半泣きで避難小屋へ駆け込んだ。冬の塩見はToo深し‼️


- GPS
- 25:59
- 距離
- 24.5km
- 登り
- 1,688m
- 下り
- 1,682m
コースタイム
- 山行
- 8:24
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 9:04
- 山行
- 5:49
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 6:18
天候 | 晴れだが、積雪後すぐだったもよう |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
重い雪をラッセルした直後の足跡をたどる。危険なトラバースの連続が堪えた |
写真
感想
去年の8月に白峰三山を縦走した。農鳥岳を越えて西農鳥岳に向かっている時に、一際異彩を放っていた山があった。「漆黒の鉄兜」塩見岳だと西農鳥岳の山頂で確認した。それ以来、いつか登りたい山として常に頭の片隅にある。
本当は鳥倉林道の冬季ゲートが閉まる12月24日までに行き、本谷山での初雪山テン泊を目論んでいた。12月16日が年内仕事納めだったので、以降ずっとチャンスを窺っていた。しかし、その時期はやたらと嵐模様で二日連続の好天がない。ぼやぼやしていると休みが終わってしまうリスクを感じ始めていた。天気予報に全集中し、テント泊にこだわらずに日帰りで行ける山も同時に探し始めた。まずは瑞牆山と金峰山をセットで行って金峰山までの眺望にいい意味で驚いた。しかし、次に安易に手を出した山がまずかった。地蔵尾根からの仙丈ヶ岳だった。クリスマスイブの日に撃沈してから仙丈ヶ岳のことで頭がいっぱいになり、塩見岳はまた片隅に追いやられた。
リアル厳冬期になる中、ますますトレースのあるなしが大事になってくる。特に今年は雪量が多い。そういう意味では「雪深さ」が常に話題に上がる塩見岳にチャレンジするなら、正月トレースの残置が期待できる1月のできるだけ早い時期がいいと感じていた。しかし、気付けばもう1月も下旬、「行くならもう今しかない」と、またいつもの如く少し唐突目に思った。YAMAPを検索すると1月8日からの3連休でrokiさんが登頂されている‼️しかも、物凄く簡潔かつ詳細な山行記録を絶妙な写真付きで残して下さっていた。「ありがたい❗」と何度も何度も読み返した。また、厳選雪山登山ルート集も繰り返し読み、ネット検索で数件の詳細レコやYouTube動画を見つけ研究を進めた。ただ僕の意識は天狗岩のトラバースや山頂直下の岩礫帯ばかりに偏ってしまっていた。自分のレベルでは完全に的外れだった。もっと重荷と雪深さゆえの時間の見積もりにフォーカスすべきで、そういう意味では、冬季ゲートから三伏峠までにまずは全集中すべきだった。結果として、初雪山テン泊するという目標すら達成出来ないという事態を引き起こしてしまった。(しかし、後で知ることになるが、どのみちどうにもならなかった可能性が高かった。やはり先ずは赤岳鉱泉や行者小屋辺りでやるのが無難なのか?)
最初の大失態はYAMAPの登山計画を作成する時に、やたらと時間に余裕のある行程になるのが間違いなことを見逃したことだった。スピードを「ゆっくり」にしても6時間弱で本谷山まで着いてしまう。その結果、本谷山以降に多少トレースがあれば、1泊で塩見岳をやりきる可能性がゼロではないように見えてしまった。結論からいうと僕には絶対に不可能だった。
当日の朝も、初日の本谷山までは余裕があると勘違いしていたので、2時半に起き3時半くらいにゆっくりと家を出た。(2時半起きをゆっくりと表現するのは登山者と漁師だけだ。)ガソリンがカツカツだったので、高速の入口をスルーしてタイムロスになるのも気にせず、地元の最安ガススタに入れに行く。(最近思うのが、SAで入れてもらうのが、時間コストを考えると多少高くても結局は得なんじゃなかろうか?)
