武州本庄七福神めぐり、駐車鋤の関係からまずは駅から一番遠い金鑚神社からスタートです
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武州本庄七福神めぐり、駐車鋤の関係からまずは駅から一番遠い金鑚神社からスタートです
ご神木のクスノキは根回り10メートルの巨樹、隣にはひとまわり小振りなカヤノキも並んでいます
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ご神木のクスノキは根回り10メートルの巨樹、隣にはひとまわり小振りなカヤノキも並んでいます
ここの七福神は恵比寿さま、境内の端っこに鎮座させられていますがゴキゲンそうです
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ここの七福神は恵比寿さま、境内の端っこに鎮座させられていますがゴキゲンそうです
江戸時代後期の本殿では成人式の晴れ着を着た女性たち、親族とおぼしき人たちや地元の写真館の方などが集まり賑やかな様子でした
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江戸時代後期の本殿では成人式の晴れ着を着た女性たち、親族とおぼしき人たちや地元の写真館の方などが集まり賑やかな様子でした
民家には薫り高いロウバイの花
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民家には薫り高いロウバイの花
お次は佛母寺、銭洗い弁財天のお寺です
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お次は佛母寺、銭洗い弁財天のお寺です
佛母寺は真言宗のお寺、お大師さんの姿を見て我がごとのようにうれしくなりました
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佛母寺は真言宗のお寺、お大師さんの姿を見て我がごとのようにうれしくなりました
お次は曹洞宗安養院、格式高そうな雰囲気です
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お次は曹洞宗安養院、格式高そうな雰囲気です
ここは毘沙門天のお寺、石像は少々放置プレイな雰囲気です
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ここは毘沙門天のお寺、石像は少々放置プレイな雰囲気です
途中には旧中山道田村本陣の正門、街道きっての大宿だった往時が偲ばれます
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途中には旧中山道田村本陣の正門、街道きっての大宿だった往時が偲ばれます
お隣には明治時代旧本庄警察署、現在は歴史民俗資料館として活用されています
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お隣には明治時代旧本庄警察署、現在は歴史民俗資料館として活用されています
道挟んで向かい側には木曽御嶽山の王滝口を開いた普寛行者の名前を付した和菓子店、思わず立ち寄って羊羹とまんじゅうを購入しちゃいました
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道挟んで向かい側には木曽御嶽山の王滝口を開いた普寛行者の名前を付した和菓子店、思わず立ち寄って羊羹とまんじゅうを購入しちゃいました
その行者のお墓がある普寛霊場、門前には講中の方々が寝泊まりできそうな建物が並んでいます
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その行者のお墓がある普寛霊場、門前には講中の方々が寝泊まりできそうな建物が並んでいます
大勢の人たちの名前が記された石柱、宗教集団としての勢いを感じます
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大勢の人たちの名前が記された石柱、宗教集団としての勢いを感じます
ここは大黒尊天がいらっしゃるはずですが、社殿のなかに鎮座していて拝観叶わず
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ここは大黒尊天がいらっしゃるはずですが、社殿のなかに鎮座していて拝観叶わず
すぐお隣には阿夫利天神社、神さま、仏さまのオンパレードです
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すぐお隣には阿夫利天神社、神さま、仏さまのオンパレードです
神社の石段を下ると大正時代に造られた賀美橋、国登録有形文化財です
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神社の石段を下ると大正時代に造られた賀美橋、国登録有形文化財です
路地に入ると道祖神、庚申塔の集結地
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路地に入ると道祖神、庚申塔の集結地
すぐ近くには明治22年建築の寺坂橋
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すぐ近くには明治22年建築の寺坂橋
きれいなアーチは埼玉県最古の現役橋とのこと
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きれいなアーチは埼玉県最古の現役橋とのこと
お次は慈恩寺、金鑚神社と同様に本庄城を拠点とした本庄氏ゆかりのお寺です
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お次は慈恩寺、金鑚神社と同様に本庄城を拠点とした本庄氏ゆかりのお寺です
こちらには優雅な銭洗い弁財天が鎮座
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こちらには優雅な銭洗い弁財天が鎮座
お次は開善寺、本庄氏の滅亡後にこの地に入った小笠原氏ゆかりのお寺です
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お次は開善寺、本庄氏の滅亡後にこの地に入った小笠原氏ゆかりのお寺です
