川上岳
- GPS
- 04:48
- 距離
- 8.5km
- 登り
- 753m
- 下り
- 885m
コースタイム
- 山行
- 4:15
- 休憩
- 0:33
- 合計
- 4:48
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
山之口林道はダートだが、慎重に運転すれば擦ることもなく通行できる。ゲート前に駐車スペース20台ほど。 |
写真
感想
川上岳と書いて「かおれだけ」と読む。超難読だが当て字だろう。白山と御嶽山の丁度真ん中、岐阜県高山市の南西にに位置する。位山、船山とともに位山三山と呼ばれ、 この中では標高がもっとも高い。位山3山は日本海と太平洋の分水嶺でもある。
9月5日、JR高山本線上呂(じょうろ)駅より北へ少し上がった付近から、裏木曽街道の国道41号線を離れて山之口川沿いに北上。上之田の集落を過ぎ、川上岳の案内に沿って走ると山之口川沿いの道路は未舗装になる。ところどころで排水用に道路を横切る溝が切られ、けっこう凹凸が激しい。4キロほど林道を走ると登山口の駐車スペースに着く。山頂に着いて出会った金沢の3人グループから「あの林道はダートだったでしょう」といわれたが、慎重に走れば何とか車体をこすらずに通行できた。駐車スペースの奥に車止めのゲートが見えている。広々とした駐車スペースには一台もなし。
今日は貸し切りかと思えたが、身支度しているうちに一台やってきた。「『和泉』ナンバーというのは、大阪ですか」と声をかけてきた男は地元の人。「和泉」ナンバーについて時々聞かれることがある。「泉」一文字だったら注目されることもなかったかもしれないが、発音しない「和」が付いていることから「和泉」ナンバーは注目される。僕が住む大阪南部の泉州地方は古来泉国と呼ばれた。その泉国に何故「和」が付くようになったか、調べてみたことがある。
日本書紀によれば、大阪の南部地方は神功皇后治世の古代から「泉」と呼ばれる地名だった。713年(和銅3年)、奈良朝廷は地名を二文字で表記する詔を発し、なるべく「佳き字」を使用すべしとのお達しだった。そこでめでたい字である「和」を冠して「泉」は「和泉」と表記することになったという。それにしてもお隣の堺はなぜ一文字なのか、 疑問である。「大阪『駅名』の謎」(谷川彰英)では、「何らかの政治的関係で例外として認められたのではないか」と推測されている。
旧国名である「和泉国」はほぼ大和川以南の大阪南部地域をさすが、現在では大阪の南部地方全体を指す言葉としては和泉国の別称である「泉州」の方が使われている。「和泉」の表記は現在では、知る限りでは当時国府が置かれていたことに由来する和泉市と和泉山脈、和泉橋本や和泉鳥取、和泉砂川、和泉大宮など鉄道の駅名として使われているだけである。とすると泉佐野や泉大津は、よくある全国の佐野や大津と区別するために、「泉州」の泉から一文字取られたのではあるまいか。
「いつも単独ですか」
「いや、半々ぐらい。こんなメジャーでない山に誘っても一緒する人はなかなかいませんよ。18の年からもう50年以上全国の山をほっつき回っています」
「山をやりだしてまだ一年。この山は二度目です」
「おいくつ?」
「63才」
「そのお年ならこれから随分登れますよ」
と、あれこれ山談義。僕は昨日満70才の古希を迎えた。厳密には古希は数え年でいうらしいが、70才という大台は満年齢の方が実感がする。以前、尊敬していた大先輩に「もう60になりましたよ」と年より風を吹かせると、「60代は洟垂れ小僧、70代は青春だよ」と一喝された。そういった先輩はその頃80代でかくしゃくとしていた。その先輩とも今では音信不通。老老介護で疲れ果てていると風の便りに聞いた。
登山口に水が引かれている。下山してから山の幸をいただこう。8時過ぎスタート。快晴。ひと歩きで大足谷川を徒渉するところに出た。2本組みの丸太を半分にした木橋は、刻みが付けられているが、木の滑りやすさは身についている。歩き出しでザブンはごめんこうむりたい。用心してダブルストックで渡る。