おまけに、Google先生が岡谷JCTで何故か長野道を指示しているように見えたので、おかしいと思いながらも長野道の方に入ってしまう。すると急に地図が更新され、例のポロンという「アカン」音を出し、次を降りて戻れと言い始める。さらには、冬季ゲートまでの道もかなりの雪量で、ジムニーが微妙に滑る。びびりまくりながら20km以下の超低速運転を強いられた。極めつけは鳥倉駐車場の駐車スペースに雪がイヤな感じにスタックしていて、うまく車を入れられない。初めてジムニーを4L(ぬかるみなどから脱出するモード)にギアシフトし、車が焦げ臭くなるほどふかしまくりようやく駐車できた。それでもまだ時間的な不安を感じていなかった。
その後の準備もチンタラで、結局8時45分頃駐車場をスタートした。300メートルほど歩き、冬季ゲートの左をくぐって中に入る。始めからものすごい雪の量で、深くて新しいトレースができていたが、非常に歩きにくい。もしここからトレースがなかったらどうするんやと感じていた。夕立神パノラマ公園の少し手前でGoProの自撮り棒が折れてしまい、部品が散乱してんやわんやで時間をかなり使わされる。遅れを取り戻そうとずんずん歩こうとするも、ザックの背負い方が間違っているのか早々に肩が痛くなり、足元もフカフカのせいで全くスピードが出ない。結局2時間半もかかって越路ゲートに到着した。ここで、登山届をポストに入れた。
ここからも全く楽に歩けない。1時間半もかかりようやく鳥倉登山口に到着した。ちょっとした休憩所のようになっていて、木の腰掛け台が2つ置かれていた。ここに来る少し前から、林道歩きで少し足が沈み込むのと、足にワカンを着けるとその分少しザックが軽くなり肩の痛みが軽減されるかもしれないという期待で、ワカンを装着していた。ここからは少し登山道が急斜面でワカンを外すべきだったのだが、またザックの両脇にサイドベルトでくくりつけるのが面倒だったので、ワカンのままで行くことにした。これが後から考えると大失敗だった。トレースは柔らか目だがステップ状にちゃんとあり、ツボでも全く問題なかったが、こういうシチュエーションでワカンを使う方が楽なのか辛いのかがわからなかった。しかし、豊口山間のコルから左側が切れた細いトラバースが続く中、ワカンが滑り危険を感じて外した瞬間、あのテン泊装備が入ったザックをおろした瞬間力が漲る感じが足に現れた。時折起こっていた太ももの裏側がつりそうになるのも止まった。
途中で気付いていたのだが、YAMAPの計画時のタイムが妙に速かったのは、恐らく越路ゲートまで車で行く計算になっているからだった。この鳥倉登山口以降かなり苦しくなってきた辺りで三伏峠まで2/10の道標を見た時、遅ればせながら時間がタイトなのをやっと認識し始めた。トレースはあるもののできたてホヤホヤで、かっちりトレースに比べてやはり歩きくかった。途中からもう本谷山に行くのは諦めて、三伏峠でのテン泊に頭を切り替えていた。
しかし、ワカンを外した後もそれほど息は上がらないのだが、重荷からくる肩のだるさがひどい。ザックを担いで体重計に乗り重さを量った感じではせいぜい20キロくらいなのに、30キロを背負っているような感覚に陥った。ジムを辞めてから僧帽筋が衰えたのか?こんなに肩が辛いのは今日が初めてだった。途中背中を前に倒し肩を休めるのを繰り返した。
時間もどんどん後ずれしてきた。塩川ルート分岐地点でのYAMAPの予想通過時刻がどんどん遅くなる。最近少し日が伸びつつあるものの、もうテント泊は無理だなぁと思い始めていた。一方で三伏峠の避難小屋が使えるかどうか自信がなかった。ウェブサイトで誰かが板間を焦がしたから閉鎖中だという説明が三伏避難小屋のことだったか他の別の避難小屋のことだったか思い出せない。時間は5時を回り右手にキレイな夕焼けが見えていたが、またそれが不安を煽った。もし避難小屋使えなかったら、ヘッデンで初整地になる。整地にどれくらい時間がかかるのかも経験がないのでわからない。