こちらには布袋尊が鎮座、こういうおじさん、居るよね(^^)
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こちらには布袋尊が鎮座、こういうおじさん、居るよね(^^)
道を挟んで反対側の古墳の上には小笠原信嶺公夫妻の墓、市街地に古いものいろいろ残ってるね
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道を挟んで反対側の古墳の上には小笠原信嶺公夫妻の墓、市街地に古いものいろいろ残ってるね
ちょっと道を外れて諏訪神社、こちらも古墳の上に鎮座し、ケヤキの古木あり
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ちょっと道を外れて諏訪神社、こちらも古墳の上に鎮座し、ケヤキの古木あり
武蔵野らしいケヤキの木、根元はひとつになった夫婦欅です
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武蔵野らしいケヤキの木、根元はひとつになった夫婦欅です
お次は円心寺、江戸時代の年号が書かれた墓石がストゥーパみたいに山になっています
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お次は円心寺、江戸時代の年号が書かれた墓石がストゥーパみたいに山になっています
こちらには福禄寿、ありがたそうなオブジェが立ち並んでいます
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こちらには福禄寿、ありがたそうなオブジェが立ち並んでいます
大きな山門は江戸時代天明年間の建立、利根川沿いは浅間焼けでそれどころじゃなかったはずだけど、それだからこそ神仏にすがるような行為に繋がるのかな
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大きな山門は江戸時代天明年間の建立、利根川沿いは浅間焼けでそれどころじゃなかったはずだけど、それだからこそ神仏にすがるような行為に繋がるのかな
お次は大正院、参道は馬頭観音だらけ、中山道沿いのお寺らしいなぁ
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お次は大正院、参道は馬頭観音だらけ、中山道沿いのお寺らしいなぁ
今の本堂はモダンな耐火構造、左手に弁天さま
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今の本堂はモダンな耐火構造、左手に弁天さま
こちらにはブロンズ像の銭洗い弁財天が鎮座しています
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こちらにはブロンズ像の銭洗い弁財天が鎮座しています
薬師堂は元の本堂、お大師さんの石像を見て思い立ち、般若心経を読経しました
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薬師堂は元の本堂、お大師さんの石像を見て思い立ち、般若心経を読経しました
お次は城立寺、大黒尊天のお寺のはずですが、入り口には他の七福神の姿も
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お次は城立寺、大黒尊天のお寺のはずですが、入り口には他の七福神の姿も
大黒尊天は本堂脇に鎮座、本庄駅から歩き出すとますここのお寺から立ち寄ることになります
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大黒尊天は本堂脇に鎮座、本庄駅から歩き出すとますここのお寺から立ち寄ることになります
潰れて野ざらしになった飲食店、火事で焼けたまま放置された民家、キャバレーだったとおぼしき建物、時代が昭和で止まったかのようです
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潰れて野ざらしになった飲食店、火事で焼けたまま放置された民家、キャバレーだったとおぼしき建物、時代が昭和で止まったかのようです
最後のお寺は泉林寺
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最後のお寺は泉林寺
こちらには寿老人が鎮座、これで七福神めぐりは終了です
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こちらには寿老人が鎮座、これで七福神めぐりは終了です
帰路に立ち寄った旧本庄商業銀行煉瓦倉庫、以前歩いたときは改装中でしたが、整備が終わって立ち寄りスポットとして生まれ変わったようです
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帰路に立ち寄った旧本庄商業銀行煉瓦倉庫、以前歩いたときは改装中でしたが、整備が終わって立ち寄りスポットとして生まれ変わったようです
駅からハイキングでも見所になっている旧本庄仲町郵便局は国登録有形文化財
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駅からハイキングでも見所になっている旧本庄仲町郵便局は国登録有形文化財
この郵便局跡は渋沢栄一とも繋がりのある諸井家の旧宅を兼ねていて、後ろにはテラスのある洋風建築が続いていますが、入ったらだめそうなので立ち入らず
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この郵便局跡は渋沢栄一とも繋がりのある諸井家の旧宅を兼ねていて、後ろにはテラスのある洋風建築が続いていますが、入ったらだめそうなので立ち入らず
旧中仙道沿いには倉庫跡を活用したcafe NINOKURAあり、ランチの郷土料理つみっこはおいしかったです
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旧中仙道沿いには倉庫跡を活用したcafe NINOKURAあり、ランチの郷土料理つみっこはおいしかったです
出発地の駐車場に戻ると北から流されてきた雲たち、風も出てきたしいよいよ冬型強まるのかな