渡り終えると山腹をからむジグザグが始まった。尾根に出るまで歩きやすいジグザグが坦々と切られ、さほど急登というわけではない。そよと吹く風が涼しい。猛暑続きの今夏だったが、8月末から秋雨前線が現れ、大気が不安定になり雨模様が続いた。お蔭で随分涼しくなった。とはいっても長袖シャツではちと暑い。袖をたくし上げて歩く。1時間20分ほどで尾根に出た。切開きから御嶽山が望める。右端のピーク付近から水蒸気が立ち上っている。昨年水蒸気爆発を起こした名残りだ。
ここからは幅広の気持ちのいい道がしばらく続く。右手の縦間に高みが見える。川上岳だ。色鮮やかな大型の笠を付けたキノコが目に入る。今夏は猛暑続きだったが、キノコが活躍する秋の気配だ。あまりにも色鮮やかなので下山後画像を頼りにネットで調べてみた。タマゴダケというようだ。ウィキペディアには次のように解説されている。
「海外で食用菌として利用されているセイヨウタマゴタケと同様に食用にされている。鮮美な色調を有することから、日本では有毒キノコのように誤解されがちだが、実は無毒であり、食用菌としてこれを採取するキノコ愛好家も少なくない。しかし、後述の通り本種とよく似ている有毒キノコも存在するため、採取の際には十分な知識と注意が必要である。キノコ自体壊れやすいため、一般にはほとんど流通していない。茹でると煮汁に黄色い色素が出るため、色を楽しむには茹でずに焼いた方がいい。味は強いうま味があり、フライや炊き込みご飯、オムレツなどによく合う。 現在、信州大学で栽培に向けた研究が進められている」
とのことだが、素人は手を出さぬが無難である。
山腹をからむジグザグ道は植林の杉、ヒノキ林だったが、ほれぼれするようなダケカンバやブナ林をしばらく愛でながら行く。縦間から新たな高みが見える。川上岳の左手に位置しているから1617ピークだろう。行く手の尾根はこの先U字状に回り込んでいる。そのために1617ピークや川上岳はよく見えるのだ。いつの間にか尾根を外れて巻き道となる。沢音がしてきた。それがどんどん大きくなってくる。ここは大足谷川の源流地帯なのだ。4つ目の小沢を徒渉し終えると、イヌツゲに下生えが背丈ほどの笹の切開きの急登にさしかかる。ひと登りで笹原に出た。御嶽や北アルプス方面が丸見えだ。ツメタ谷側からの登山道と合わせ、1617ピークを越えると左手(西側)の展望も開ける。「山頂まで500メートル」の標識を過ぎると、笹原と灌木の尾根に延びる縦走路の先に川上岳が見えてきた。
10時53分、山頂に着いた。貸し切りかと思われた山頂に意外にも3人グループが陣取っている。どこから登ってきたのだろう?彼らの会話のイントネーションが語尾をバイブレーション風に伸ばす福井のそれに似ている。
「福井からですか」
と声をかけると金沢のグループだった。金沢も福井のイントネーション圏のようだ。彼らはツメタ谷から登ってきたとのこと。
「ここまでどれぐらいですか」
「3時間ぐらいだったか」
僕がたどってきた大足谷沿いのルートとほぼ同じコースタイムだ。彼らは位山方面に向かった。位山への縦走路は天空の遊歩道と呼ばれている。どんな楽しい縦走路だろうか。
山頂は360度の眺望だ。東側には御嶽山や乗鞍岳、北側にかけては穂高山やダイキレットを挟んで槍ヶ岳まで望める。さらに左手に見える形のいい尖がりは黒部五郎岳だろうか。西側にはおなじみの白山や別山、三ノ峰、さらに大日ヶ岳、昨年滑りに行っためいほうスキー場まで見える。位山への稜線の東側が太平洋、西側が日本海への分水嶺だ。
ランチの助六寿司をほおばり、30分ものんびり山頂にとどまって大展望を楽しんでいると、若者3人グループがやってきた。
山岳展望を満喫して下山にかかると、登山口で出会った「地元氏」がやってきた。
「昼食はもう済んだんですか」
「山頂で30分ものんびりしていました」
「健脚ですね」
彼は僕がスタートした直後にスタートを切っているはずだ。30分も開くとはかなりスローペースだ。このあと、4人グループや単独の人など3組と出会った。地味な山なのにそこそこ登られている山だ。2時間足らずで下山。快適な山歩きだった。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する