遂にヘッデンに点灯した。もうかなり三伏峠まですぐのはずなのたが遠く感じる。後200歩の道標は見つけられなかったが、やっと目の前に小屋が見え始めた。真っ暗だった。三伏小屋の入口は殆ど雪に埋まっていた。よく見る三伏峠の大きい道標がある。その先へとトレースは続いていたので、それをたどり、もうひとつの建物を右から回り込んだ。裏側から見るとその建物も殆ど雪に埋まっていたが、雪壁に誰かが登って窓から中に入り込もうとしたようなトレースがあった。加藤文太郎スタイルで侵入するのか?自分もラッセルしながら雪壁を登るも入口は見つからない。「誰か建物の中にいますか⁉️」と叫ぶも暗闇に吸い込まれるように自分の声は消えていった。
諦めて雪壁を降りた。テント場は小屋から少し尾根を行ったところなので、まだ続いているトレースを辿るとすぐに左に折れて、小屋の軒下に続いていた。すると、ワカンがきれいに整頓されて入口に置かれていた❗「おー❗避難小屋使える‼️助かったー😂。」重い引戸を開けると、入口付近に若い男性が立っていた。加藤文太郎ばりに「入れてもらってもいいですか?」と声をかけると、「どうぞどうぞ。テントとか張らないのであれば大丈夫ですよ☺️」「いや、張りません。マットとシュラフで寝ます。」と中に入れてもらう。「あ、ワカンとかストックは外に置くべきでしたっけ?」と聞くと「いや、もう全部持って入っちゃってます。」と言ってもらい一安心。彼らは年の頃せいぜい30歳かそこらの男性二人組のパーティーだった。入口に敷物を引いてくれていて、そこでブーツをテントシューズに履き替えさせてもらった。このテントシューズは裏がゴアテックスの結構いい値段のするものだったが、贅沢品ではなくこういう時は必需品のようだった。もう一人の若い男性に「やっぱりここまでのトレースって、みんなで付けてくれたんですか?」と聞くと「ええ、全くトレースなかったです。もう一つのパーティーと一緒に全部ラッセルしました。」とおっしゃる。入口の広いスペースにその二人がテントを広げており、その隣の部屋にはもっと大型のテントを別の恐らく4人のパーティーが張っていた。そのパーティのうちの一人の女性に「何時に出ました?」と聞かれ「9時です。」と答えると、「やっぱり速い。」と言われ「いや、皆さんのお陰です。」とお礼を言った。両パーティーともせいぜい30分以内に避難小屋に着いたばかりのようで、テントも設営し終わったばかりのようだった。後から聞くとこの男性二人のパーティーは朝の5時に鳥倉駐車場を出たそうだった。恐らく12時間ラッセルしっ放しだったんだろう。片方の男性はかなり憔悴している様子が見て取れた。
2つの大部屋はテントで埋まっていたので奥の通路の方に行くとトイレの先に小屋番部屋が2つ程と、普通の客室も通路の反対側にいくつかあった。小屋番の部屋には片隅に畳が少し段差を取って置かれているだけの板間で、客室の方はベッドと布団があった。使っていいかわからなかったが、小屋番部屋に入り荷物をおろした。「はー😵💨。何とか助かったな。」モンベルのドライシームレスダウンハガー900#1をシーツーサミットのコンプレッションスタッフバックから出し、サーマレストのネオエアーXサーモマックスに空気を入れた。温度計を見ると、壊れているのかと目を疑ったがマイナス10度だった。アウターシェルを脱ぎ、モンベルのアルパインダウンパーカを中に着込んだ。「マイナス10度って寝れる寒さなんかな…。」
ブーツやスパッツは雪まみれで凍りついていた。これを今落とさないと、翌朝困るとよく雪山本で読む。ザックから100均で前日買った大きなタワシを出し、靴とスパッツを持って外に出た。こういうとき、ゴアテックスの裏側のテントシューズはそのまま外に出られて避難小屋泊では必須アイテムだ。軒先でタワシで擦り、叩きながらできるだけ凍りついた雪を落とした。後は、初めての雪からの水作りをしなければいけない。みんな冬のテン泊では荷物を少しでも軽くするため、自分で作れる水を少な目にすると言うが、僕は保温ボトルに1リットルとペットボトルに300ミリリットルを持って登っていたが、それほど余裕はなかった。持ってきたゴミ袋を持ってもう一度外に出て、結構袋に一杯雪を詰めて部屋に持ち込んだ。この時、当たり前だが、大きめのスノースコップがないとどうにもならないので、テントを張らなくてもスノースコップは必需品のようだ。