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出発地の駐車場に戻ると北から流されてきた雲たち、風も出てきたしいよいよ冬型強まるのかな
明けて翌日、旭・小島古墳群が見たくて本庄市を再訪、まずは我がグンマー帝国の盟主、赤城山、右手には雪を頂いた袈裟丸山、奥日光の方は雪雲のなか
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明けて翌日、旭・小島古墳群が見たくて本庄市を再訪、まずは我がグンマー帝国の盟主、赤城山、右手には雪を頂いた袈裟丸山、奥日光の方は雪雲のなか
左手には榛名山、小野子山、子持山
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1/8 13:32
左手には榛名山、小野子山、子持山
右手には男体山、右端には昨年春に転んで怪我した仙人ヶ岳
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右手には男体山、右端には昨年春に転んで怪我した仙人ヶ岳
最初に現れたのは唐鈴神社、遣唐使が玄宗皇帝からもらった鈴をここに持ち帰り祭ったとのこと、お社はボロい(失礼)けど、由緒は独創的です
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最初に現れたのは唐鈴神社、遣唐使が玄宗皇帝からもらった鈴をここに持ち帰り祭ったとのこと、お社はボロい(失礼)けど、由緒は独創的です
近くには見えどもたどり着けない諏訪神社は円墳のうえに鎮座、周辺の住所である小島は、台地に連なる円墳が島に見えたからだとのこと
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1/8 13:49
近くには見えどもたどり着けない諏訪神社は円墳のうえに鎮座、周辺の住所である小島は、台地に連なる円墳が島に見えたからだとのこと
北風の寒い日、可憐なスイセンも風に揺れます
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北風の寒い日、可憐なスイセンも風に揺れます
住宅街の中に現れるは蚕影山古墳、こちらも円墳です
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住宅街の中に現れるは蚕影山古墳、こちらも円墳です
すぐ隣には山の神古墳、女性でも埋葬されているのかしら
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すぐ隣には山の神古墳、女性でも埋葬されているのかしら
武田氏に使えた土着の塩原氏が建立した二柱神社は祭神がふたり、帰り道では塩原の標識が掲げられた大きな屋敷がいくつかありました
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1/8 14:03
武田氏に使えた土着の塩原氏が建立した二柱神社は祭神がふたり、帰り道では塩原の標識が掲げられた大きな屋敷がいくつかありました
ふたたび住宅街に現れるは手前がつつじ山古墳、後ろが八幡山古墳
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ふたたび住宅街に現れるは手前がつつじ山古墳、後ろが八幡山古墳
八幡山古墳の上からは住宅の隙間に真っ白な浅間山
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1/8 14:11
八幡山古墳の上からは住宅の隙間に真っ白な浅間山
最後の古墳は浅間山古墳、こちらは石室が見学できます
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最後の古墳は浅間山古墳、こちらは石室が見学できます
妙に縦長な石室、ご遺体はどうやって埋葬したんだろう
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1/8 14:22
妙に縦長な石室、ご遺体はどうやって埋葬したんだろう
接する道は旧中仙道、四国遍路が終わったらまずは中仙道かな
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1/8 14:30
接する道は旧中仙道、四国遍路が終わったらまずは中仙道かな
ということでお試し運転で中仙道を歩いて神保原駅まで、高架橋からは浅間山、鼻曲山、浅間隠山、榛名山までが一望、草津白根山方面もチラリ
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ということでお試し運転で中仙道を歩いて神保原駅まで、高架橋からは浅間山、鼻曲山、浅間隠山、榛名山までが一望、草津白根山方面もチラリ
貨物列車がやって来たので撮り鉄します(^^)
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貨物列車がやって来たので撮り鉄します(^^)
神保原駅近くには巨大な屋根の安盛寺
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神保原駅近くには巨大な屋根の安盛寺
境内にある小さなお堂には大黒天、昨日の七福神めぐりでは普寛霊場の木像を見損なったので大満足(^^)
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1/8 15:03
境内にある小さなお堂には大黒天、昨日の七福神めぐりでは普寛霊場の木像を見損なったので大満足(^^)
境内には結構古い年号の庚申塔、馬頭観音、二十二夜塔などが所狭しと並んでいました
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境内には結構古い年号の庚申塔、馬頭観音、二十二夜塔などが所狭しと並んでいました
最後に民家のロウバイで二日目散歩は終了です!
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1/8 15:12
最後に民家のロウバイで二日目散歩は終了です!
