「歴代マドンナ展示」「マドンナインタビュー」などは縮小され最後の映像コーナーになっていた。
なお、人間関係パネルの前で「満男」の写真を見て「どこか見たことある人だなあ、、、Dr.コトーの人だよ!」と言っていた女子がいた、まあ、その年代だったらそうだろうなあぁ。私としてはやはり「北の国から」だろうなあ。
山田洋次ミュージアムも縮小化されていた。氏の監督作品を時代順ではなくジャンルごとに展示していた。そして最新作である「キネマの神様」のPRコーナーがあった。ちなみに私が好きなのは「幸福の黄色いハンカチ」「学校」でしょうかね。ちなみに「男はつらいよ」は一作も見たことがありません。本などで読んだことが一応ありますが。
なお、渥美清さんの国民栄誉賞の盾も山田洋次ミュージアムに展示してあります。
そのまま、矢切りの渡しへ、新柴又駅までで止めようかなと思ったが、もう少し歩いてみようと思った。
なお、矢切の私は片道200円、小銭を用意しておくと良い。なお、私の他には母娘、娘さんは中学生から高校生ぐらいでしょうか。そんな中、船頭さんの話に下ネタが多く辟易しました。
また、「千葉に行くには通行許可証がいる。」とか、「松戸市はガラが悪くて犯罪が多いから気をつけて。」とか住んでいる人が聞いたら驚くだろうなあという話が多かったです。私は片道、母娘は往復で乗ったようで帰りはどんな話になったのか、まあ、それはいいでしょう。
対岸の松戸市矢切は、国府台合戦場、野菊の墓で有名です。
戦国時代、関東をほぼ手中に収めていた北条氏と、安房から下総方面に進軍してきた里見氏の戦い。この丘に陣取ったのは里見氏、周りを北条の各軍が固めて一気に攻め込むがさすが高所の利ありで里見氏が一旦は勝利する。里見軍団が勝利の美酒を飲んでいるところへ一気の夜襲、数名の大将の首を失うが今度は北条軍の勝ち、里見軍はもう2度とこの地まで遠征してくることはありませんでした。国府というからには、この近くに国府や国分寺があったはずで、現在は市川市に「下総国分寺」があります。これは次回ぜひ行ってみたいところですね。
また、伊藤左千夫による小説「野菊の墓」の舞台にもなっています。
旧家の息子・政夫(数え年15歳・満13歳)は、体調不良の母と暮らしており、従姉の民子(数え年17歳・満15歳)が市川から手伝いに来ていた。二人は無邪気に接していたが、年頃の男女が親しすぎることから近所であらぬ噂が立ち、母親は民子にあまり政夫へ近寄らないよう伝える。以来、民子は政夫から距離を置くようになった。しかし、会うのを制限されたことで、かえって互いに恋心の芽生えを感じるようになる。
村祭の前日、家の者が総出で野に出ることになり、政夫と民子は山畑の綿を取りに行くことになった。道中、政夫が野菊の花を採り、田舎風であっても粗野ではなく可憐で優しく品格のある民子を「野菊のような人だ」と言う。二人はまた、手を取り合って山越えで水を汲みに行き、民子は政夫を「竜胆(りんどう)のような人だ」と言った。
二人が夜遅くに家へ戻ると、男女の関係を持ったと疑われ、政夫は民子と引き離されて中学校へ発つことになった。矢切の渡しへ見送りに来た民子は、やつれて痛々しかったが、薄化粧した美しさが引き立って見えた。これが生涯の別れになるとは思わず、二人は一言も言葉を交わすことなく別れた。
その後、冬休みに帰郷した際には、民子は市川の家へ帰されており姿が無かった。二つも年上の民子との結婚は、嫂(あによめ)らに強硬に反対されていた。さらに翌年、民子は嫁に行ったと聞かされた。そして、初夏に電報を受け取り、民子が流産から体調が回復せず死んだと知らされた。
母は泣いて政夫に詫び、裕福な家との縁談を民子は拒否していたこと、それに対し、剛情を通しても政夫との結婚は母である自分が承知しないと突き付けて諦めさせたことを告げた。民子の遺品には政夫の写真があり、ここまで想っていたとは知らずに縁談を進めたことを、民子の実家の家族は後悔していた。
民子の墓に参った政夫は、不思議と周囲に野菊が繁っているのを見る。市川へ七日通って墓一面に野菊を植えた政夫は、決然として学校へ戻って行った。
悲恋の物語ですね。何度も映画化、ドラマ化、ラジオドラマ化されているそうです。今度古本屋を漁ってみようと思いました。
矢切駅で本日は終了、実は今日はまだ朝食も昼食も食べていません、もう16時近くで今食べると夕食もいらないでしょう。1日1食の日になりました。
蒙古タンメン中本市川の新作「シバきそば」平打ち麺と麻婆、そこに醤油スープを絡めていただきます。市川と言えば辛さよりも塩味が強く、しょっぱい感じがするイメージでしたがこれは味噌を使っていないということもありすんなりと食べられました。でも、また食べたいか?と思うと「う〜ん」という感じでした。個人的なイメージでは市川店の調理レベルは低めと感じてしまいます。
その後、電車酒場で戻りますが、なんと本がない!!仕方がないので、レコを作り始めながらの電車酒場となりました。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する