7:30奈良井駅を出立
駅前には木曽五木(ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ(クロベ)・ サワラ)が植えられている
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1/12 7:19
7:30奈良井駅を出立
駅前には木曽五木(ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ(クロベ)・ サワラ)が植えられている
奈良井宿の宿並は国の重要伝統的建造物群保存地区。
奥の方から次々と元気に挨拶しながら小学生が歩いて来る。子供が多く活気のある町
2
1/12 7:26
奈良井宿の宿並は国の重要伝統的建造物群保存地区。
奥の方から次々と元気に挨拶しながら小学生が歩いて来る。子供が多く活気のある町
臨済宗妙心寺派広伝山大宝寺
隠れキリシタンが祀ったマリヤ地蔵がある
1
1/12 7:33
臨済宗妙心寺派広伝山大宝寺
隠れキリシタンが祀ったマリヤ地蔵がある
嘉永二年(1849)建立の常夜燈、本陣跡
本陣跡は街道から奥まったところにあり判りずらいが公衆トイレに寄った所発見
1
1/12 7:41
嘉永二年(1849)建立の常夜燈、本陣跡
本陣跡は街道から奥まったところにあり判りずらいが公衆トイレに寄った所発見
鍵の手(西枡形)、左手に荒沢不動尊
1
1/12 7:45
鍵の手(西枡形)、左手に荒沢不動尊
隣の祝言道祖神は新しいものの様だ
1
1/12 7:46
隣の祝言道祖神は新しいものの様だ
高札場と宮の沢水場。水場の背後には庚申塔、馬頭観音、廿三夜塔等の石仏石塔
2
1/12 7:54
高札場と宮の沢水場。水場の背後には庚申塔、馬頭観音、廿三夜塔等の石仏石塔
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1/12 7:53
水場から、江戸方面を見る
雪がちらつく宿場に人はまばら
2
1/12 7:55
水場から、江戸方面を見る
雪がちらつく宿場に人はまばら
右の階段が鳥居峠への登り口
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1/12 8:07
右の階段が鳥居峠への登り口
石が敷かれた歩道、滑らないよう慎重に登る
0
1/12 8:17
石が敷かれた歩道、滑らないよう慎重に登る
くるみ坂にある微笑み顔の石仏
1
1/12 8:25
くるみ坂にある微笑み顔の石仏
雪道の向こうに建物
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1/12 8:30
雪道の向こうに建物
中の茶屋
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1/12 8:32
中の茶屋
中の茶屋脇の葬沢(ほうむりさわ)解説版
「天正十年(1582)二月、織田信長に寝返った木曽義昌が武田勝頼の二千余名を迎撃し、大勝利を収めた鳥居峠の古戦場跡である。この時武田方の戦死者五百余で谷が埋もれたといわれ、戦死者を葬った場として、葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれる
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1/12 8:32
中の茶屋脇の葬沢(ほうむりさわ)解説版
「天正十年(1582)二月、織田信長に寝返った木曽義昌が武田勝頼の二千余名を迎撃し、大勝利を収めた鳥居峠の古戦場跡である。この時武田方の戦死者五百余で谷が埋もれたといわれ、戦死者を葬った場として、葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれる
鳥居峠一里塚跡碑 江戸日本橋より65里
2
1/12 8:48
鳥居峠一里塚跡碑 江戸日本橋より65里
木曽路には木曽ユネスコ協会の活動として中学生手書きの解説版が多くある