スタート地点も同じとは、ほぼ1年前の八幡山公園の再来ですね😁。
私が今日まわれなかった寺坂橋や煉瓦倉庫もおさえていて流石です💪。
大黒尊天は閉められてしまったのですね。私が行ったときは丁度開いていたのでラッキーだったみたいです😊。
七福神、中山道、いい響きですね。
yamaonseさんは、四国を結願したら街道でしょうか(笑)もしかして、コンポステーラかしら。
私は、まずは「やまや」に戻れるように鍛え直しからです(笑)
以前友人と深川七福神巡りをしてた時代があったけれど
(友人ちのお墓がそこらへんにあったからという理由ですが)
なんか全然違いますね‼️
深川は燃えちゃってコンクリ製のお堂ばっかりなんだもの。。。💦
昔ながらのほうが有り難みがあって格式高い感じです
門もカッコいいし〜
七福神のおかげでこれで今年は一年快調に歩ける事間違いなしですネ😀
先ほどyamatakuさんのレコにお邪魔したらyamaonseさんも廻られているのを知って、こちらにもお邪魔してみました。
私もひと月前にかけ足で巡ったところですが、非常に細かくレポートされていてとてもわかりやすいです。私の時は古墳中心に立ち寄りしたので、今度は七福神などもゆっくり見て廻ってみようかな、と思っているところです。ありがとうございました😊
本庄の七福神巡り、日がいいのでしょうか、吉祥寺七福神巡りも吉祥寺駅で駅ハイ開催で受付をしていました。
>埼玉最古の橋、
そうなのですよね、本庄は埼玉県なのですよね、
わかっているようで実はわかっていない私です。
以前、よく「東村山市って東京都だったのー!?」と言われました、エーッ?と思いましたが似たり寄ったりですかしらね(笑)。
yamaonseさん、お大師さまに会うと郷愁に駆られるのですね、四国熱、微熱状態のようです( 〃▽〃)。
般若心経を唱えているのですか?
時間が掛かってたいへんじゃないですか。
冒頭の『さわり』の部分だけでもいいのでしょうか、
まぁ、、人それぞれ、と言ってはおしまいですが。
新春おつかれさまでした(*^-^*)
本庄は埼玉県北部にあるかっての中心都市、今や門前町の熊谷や深谷市のほうが勢いありますが、路地裏まで歩いてみると古いものがわんさか残されています。というか、時代に取り残された感じすらします(爆)秋津とか清瀬とかもどっちだっけ?って迷いますね。ちなみに、伊勢崎市周辺の群馬の民は鈍行利用するなら本庄駅です。そしてお大師さんの石像見てプチコーフン、四国病なのかしら(笑)八十八を思いながらの読経は気持ちいいですよ。まねごとでもやってみるのはよいこと、miketamaさんもぜひ参拝の際はお試しくださいませ!
七福神巡り、新春に相応しく一年を平穏で送れそうでいいですね😊
我が地域にも武蔵野七福神や所沢七福神そして青梅とありますが、どうしても離れ離れで歩くとなると結構な距離。飯能にいたっては先日歩いた子ノ権現と竹寺合わせて『霊峰二山飯能七福神』。市街地から山まで広範囲で本腰入れないとですね。その点こちら本庄は中山道沿いでコンパクトなのようで午後からぶら散歩でも楽しめそう。川越七福神のような感じですかね。
埼玉南西部に住む自分にとってはここも群馬😁(セミ群馬でしたっけ)
仕事で本庄や神保原あたりは随分走ったけど神社仏閣や史跡はほとんど素人。素通りばっかりしないでしっかり歩いて見る価値がありそうですね。
埼玉北部〜群馬県にかけて古墳がとても多いのは知っていますが、旭・小島古墳群というのは知りませんでした。
どれも墳丘のサイズが20m程度と比較的小さめですが、それでも神奈川県の古墳と比べたらしっかり形が残っていて素晴らしいですね。
最後に出てきた浅間山古墳の「妙に縦長な石室」は面白いですね。
この3連休で奈良に行って見てきた"黒塚古墳"は、明確に横長の石室でしたが、縦長な石室だと古墳でありながら内部は縄文時代〜弥生時代のように甕棺墓だったのではと想像してしまいます。
7世紀中頃以降は急速に個人墓が増加し、伸展葬が困難なほど極小化した石室もみられ、改葬墓として営まれた事例もあります。
ここも7世紀の終末期古墳で、少し後には持統天皇が火葬されるなど仏教の影響が色濃く出てくるとのこと。ardisiaさんが訪れた奈良にある古墳でも骨壺の入った火葬墓もあるようだし、そいういうブームが関東まで波及していたのだとすればおもしろいことですね。
https://kyureki.jp/wp-content/uploads/2021/03/publish_commentary_kaisetu47.pdf
午後からサクっと廻れるコースを
すぐに引き出せるのはお見事です。
古くからの物が守られてる反面
かっての中心地の空洞化は
寂しいですね。
牛伏山に続き、2日がかりで本庄から神保原巡りご苦労様でした。私の地元を色々と見て回られたようで七福神の各お寺に神社、古墳と改めて色々と知ることができて感謝です。本庄と上里の境辺りに古墳がいっぱいあるのは知っていましたが、旭・小島古墳群と言う名前があったのですね。かつては威勢を誇った本庄宿の中山道沿いも今はだいぶさびれてしまっていますが、こうやって見ると名所旧跡は多く残ってますね。私もじっくり回ってみようかなと思います。いつも前を素通りするだけなのですが。^^; 神流川を渡ればもう埼玉県、またお気軽にお越しくださいませ。
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