大倉尾根ー丹沢山


- GPS
- --:--
- 距離
- 18.0km
- 登り
- 1,593m
- 下り
- 1,581m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
大倉尾根の残雪・霜柱による泥道は上の方の一部を除き解消。一方、塔ノ岳〜丹沢山は水がたまるほどドロドロでした。あと1週間はスパッツ必携 |
写真
感想
近々仲間で丹沢主稜一泊山行を考えているので、下見を兼ねて丹沢山へ。気温が高いのに登りで飛ばし過ぎたのと、塔〜丹沢山間の泥濘の道に難渋したのと、実は風邪のひき始めだったことが相まって、どうにも疲れる山行だった。
7:36渋沢発のバスはいつものように繁盛していた。混雑するトイレに寄ってモタモタ支度してから出発。あいにくの曇り空だが、とにかく暖かい。克童窯前で登山シャツ一枚になり、大勢の登山者と抜きつ抜かれつしながら観音茶屋前へ。バイオトイレを建設中だった。
花粉症のせいと思うが(実は風邪だった)鼻が詰まり、多少痰も絡んですぐ息が上がる。通い慣れたる登山道ゆえ、どこで坂がきつくなり、どこで平坦になるかは予想できるので、スピードを加減しながら先を急いだ。今日は塔ノ岳の先、丹沢山まで足を伸ばすので、あまりゆっくりはできない。
風がなく、まるで初夏のような気候だ。汗を拭って呼吸を整える間に足の速い中年男性グループに抜かれ、彼らの休憩中に当方が追い越すというパターンが続いた。堀山の家前で一休みしつつ、「ちょっと疲れが早いな」と感じた。速度をやや落として花立への急勾配に挑む。空はだんだん晴れてきて、期待しなかった富士山が良く見える。春先らしく山体の大部分が雪をかぶっている。
上がらない足に鞭打つようにして花立山荘。下界は霞がちだが、一応三浦半島まで見えている。花立まで登って北西側を一望すると、丹沢主稜はもちろん遠く南アルプスまでよく見えた。上空はいつの間にか青空が増えている。心なしか元気が出てきて、塔ノ岳まで一気に登り切った。大倉から所要2時間40分余は、自分としては最速の部類のタイムだ。
塔の山頂も珍しく風が弱く暖かいが、今回は昼食はお預け。大豆バーをかじって小腹を満たし、一休みして丹沢山へ進発した。さて、尊仏山荘の裏へ回ると、いきなり泥濘の道になった。金冷シ付近から所々ぬかるみはあったが、標高の高い北斜面の登山道は踏み固められた雪が残りやすいのだろう。
足元に注意しながら100mほど下って最低鞍部へ。左に開けた視界の中央に富士山がそびえる。「名付けて富士見のコルだな」と呟きつつ、上がらなくなってきた膝を励まして日高へ登り返す。この辺りからは右前方に宮ヶ瀬湖、左の富士の足下に山中湖という二つの湖面が見渡せることに初めて気づいた。
竜ヶ馬場へ喘ぎ登り、木道を経て最後の鞍部へ。こちらも100m近く登り返さないと丹沢山に到着できない。足は疲れるし、腹は減るしで参ったが、なんとか正午過ぎに登りきることができた。
みやま山荘で次回山行の宿泊予約を済ませ、昼食とする。ベンチは一杯だったので、鹿の糞に気を付けながら腰を下ろした。表面の枯草は乾いていても、ぐっと押すと水分が滲み出す。見渡せば登山道を中心にまだ残雪が目立つ。解けたてのホヤホヤという訳なのだろう。山荘外壁の寒暖計は10度を示していたが、無風の日向はもっと暖かく感じる。
40分休んで出発。下りはまずまずだが、登りになるとてんで脚が上がらずに動悸ばかりが上がる。酸欠の金魚みたいになって、息を整えつつ1時間近くかけて塔ノ岳に帰着した。ゆっくり休みたかったが、体を冷やすと一段と疲労感が増すので、10分余りの休憩で塔ノ岳も後にした。
当初、午後の大倉尾根が泥濘の道と化すことを恐れて小丸尾根から帰るつもりだったが、その心配はほぼないし、何より大丸への登り返しがつらいので真っ直ぐ大倉尾根を戻ることにした。追いついてくる若者たちは先に通し、花立付近で落ち着いた足取りの熟年女性のトレースを参考に歩き始めたが、ジワジワと離されてしまった。
右足首の一部が靴に当たって少し痛む。ふくらはぎの筋肉も疲れて、天神平と堀山の家のベンチに腰かけて小休止せざるを得なかった。雑事場ノ平からの下りで久々に足の遅い老人団体を追い抜き、観音茶屋前へ。登る時は閉まっていたが、ちゃんと営業していた。
下界は思った通りのぽかぽか陽気だ。どろどろの靴をバス停の流しで洗い、出発間際の満員バスに乗り込んだ。「少し詰めてください」と声を掛けて相手を見ると、日本語で「米国ボーイスカウト」と書いたTシャツ姿のアメリカ人少年たちだった。
コメント
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群馬のgankoです。ご無沙汰してます。
骨折に起因する不具合は書かれておりませんので良好なようですね。
私はヒザの痛みが抜けません。
激痛ほどの事はないのですが、登山中に「痛え〜なあ」と独り言をよく言います。
不養生で冷やしてしまうのが良くないのかもしれません
神経科の医師に聞きましたところ、
ヒザ周辺には多くの神経が集まっているようです。
そこを切開したのですから修復も手間取るようで、
痛いのは当たり前だそうです。
今期はスキーは何度か行かれましたか?
私は先々週の巻機山スキー登山の時、骨折現場を久々に俯瞰してきました。
注意一秒ケガ一生ですね。
行動も言動も。
わかっちゃいるんですが、なかなか大人になれません。
困ったものです
こんにちは、zaoluckです。(お会いしたことはないけれど)ご無沙汰してすみません。やっと12日は春めいた日になりました。
痛みがまだ強いとのこと、大変ですね。当方はボルト抜き手術をやめたので、骨折時の間接鏡手術から1年以上が立ちました。忘れたころにかすかな痛みが走ることはありますが、お陰様で日常痛みを感じることはありません。下山して脚が疲れた時は鈍痛が来ますが、これは我慢の範囲です。
gankoyaさんのレコのタイトルを見ただけでは、山スキーをガンガン楽しんでいられるようで、脚の痛みと闘う辛さは想像もできません。実際は大変ご苦労されているようですが、それでも山には、辛さを忘れ乗り越えていける効能があるのでしょうか。
今シーズンのスキーは、ノルン、蔵王1泊、ノルンの3回。最後は娘夫婦と日帰りしました。事前にご連絡してゲレンデでお会いできたらと思ったのですが、昨年子会社に出向して以来、妙にこき使われて休みの計画が立てにくくなっています。
この間バックカントリーの危険性とかのニュースが流れ、女房に「ゲレンデで脚折るような人間が雪山なんて考えてないでしょうね!」と釘を刺されました。4月の月山でシールを使ったのも今は昔。とりあえずgankoyaさんのレコで疑似体験を楽しんでいます。
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