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1/12 8:48
木曽路には木曽ユネスコ協会の活動として中学生手書きの解説版が多くある
雪の中、歩道等を守るための治山工事ご苦労様
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1/12 8:53
雪の中、歩道等を守るための治山工事ご苦労様
峰の茶屋
冬期使用禁止で中には入れない。冬期こそ使用価値がありそうだが残念
2
1/12 8:58
峰の茶屋
冬期使用禁止で中には入れない。冬期こそ使用価値がありそうだが残念
鳥居峠 標高1197m
鳥居峠は木曽川と奈良井川の分水領
木曽川は太平洋へ流れ、奈良井川は犀川・千曲川・信濃川となって日本海側へ流れる
1
1/12 9:06
鳥居峠 標高1197m
鳥居峠は木曽川と奈良井川の分水領
木曽川は太平洋へ流れ、奈良井川は犀川・千曲川・信濃川となって日本海側へ流れる
歩道沿いにトチノキ巨木が並ぶ、「子産の栃」「天然記念物 鳥居峠のトチノキ群」などの碑がある
1
1/12 9:16
歩道沿いにトチノキ巨木が並ぶ、「子産の栃」「天然記念物 鳥居峠のトチノキ群」などの碑がある
御岳神社
2
1/12 9:20
御岳神社
神社裏の石塔石像群
1
1/12 9:24
神社裏の石塔石像群
御嶽山5合目に八海山神社(祭神:八海山提頭羅神王)、7合目に三笠山神社(祭神:三笠山刀利天)があり御嶽山座王大権現・八海山提頭羅神王・三笠山刀利天などの像がある
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1/12 9:23
御嶽山5合目に八海山神社(祭神:八海山提頭羅神王)、7合目に三笠山神社(祭神:三笠山刀利天)があり御嶽山座王大権現・八海山提頭羅神王・三笠山刀利天などの像がある
御岳遥拝所
*御嶽の四門:遠方から御嶽の登拝にやってきて最初に御嶽山を望むことができる場所が「御嶽の四門」
岩郷村神戸が発心門、長峰峠が菩薩門、三浦山中が修行門、鳥居峠が涅槃門にたとえられていた
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1/12 9:29
御岳遥拝所
*御嶽の四門:遠方から御嶽の登拝にやってきて最初に御嶽山を望むことができる場所が「御嶽の四門」
岩郷村神戸が発心門、長峰峠が菩薩門、三浦山中が修行門、鳥居峠が涅槃門にたとえられていた
眼下に見えるのは藪原だろうか?
1
1/12 9:33
眼下に見えるのは藪原だろうか?
急坂を下り、林道を横切ると滑りそうな石畳の道
2
1/12 9:43
急坂を下り、林道を横切ると滑りそうな石畳の道
原町清水
各集落に飲用・防火など多目的の水場がある
1
1/12 10:00
原町清水
各集落に飲用・防火など多目的の水場がある
木曽川と村の花リンドウ、村の木トチノキが描かれたマンホール蓋
1
1/12 10:02
木曽川と村の花リンドウ、村の木トチノキが描かれたマンホール蓋
尾州御鷹匠役所跡
お鷹城と呼ばれ、尾張藩が享保十五年(1730)鷹狩り用のヒナを確保する為に設けた御鷹匠役所跡
1
1/12 10:04
尾州御鷹匠役所跡
お鷹城と呼ばれ、尾張藩が享保十五年(1730)鷹狩り用のヒナを確保する為に設けた御鷹匠役所跡
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1/12 10:04
藪原の街並みと木曽谷
2
1/12 10:04
藪原の街並みと木曽谷
藪原本陣跡
ここも、大火(明治十七年(1884))で宿並の大半が灰燼に帰したため標柱のみ
1
1/12 10:11
藪原本陣跡
ここも、大火(明治十七年(1884))で宿並の大半が灰燼に帰したため標柱のみ
防火高塀跡
元禄八年(1695)七月の大火で薮原宿は全焼、その後対策として高い土塀を設けて防火壁とした
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1/12 10:16
防火高塀跡
元禄八年(1695)七月の大火で薮原宿は全焼、その後対策として高い土塀を設けて防火壁とした
