記録ID: 6386957
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無雪期ピークハント/縦走
近畿
生駒山 日下直越道↑ らくらく登山道↓ てくてく
2024年01月20日(土) [日帰り]
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 04:30
- 距離
- 15.1km
- 登り
- 720m
- 下り
- 792m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
土日悪天候予報(木曜時点
土曜の朝 雨あがってから生駒に登ろかと
当日10時過ぎまで止まず・・・
で 夏場にボッサやった日下直越道チョイス
日下といえば、神武東征での上陸地点
で長髄彦との戦いで、彦五瀬命が負傷
紀伊半島を迂回する事になる地
まぁ冬場しかアカンのとちゃうか日下直越道
俺は嫌やな
【東大阪市】冬の植物をたどって登山を楽しむ。冬でもピンクの花道ができる生駒山https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/9b1bca2ae216f23723636da5a9f4d36b0ee8ad74
神武東征の日下付近の事は以下
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戊午年(紀元前663年)
2月11日、難波の碕に至り、その地を浪速国と名付ける。
3月10日、河内国草香邑青雲の白肩の津に至る。
4月9日、龍田へ進軍するが道が険阻で先へ進めず、東に軍を向けて胆駒山を経て中洲(うちつくに)へ入ろうとした。この時に長髄彦という者があってその地を支配しており、軍を集めて孔舎衛坂(くさえ の さか)で磐余彦尊たちをさえぎり、戦いになった。戦いに利なく、磐余彦尊の兄五瀬命は流れ矢にあたって負傷した。磐余彦尊は日の神の子孫の自分が日に向かって(東へ)戦うことは天の意思に逆らうことだと[矛盾 ⇔ 神武東征]悟り兵を返した。草香津まで退き、盾をたてて雄叫びした。このため草香津を盾津と改称した。のちには蓼津といった。磐余彦尊はそこから船を出した。
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