自分はジェットボイルフラッシュのみでやりきる予定だったので、コッヘルは持って来ていなかった。ジェットボイルに付いているプラスチックカバーで雪をすくい、専用クッカーにいれていく。もうカチカチ言わせることなくおとなしくライターで点火する。呼び水をクッカーに入れ、バーナーにクッカーを取り付けた。特に問題なく徐々に雪が水になるものの、あまりにもかさが減るので、何度も雪を追加投入しなければならない。何とかクッカーに6、7割程の水ができ、百均のジョーゴにコーヒーフィルターをセットし、こしながらモンベルのソフトボトルに流し込んだ。この作業を2回繰り返し恐らく1.5Lの水を作った。部屋がマイナス10度なので折角作った水がまた凍るのが怖かったので、ソフトボトルはシュラフの中に入れた。保温ボトルに残っていた水はまだ十分熱そうだったので、それを使ってモンベルのリゾッタとクリームシチューを作って夕食とした。厄介なのは、水作りを終えたジェットボトルのクッカーは雪に混じっていた細かいゴミが残ってしまい、そのまま使うことはできない。お気軽キャンプと違って水でゆすぐこともできないので、除菌シートでキレイに拭き取って使用した。すぐに拭き取らないとすぐに凍ってしまう。なので、水作りは一度にまとめて行うか、水作り用の鍋があった方がいいかもしれない。移し変えるのが大変そうだが。
ブーツの底に付いている雪とスパッツのこびりついた氷の落としが甘かったので、タワシとピッケルを使って落としにもう一度外に向かった。入口には先ほどの若者がかなり疲れきった様子で足をザックに入れて体育座りをしていた。「何時に出たんですか?」と聞くと「5時です」と言いながら「本当に疲れた。」と繰り返していた。「明日どこまでアタックします?」と聞かれ、「それは皆さん次第ですが…。」と情けない答えをする。すると「これ、無理ですよね。1泊で帰るつもりで来てますし…」と力なく彼は答えた。「僕も1泊で帰らないといけないんです。とすると、もう朝イチ撤退が一番合理的ですよね😅。塩見岳を見に本谷山くらいまで行くのもありかもですが…」と僕も応じた。
小屋番の部屋に戻り、じっくり考えてみた。本谷山までは片道1時間のコースタイムだか、2400メートル台に下ってからの200メートルの登り返しになる。ノートレースなので下手したらコースタイムの2倍はかかるかもしれない。かなり身体へのダメージが大きいので、明日は早めに駐車場に戻って自宅に夕方には着きたい。すると、三伏峠の避難小屋から駐車場まで6時間はかかるとすると、昼までに駐車場に着くには小屋を午前2時には出ないといけない。すると、本谷山に行っても眺望は望めないなぁ。朝イチのヘッデン撤退を決断した瞬間だった。2時半にSunnto9 Baroのアラームをセットして、シュラフに潜り込んだ。
翌朝、Baroの音振動で目が覚めた。マイナス10度の部屋で寝れるのか不安だったが、疲労が激しかったからか意外に熟睡できた。足元は最初寒かったが朝にはぬくぬくだった。口元だけ自分の吐く息の湿気で凍ったのか冷たい。なかなかシュラフから出るのが苦痛だったが、とっとと撤退して自宅でゆっくりしたかったので、頑張って起き上がる。シュラフの中に入れたアンデニッシュを一気に全部平らげ、保温ボトルのお湯でカフェラテを入れた。まだ、他のパーティーは誰も起きていないようだった。散らかしっ放しだった小屋番部屋を片付ける。散乱した雪もタワシで集め、まだ大量の雪が入ったゴミ袋に入れ、外に捨てに行く。入口にテントを張っていた若者二人のパーティーはまだ寝ていた。全てをパッキングし、4時半前に避難小屋を出た。
外に出ると案外寒さは大したことがなかった。昨日撮れなかった三伏峠の道標を写真に納める。自分が最後に付けたトレースをたどり下山を開始した。やはり帰りはかなり行きよりは楽で、淡々と9/10からのカウントダウンをこなしていく。歩きながらとんでもない雪深さに挑んでいた自分の無知さを噛み締めていた。と同時に、無事に帰り道を歩けていることに安堵感と喜びも感じていた。いつもの撤退よりも幾分気持ちが楽だったが、それは自分が如何に追い詰められていたかの裏返しだった気がする。肩の痛みに耐えながら、一歩一歩狭いトラバースを慎重に進んで行った。
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