藪原宿の街並み
1
1/12 10:37
藪原宿の街並み
お六櫛問屋山六篠原商店萬寿屋本店
みねばりという木で作ったすき櫛、お六櫛は薮原宿の名産
2
1/12 10:38
お六櫛問屋山六篠原商店萬寿屋本店
みねばりという木で作ったすき櫛、お六櫛は薮原宿の名産
高札場 道を直角に曲げた桝形で藪原宿の京口
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1/12 10:40
高札場 道を直角に曲げた桝形で藪原宿の京口
延命地蔵と六地蔵
1
1/12 10:43
延命地蔵と六地蔵
藪原の一里塚 江戸より66里 10:50 奈良井駅から7.4km。後ろにはD51蒸気機関車
1
1/12 10:48
藪原の一里塚 江戸より66里 10:50 奈良井駅から7.4km。後ろにはD51蒸気機関車
ここから暫く国道19号を歩く
0
1/12 11:08
ここから暫く国道19号を歩く
食堂 権兵衛で昼食
1
1/12 11:25
食堂 権兵衛で昼食
タンメンセット1,221円
2
1/12 11:44
タンメンセット1,221円
国道19号を外れ旧道に入る。
車は入れないようでアスファルトを藪って草が生えている。右の山が「山吹山」で旧道は山吹山回廊道と呼ばれ中腹を通っていたが今は通れない
木曽義仲の愛妾は巴御前と山吹御前である
1
1/12 12:13
国道19号を外れ旧道に入る。
車は入れないようでアスファルトを藪って草が生えている。右の山が「山吹山」で旧道は山吹山回廊道と呼ばれ中腹を通っていたが今は通れない
木曽義仲の愛妾は巴御前と山吹御前である
巴渕
1
1/12 12:33
巴渕
1
1/12 12:35
木曽義仲に使えた巴御前、この澄んだ巴が淵に住む龍神の化身との伝説がある
1
1/12 12:32
木曽義仲に使えた巴御前、この澄んだ巴が淵に住む龍神の化身との伝説がある
有栖川宮御休所跡碑
有栖川といえば、有栖川を名乗る詐欺事件があった事を思い出した
*有栖川宮詐欺事件:平成15年に発生した詐欺事件。有栖川家は大正2年に断絶していたが宮家・有栖川宮の祭祀継承者で、高松宮宣仁親王のご落胤であると偽った男性と、その妃殿下と詐称する女性が偽の結婚披露宴を開催、招待客から祝儀等を騙し取った。
1
1/12 12:42
有栖川宮御休所跡碑
有栖川といえば、有栖川を名乗る詐欺事件があった事を思い出した
*有栖川宮詐欺事件:平成15年に発生した詐欺事件。有栖川家は大正2年に断絶していたが宮家・有栖川宮の祭祀継承者で、高松宮宣仁親王のご落胤であると偽った男性と、その妃殿下と詐称する女性が偽の結婚披露宴を開催、招待客から祝儀等を騙し取った。
木曽義仲会館 行程を考え余裕がないので素通りした
1
1/12 12:56
木曽義仲会館 行程を考え余裕がないので素通りした
宮ノ越本陣
何度か火災にあっているが、木曽11宿中唯一残っている
2
1/12 13:00
宮ノ越本陣
何度か火災にあっているが、木曽11宿中唯一残っている
0
1/12 13:00
脇本陣問屋跡
0
1/12 13:01
脇本陣問屋跡
宮ノ越の宿並
1
1/12 13:04
宮ノ越の宿並
マンホール蓋 ササリンドウ(日義村の村章)のデザイン
1
1/12 13:08
マンホール蓋 ササリンドウ(日義村の村章)のデザイン
四国三十三所観世音菩薩、南無阿弥陀仏名号碑、廿三夜塔、道祖神等
0
1/12 13:09
四国三十三所観世音菩薩、南無阿弥陀仏名号碑、廿三夜塔、道祖神等
宮ノ越の一里塚
0
1/12 13:18
宮ノ越の一里塚
第5仲仙道踏切 (第2は廃止、第3・4は横断していない)
1
1/12 13:29
第5仲仙道踏切 (第2は廃止、第3・4は横断していない)
石仏石塔群
2体は、朝鮮飯店前にある将軍標「天下大将軍」「地下女将軍」に似ているがお墓か?
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1/12 13:40
石仏石塔群
2体は、朝鮮飯店前にある将軍標「天下大将軍」「地下女将軍」に似ているがお墓か?
中山道中間地点標石 奈良井駅から16.2km
「江戸へ 六十七里二十八町」「京へ 六十七里二十八町」。日本橋から京都三条大橋まで約534kmの半分266km地点。
ここまでの実際の歩行距離は延べ14日間で330km
2
1/12 13:47
中山道中間地点標石 奈良井駅から16.2km
「江戸へ 六十七里二十八町」「京へ 六十七里二十八町」。日本橋から京都三条大橋まで約534kmの半分266km地点。
ここまでの実際の歩行距離は延べ14日間で330km
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1/12 13:47
神社と天保十一年(1840)建立の道祖神
0
1/12 13:54
神社と天保十一年(1840)建立の道祖神
未舗装の草道を抜けると、正沢川に架かる鉄橋?を渡る
鉄の橋脚は曲がり、床板はメッシュでスリルがある
1
1/12 14:02
未舗装の草道を抜けると、正沢川に架かる鉄橋?を渡る
鉄の橋脚は曲がり、床板はメッシュでスリルがある
薬師堂、手前に二十三夜塔、庚申塔 奥は手習天神
1
1/12 14:11
薬師堂、手前に二十三夜塔、庚申塔 奥は手習天神
手習天神
木曽義仲を養育した中原兼遠(巴御前の父)が義仲の学問の神として京都の北野天満宮を勧請した
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1/12 14:13
手習天神
木曽義仲を養育した中原兼遠(巴御前の父)が義仲の学問の神として京都の北野天満宮を勧請した
出尻一里塚跡碑 江戸日本橋よ六十九里目
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1/12 14:26
出尻一里塚跡碑 江戸日本橋よ六十九里目
国道に架かる門
門には〇に一字の尾張藩代官山村氏家紋
1
1/12 14:58
国道に架かる門
門には〇に一字の尾張藩代官山村氏家紋
福島関所
中山道の碓氷、東海道の箱根、新居と共に四大関所
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1/12 15:03
福島関所
中山道の碓氷、東海道の箱根、新居と共に四大関所
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1/12 15:00
木曽福島関所資料館
0
1/12 15:03
木曽福島関所資料館
関所下にある高瀬家資料館と高瀬奇應丸碑
高瀬家は島崎藤村の姉園が嫁いだ家で製造販売の「奇應丸」は小児の夜泣き疳の虫の漢方薬
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1/12 15:05
関所下にある高瀬家資料館と高瀬奇應丸碑
高瀬家は島崎藤村の姉園が嫁いだ家で製造販売の「奇應丸」は小児の夜泣き疳の虫の漢方薬
関所をデザインした旧木曽福島町のマンホール蓋
1
1/12 14:49
関所をデザインした旧木曽福島町のマンホール蓋
福島宿の街並み
1
1/12 15:07
福島宿の街並み
本陣跡は現在、図書館兼文化交流センター
市町村合併前は木曽福島町役場
1
1/12 15:10
本陣跡は現在、図書館兼文化交流センター
市町村合併前は木曽福島町役場
明治二十五年(1892)創業の清酒七笑(ななわらい)の蔵元七笑酒造
1
1/12 15:14
明治二十五年(1892)創業の清酒七笑(ななわらい)の蔵元七笑酒造
三分の二に復元された高札場
天保九年(1838)当時の「キリシタン禁止」「毒薬売買禁止」「火付け盗賊五か条の定」などが掲げられている
1
1/12 15:16
三分の二に復元された高札場
天保九年(1838)当時の「キリシタン禁止」「毒薬売買禁止」「火付け盗賊五か条の定」などが掲げられている
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1/12 15:16
坂を上がった上の段の町並は大火に遭わず、往時の佇まいを残している
1
1/12 15:17
坂を上がった上の段の町並は大火に遭わず、往時の佇まいを残している
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1/12 15:18
木曽福島駅
1
1/12 15:32
木曽福島駅
駅の下にある「御嶽山木曽本宮元宮」
0
1/12 15:36
駅の下にある「御嶽山木曽本宮元宮」
木曽町役場 令和3年4月5日開庁
地元木曽ヒノキ・カラマツを構造材とした木造の立派な役場
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1/12 15:39
木曽町役場 令和3年4月5日開庁
地元木曽ヒノキ・カラマツを構造材とした木造の立派な役場
旧道は役場を巻くように進み坂を下る
木曽川沿いの塩渕の街並み
1
1/12 15:41
旧道は役場を巻くように進み坂を下る
木曽川沿いの塩渕の街並み
塩渕の一里塚「江戸より七十里、京へ六十七里」
1
1/12 15:45
塩渕の一里塚「江戸より七十里、京へ六十七里」
中平(なかだいら)村は天保九年(1838)刊の木曽巡行記に「中平は木櫛挽き売る」と著され、立場茶屋があり、木櫛を商っていた
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1/12 16:05
中平(なかだいら)村は天保九年(1838)刊の木曽巡行記に「中平は木櫛挽き売る」と著され、立場茶屋があり、木櫛を商っていた
ここにも織田家の氏神、津島神社
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1/12 16:06
ここにも織田家の氏神、津島神社
中央本線の下を潜る
中山道は国道19号とJR中央本線に分断され両者を縫うように歩く
1
1/12 16:25
中央本線の下を潜る
中山道は国道19号とJR中央本線に分断され両者を縫うように歩く
梅の咲く頃、良い写真が撮れそうな梅の古木と馬頭観音
1
1/12 16:26
梅の咲く頃、良い写真が撮れそうな梅の古木と馬頭観音
御嶽山遥拝所(旧岩郷村神戸)
木が邪魔して眺望は効かないが天気も悪く何も見えない
石碑には「八海山神社」「御岳神社」「三笠山神社」
2
1/12 16:31
御嶽山遥拝所(旧岩郷村神戸)
木が邪魔して眺望は効かないが天気も悪く何も見えない
石碑には「八海山神社」「御岳神社」「三笠山神社」
坂を下ると対岸に御岳教の木曽本宮が見える。駅前にあった「御嶽山木曽本宮元宮」が移転したらしい。
御岳教は奈良に本部置く宗教団体で御嶽山の登山口、東の黒沢口と南の大滝口にある御岳神社と別団体
1
1/12 16:37
坂を下ると対岸に御岳教の木曽本宮が見える。駅前にあった「御嶽山木曽本宮元宮」が移転したらしい。
御岳教は奈良に本部置く宗教団体で御嶽山の登山口、東の黒沢口と南の大滝口にある御岳神社と別団体
鉄道沿いの細道を進み
1
1/12 16:49
鉄道沿いの細道を進み
沓掛馬頭観音堂
2
1/12 16:52
沓掛馬頭観音堂
「木曽義仲が木曽の桟を通り掛った時、愛馬に「七十三間飛べ」と号令したところ、馬は命ぜられた通り、正確に七十三間飛びました、ところが実際は七十四間あったので人馬共に木曽川に転落し、義仲は九死に一生を得たが、馬は死んでしまった、義仲は愛馬の菩提を弔う為に一宇を建て金の馬頭観音像を祀った」
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1/12 16:51
「木曽義仲が木曽の桟を通り掛った時、愛馬に「七十三間飛べ」と号令したところ、馬は命ぜられた通り、正確に七十三間飛びました、ところが実際は七十四間あったので人馬共に木曽川に転落し、義仲は九死に一生を得たが、馬は死んでしまった、義仲は愛馬の菩提を弔う為に一宇を建て金の馬頭観音像を祀った」
沓掛の一里塚 奈良井駅より28.9km
日本橋より71里 京へ66里
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1/12 16:58
沓掛の一里塚 奈良井駅より28.9km
日本橋より71里 京へ66里
川の向こうに今宵の宿「桟温泉旅館」
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1/12 17:07
川の向こうに今宵の宿「桟温泉旅館」
夕食は正月料理風でクワイやカズノコ
2
1/12 18:39
夕食は正月料理風でクワイやカズノコ
雑煮の餅は四角で関東風
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1/12 18:54
雑煮の餅は四角で関東風
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